第十一話 過去を慰撫する
別に、父に憧れたわけではなかった。
みんなに称えられて、讃えられて、みんなが父に集まって、誇らしくはあったけれど、具体的に何をしているのか知っているわけでもなかったし、だから、憧れていた、とはちょっとだけ、違うと思う。
ただ、別に、父が催促したわけでもなく、気まぐれで剣を触らせてもらったときに、父に、「お前、才能あるよ」と言われて、それが、嬉しかった。
ただ、それだけだった。
気付けば、毎日が鍛錬になっていた。
父には門下生がたくさんいて、自分もその中に混じっていた。決して特別扱いされていたわけでもなく、ただ、自分でも、めきめきと上達していくのを感じていた。昨日まで見えなかった太刀筋が見えるようになって、避けられるようになって、捌けるようになって、勝てるようになっていくのは、楽しかった。
ただ、どこまで行っても、自分の望みは、父に認められることだった。それさえあれば自分は嬉しい気持ちになれたし、なにより、それだけで十分だった。
時間の問題、だったのだと思う。
時間は流れるように過ぎて、それを、父との背丈の差で実感していたころ、父が「後継者を決める」と言い出した。
父は勇者だった。
門下生全員で、なんてレベルではなかった。まるで世界中から集まってきたかのように、いや、事実世界中から集まっていたのだろう、ただでさえ賑やかな道場は、まさにお祭り騒ぎだった。人減らしの大雑把な殺し合いを予選に、それに生き残った者でトーナメントを組み、本戦が行われた。
自分は、順調に、しかし複雑な心境で、着々と駒を進めた。気付けば、次は決勝戦だった。
決勝の相手は、ハルパスと言った。
ハルパスは、真っ黒の髪の毛の自分と同い年くらいの男の子で、同じ門下生。だけど、自分は少しだけ苦手だった。なんと言ったらいいのか、ハルパスには、闘争を楽しんでいる節があったのだ。それはもう、自分がするのも、誰かがしているのを見るのも、大好きだったと思う。普段は大人しいのだけど、そんな、彼の獰猛な顔が、自分は怖かった。
決勝戦でも、彼は笑っていたと思う。多分、その、気迫に押されたのだ。
「そこまで!」と、試合を止められて、「勝者、ハルパス!」と、覆しようのない事実が、絶対的に刻まれた。闘技場の中心で膝から崩れ落ちる自分には、試合の記憶などなくて、ただ、「ハルパス、ハルパス!」という観客の歓声と、それに伴って、負けたのだ、という実感とが、自分の両目から涙を流させた。
ハルパスは、何も言わずに去っていった。彼は確かに、自惚れるわけではないけど自分と同じで、門下生の中では異彩を放っていた存在だったけれど、自分は稽古にしか興味がなかったし、彼も、戦闘そのものにしか興味がなかっただろうから、交流と言えるものは、少なかったのだ。
そこまでは、良かった。事件が起きたのは、そのあとだった。
今回のトーナメントの優勝で得られるのは、父への、勇者への挑戦権だ。この挑戦で勇者に認められることができれば、晴れて勇者を継承できる。ただ、父が「後継者をきめる」と言った時点で、父の中では恐らく結論は出ていて、だから、これは通過儀礼のようなものだった。優勝者は、そのまま勇者を継承するのだと。
なのに。
父は、その場でハルパスを殺した。
衆人環視が見守る、その真っ只中で。
接戦だった、と思う。無限の時を研鑽に捧げられる勇者相手に、ハルパスはよく頑張った。そもそも勇者の継承とは、勇者に勝つことが条件ではない。限りある寿命を持つ勇者以外の人間にとって、そもそも、そんなことは基本不可能だ。
その条件とは、勇者に認められること。勇者が自分に限界を感じて、そして、『こいつなら無限の時を過ごせば自分の限界の向こうまで成長できるかも』と感じた人に、その正義を継承する。
だからその殺人は、そのトーナメントを正当に優勝したハルパス殺しは、確かに反感は買ったけれど、勇者のお眼鏡に叶わなかったのだ、と処理された。勇者は正義に囚われているから、その行動に疑問を持つものは少なく、だから、さして父の元を離れる者がでたわけでもなく、日常が戻ってきた。
この後が、悪かった。
ハルパス殺しから一ヶ月が経ったころ、父が、自分の食事に父の血を混ぜた。
食事が進むにつれて、まず、その味のいつもとの違いを不可思議に思って、次に、急速に衰えていく父を訝しんだ。
食事が終わる頃には、父は朽ち果てていた。
自分は、父を、食らっていた。
自分は困惑した。勇者の継承が一滴二滴の返り血で行われてはたまらない、恐らく、相当量のそれが含まれていたと思う。そんな食事をを訝しみこそすれ手を止めなかった自分をまず恨んで、次に、父の意図を図りかねた。なぜ、誰にも相談せず、こんなことを、と。
その日から、地獄が始まった。
周りは、不正当後継者だ、と言った。自分もそう思った。
周りは、ばかばかしい、と言った。自分もそう思った。
周りは、娘贔屓だ、と言った。認めたくなかったけれど、自分もそう思った。
門下生たちは、やってられないとばかりに自ら破門の道を進んだ。自分は止められなかった。当然だ。誉れある正真正銘の世界最強の称号、勇者になることを、勇者に認められることを目指して門をくぐり、そして、その勇者が、誰に宣言するともせずこっそりと、娘に継承されたのだ。その娘が、決勝まで進んだとは言えども。
こうなれば、何の説明もなかったあのハルパス殺しも、当然訝しがられた。娘のために最強を殺したのだ、と。自分は隅に追いやられた。自分も進んで隅へと追いやられた。自分も、みんなと同じ気持ちだった。
救いは、ハルパス亡き今自分が恐らく、ここに魔術師なんかが混ざれば違うが、勇者を目指す者、つまり、身体強化のみを使用した戦闘を行う者の中では、最強だったことだ。だから、文句も結局文句止まりだったし、真摯に新たな勇者である自分に認められようと、道場で剣を振り続ける者もいた。
自分も、生き続ける意味を感じられず、ただ、正義の呪縛とは恐ろしいもので、自害の道には進まず、後進を育てた。そして、早計だったかもしれないが、自分を超えられそうな人材を見つけ、勇者を明け渡そうとした。
勇者は、引き継がれなかった。
自分は、無我夢中で体を切り落とし、その弟子も、人肉が美味しいわけでもないだろうに、必死に食べた。しかし、いくら繰り返しても、自分の体は再生し、父のように朽ち衰える気配はなかった。ただ、弟子の顔に刻まれた古傷が、ゆっくりと治っていった。
勇者、打ち止め。世界は、絶望に突き落とされた。
思えば、おかしな点はいくつかあった。体が思うように再生されず、時には治癒魔術を使ってもらって誤魔化した。正義の呪縛、というけれど、自害する気こそ起きないが、世界のためを思う機会は、振り返ると、驚くほど少なかった。
悩む自分に、もう八十を超える古くからの父の門下生の一人が、言った。
「君は、捨て子なんだ。お父さんたちの実の子じゃないんだよ」
そんなことは、知っていた。父は何百年と生きる勇者で、伴侶らしき伴侶もいなかった。だから、なんで今そんなことを、と自分は憤った。すると、その門下生は、
「いや、いや。ただ、勇者の不死の力の源は、蝶のそれだって言うじゃないか。例えば、君が人間じゃなかったら、亜人だったりしたら、その力が打ち消されてるんじゃないかな、ってね」
と言って、自分は、その言葉に衝撃を受けた。急いで文献と言える文献を漁って、周りの人に話を聞いて、自分にとっての『当たり前』とそれらを比較して、愕然とした。
みんなは、魔力なんて見えなかった。
みんなは、体温なんて見えなかった。
みんなは、暗闇で目が見えなかった。
みんなは、瞳孔を制御できなかった。
みんなは、自身の血を舐めても痺れなかった。
結論から言うと、自分は、『蛇人』だった。
蛇と、蝶。特段相性が悪いわけでも、良いわけでもないけれど、ただ、『再生』という一点において、共通した。恐らく、蛇のそれと蝶のそれが合わさって、自分の中で昇華されて、こんな事態になったのだろう、というのが、その門下生の出した結論だった。
ここから、また更に何かがあるわけでもないが、世間の自分へのあたりは、なおさら強くなった。
そして、自分は、誰であれ人が死ぬのが、怖くなった。もしも自分が勇者でなければ、もしも父が生きていたならば、もしもあの時の弟子に継承できていれば、その人は助かったかもしれない。明らかにそんなわけはなくても、そうして自己嫌悪を陥ってしまうので、自分は、人が死ぬのが、怖い。
私が生まれてこなければ、世界は平和だったのではないか。勇者は争われなかったのではないか。彼は、彼女は、人は、そして何より父は、ハルパスは、死ななかったのではないか。
だけど、自分は、勇者だから。今日も、魔物殺しに明け暮れる。
「って、こんなこと話すつもりはなかったのに……」アストレアは恥ずかしそうにはにかんだ。「聞き上手なんだね。まあ、だから、ソロモンは勇者になったわけではないよ」
私の勇者は不完全なんだ。そこに癒しの力はあれど、『継承』は起こらない、と。
「……いや、大変だったんだな」
そう言う他なかった。ソロモンにはアストレアの苦悩も感情も分からないし、こうして淡々と聞いてみるとそうではなくても、実際にその場に、渦中に晒されてみると、案外酷かったりすることはままある。中途半端に同情するのも、ソロモンのポリシーに反した。
だけど、言っておかなければならないことも、いくつかあった。
「でも、まず、一つ。アストレアは、勇者の呪いを甘く見過ぎだ」
幼子に言い聞かせるように、ソロモンは指を一本立てた。置かれたフォークが食器とぶつかり、かつんと音を立てる。
勇者の、正義の呪縛。それは、その継承方法にも、顕著に出ている。
『自分を超えられる可能性のある者に、自分の身を捧げることに、なんの疑問も抱かなくなる』ほど、その呪縛は罪深い。『継承してしまったら、自分は死んでしまう』というのに。
「その呪いは、自分の行動に疑問を抱かなくなる点が一番、恐ろしい。アストレアは自分が思っている以上に正義の呪縛に囚われているよ、必ず。アストレアは『振り返ると思ったほど世界のために働いてなかった』というけれど、『自分は不適格だと思』って、『次の勇者を探そうとした』じゃないか。十分世界を思ってる。次の勇者が見つかったら、アストレアは死んでしまうのに」
ソロモンの言葉に、アストレアは困惑気味だった。そういう呪いなのだ、これは。自分がいかに呪われているかを自覚するのが、非常に困難なのだ。ただ、言っても意味がないとわかっていても、ソロモンは言わずにはいられなかった。かつての青年アストレアなんかは自覚した上で従事していたし。
「だから、これだけは覚えていてほしい。君の父は、決して私欲でハルパスを殺してなんかいない」
その言葉を聞いて、しかし、アストレアはふっと諦めたように笑った。
「なら、その一ヶ月後に私に継承した理由は?」
「……そうだな。例えば勇者の不老には限界があって、アストレアのお父さんはそろそろ限界だったんだ。だから、お父さんは本当はトーナメント優勝者に継承するつもりだったけど、直前でハルパスに問題が見つかったから、急遽ハルパスを殺して、準優勝のアストレアに継承した……とかだと、辻褄は合わないか?」
「妄想だよ、それは。……ただ、確かに、勇者の正義の呪い、か。一応の慰めにはなったよ、ありがとう」
「それは良かった。いや、ほんとにその呪いはそんな軽いものじゃないんだけどね。先代勇者がハルパスを本当に見初めたのならばーー決して、ハルパスを殺せはしない。決して、ね」
ソロモンはそう締めくくって、「あ、もう一つ」と付け加える。
「勇者の継承だけど、そもそも、勇者は癒しの力を持っている」
試してごらんよ、と、ソロモンはまた、フォークで再び自分の腕を突き刺した。アストレアが懲りずに「ああっ」と悲痛な声を上げて、自分も血を流そうとする。
「だめ、だめだよ、アストレア。いいから、傷口に手をかざして、ゆっくりと念じてみてくれ」
言われたとおりにアストレアがすると、傷跡はみるみるうちに塞がっていく。「わあ」と驚くアストレアに、ソロモンは満足げな視線を向ける。
「結論から言うと、アストレアを食べて回復するのは、この副作用的な意味合いが強いと思う。俺もついさっき思い出したんだが、大昔の勇者には自分を食べてもらって、各地に恵みを振りまいていた時期もあったと思う。最近は念じたり魔力を使ったりで、『捕食』はそれすなわち『継承』みたいなイメージが強くなってて、俺もさっき血を飲まされた時は驚いたけど」
「……つまり?」
「勇者が継承されなかったのは、『アストレアが心の底から認めてなかったから』ってのが、有力だと思う」
「……あー……」
呆然と呟くアストレアに図星か、とソロモンは少し呆れて、すぐに改めた。実際に、突然周りの意向を無視して勇者にならされて、その非難を一身に受けたのだ。焦ってしまっても仕方がない。と同時に、魔術を失った数百年の時間の罪深さも、感じた。
「まあ、だから、アストレアのお父さんは心からアストレアを認めてたってことだよ。安心しろ」
いまだぼうっとしているアストレアにそう締めくくると、アストレアはいつものようにふっと余裕ありげに微笑んで、「……そうだね」と言った。
「……本当に、ありがとう」
純粋な、咲き誇るような笑顔と、感謝。しかし、こういう知識でソロモンの方が上回っているのは空白の数百年のおかげであり、それを作ったのは、ソロモンである。つまり、ソロモンが何もしなければアストレアはそもそも迫害されなかった可能性が高い。
マッチポンプ。
そんなことを一瞬考えてしまって、ソロモンには、「……お、おう」と短く返すことしかできなかった。




