第十話「志村さんの休日」
志村さんにメールで呼び出された日曜日の夕方。場所は横浜アリーナ。女性に人気の男性4人組アイドルグループ『L.O.V.I.N.G』のコンサートがある。これで『ラビング』と読むそうだが、どういう意味なのやら。
「1人じゃあまりに不安なので……佐藤さんについて来てもらおうかと……」
「構いませんが、どうして俺だったんですか?」
「みんなの中で1番中立そうだったから……」
なるほど。言いふらさないってことだな。
「もうだいぶ行列してますね」
会場前だというのにアリーナへ続く長蛇の列ができていた。L.O.V.I.N.Gのコンサートでは徹夜組もできるという噂がある。暇人どもめ。どうでもいい話だが、L.O.V.I.N.Gに熱中する女性ファンのことをラビニストとも言う。彼らの人気度合いが少しでもおわかりいただけただろうか。要するに超スーパー大人気なのだ。
男は俺以外にいないのではと思っていたが、割といた。どうやら彼女や妻に引っ張られて来た人がほとんどのようだ。1時間弱して入場できた。思えば仕事ならともかく、こういうコンサートに客として来たのは初めてかもしれない。志村さんの後をついて席に座る。
「ところで志村さん、コンサート始まるの何時からですか?」
「6時です……」
1時間後か。正直暇だな。『L.O.V.I.N.G』の上下をひっくり返したデザインの幕が天井から飾られている。N、I、V、Oが顔文字だ。これはメンバーの4人を表しているらしい。moonにはできない、L.O.V.I.N.Gならではの演出だ。
続々とラビニストたちが入ってくる。横浜アリーナの収容人数は最大17000人。55000人を収容できる東京ドームですらL.O.V.I.N.Gのチケットは1日で完売、オークションサイトでは何倍もの値段で取引されている。
「どうやって2人分のチケット取ったんですか?」
「偶然です……2年前からずっと抽選漏れしてて……やっと取れたんです……」
それはそれは、オークションサイトやダフ屋を使わないなんて、フェアなラビニストですね。人によってはなりふり構わず強奪することもあるのに。ましてや東京ドームより席の少ない横浜アリーナだ。よほどの強運だったのだろう。って言うか逆に当たるときは2つも当たってしまうものなのか。
メジャーなアイドルのファンというものは、しばしばそのマナーが問題になる。例えば今まで俺たちも並んでいた行列。あれだけの人がいれば大量のごみだって出る。moonのような小さなグループとはまた別の問題がいろいろある。メジャーになるというのも、あまり手放しに喜べるものではないのかもしれない。
「そうだ……砂糖さんもこれ使ってください……」
うちわだ。
「アクセントがおかしかったような気がしますが、使わせていただきます」
志村さんも中々面白い人だ。そう思っていると、急に志村さんがこっちを向いた。
「あと……葉月のことですけど……そろそろ生殺しはやめてやってください……」
そう言われた。実は陸前高田で散歩したときに唐魏野さんからも言われた。ツリ目のあいつにも再三言われている。そいつは少し楽しんでいるようにも見える。悪魔め。いや、端から見れば俺が悪魔か。
本当にそろそろ決着を付けなければならない時期に来ている。恐らく史上初めて俺を好いてくれた人に対して、できれば言いたくない返事だ。だからと言って言わないのはもっと酷い。テレビ局員とアイドルが恋愛できないのは、アイドルだって知っている。
「わかっています。近いうちに断ります」
午後6時10秒前。満員の横浜アリーナではカウントダウンが始まった。全国から集まった17000人のラビニスト。大観衆の真ん中に、スポットライトを浴びて4人の男たちが姿を現した。彼らこそL.O.V.I.N.G。今日はとりあえず、日本最高峰の歌声を楽しむとしよう。そう思ったが、胸のつかえは取れなかった。