第十話 食事をする
死──という単語が、ソロモンの脳裏をよぎった。
「……くそっ」
欠陥魔術であることは、自覚していた。だが、今コレがくるのか──と。
痛みを隔離。聞こえはいいが、そう、確かにどんな傷も治せる万能のそれであるかのようだが、少しだけ、重大な欠陥がある。
それは、それが結局どこまでいっても『隔離』に過ぎないということだ。
そもそも、痛みというのは電気信号である。結界は『透過可能』なそれと『透過不可能』なそれを設定することができ、『電気』を『透過不可能』に設定する。その他にも死んでしまわないために、緻密に透過の可能不可能は設定されているが、大雑把に言えば、それで無理矢理『生体電気』を『引き剥がす』のが、隔離結界による治癒の方法だ。
そして、世の中には結界魔術意外にも欠陥魔術というものは存在する。例えば、熱くない炎を生み出すものだったり、敵を避ける魔力弾だったり、『燃費も効果もいいが高難易度で、使うと全身に激痛が走る回復魔術』だったり。
治すための術が、激痛を伴う。そんな欠陥魔術は名を、『貝吹く魔術』と言った。
高難易度。核や塗装における高難易度ではなく、それの使用には、高度な人体の知識を必要とする、というものだ。だからソロモンのように核生成が壊滅的でも、努力で使用にこぎつけられた。
そして、先ほどからソロモンは何度も使用を試みようとするが、治せない。ソロモンの知識を超える複雑さで身体が壊れているからだ。治せないのに魔術の副作用の痛みと怪我の痛みが襲ってきて、ヤケクソに隔離結界を発動するけれど、痛みを一時的に隔離しただけで怪我が治ったわけではないから、またすぐに激痛がソロモンを襲う。
どくどく、と血の流れる音が、やけに鮮明に聞こえた。ベリアルに何をされたかはわからないけれど、多分蹴り飛ばされたんじゃないかなとソロモンは思う。ならば、なぜ血が流れているのだろうと思って自分の体を見下ろしてみると、腰から下が存在していなかった。
はは、とソロモンは空っぽに笑った。脳死で回復を行なっていたけれど、馬鹿か。これは無理だ、と。ここで初めて、死を意識した。イグシルに大樹に縛られた時でさえ生き意地を張ったというのに、最期というのはこんなに呆気ないものなのか、とむしろ感心さえした。
転生、という選択肢がパッと浮かんで、パッと消えた。ソロモンの望みは世界最強で、だから、アストレアさえ生きていれば良かった。勇者は不老不死で、後継者、つまり自分を負かす相手が現れるまで、正義を体現し続ける。アストレアが負ける姿など想像できなかったので、何年先に転生しても再挑戦の機会はあるものだと思っていたけれど、やはり、盛者必衰というべきか。かつての『序列一位』なき今なお生き永らえる意味などあるのだろうか。ソロモンはそっと目を閉じる。
口の中に、血の味が広がった。恐らく口腔も傷つけたのだ。それとともに、どこか安らかな暖かみで全身が包まれるのを感じた。これが死なのならば、勇者とはなんと哀れな存在なのか。達観したことを考えて、詩的な自分の考えを微笑みとともに自虐して、ソロモンは意識を失った。
「ほお」ダンタリオンは今代の勇者の異質さに、素直に感嘆の意を示した。「これが、貴殿が疎まれる理由か」
「ちょっと、二人にしてくれ。今はそういう気分ではない」
そんな、何百回も聞かされた言葉を言うダンタリオンを、アストレアは遠ざけた。勇者のそれとはまた違うが、自分に『紳士』であることを課すダンタリオンは、これに了承する。
「生娘のように泣きよってからに」
「はやく、あっちに、行け!」
ただ、元来のそれとして微塵の悪意もその行動に含まれていないかというとそうではなく、そう捨て台詞を残して、ダンタリオンはすうっと消えた。
ダンタリオンが消えて、アストレアは今一度、壁にもたれかかるように眠るソロモンを見る。ついさっき生えたかのように真っ白な足と、土煙を被って血だらけの上半身。その姿に特に外傷はなく、だから、傍の血だまりと、安らかな表情とが対照的だった。
「……はあ」
最後に、きちんと呼吸をしていることを確認して、アストレアはぺたんと座り込み、ため息とともにうずくまった。涙が溢れそうになり、咄嗟にプライドとともにそれを押さえ込んで、だから、泣き腫れたような目で、ソロモンを見上げる。
「……頼むから、私の目の前で死んでくれるな……」
その、幼き勇者の弱音は、誰に聞かれることもなかった。
ソロモンが目を覚ますと、見知らぬ天井が見えた。無意識に転生してしまったか、と考えて、そんなわけない、と思い直す。
見回すと、ソロモンが寝ているベッドがドアから見て奥、ベッドのそばに小さな引き出しがあって、部屋の真ん中にテーブルと椅子がある。なかなかに広い部屋だった。
ソロモンが建物を『透過可能』、人体を『透過不可能』に設定した結界を広げると、ドアのすぐ向こうあたりで停止した。つまり、そこに人がいる。
と、それを把握した途端に結界がパリン、と割れて、ドアが開かれた。アストレアかな、と思って体を起こす。
「おはよう。随分なご挨拶だね、ソルモ」
「ああ。いや、見知らぬ場所で即座に索敵は当然だろう?」ソロモンの予想通り、やはり出迎えたのはアストレアだった。「でも、なにも叩き割らなくてもいいじゃないか」
「前に進めなかったんだ。……まあ、なにはともあれ、元気そうで何よりだよ」
そう言って、アストレアは引き出しの上に暖かそうな粥を置いて、「食べられそうか?」と言った。ソロモンは大して体に不調を感じなかったので、これに頷き、どうせならとテーブルで一緒に食べないか頼んで、アストレアはこれを了承した。
自分の分を取ってくるから、とアストレアが部屋を出て行ったので、ソロモンは起き上がってベッドから出て、粥を持って席に着いた。先に食べるのも申し訳なくて、待っていると、アストレアはすぐに戻ってきた。手に持っているのは、ソロモンと同じ皿、同じ食器、同じ中身だった。
「別に、俺に合わせなくてもいいのに。アストレアは、余裕だったんだろう?」
「……嫌味を、言うな。私も粥を食べるのは、別に作るのが面倒だっただけだ」
ソロモンが暗に自分だけ被害を出したことを自虐すると、アストレアはやはりきちんと凌ぎ切ったのだろうが、すこし嫌な顔をした。ああ、八つ当たりをするな、とソロモンは自分を戒める。
どちらともなく食べ始めた。かちゃかちゃ、という食器の音が響いた。ソロモンが「おいしいよ」と言うと、アストレアは「……よかった」と、本当に安堵した風な声を出した。
食事が終わって、先に口を開いたのはソロモンだった。
「まず、聞きたいのは、街はどうなった?」
「……少し驚いてるよ。真っ先に、なぜ助かったのかを聞くのだと思っていた」
「格好つけてんだよ、さっさと答えろ」
恥ずかしくなってソロモンがそう言うと、アストレアはクスリと笑った。
「人的被害はゼロだ。それ以外も、ソルモが吹き飛ばされた時に壊された家以外には、少し君のいたあたりが更地になっていただけで特に何もない。私たちは凌ぎ切ったよ」
そのアストレアの言葉に、ソロモンは「それは、良かった」と、心の底から安堵した。死にかけて、でもそれが無意味だったなんて、報われない。
「逆に聞きたいんだけど」と、安堵するソロモンにアストレアが言う。「あの、大きな隕石。あれは、確かに落下した。だが、駆けつけてみると、被害がない。どういうことだ?」
「ああ、あれは……」と、ソロモンは答えようとして、しかし、言葉を止めた。「見せた方が早い。ちょっと、身体強化してみろよ」
「こうか?」と、言われた通りに自身を強化するアストレア。それは一片の曇りもない綺麗な魔術で、これは、骨が折れるな、とソロモンは思ったが、啖呵を切った以上やり遂げる必要がある、と気合を入れて、観察する。
「……そんなに、じろじろ見るなよ……」
「黙ってて」
集中して、術式を見て、魔力で触って、確かめる。しばらくそんなことを続けて、ソロモンは「よし」と呟いた。
「みてろよ」
とソロモンが言って、アストレアに『強化魔術』をかけると、あら不思議、アストレアにかかっていた強化魔術が『消えてしまった』。
「……ああ、なるほど」
「あれ、今のでわかっちゃった?」
つまらないな、と言うソロモンを置いて、アストレアが種明かしをする。
「つまり、術式を乗っ取ったわけか」
「そういうこと。昔から魔術の塗装だけは得意でね。乗っ取った、とはちょっと違うけど、相手の魔術をその属性とは反対向きにに『上書き塗装』すると、効果を減らせるんだ。これは結界魔術とは違う、まあ、特技みたいなものだよ」
その他にも、結界を咄嗟に反射用から衝撃緩和用に切り替えて、乗っ取るための、術式を『見る』ための時間を稼ぎ、結果的に、少しだけ解析が遅れて少し更地を作ってしまったけれど、まあ被害が出なかったならよかった、と力説するソロモンに、アストレアは素直に感心した。核を作れないと言うからどんな魔術師だと思っていたけれど、これは驚異だ、と。
「で、次だ」と、ソロモンは話を変えた。「どうして俺は生きている?」
この言葉に、アストレアはびくっと体を震わせて、それから、意を決したような表情をして、「これも、見てもらった方が、早いかもしれない」と言った。
「ちょっと、怪我をしてもらってもいいか?」
「ああ」
申し訳なさそうに言うアストレアに、ソロモンは躊躇なく、先ほどまで使っていたフォークを左腕に刺す。アストレアが「ああっ!」と悲痛な声をあげた。一思いに引き抜くと、どくどくと血の音が聞こえ、それが少し気持ち悪かった。そう、すぐに隔離するとはいえ、回復のたびに激痛と握手をするソロモンだ。このくらいはどうということもない。
「じ、じゃあ……」
と、そんなソロモンを見て面食らったのか、アストレアも躊躇いがちにフォークを手に取り、慎重に左腕の脈を傷つけ、コップに血を溜め始めた。それを見てソロモンが「ああっ!」と悲痛な声をあげて、アストレアが「これには驚くのか……」と呆れた。
しばらくして、コップの中に一口分ほど溜まって、少し嫌な予感のするソロモンを置いて、アストレアが言った。
「これを、飲んでみてくれ」
「え、いや、でも……」
「飲んでみてくれ」
「……えー」
ソロモンはアストレアの目をしっかり見るけれど、そこに冗談の色はなく、しかし、断ることもできず、少しの期待とともに、ソロモンは一息にその血を飲み込んだ。すると、傷跡がみるみるうちに治っていく。
「あー……、なるほど」
「そう、つまり、私を食べてもらったんだ」
「……うん。……え、待てよ、じゃあ俺……」
勇者を喰らうと、不老不死とともに、正義の呪縛を得る。つまり──
「……俺、勇者になったの?」
そう、呆然と呟くことしか、ソロモンにはできなかった。




