第十三話 悪魔と戦う(1)
「……来たか」
と、ベリアルは、雲上湖を挟んでソロモンと対峙し、呟いた。
見る限り、一人。燃え盛る戦車の上に胡座をかいたまま、そのまま手をヒョイと動かして、すると、戦車が浮遊する。そのまま湖の真ん中まで移動して、ベリアルはソロモンに叫ぶ。
「増援は呼ばなくていいのかぁ!? 舐められたもんだなぁ!?」
嘲るようなその声に、しかし、ソロモンは叫び返す。
「俺に三日もやったこと、後悔するんじゃねえぞ! 全く、『てめえら数百年閉じ込められた』こと、忘れてんじゃねえか!?」
この言葉に、ベリアルは、ふっ、と嗜虐的に、その端正な顔を歪めた。
「上等ダァ! 楽しい楽しい、魔術戦と行こうじゃねえか!!」
そう、わざわざ言葉とともに、ベリアルがこの前とは比べものにならない隕石を降らして。
ここに、開戦した。
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さて、どうするか。
数多降る隕石を見て、ソロモンは冷静にそう思考を回した。
今ここに、攻撃の範囲内に、守るべき対象はいない。強いて言えば自分だけだ。だから馬鹿正直に防いでやる必要もないのだが、しかし、これは恐らくベリアルなりの宣戦布告。しっかりと応えてやらなければ、『ソロモン・ディビルズ』の名に傷が付く。いや、もう傷だらけだけれども。
と、ここでソロモンは、『最善の一手』を、選ぶ。
すなわち、『地面に限りなく薄く伸ばした結界を展開』した。
その直後、数多の隕石が着弾する。着弾したが、砂埃、水飛沫一つ立たない。と、はるか遠く離れた場所で、ドゴォン、という炸裂音が、聞こえた。
「……ほう」と、ベリアルが感嘆の息を吐く。「視界が塞がれるのは避けたいってか」
「そういうこと」ソロモンは挑発するように、にっ、と口角を吊り上げる。「別に、喰らうくらいならわけないんだけど」
これに、ベリアルは「はははっ!」と右手で顔を抑えて笑って、言った。
「戦いの前に、一つ言っておきたいんだが」
つまり、先ほどの隕石は、本当にただの挨拶ーー今からが、本当の戦い。ソロモンは気を引き締める。
「俺は嘘はつかない。そう言ったな。ーーあれは嘘だ」
「……?」
「こと戦闘となると、俺は躊躇なく嘘をつく」
不審がるソロモンは、未だ戦車の上に立つベリアルを油断せず見据えていたが、ふと『背後に気配を感じて』防御姿勢をとった、が、遅かった。
「が、ぐっ!?」
両手をクロスさせ結界を三枚挟んで、ベリアルの『回し蹴り』を、まともに喰らう。
そのまま非情な勢いでソロモンは飛んでいき、だから、これは不味い、と思って弾力性のある結界で体を止めた。チカチカする目で遠くを見つめると、回し蹴りを放った態勢のままのベリアルと、戦車の上のベリアル。『二人いる』。
「「『魔術戦と言ったな、あれは嘘だ』」」
余裕を見せて笑うベリアルに、ソロモンは投影魔術じゃなかったのか、くそ、と悪態をつきながら、袖で口元の血を拭って。
そして、小さく、「起句」と呟いた。
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蹴り飛ばした姿勢のまま、ベリアルは油断なくソロモンを見据える。結界魔術は応用力が高い。それは、数多の属性が付与されたあの結界を長年見てきたから、わかる。どんな態勢からでも一手がうてる。すなわち、『反撃が一番怖い』。慎重に、ゆっくりと、あのソロモンなのだ、と観察する。
ソロモンが小さく口を動かした。何かくる、と構えるベリアルが構えた時には、もう遅かった。
あたりが、暗闇に包まれる。
真昼間だったはずが、まるで、真夜中になってしまったかのように。
とりあえず明かりをを灯そう、と火球を出したところで、気付いた。『魔力が薄い』。つまりーー
「ーーあの結界の逆か!!」
魔力を閉じ込めたあの結界とは逆。魔力を放出し続ける、結界。
叫んで、しかし、まだ術が完成していないことにも気付く。当たり前だ、『魔力を無くしてから張られた結界』では、魔力を無くす段階で、ベリアルに気付かれてしまう。だから、これは『結界を張って、その後に魔力を中から放出する結界』だ。それでは、一気に魔力をゼロにする、なんてことはできない。
だから、逃げるなら、今しかない。
ベリアルは咄嗟に一番得意な火球の魔術を、できる限り核を濃くして、そして、結界内の魔力を使い切る気持ちで塗装を施し、そして、『結界を見た』。
馬鹿正直にこれをぶつけてやるものか。甘く見ていた。見くびっていた。『思っていたよりも、応用力が高い』。しっかりと結界を見て、魔力の流れを見て、そして、
「ここだ!」
と、一番脆いところにできるだけ脆くなるタイミングで火球をぶつけて、通れるスペースを確認してから、ベリアルはバッと外へと躍り出て、
「ーーえ?」
飛び出た先に見えた景色は、『屈折し過ぎてモザイクのようになった』ものだった。
まるで、『何重にも張られた結界の中』のように。
と、あの放出結界への道が、火球で開けた道が、閉ざされた。まるで、『魔力のない結界内』よりも、『この何重の結界内』の方が危険だぞ、と言っているように。
次の瞬間、結界が恐ろしい力で収縮した。
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「ーーまず、一匹」
ソロモンは呟いて、燃え盛る戦車の上に立つベリアルを見る。
ベリアルは目を丸くして、本当に心から、「びっくりだ」と言った。
「俺とあいつは、感覚を共有してた。放出結界の外側に妙な結界があるのは分かっていたが、『放出結界内の方角』を撹乱していたな。まさか、あの構造上脆弱な部分が、あそこに繋がっていたとは」
「敵の領域内で、おあつらえむきに脆弱な部分。もっと疑えよ」
言いながら、ソロモンはベリアルの分身が何度も行えるものではないことに安堵する。『俺とあいつ』ーーつまり、分身とは文字通り分身。今あの戦車の上に立っているベリアルは、力が半減しているーーのだろうか。いや、憶測で判断するな、最悪を想定しろ、と、ソロモンは気持ちを引き締め直す。
「……だけど、一つだけ良いか」
「なんだ」
せかすソロモンに、ベリアルは一言、簡潔に、しかし確かにソロモンを見下しながら、言った。
「『俺たちは頑丈だぜ』」
「ーーなっ!?」
と、一瞬収縮を続けていた結界が押し戻され、しかし、それ以上は変化なし。胸を撫で下ろして戦車の上を見ると、そこに、『ベリアルの姿が無かった』。
「……っ承句!」
咄嗟に結界を発動し、上へと逃れる。下から結界を伸ばし、その上に乗ったのだ。次の瞬間またも背後から回し蹴りで、先ほどまでソロモンがいた場所を蹴り抜かれた。
「……っくそ! 油断も隙もありゃしない!」
結界に潰されている個体はさっきので最期の力を振り絞ったのか、既に潰され、一センチ以下に圧縮されている。だが、恐らくこいつは『尖兵』ーー今まで動かなかった、安全地帯にいたベリアルが、『本体』だ。
「嘘ってよりは、ハッタリだなあ!」
と、ベリアルがソロモンの背後を見ながら、指をくいっと動かす。またハッタリか、しかし、いや、ああもう、背中に目が欲しい! と、ソロモンは「転句!」と、頑丈に作った結界に引きこもる。
直後、背後に凄まじい衝撃を確認する。見ると、巨大な、恐らく砲弾。燃え盛る戦車の砲台から煙が上がっているーー
ーーと、気配を感じて、結界を解除して今度は上から下に結界を作り、それに押し出されて、高速で地面へと舞い戻る。髪の毛が何本か千切れた。
またも蹴りを空ぶったベリアルは「ちっ」と舌打ちをする。ジャンプであんな高さを蹴りにくるなんてどうかしてる。そう冷や汗を流しながら、ソロモンは、とにかく、戦車とベリアルを同時に視界に入れないとーーと、大きく後退を選ぶ。
後退が完了したところで、ベリアルが着地した。
「……逃げ回ってばっかだな、おい?」
挑発するベリアルは、左手をポケットに突っ込んだままだ。思えば、戦闘開始から一度も抜いていないかもしれない。どんな意味がーーいや、意味などあるのか。そのまま、ゆらゆらと近付いてくる。
そして、ベリアルが『ある一点を踏んだ』。
ドゴォン! と、土煙と轟音が鳴り響く。
「ただ逃げ回ってたわけじゃないんだよ」
一番最初に『吸収した』隕石落下の衝撃波。直後に遠くで『一部を』解放したのは、視界が奪われるのを嫌って受け流したのだと錯覚させるため。残りの衝撃波は地雷として埋めてあった。
こんな攻撃で沈むとは思っていない。だが、この隙で、やるべきことはある。
ベリアルを警戒しながら、起承転結句を唱え、一つの結界を作る。中には、『燃え盛る戦車』が、囚われる。
「それじゃあな」
と、短く言って、その結界ごと戦車を『飛ばした』。
行き先は、湖と街との中間地点あたり。ソロモンの転移魔術程度ではここが限界だった。だが、それで十分。なぜならそこには『アストレアがいる』。
「これでやっと、一対一だ」
奥の手はもう二枚も切ってしまった。準備してきた切り札は全部で三つ。不安を、不敵の仮面で押し流し、毅然と砂煙の向こうのベリアルを見据える。
「ふ、ふふ」と。
聞こえたそれは、笑い声だった。
それは「ふふ」含み笑いから、高「ふはははは」笑いへ。高笑い「ふひ」から、哄笑へ「ひゃひゃははひゃ!」と形をどんどんと変えていき、バッと、土煙が払われる。
「ああ、すごいな、ソロモン・ディビルズ! 予想以上だ、遥か太古の魔術で!」
それが、どんな意図での言葉か、それをソロモンは考える。ただの感嘆か、気をそらすためのそれか。とにかく、油断なんてしてやらない。
「蹴っても壊れる。火球でも壊れる。そんな魔術で、俺が、追い詰められてる!」ベリアルはまたも笑う。「いいぜ、なら、俺も見せてやるよぉ!」
と。
魔力の質が変わったわけでも、量が増えたわけでもない。なのに。
ぞわっ、と背筋に悪寒が走った。
「『緋炎』!」
瞬間、灼熱と、高密度の魔力が、吹き荒れる。その魔術に、ソロモンは結界に引きこもって、身を守ることしかできない。
そして、高まり、収束し、光が収まって、ソロモンの視界に映り込んできたものは。
あまねくが焼き尽くされた焦土。マグマの蔓延る、地獄のような光景だった。




