第六話「根本葉月さんの憂鬱」
いよいよ本番の日を迎えた。新宿のユナイテッドテレビ本社。1107号スタジオで『経済最前線』は収録されている。今回のテーマがアイドルビジネスということで、moonの5人がゲストとして呼ばれた。俺たちはマネージャー扱いでカメラ外に待機。スタジオに入れてもらえるだけでもありがたいと思おう。
「みなさんこんばんは。経済最前線、今回のテーマはアイドルビジネス。スタジオには経済評論家の魚津浩二さんと、アイドルグループmoonの皆さんにお越しいただきました。今日はどうぞよろしくお願い致します」
カメラが回るなりこれだけ長い台詞を言ってのけるお方は、入社22年目のベテラン、東春アナウンサー。彼女が頭を下げると、ゲストの6人も深く礼をする。これが終わればしばらくVTRだと思っていたのだが、意外にも東アナがmoonに興味を示した。言ってしまえばおばさんが若い女子集団に目を付けた……いや、こんな言い方は無いか。
「しかしアイドルの皆さん、大変可愛らしいですねえ」
「いえいえ。東さんこそお綺麗な肌じゃないですか」
唐魏野さんすげえ。率直にそう思った。何がすごいって「ありがとうございます」と言いかけた隣の志村さんを片目で制しながら言うのがすげえ。
VTRでは昨今のアイドル事情が分析された。しかし、moonはまだ全国展開しているアイドルではない。関東3都県のみが活動範囲で、VTRに出るような大型アイドルのデータが当てはまらない。何せ彼女たちは無人の西武ドーム周辺で1度だけMV撮影をしただけで、スタンドに客を入れてグラウンドに立つような真似はしたことがない。
ほとんどの時間で「わかるわかる」というリアクションは無く、「へーそうなんだ」などという声が聞こえる。やがて20分ほどのVTRが終わり、スタジオに戻る。
「では魚津さん、現在アイドル業界が抱えている問題というのはどのようなものなのでしょうか?」
東アナはVTRを見て台本通りの質問を自然にする。
評論家の方が説明する間、moonは黙って待機する。たまーに辻さんや本馬さんあたりが会話に乱入し、我々の肝を冷やしたりする。ところで、収録開始からほとんど根本さんが口を開いていない。元々よく喋る方ではないものの、志村さんほど無口でもない。もう少し会話に入ってきそうなものだが。
この番組は休憩を挟まず、1時間で収録を終えてしまう。出演者はそれぞれの机に置かれた水をVTR中に飲むなりして適宜小休止するシステムだ。東アナが率先して休憩を挟まれているので、他の出演者も休憩しやすい環境なのだが、根本さんのペットボトルだけ一向に減っていない。とうとう自分の水を飲み干した辻さんが手を出している。
結局、根本さんはほとんど何も話さずに収録が終わった。東アナが評論家とmoonに挨拶し、順番にスタッフにも礼をしている。そして俺たちの前に立たれた。
「今日はありがとうございました」
俺の前に出された彼女の右手だったが、何を勘違いしたのか隣の女が取りやがった。東アナ困ってんじゃんか。
「ごめんなさいね。5人満遍なく喋らせようと思ったんだけど、中々うまくいかなくて」
東アナはそう仰ってスタジオを後にされた。さて、moonと横須賀に帰るか。
「今日はこのまま帰宅したいのですが」
唐魏野さんからリクエストがあった。
初めての全国ネットで疲労もあるだろう。先に答えた同僚に続き、俺も賛成の意を表す。
「ありがとうございます。あと、できれば佐藤さんは葉月と家まで一緒に行ってくださいませんか」
唐魏野さん曰く、根本さんが緊張のあまり顔が白くなっており心配だから送ってほしいそうだ。根本さんの家は横須賀市内のマンションだった。でも何で俺が?