第七話「辻さんにも礼儀あり」
出勤中、駅で偶然辻さんと出くわした。彼女は背後から突然視界に入ってきた。
「おっはよー!」
「のわあっ!?」
周囲のサラリーマンがちらほら振り返る。朝7時半からそんな大声出さないでください。あと跳びかかってこないでください。
「おはようございます辻さん」
「うん! 一緒に行こう!」
「ええ。それは良いんですが、駅ではもう少し静かにできませんか?」
「無理!」
「少しは努力してください」
それにしても感嘆符使いすぎだよなあ。
駅を出ると正面に高校。それを取り囲むようにビルが立ち並ぶ。SCBの事務所は高校の反対側。ゆっくり歩いて5分くらいはかかる。
「お!?」
「どうしました?」
「前の人たち見て!」
辻さんが何かを見つけた。
前というと、あそこの2人か。狭いT字路のほぼ中央で高校生男女が倒れている。近くには食パン。まさか、ここまでベタなラブコメ展開が目の前で起きている、とでも言うのだろうか。
「いってーなー! ちゃんと前見て歩けよ!」
「はあ!? あんたがぶつかってきたんじゃん」
どうやらそのようだ。
「おおお! ふおおおお!」
なぜか電柱に隠れた俺と辻さん。そんなに声出したら見つかりますよ。
「ったく……ついて来んなよ!」
「学校同じなんだから仕方ないでしょ!?」
彼らは去っていった。辻さんの興奮は冷めていない。
「うわ〜! すごーい!」
「もうどっか行っちゃいましたよ。早く行きましょう」
「そだね!」
やっと歩行を再開する。辻さんって感動しやすいタイプなのかもしれない。そう言えば作詞は辻さんの担当だったな。
高校の敷地をぐるっと回る。陸上トラックがあるのでそれなりに大きい。壁の向こうからは野球部の叫び声が聞こえる。朝から運動なんてきついだけだろうに。
「おお! 頑張ってるね!」
いつの間にか辻さんがブロック塀をよじ登っていた。
「何やってんですか! 降りてください!」
無理矢理辻さんを引き剥がす。野球部員が全員こちらを見ている。少し引いているようにも見える。
「いいじゃんまだ時間あるし!」
「そういう問題じゃありません!」
辻さんと話してるとよく大声になる。一旦落ち着こう。
「ところで、シュガーってハヅキーのことどう思ってる?」
急に小声で問われた。珍しく真顔になっている。
「どうって、嫌ってるわけじゃありませんよ」
「じゃ、好きってこと?」
「いいえ。恋愛感情ではありません。聞くってことは、やはり」
「うん。あの子、シュガーが好きみたい」
さらっと聞き流しましたけど、まだそのあだ名ですか。
「はあ……。ご存知の通り、テレビ局員とアイドルは交際できません。と言うかそれ以前に、言いにくいことですが俺は本気で根本さんに気がないんですよ。顔立ちも気立ても良い人だとは思っているんですが」
やっと到着。歩いて5分のはずが30分かかった。
「おっはよー!」
無人の事務所で辻さんは言う。たった今俺が鍵を開けたのを見ていたはずなのに。
「誰もいませんよ」
「ううん! この部屋に!」
そう言って机の拭き掃除を始められた。放っといたら俺がやりますよ。他人の目がなくなったのを良い事に、あいつがmoonの机を用意した。そこの掃除はたまに辻さんがやっている。女性の机には中学時代から極力触らないようにしていたのでありがたいが、学校のフェンスをよじ登った人と同一とは思えない。他に守るマナーがあるんじゃないか?