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前編

「むかし、むかしのお話じゃ」

 広場の中央で、語り部の老婆は静かにその乾いた唇を開いた。老婆の声は小さく掠れており、雑踏に紛れて消え入りそうであった。集まった子供たちは息をひそめ、次に紡がれる言葉を待つ。

「この世界には、魔女が居た。彼女らは魔界より現れる魔物を使役しては、人の町を破壊し、厄災を振りまく存在じゃった」

 老婆はやせ細り骨ばった手で、持っている本の頁をめくった。現れたのは魔女の絵だ。生気の無い青白い顔、血のように真っ赤な瞳。真っ黒な竜を従え、ありとあらゆるものを破壊する姿は邪悪そのものであった。

「このままでは世界が危ない。そう思ったわしら人間は、精霊と契約し、魔女たちを打ち倒したのじゃ。魔女は滅び、世界は平和になった」

 次の頁には精霊と契約した勇者により、倒される魔女の姿が描かれていた。先ほどの絵とは一転して明るい様子に、強張っていた子供たちの表情も、幾分か柔らかいものとなっている。老婆が次の頁に差し掛かろうとしたとき、一人の少女が質問を投げかけた。

「魔女はどうして、人々を攻撃したのかしら」

「それはね、お嬢さん。魔女が、魔女だからじゃ」

「魔女は、人々を攻撃するのが好きなのかしら」

「魔女とは、そういう存在じゃ」

 語り部のはぐらかすような答えを聞いて、少女は目を細める。いたずらを思いついたような、無邪気とは言い難いその笑みを見たのは老婆だけであった。

「じゃあ、お婆さんも魔女だねぇ」

 老婆に届くか届かないかの声で少女は呟く。その瞬間、老婆を中心に風が吹き荒れた。ページをめくっていたその手が少女の方を指し、指先から炎が生まれる。子供たちはたちまちのうちに逃げ惑い、老婆の目は驚きに見開かれた。違う、わしじゃない、その声も風に阻まれ誰にも聞こえない。

 老婆から放たれた炎は少女の胸を貫き、彼女はそのまま動かなかった。



「こんなところで、なぁにやってんだよ」

 とある昼下がり、広場の中心で倒れている少女。そこへ一人の青年がしゃがみこみ、呆れたように声をかけた。

「お昼寝さ」

 目を閉じたままで彼女は言う。ちょうど木陰になっており、眠るには確かに気持ち良さそうな場所であった。話しかけた青年はため息をつきつつ、肩より長い金髪を緩くまとめている頭をかいて、

「さっきの全部見てたからな。何やってんだよ、この魔女っ子が」

「おや、見てたのかい。ちょっと精霊さんに頼んでいたずらしてもらったのさ」

 ようやく少女は上体を起こし、猫のようにニヤリと笑った。赤い瞳が先ほどと同じように細められる。どうしてあんなことしたか、という問いに本人は答えないだろう。どうせいつもの気まぐれだろう、と彼は思った。

「まったく、街に出る時は僕に一言連絡しろって何度も言ってるだろ」

「それを守るなんて、一度だって言ったかい?」

「言ってないな。そろそろ約束してくれてもいい頃合いじゃないか?」

「ま、気が向いたらねぇ」

 クスクスと笑う少女に呆れ顔の青年。彼女と話す時はいつもこうやって、色んなことをはぐらかされるのだ。少女と同じ色の瞳を持つ青年は、またため息をつきつつ、彼女の服についた土を払ってやった。はたから見たら仲のいい兄妹のようであるが、実際は違う。

「で、今日は何の用だい、監視役の坊や」

「その坊やって言い方、いい加減やめてくれないか。せめてリトって呼んでくれたって」

「なんだい、これでも長生きしてるんだよ。わたし、魔女だからねぇ」

 はいはい、と流しつつ自称魔女を立ち上がらせるリト。何度も繰り返された会話であった。監視役についてから数年、初めて出会ったのはもっと以前であるが、その頃から彼女の姿は全く変わらず十歳前後の少女の姿のままである。ちなみに先ほどのような精霊術はよく使っているが、それは人間であるリトにだって扱えるものだ。しかし、魔法らしき未知の力を彼の前で使ったことはなく、本当に魔女なのかどうかは定かではない。

 そんな彼女に「長生きしている」なんて言われても実感できるわけもなかった。もう間もなく成人する彼は、坊やと呼ばれることにそろそろ抵抗を覚えるのである。

「だーかーら! 街に出る時には僕が監視してないといけないんだっての! いい加減覚えろよ!」

「そう言えばそんな話だったねぇ。じゃあ買い物行くからついてきなよ」

 ついでに荷物を持ってくれるとありがたいねぇ、なんて笑いながら自称魔女は歩き出した。いつも持ってるじゃないか、といいたいことは心の内に留めつつ、監視役はその後ろをついて歩く。


 ここは白の街。街を囲む外壁も、街に立つ建造物も、中心からやや北寄りの位置にある城も、そのほとんどが白いことから、そう呼ばれている。この街の北にある森の奥に、自称魔女である少女の家はあった。たいてい家に引きこもっているが、三、四日に一度くらいの割合で、街の中心部に赴いては食料や生活用品を手に入れて帰るのだった。その道の途中にリトの家はあり、そこに寄ってから街に出てほしいのだが、彼女はそれを実行したことは一度もなかった。

「ところで、何だかいつもより人通りが多くないかい?」

「あぁ、昨日から旅の舞踏芸団がこの街に来てるんだ」

 へぇ、と興味津々な様子で彼女は目を輝かせる。

「どうりで知らない顔ばかりだねぇ」

「ってお前、引きこもってるから知ってる顔の方が少ないだろ」

「ばれたか」

 二人は軽口を交わしながら、魚屋、肉屋、八百屋を巡り、食料品を買っていく。旬の野菜が手に入ったので、少し上機嫌の少女であった。そろそろ歩き疲れたところで、ちょうど目についたカフェに二人は入ると、共に冷たい飲み物を頼んでから席についた。

「ところで魔女っ子、お前引きこもってるから知らないだろうけどな」

 喉が渇いていたのか、コップの半分ほどを一気に飲み干してから、リトは口を開く。

「この街では今、連続殺人事件が起きている」

「おやおや、いきなり物騒な話だねぇ」

 平和だったこの街であまり聞きなれない単語に、思わず魔女は眉をひそめた。

「警備隊も調査しているんだが、進展は思わしくない」

「被害者の特徴は? 共通点はあるのかい?」

「色白の女性という共通点はあるが、住んでいるところも年齢もバラバラ、だ。お前も色白なんだからあまり出歩かない方がいいだろ」

「ふーむ……」

 忠告を受けた魔女は珍しく険しい表情で考え込んでいる。

「どうしたんだよ」

「その被害者の詳しい情報、手に入らないかい?」

「は?」

 魔女の思いもよらない言葉に、彼は間抜けな声を上げてしまった。

「なんでそんなの要るんだよ」

「なんでって、ほら、この犯人の狙いは多分わたしだし」

「は?」

 またもおかしなことを言う魔女。話が飛躍しており、どうしてそうなるのか全くわからない。

「だから、どうしてそうなるんだよ」

「わたしは魔女だからね」

 彼女は微笑んで、残っていた飲み物を一気に飲み干す。一瞬だけその表情が翳りを見せたのだが、監視役はそれを見逃していた。

「じゃ、そろそろ買い物の続きをしようかね」



 細い路地を魔女は歩く。表通りから一本裏に行くだけで、幾分か寂れた感じとなるのはどの街も同じだな、と彼女は遥か昔のことを思い出していた。

「こんなところで一人で歩くなんて、物騒じゃァないか、お嬢ちゃん?」

「あ、そうそう、よくガラの悪い連中に絡まれるんだよねぇ。忘れてた」

 ぞろぞろと現れたゴロツキ共に、彼女は独り言を呟く。

「あァん? 何か言ったか?」

「いや、子供に絡んで何か得でもあるのかねぇと思ってさ」

 別に金持ちの家の子みたいな格好でもないしさ、と彼女は改めて自分の服装を確認した。紋様付きのケープにシンプルなワンピース、ブーツは歩きやすいお気に入りのものだ。何の変哲もない魔女っ子スタイルである。

「ンなこと嬢ちゃんが知らなくていいんだよォ!」

 生意気な態度に腹が立ったのか、ゴロツキの中の一人が彼女に殴りかかる。

 が、その手は直前で止められた。

「こんなところに女の子が一人でいるなんて危ないな、君」

「んだよおま……ッ!」

 ゴロツキと魔女の間に入ったのは、すらりとした長身の女性であった。警備隊の制服を身にまとい、金色に光る鋭い目線をゴロツキ共に向ける。

「げ、警備隊かよ」

 ゴロツキの一人が声を上げると、そのまま彼らは逃げて行った。どうやら捕まりたくはないらしい。

「へぇ、士官クラスの女性もいるんだねぇ」

 感心したように魔女は言った。そもそも警備隊の中に女性は少ない。その中でも士官クラスとなると相当な実力の持ち主なのだろう。

「さて、君。怪我はないか」

「もちろん」

 むしろもう少し彼女が来るのが遅ければ、怪我をするのはゴロツキ共の方だったのだが、それは魔女の秘密である。

「ありがとう、素敵なナイトさん」

「な、ないと?」

 予想外の少女の言葉に、警備隊の女性士官は少々面食らった顔をする。コホン、と咳ばらいをして体制を立て直してから、

「レイア、だ。君は?」

「わたしは魔女だよ」

「そうか、うむ。安全なところまで送ってあげよう、小さな魔女さん」

「ありがとう!」

 魔女は子供らしい笑みを浮かべて、レイアに差し出された手をとった。誰かと手をつないで歩くのも悪くないな、と思いながら彼女はレイアに質問する。

「ところでお姉さん、最近の連続殺人事件について、何か知らないかい?」

「君、誰にその話を聞いたんだ?」

 レイアは一瞬険しい顔をし、魔女と繋いでいる手が少し強くなる。

「お兄ちゃんに聞いたのさ。お母さんが噂好きなんだもの」

「ふむ、そうか。警備隊で調査している、としか言えないよ。すまないね」

 いいえー、と返しながら魔女はやはり個人で動くのは難しいか、と考えていた。そうしているうちに大通りへとたどり着く。ここなら人通りもあるし、比較的安全だろう。

「ここら辺でいいよ、ナイトさん」

「本当は保護者の元まで送りたいところなんだが」

「もう大丈夫!」

 レイアが呼び止める間もなく、魔女は走り出す。その小さな背中が見えなくなるまで、レイアはその場に立っていた。


「初めてウチに来たと思ったらすでに街で一騒動してやがっ……あぁもう! ちょっと待ってろ!」

 昼前に家を訪ねてきた魔女に対し、青ざめたり赤くなったりした後、リトは家の中から資料を持ってきた。魔女の監視役というものは、実は前王からの命で作られた役である。そのため、ある程度の権限を持っており、警備隊しか持っていないような資料も簡単、ではないがきちんと手順を踏めば手に入れることができるのだった。

「だから先にこっち寄れって言ってるのに……ったく。それで、どうするんだよ」

「そりゃ、今から話を聞きに行くのさ」

 そう来ると思った、とリトは頭を抱える。監視役としては止めるべきなのだが、と言ったところで彼女が止まるわけがない。諦めてリトは彼女について行くことにした。

「さて、とりあえず近場から行ってみようかね」

 資料に書かれた住所をもとに、二人は歩く。まずは城に続く大通り沿い、高級そうな建物が並ぶその一角、一際大きな建物が目的地であった。

「さすがにここは坊やの力を借りるしかないかね」

「うげ、僕正装してないぞ。絶対追い返されるだろ」

「ま、とりあえず交渉してみ」

 リトは小さくため息をつき、門番の立つ場所へ向かう。門番は長めの金髪を緩く束ねただけの、平凡な特徴のない青年がこの家に何の用があるのだろうかと、怪訝な顔をした。

「失礼、ここの奥様はご在宅かな?」

「何者だ? 約束のない者はここを通せない決まりだ」

 そうだよな、と表情には出さないようにしつつ、リトはしぶしぶあまり口にしたくない名を出した。

「ウェスフォーレ家の者、と伝えてくれ」

 その名前を聞いた途端、門番の目が見開かれる。そんな、まさか、といった表情だ。

「嘘だと思うか? まぁ確かめてもらっても構わないが、その場合首が飛ぶのは誰だと思う?」

「し、失礼致しました! どうぞ、こちらへ」

 まだ訝し気な目線は隠しきれていないが、家の門を開ける門番。そのまま先導して、家の中へとリト達を招き入れる。

「さっすが王族直系の名は違うねぇ」

「まぁ王位継承権は無いけどなー」

 小声でからかう魔女に、既に疲れた表情でリトは返した。現王と彼の母親は腹違いの兄弟なのである。どういう経緯があってこうなったのかリトは知らないが、貴族的な権限は全く無い。しかし、名前をはく奪されたわけではないから、間違ったことは何一つ言っていないのである。それなら名前もはく奪されて、平民として生きる方が楽だったんだけどな、とリトは思っている。幼少期から苦労し続けていたこともあり、こういう風に扱われることにあんまりいい気はしていないのだった。

「ここでしばらくお待ちください」

 そう門番は言い、奥の部屋へと消えて行った。王族直系の名を騙る詐欺師は居ないだろうが、社交界にほとんど顔を出すことのないリトは警戒されてもおかしくない。最悪の場合このまま警備隊を呼ばれ、一時的に逮捕される可能性すらある。自分はともかく魔女は存在を知られていないので、どうしたもんかとリトは思案していた。そう時間も経たないうちに、絢爛な調度品が並ぶ応接間の扉が開かれた。

「お久しぶりでございます、とは言っても記憶にありませんかしらね」

 音もなくするりと現れたのは、今にも折れそうなくらい線の細い、儚げな美人であった。高級そうなシルクのドレスに身を包み、人形のように大きな瞳と小さな唇、決して背の高くないリトよりも一回り小さなその姿は、風が吹いたら吹き飛ばされるのではないかと思わせるものだった。

「あ、いえ、すみません」

「ふふ、いいのです、リトカトスさま。もう十年以上も前の話ですもの」

 反射的に謝るリトに彼女は少し笑ったが、その笑みには翳りがあった。一方でリトは、本名で呼ばれたということに少し驚いた。彼のことを知っているのは貴族の中でも王家に近いものたちだけである。相当上位の貴族の家なのだということをと改めて感じていた。

「それで、本日は突然どうしまして?」

「はい、非常に伺いづらいのですが……娘さんのことについて、少し調べているのです」

「まぁ」

 そう言うと奥方の目からはらはらと涙が零れ落ちる。事件からそう日も経っていない。彼女の心の傷はまだ癒えるわけもなく、ここに来るべきではなかったのではないかと思いつつリトは魔女に目をやった。魔女は何の表情も浮かべず、静かに奥方を見つめている。

「あぁ、ごめんなさいね。わたくし、あの子がもういないなんて、思えなくて」

「いえ、こちらこそ、あの……すいません」

 リトにはこれ以上何も言えなかった。奥方が少し落ち着くのを待って、代わりに魔女が尋ねる。

「娘さん、いったいどんな子だったんだい?」

「どんな子、ですか。そうですね……病弱で、あまり外に出られない子でしたわ」

 目を伏せ、また少し零れた涙をぬぐって、奥方は続ける。

「あの日は本当にたまたま家の外に出ることができて、だからあんなことになったんですけれども。元々病弱でしたから、あまり長くは生きられないだろうな、と思っておりましたし、ね」

「そんな状況でよく事件に巻き込まれたねぇ。護衛はいなかったのかい?」

「えぇ、えぇ。もちろんおりましたわ。少し目を離した隙、一瞬のことだったと聞いています」

 今にも倒れそうな様子の奥方に、リトは心が痛くなった。これ以上事件について詳しく聞くのは難しいのではないか、魔女を止めようとしたがそれを察したのか、彼女は少し話題を変える。

「子供の頃の話を聞いてもいいかい?」

「子供の頃、ですか。そうですね、病気がち、なのは変わりありませんが……そう言えば、本当に小さな、十歳になるかならないか頃から、風の精霊と契約できましたね。本人にとっては、目に見えない一番の親友と、言っていました」

「ほぅ、それはすごい」

 通常、精霊と契約ができるのは身体がしっかり作られた後、早くても十代後半と言われている。十歳前後でそれが出来る人間は余程彼らと相性がいい人間か、あるいは。

「今日は突然押しかけてすまなかったねぇ、ありがとう。そろそろお暇しようか、坊や」

 聞き取りに満足したのか、立ち上がって魔女は言った。人前でも坊やと呼ばれたことに対して素が出そうになるリトであったが、奥方の手前素直に頷いておくだけにした。

「いえいえ、そんな。ところで、貴女は一体……」

 向かい合っていた奥方も立ち上がり、見送る体勢になる。そこでようやく、今まで思っていた疑問を口にした。

「わたしかい? わたしは、魔女さ」

 いつもの決まり文句を口にして、魔女は応接室を出る。リトはきょとんとしている奥方に一礼してその小さな背中を追った。


「二件目はこの辺だねぇ」

 一件目の高級住宅地とは打って変わって、あたりは人通りも多く賑やかな商店街であった。昼と夕方のちょうど間の時間帯である。買い物している客はそれほど多くなく、このあたりに住んでいる子供たちの遊ぶ声が、あちらこちらから反響して聞こえてきた。

「おや、よく行く果実屋じゃないか。ここの娘だったのかい」

 ごめんくださーい、といつものように店に入る魔女。らっしゃい! と張りのある声が奥から聞こえる。

「今日はオーリィの実がおすすめだぜ? あんたら兄妹の目の色にそっくりだろ?」

 そう言って果実屋の主人は握りこぶし大の赤い実を差し出す。朝から事件の調査という名目で街を歩いていたため、すっかり食事をするのを忘れていた二人は、その実を買うことにした。

「ところでおっちゃん、最近娘さん見ないんだけど、どうしたんだい?」

 買った果実を早速頬張りながら、何故かやや上機嫌そうに魔女は尋ねる。直球すぎやしないかとリトは内心焦ったが、旦那の方はというと、この質問はもう何度もされていたのだろう。顔色一つ変えることなく、

「あぁ、殺されちまったよ。警備隊が調査してるらしいが、どうなるかねぇ」

「殺された? そりゃまた何で?」

 さも、今知ったかのようにわざとらしく魔女は驚くそぶりをした。

「んなこたぁ知らねぇよ。犯人に聞いてくれ」

「それもそうだねぇ」

くすり、と笑いながら魔女は返すと、その拍子に口の端から果実の汁が垂れた。おいおい、と呆れながら果実屋の主人は持っていた布巾で口の端を拭いてやる。

「あら、ありがとね」

「いや、娘と同じくらいの年でさ、なんだか似てんだ。うちの娘も色白だったし、嬢ちゃんみたいな綺麗な黒髪じゃぁ無かったけど、赤茶けた髪の色で、大体そのくらいの長さで、な」

 ちょっと思い出しちまったよ、なんて言いながら彼は魔女の頭を撫でた。

「一つ聞いてもいいかい?」

「なんだ?」

「娘さんの周りで、なんか不思議なことって無かったかい?」

「不思議なこと、かぁ」

 魔女に尋ねられ、しばし考え込むご主人。

「そういやぁ、良く誰もいないところに向かって話したりしてたなぁ。あとやたら直感が冴えていたような」

 こんなところかねぇ、と頭をかきながら彼は言った。果実を食べ終わった魔女はなるほどね、と頷いて店を出ようとする。

「長居してすまなかったね、美味しかったよ」

「あぁ、いいよ。嬢ちゃんも気をつけてくれよ」

 果実屋を出てからしばらく経って、魔女はぽつりと呟いた。

「父親ってあんな感じだったかねぇ。すっかり忘れてたよ」

 そう言えば魔女の家族について聞いたことが無かったな、とリトは思った。何年も姿の変わらない十歳前後の少女。両親や兄弟はどうしているのだろう。

「まぁ聞いてもはぐらかされるだけだろうけどな」

「ん? なんだい?」

「何でも」

 いつまでたっても魔女との距離感は掴めない。はぐらかすのはどっちも同じか、と監視役はまた一つため息をついた。


 三人目の犠牲者は街の南にある教会の一番若いシスターであった。あたりはもうすっかり夕暮れ時である。中心部と比べるとやや寂しい通り沿いに、その教会はあった。

「あの子は孤児院出身で、ここでも孤児を集めて育てていたのですけれども、子供たちのお姉さんのような存在でした」

 聖堂の中で穏やかに老シスターは言う。窓辺から差す陽の光が彼女の顔を照らしていた。丸いメガネが反射して、その表情は読み取れなかった。

「美しい心を持った子でした。時々、神のお告げを聞いたこともあったかしら」

「神のお告げ?」

「えぇ、誰にも聞こえない声が聞こえる、と。あぁ、こんなにも早く、神様の下へ行ってしまうなんて」

 嘆きながら、シスターは二人に背を向け、偶像に対し祈りのポーズをとる。これ以上、聞ける話はないなとリトと魔女は目を合わせた。

「今回はやけにあっさり終わったな」

 聖堂の扉を開けると、更に陽は傾き、東の空は藍色になりつつあった。一足早い夜風が二人の間を通り抜ける。年中穏やかな気候のこの地域も、陽が沈めば夜は寒い。

「ま、時間も時間だしねぇ」

 あんまり世間話できる雰囲気でもなかったし、と魔女は肩をすくめる。

「何はともあれ、大体わかった。やっぱり狙いはわたしだ」

「……なんでそうなるんだ」

 思えば彼女は最初から、その確信をもって調査に臨んでいた。魔女だから、とはぐらかしてはいたが、何の根拠もなくそんな結論になるのはおかしいだろう。ならば、聞き取った話の中で、確信を得る証言を手に入れたとしか思えないのだが、

「少し、昔話でもしようかね」

 歩きながら魔女は静かに口を開いた。おどけるような、茶化すようないつもの雰囲気はなく、ただ淡々と言葉が紡がれていく。

「魔女の特徴は知ってるかい?」

「色の抜けた髪、生気の無い顔色、赤く血のような目、だよな」

 そう教えられてきた、形だけの知識を話す。魔女なんて存在はもうこの世にはいない。過去の存在である。

「そう、でも実際そこまで三拍子そろった魔女はあまりいなかった。余程魔力の強い奴くらいなもんだったね。まぁ何でそんな見た目になるのかはわからなかったんだけどねぇ、多分魔力が身体に与える影響の一つだったんじゃないかね」

 しかし彼女は、その存在を見てきたかのように語る。魔女が地上から姿を消してからもう百年は経っているというのに、まるで昨日のことのように言うのであった。

「あ、ちなみに不思議なことといえばもう一つ。魔女って一括りにしているけどね、男でも魔法を使えた奴は居たんだよ。あんまり多くはなかったがね。でも、この特徴にあてはまるのはみーんな女だけだった」

 理由はわからないけど、生み出す力とかそう言うのが備わってるのが女性だけだからじゃないかな、と魔女は持論を展開する。

「で、人間たちは自分たちと同じ見た目をしていながら、異質な力を持つ魔女をいつしか恐れるようになったのさ。その結果魔女たちは狩られた」

「狩られ、た?」

 知っているようで、全く知らない話であった。人間側の話ではなく、魔女側からの静かな独白。

「そう。最初は確かに魔女と呼ばれていた者だけを狩っていたね。それから、どんどん過激な連中が現れた。最終的には、年端もいかない色白の少女たちを『魔女かもしれない』っていう理由だけで、殺していったのさ」

 こともなげに魔女は語った。その瞳は寂しげでも、悲しげでもなく、淡々としていたことが逆に、これが事実であると思わせるには充分であった。

「実際に魔女になれる素質を持っていたかどうかは、関係なかったんだろうさ。色の抜けた髪、青白い肌、そう言う見た目だから殺された。生きているだけで罪だった。だからあの時は『色無し狩り』なんて呼ばれていたかねぇ」

「……なん、だ、それ……」

 やっとの思いで絞り出したリトの声は、掠れてほとんど言葉にならなかった。知っている話と大きく違い過ぎた。魔物を使って人間を殺し文明を破壊していた、人間たちはそれに対抗して魔女と戦った、なんてよく聞く伝説にあるような話は一言も出てこない。これじゃあただの虐殺じゃないか、とリトは憤る。

「ま、結局地上から魔女はわたし以外いなくなったし、この話が真実とも限らないだろ? そういうことさ」

 彼の感情は気にする素振りも見せず、あっけらかんと魔女は言う。

「つまりこれは、色無し狩りの再現だろう? となるとターゲットは」

「……魔女」

「そういうことさ」

 じゃあ帰ろうかー、と魔女は言う。いつの間にか陽は沈み、辺りはすっかり暗くなっていたため、その表情がどういうものだったか、リトは知ることはできなかった。月明かりが照らす道を言葉もなく、ただ歩き続けるだけであった。

 街の中心の広場には、夜だというのに珍しく人だかりができていた。

「何だい、あれは。祭の季節はもっと先じゃなかったっけか?」

「あ、あぁ。ほら、こないだ言ったろ? 旅の舞踏集団が来てるって」

 先ほどのショックがまだ抜けず、リトは反応が遅れる。一方魔女はもうすっかりいつもの調子だった。

「ちょっと見に行くとするかね。ほら、今日歩き通しで疲れてるし」

 それなら帰って休んだ方が良いんじゃないか、といつものリトなら突っ込むところだが、なんだかそれはできなかった。そういえば魔女はその雰囲気に反してにぎやかなところが好きらしく、今までの祭においてもよく彼を振り回していたことを思い出す。

「おい、ちょっと! 勝手に行くなよ!」

 するりと人ごみを抜け、人だかりの中心へと魔女は向かっていく。中身はどうあれ彼女の見た目は十歳前後の少女だ。身長だってリトの肩くらいまでしか届かない。この暗い中、見失ってしまったら見つけるのは困難だろう。

 魔女の小さな背中を追いかけて、リトも人だかりの中心へと向かう。そこには、松明の灯りに照らされた即席のステージが作られてあった。華やかな衣装を身にまとった踊り子が、笛や太鼓の音楽とともに舞い踊っている。リトは中腰になりながら魔女の横顔を見た。松明の赤い灯りに照らされた彼女の顔は、とても穏やかなものであった。予想していなかったその表情にリトは面食らってしまい、やはり掛ける言葉が見当たらずに口を閉じた。

 舞台の方はというと、ちょうど佳境であり音楽も踊りも一段と盛り上がっている。観客たちはその勢いに圧倒され、段々とその雰囲気に飲みこまれていった。嵐を思わせる激しい太鼓の音、その振動に合わせて揺れる松明の灯り、空気を震わせる笛の音と一糸乱れぬ踊り子の舞。全てが調和し、熱気が最高潮に達した時、花火のような色とりどりの光が弾けるように咲き乱れ、舞踏は綺麗に完結した。あまりに完璧な終わり方に、少し間を置いて一斉に拍手が沸き起こる。

「魔女、最後のアレお前だろ」

「ちょっと光の精霊さんに頼んだのさ。綺麗だったろ?」

 拍手をしながらにやり、と笑って魔女は言う。それくらい機嫌が良かったのだろう。あまり目立つ真似はしない方が良いのではないかとリトはと思ったが、あまりに彼女が楽しそうなものだったから、

「ああ。今度の祭でもこういうのがあるといいな」

「ガラにもないこと言うねぇ、坊や」

「たまにはいいだろ、たまには」

 からかわれたように感じたが、気分は悪くなかった。魔女はこういうやつなのである。近づこうとしてもはぐらかされ、距離感はいつまでも変わらないが、居心地が悪いわけではないことにリトは気づいていた。

「次、ねぇ」

 徐々に解散する人ごみの中、魔女はぽつりと呟いた。




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