第八話「唐魏野さんより君に告ぐ」
去る5月11日。我々は岩手県陸前高田市にいた。マグニチュード9.0の悪夢から1年2ヶ月。未だ荒野が広がっているこの街の体育館で、moonの慰問公演が行われたのだ。場所は岩手県立陸前高校。唐魏野さんの母校だそうだ。その後、東京の大学に進学し、卒業直後にアイドル活動を開始した。
前日に陸前高田入りしたmoonは、卒業以来だという唐魏野さんの母校を訪れた。我々を迎えてくれた2人の女性は、唐魏野さんの反応からして大方当時の友人だろう。体育館に避難者はいなかった。既に第2グラウンドの仮設住宅に移動したそうだ。仮設住宅が不足しているというニュースは横須賀でもよく耳にしたが、少なくともこの辺は問題ないようだ。
「ところで、さやかは?」
唐魏野さんの質問に、友人2名はどちらも固まってしまった。
「さやかはね、津波にのまれたの」
「それは……行方不明ってこと?」
「ううん。体は見つかってる」
「そうなんだ」
これ以上は誰も何も言わなかった。
夜になり、第2グラウンドの仮設住宅を訪れた。卒業生がリーダーなだけあり、知名度が低かった割には温かく迎えてくださった。一通りのトークを楽しみ、ライトバンに戻る。この車はSCBのもので本来なら私用してはならないのだが、今回は仕方なく使わせてもらう。ホテルなどがない以上、この中で泊まるしかない。寝る前に明日の段取りを確認しておく。
「唐魏野さん。唐魏野さん」
助手席で寝ていた唐魏野さんをボールペンで突いて起こした。
「んっ……。すみません。寝てました」
「まだ9時ですし、ちょっと外を紹介して頂いても良いですか?」
「ああ、はい。新田さん、佐藤さんと散歩してきますね」
久方ぶりに苗字で呼ばれた新田さんは軽いトーンで「わかったー」と返答した。他のメンバーからも了承を得る。根本さんでさえ二つ返事で「行ってらっしゃい」だそうだ。察して下さったのだろう。地震当時陸前高田にはいなかったが、ある意味唐魏野さんも被災者だ。何せご両親が未だに行方不明なのだから。しかも友人まで亡くされた。
「あの辺に実家があって、ここが小学校の通学路だったんです」
海沿いの道を歩きながら唐魏野さんが説明する。実家だと指差した場所には何もない。津波で流されたのだ。
「さやかとは小学校で出会ったんです」
昼間に死を知った友人の名前を出された。
遠藤さやかさんはジャーナリストだった。津波から逃れる住民を撮影した結果、自身が逃げ遅れてしまった。遺体のそばに防水機能付きのカメラがあったそうだ。彼女が命と引き換えに撮影した陸前高田の風景は津波の威力を物語っている。
「さやかは、5年生の4月に神戸から引っ越してきたんです」
「95年ですか?」
「はい。そこでも地震に遭ったって言ってました。だから岩手で地震って聞いて、さやかが無事か心配だったんです」
「それで今回の公演をしようと?」
実は今回の公演、最初にやろうと言い出したのは唐魏野さんだった。唐魏野さんの泣き顔は見たことがないが、きっと今すぐ号泣したい心境だろう。それでも本人は「終わったことですから」と気にしていない素振りを見せる。
「歌聞こえると良いですね」
真っ黒な海を見て言った。唐魏野さんは返事をしてくれた。
「はい」
「5月なのに結構寒いんですね」
「ええ。海沿いですからね。そう言えば、私の名前はこの海から付けられたそうですよ」
そうなんですか。それは……どう反応すれば?
とにもかくにも明日、体育館でライブがある。避難から復興へと変わっていく合図となる。2度の地震を経験して亡くなった遠藤さんにも届いてほしいと思った。その一方、福島県では原子力発電所が被災し、住民が避難を続けている現実もある。俺はテレビ局員として、何か人生をかけて伝えたいことがあるだろうか。