第十二話 事情を把握する
「それで、次だ。ベリアルは今どこだ?」
現状確認の、続き。街に被害はない、それはわかった。なら、次に聞くべきは、今後どうなるかについて。
それなら、同席してほしい人がいる、と言って、アストレアは席を立った。
しばらくして、アストレアが帰ってきたのだが、
「はあ?」
連れられて、入ってきたのが、ダンタリオンだった。
「勘違いはするな」とアストレアは諌めるように言う。「穏健派筆頭、悪魔から除外しろとの呼び声も高い、正真正銘味方だよ。君の窮地を知らせてくれたのも彼だ」
本人の意向で末席に名を連ねてはいるがね、とアストレア。しかし、その魔力量もベリアルに勝るとも劣らず、警戒せずにはいられない。
そんなソロモンなど気にもせず、「ほっほ」と朗らかに笑いながら、「ここ、いいかの」と、ソロモンの対面の席を所望する。
「ええ、どうぞ」とアストレアが了承して、アストレアもソロモンの隣に座る。アストレアとソロモンが並んでダンタリオンと向かい合う形となった。
「なんでも聞くがいい」とダンタリオンが言うので、ソロモンはじゃあ遠慮せず、と「ベリアルについてだが」と切り出した。
「まず、今どこにいる?」
「雲上湖。恐らく『三日は動くつもりもないみたいじゃ』のう」
ベリアルは言った。『俺は嘘はつかない』。
ベリアルは言った。『三日間雲上湖にいる』。
だから、今ベリアルが雲上湖にいるのはいいのだが、『なぜダンタリオンはベリアルが三日間動かないことを知っている』?
くそ、わからない態度を取りやがって、とソロモンは悪態を吐く。考えられる可能性は大きく二つ。一つは、ソロモンとベリアルの会話をなんらかの方法で聞いていた可能性。もう一つは、ベリアルとダンタリオンが通じている可能性。
そんなことを考えていると、「腹の探り合いのようなことはやめていただきたい」と。
アストレアが、難しそうな表情でそういった。
「ソロモン、この御仁を信じろ。彼の情報収集能力は天下一なのだ。ダンタリオン殿も、そんな、無闇に曖昧な態度は自制してくれませんか」
「いや、こやつがあんな無意味な質問しよるからのう……。もっと聞くべきがあるじゃろうて、『なぜ今ごろになってベリアルが動き出したか』とか、のう?」
どういうことだ、とソロモンがアストレアに目で問いかけると、「ベリアルはここ数百年、滅多に活動していない悪魔なんだよ」と教えてくれる。「その滅多にないそれは、大抵災害なんだけれど」
だがしかし、ソロモンは鼻で笑った。
「はっ。なら、それこそ聞く必要が無い。ベリアルとダンタリオンとで、なんらかの賭け事があったんだろ。聞いた限りでは、『バアルがいつ動くか』。そこで、この街の放送で魔獣呼ばわり。ベリアルが激昂したってわけだ」
このソロモンの言葉に、「少しだけ、補足しようかのう」と、ダンタリオンが静かに言った。
「だいたい合っとる。ワシが勝ったら、『ベリアルは極力人に手を出さない』。ベリアルが勝ったら、『ワシはベリアルのやることに口を出さない』」
「……ん? でも、それならなんでベリアルはここ数百年活動していない?」
ソロモンの疑問。ダンタリオンはまだ賭けに昨日まで勝ってはいなかったのに、ベリアルはなぜ人を滅多に襲っていないのか。
これに、ダンタリオンは少しだけ誇らしげに、答える。
「……あやつが、義理堅い好漢だからじゃよ。『ワシに嫌われたく無い』のじゃ」
つまり、『友人の意に反して人を襲うなら、許可を得てから』。ダンタリオンの今までの言葉を反芻して、ベリアルの態度を今一度思い返して、ソロモンは結論を出す。
「……悪いの全部、俺らじゃん」
「そういうことじゃ」
ダンタリオンは「ほっほ」と、少しだけ朗らかに笑った。
「ワシがベリアルにこんな賭けを持ちかけたのは、あやつが好戦派のなかで一番話がわかる奴だったからじゃて。縛れる時間は長ければ長いほど良かったが、ワシが勝負に負けては元も子もないからの、『バアルが動く昨日まで』しか、ベリアルを縛れんかった」
どうしてそんな未来の、バアルが動く時のことを知っている、と問おうとして、無駄だと気付いた。ダンタリオンも、千年をあの濃密な魔力の中で育った者なのだ。
「なるほど。で、ベリアルが雲上湖で三日待つ、と言った理由について、何か心当たりはないか?」
「魔術師は事前準備が命。遭遇戦なんかでお主を失いたくなかったのじゃろう」
「つまり……」
「まあ、宣戦布告じゃ」
三日間やるから倒してみろ、ということじゃな、と、ダンタリオンは言った。
はあ、とソロモンがため息を吐くと、しかし、ダンタリオンは慰めるように言葉を続ける。
「あやつは好漢じゃが、まあ、単純なやつじゃ。お主に会えたことで魔獣呼ばわりについての怒りも忘れておろう」
「……」
「つまり、お主がベリアルに勝つにせよ負けるにせよ、この街は安泰ということじゃ」
「……アストレアと一緒に戦うのはダメだと思うか?」
「命も、三日間も貰ったんじゃ。無理じゃろうなあ」
「……はあ」
と、ここで、ソロモンはダンタリオンをしっかりと見た。真っ白な髭で顔のパーツすら見えない、しかし、老人のような、梟のような顔。その目の当たりをしっかりと見据えて、ソロモンは言う。
「お前はいいのか? ベリアルとは友達なんだろう?」
この言葉に、「勝てる気でおるのか」と、ダンタリオンは少しだけ微笑んで、
「ソロモン・ディビルズと戦って死ぬのならば、あやつも本望じゃろうて」
と言った。
それからしばらく雑談を交わして、その日はお開きとなった。時刻は夕刻。ソロモンが目を覚ましたのがちょうど正午あたりだったので、五時間ほど話をしたことになって、つまり、一日が現状確認で潰れたのだ。残す日数は、あと一日と、少し。明後日にはベリアルに挑まなければならない。
と、最後に、ダンタリオンがソロモンの前世で死んだ時の年齢を聞いた。
「二十六だ」
「……ほう、思ったよりも若いのう!」
驚いて、ダンタリオンがふっ、と手を一振りする。そうすると、十歳前後の見た目だったソロモンが、二十歳を超え、それからもう少し歳をとったような、好青年へと姿を変えた。
「餞別じゃ。あやつも、万全のお主と闘いたいじゃろうからの」
言って、ダンタリオンは去っていった。杖をつくその背中に「ありがとう」と言って、本当に、その会合はお開きとなる。
「大丈夫なのか?」
二人きりになったところで、アストレアがソロモンに問う。偶然、成り行きで聞いた話だが、まさにこれは、アストレアが恐れる事態なのだろうか。例えば、『アストレアがベリアルを既に討伐していたら、ソロモンは死ななかった』と、ありもしない仮定を想像して、アストレアは罪悪感に埋もれてしまうのだろうか。
だったら、なおさら、こんなところでは死ねない。
「大丈夫、策はあるよ」
ソロモンは朗らかに笑って、「晩御飯にしようか」と言った。
夕暮れの、橙色の空を背景に、ダンタリオンはこつ、こつと杖を鳴らしながら、自分の城へと帰る。
ふと、大昔、だいたい千年くらい前のことを、思い出した。
あれは、そう。自分たち全員が結界を破れるようになり、いざ、解放の時が来た、と代表してアガレスが皆の前で、そんな必要もないのに集中する素振りを見せて、カッと目を見開いて、結界を破った、その直後。
まるで弾けた風船の中の空気のように放出される魔力とともに、さあ凱旋だ、と自分たちが意気揚々と、雄叫びとともに飛び出した、その目の前に。
一人の男がいた。
噛み殺せ、と誰かが言った。
油断するな、と誰かが言った。
話を聞こう、と誰かが言って。
お前は誰だ、とアガレスが問うた。
すると男は笑って、言う。
「私の名はバアル。君たち、君たちを閉じ込めたソロモン・ディビルズに、復讐したくはないかい?」
この言葉に、自分たちは、割れた。
どうでもいい、という者もいれば、その通りだ、という者もいた。むしろソロモンには感謝すべきだ、という者もいれば、そもそもバアルが信用できない、という者もいた。
そんな自分たちを置いて、バアルは続ける。
「今、君たちがやろうと思えば、この世界なんて、簡単に君たちの手に落ちる。でも、そんなの、『つまらない』だろう?」
そんなことはない、と思った者もいれば、そうかもしれない、と思った者もいた。闘争を楽しむ者と、蹂躙を楽しむ者との差だ。ダンタリオンは、なぜ強さで競おうとしているのだろう、と思った。知識だったり、知恵だったりは、ずっと荒野にいた自分たちより、全く人間の方が優れているはずなのに。
そんな自分たちを置いて、バアルは続ける。
「君たちの力は、いわば『貰い物』の力だ。君たちが弱かったから、ソロモンに隔離され、そして、魔力とともに育てられた。ならば、ソロモンを殺してこそ、ソロモンに認められてこそ、君たちはようやく自立できるんじゃないかい?」
この言葉には、例外なく、全員が唸った。
貰い物の力。確かにそうかもしれない。それも、『自分たちが知性なき獣だった』から与えられた力だ。自分たちが元から強ければ、与えられなかった力だ。
そんな自分たちを置いて、バアルは続ける。
「ソロモンは、あの後すぐ転生したんだ。最高の器を用意したから、あいつは千年後に必ず転生してくる」
そして、一呼吸おいて、結局なにが言いたいのかというと、とバアルが締めくくる。
「つまり、『僕らと千年の停戦協定を結ばないか』?」
ソロモンの為に、無駄に争うことをせず、お互い力を蓄えないか、と。自分たちも、魔術を奪ったソロモンは憎んでいるんだけれど、そのソロモンを君たちに差し出すから、と。今バアルたち人間を滅ぼしてしまったら、ソロモンの転生先は生まれてこないぞ、と。そんな、この提案に。
自分たちの半数が頷き、半数が首を横に振った。ダンタリオンは、頷きも、首を横に振ることもしなかった。
のちに、頷いた半数は、『穏健派』と呼ばれ。
首を横に振った半数は『好戦派』と呼ばれた。
ダンタリオンは、この千年、手を尽くしたつもりでいる。魔獣扱いを、悪魔扱いに。ゆくゆくは、魔人や、とにかく、知恵者扱いに。失われた魔術体系の再生に、魔術のさらなる発展。つまり、人間側の強化。ベリアルのような御し易い好戦派をできる限り抑え、穏健派とは対話を重ねる。
でも、間に合わなかった。千年は短すぎた。悪魔扱いはまだ浸透していない地域もあるし、一部を除いて、人間と悪魔の力の差は依然大きい。
まあ、何はともあれ。ソロモンの復活を嘆くべきか、祝うべきか、そんなことよりも、確かなこと。
「今後は、荒れるのう」
今まで動かなかった、『穏健派』が、牙を剥く。
そう、ダンタリオンは、ソロモンの今後の境遇を憂うのだった。
六百年→千年に訂正。結界に閉じ込められていた数百年を五、六百年、壊されてから現在までを千年としていたのをすっかり忘れていました




