第十六話 自分を理解する
がやがやとうるさい街道を、スタスタと歩く男。彼に向かって少女がかける。露店で買ったのだろうか、焼き鳥串を手に頬張りながら、置いていく男に悪態をつく。
「ちょっとくらい待ってくれてもいいじゃないですか」
「ごめんごめん」
右手に杖を持った男は、左手で少女の頭を撫でる。さっきまでの剣幕が嘘のように、少女は幸せそうな表情を浮かべた。
「それで、ニア。今日がなんの日か知ってるかい」
「当然です。『孤独なバアル』の日ですよね」
「ああ、正解だ」
穏やかに対応していた男が、一転瞳を恍惚とさせる。ここが街道でなければ、小躍りでも始めそうなそれだった。
「バアル様は、本当にソロモン・ディビルズが好きですよね」
「ニアには、彼の魅力がわからないのかい?」
男が肩をすくめる。
「それ、一口ちょうだいよ」
「えー、嫌ですよ。ていうか、あと一口分しかないです」
男の目の前で、少女はぱくんと最後の一口を頬張る。
男は露骨にいじけて、杖から手を離した。不思議とその杖は立ったまま静止し、それから男が両手をパンと打ち鳴らす。
「あー、ずるいです。ずるだ、ずるー」
「なんとでもいいなさい」
次の瞬間には、男の手には焼き鳥串が握られていた。それもあと一口分しか残っていないそれではなく、まるで買いたてのような。
それを一口頬張って、男は言う。
「ソロモンの何がいいってね、彼が一番自分のことをわかっていないところなんだ」
「あー、なんかわかります、それ」
少女は聞き上手。それがわかっている男はその言葉を信じず、構わず続ける。
「もしも彼が結界魔術に傾倒しなければ、もしくはーーああいや、こんなことはどうでもいいか。何はともあれ、悪魔なんかには渡してやらないよ」
そのためにダンタリオンをあそこに置いてるし、とバアルは笑う。
「用意した器、あれですもんね」
少女は聞き上手。口に手を当ててくすくすと笑う。いつのまにか焼き鳥串は消えていた。街道にも、人気がなくなっていた。それはもう、物音一つせず、人っ子一人見当たらず。
「あれ、おかしいですね。さっきまであんなに活気が……」
「ニア、下がりなさい」
気が付けば、二人の前には真っ黒な男がいた。腰に剣を吊るし、剣呑な目つきで二人を睨んでいる。先ほどまで賑やかさを象徴していた真っ赤な夕日は、彼の背後にあっては黒を強調する、まるで不吉の象徴だった。
「なあ、魔術師」
意外にも幼い声で、男は語りかける。
「ソロモンの器。あれは一体、どういうことだ」
「どういうことだと言われても。言ったはずだよ、最高の器を用意したと。そもそも、君はダンタリオンと同じ、人間との共生を選んだんじゃなかったかい……?」
不思議そうに、魔術師は問いかける。そこで、手をポンと叩いて、何かに気付いたかのようににやりと意地悪く笑って、
「ああ、そうか。君、先代勇者に殺されたんだっけ、ハルパスくん?」
あからさまな、挑発。
果たしてハルパスは、応じた。
腰の剣に手をかけ、そのまま距離を詰める。魔術師が右足を一歩ひくが、もう遅い。神速の抜刀術が魔術師の喉を狙う。即死させなければならないことくらいは、ハルパスにもなんとなくわかっていた。
ところで、右足を引いたということは、左半身が前に出ているということである。魔術師が肘を伸ばして左手をポン、と押すと、それは明らかにハルパスよりもゆっくりな動きだったのに、ハルパスの頭を小突き、態勢を崩させる。
よろめいたハルパスの心臓を、またも魔術師がぽんと小突いた。ぴきぴき、ぱきぱきという音が聞こえ、そしてーー
ーーそして、一柱の氷柱ができた。
氷に閉じ込められた、身動きの取れないハルパスに、魔術師は言う。
「『序列三十八位』、ハルパス。戦いを愛したが故に、人間に組した剣士よ。かつての君ならばともかく、死体となり、操られるがままの君では、僕の相手が務まるものか」
魔術師は、悲哀とともに氷柱を愛おしそうに撫でる。
「僕は、君が嫌いじゃなかったよ」
ある意味で、一番の偏見の被害者。たしかに悪魔として、並外れた身体能力は持っていたかもしれない。それでも、必死に真摯に技術を磨いて、己を研ぎ澄まし、だけれど、悪魔であるがゆえに、勇者になり得なかった剣士。
「だから、これは、僕なりの敬意だ」
氷柱を撫でていた手をぐっと押し込んだ。次の瞬間には、氷柱は無数の粒子となって、ハルパスとともに砕けている。キラキラと舞う氷の粒は、夕日を背景に、終わった夢を思わせた。
「さて、僕の不義理に怒るってことは、ソロモンを殺したい奴、つまり、穏健派。加えて、死体操作が得意」
決まりだね、と魔術師は歩き出した。
スタスタと歩く魔術師の傍を、不安そうに少女が付き添う。そんな彼女の目を見て笑って、魔術師はぽんぽんと頭を撫でた。
「……は?」
ソロモンは驚愕の声をあげた。
先に我に帰ったアストレアが、すぐさまダンタリオンに問い詰める。
「まさか、ダンタリオン殿! バアルとは、あの『最下位』のバアルですか!? 奴が『一位』……? いや、それよりも、なぜあなたはそれを知っている!?」
「まあまあ落ち着け、稀代の勇者よ。のうアストレアよ、わしとて確信したのは、ディビルズの身体を成長させた時じゃて。うすうす感付いてはおったがのう」
あご髭を撫でながら、悠々とダンタリオンは言う。
「な、なるほど。それで、バアルが『序列一位』とは……?」
「それは、言葉通りじゃ。今の序列は、いわば、人間目線の危険度ランキングみたいなもんじゃ。わしの言う序列とは、そのまま、ソロモンの悪魔の強さの階位じゃて」
相性なんかはあるがのう、と微笑む。
そこまで話を飲み込んで、ようやくここで、ソロモンが口を開く。
「つまり、俺は今最強ってことか?」
「そんなわけあるか、馬鹿めが」
辛辣に切り捨て、ダンタリオンは続ける。
「さっきの話に戻るぞ。穏健派が穏健派たり得たのは、契約ーーつまり、ソロモンを待っていたから。人間を滅ぼしてしまえば、転生先を特定できなくなるとある魔術師に脅されたから。だから、これからは奴らも動き出す」
「……ッ!」
改めて伝えられて、ソロモンよりはむしろアストレアが息を呑む。その言葉の恐怖は、ソロモンの悪魔に精通したものにこそ。
「打ち明けるが、わしは人類の味方ではない」
「……な!?」
「最後まで聞け、勇者。だが、わしが目指すところは『人間と悪魔の和解』ーーつまり、共存じゃ」
なるほど、と思案するアストレアをおいて、ダンタリオンはソロモンに向き直る。
「お主、ベリアルに勝てぬと言ったな。奴の序列は六十八位。それに、召喚術に特化しておるから、肉体性能もそんなに高くない」
「……聞いたよ、もう」
「また人間側の戦力は、依然不足しておる。ここで降って湧いた人類側の希望の芽ーー『序列一位バアルの肉体に転生したソロモン・ディビルズ』は、ただし賞金首同然、いつ殺されてもおかしくはない。弱い。自衛ができない」
「……ッ! そこまで言うことないだろ、おい!」
「じゃが、事実じゃ。さて、どうする?」
言葉を詰まらせるソロモンに、ダンタリオンは選択を一つに絞る。
「強くなるしかないじゃろ」
「……ああ」
力強く頷いたソロモンに、ここで初めてダンタリオンは剣幕を緩め、ほっほ、と笑った。
「ならば、付いて来い」
「あ、ちょっと!」
そう言って歩き出したダンタリオンに、ソロモンは疲労を理由に休息を要求した。




