廃工場/観測
5 廃工場/観測
「と、まあこれが俺にお鉢がまわってきた発端ってえやつよ。」
そう言って、荒井総二は、廃工場にて、目の前に対峙しているがらんどうの存在に対してそう言った。そして続ける。
「まあ、特殊犯罪課の虎の子の〈嘘憑き〉のアマネが感知した以上は十中八九、俺の仕事になることは確定していた。まあしち面倒くさいが仕方ねえ………。故に、姪を引っ張りだして、〈摂理の鍵〉発動条件を満たすような適当なネタを探させる判断をしたわけだ。まあ、それも判断としてはよかったのか悪かったのかはわからんが………まあいい。」
荒井総二がそう語る姿を、〈澱〉であるがらんどうの少年は、呆然と立ち尽くし、それを受けている。話が通じているのかわからない。だが、荒井総二は、帽子を脱ぎ、指先でくるくると回しながら、続ける。
「まあ、最初は〈摂理の鍵〉を使わずに地力でやろうとしたんだが、まあ予想以上に君の存在が励起されすぎていて、ちいと困ったわけさ。なので、こうして、君に論理構築説明をして、どうにかことを収めることにしたのさ。めんどくせーがな。」
そう言って、荒井総二は、帽子を脱ぎ、ボサボサの髪をすこし手櫛でなでつけると再び帽子をかぶり直した。
「うちの姪やら、紫煙ルートやら、特殊犯罪課ルートやら、殺人課ルートやら色々探ってみたが、どうも色々な思惑が混戦していて難儀でな。まあこりゃ愚痴なんだが。」
荒井総二は、右手を下方に振り、再び、〈摂理の鍵〉を取り出しながら言う。
「と、いうことで、〈摂理の鍵〉発動のための論理構築を可能な限り恣意的に、簡略化させて使わせてもらうぜ。まあ、それまで、おとなしく俺の話を聞いてくれ。それで万事事が収まるはずだからよ。」
そう言って、荒井総二は、がらんどうの少年に対して再び話をし始めた。
◆
ある組織が、躍起になってある人物達の行方を追っていた。
とある国にその人物たちーーー二人をーーーを届けるために、スケジュールなどをもろもろ考えた結果、一時的な逗留地として日本に短期間滞在させる予定だったのだが、もう数週間前から、その二人の行方は組織にには把握できておらず、組織の者は皆焦っていた。
だがしかし、組織の代表格である男は、この現状についてさほど深刻には考えてはいないようだった。
「奴らは必ず戻ってくる。なんせ、ここにしか居場所がないんだからな。ゲッタウェイできるなんて考えるほど甘い考えの二人でもないさ。」
男は、禿頭をコツコツ、ペンの尻で叩き、そう言った。それに対し、部下が口を出す。
「しかし、奴らの消息を把握して、捕獲、あるいは処分したいと考える組織は………。」
「ああ、〈紫煙〉だな。アラカミ家の走狗。〈異能〉を潰し、〈澱〉を治め、因果のバランスを取り持とうとする〈龍脈〉を管理する旧家。だが、ヤツには彼女が付いているんだ、まあそう簡単には補足されまい、あの能力は稀だからな。まったく、人工の〈嘘憑き〉というのは進化が早い。あの娘もまだ手放すには早かったかもな。ーーーアマネ・カナーーーと言ったかな?あれも面白い能力だったが、我々の欲するモノではなかった。」
「今は、名古屋自治体警察の公安部で働いているそうですね。なんとも因果というか。」
「まったくだ。しかし同じ〈嘘憑き〉同士なら、お互いの存在感知できるのかもしれないな、そうなればお涙頂戴再会劇も見られるのだろうが、どうでもいいことだ。まあどう転ぶかはまだまだ分からんがな」
そう言って、男は煙草に火を付け、煙をくゆらせた。
ーーー紫の霧で、煙草が少し湿気ていた。
◆
廃工場から少し離れた建物の屋上で、男と少女が佇んでいた。男の視線は、フェンス越しに廃工場のほうへ向けられている。〈紫煙〉の人払いの結界の効果を逃れ、この場にいる彼らは、〈異能〉の使い手。それも〈嘘憑き〉である。
男が口を開く。
「俺の来訪がトリガーになり、〈澱〉が励起されたんだろうが、まあ、ここまでになるとは思わなかったな。………例の放火死傷事件のせいか。まあ、よくある名前とは言え、タイミングが悪かったんだろうな。まあ知ったことじゃあ無いが。」
男はそう言うと、懐から煙草を取り出し、火を付けた。しかし、ライターやマッチという発火装置は何処にも見当たらなかった。男が煙草を咥えると、緑色の炎が煙草の先端にに灯り、男が息を吸うに連れ、赤い火が煙草に灯った。その緑色の炎は、まるで、焔霊のようであった。
ーーーそれが、この男の〈異能〉であった。
炎を自在に顕現、操作する能力。
煙草の煙を思いっきり深く吸い、ゆっくりと吐き出す。下方に吐き出された煙は、足元に届く前に、空気の壁にぶつかり、気流にのって、上昇し、男の眼前を過ぎていった。
その煙を見上げながら、男は言う。
「過去の自分の残滓の有り様と始末を見届けるというのも、なんだか不思議な気分だな。子供時代にサヨナラを言う気分だ。」
そう言って、フェンスの金網を掴み、少し力を入れた。ギシギシとフェンスの金網が揺れ、音を立てる。ぱらりと、金網の塗装が剥げて落ちていく。
フェンスにもたれかかっていた少女は、隣に居る男を見上げながら、廃工場に視線を移した。そして言う。
「あなたの過去。その残滓がそこにある。ねえ?どうしてわざわざここに危険を冒してまで来る気になったの?そこまでして、見届ける必要が?私達を追っているのは組織だけでなく、荒神家もなのに?」
「それを、君が言うのか?君の能力がなけりゃ、ここ数週間、組織の捜索隊と〈紫煙〉連中を煙に巻くことなんてできやしなかったのに?」
そう言って、男は笑った。
「確かに。あなたに力を貸したのは私の判断。でも………。」
少女は、実際の歳よりも大人びた調子で話す。年の頃はまだ二十歳も越えてない。だがしかし、彼女を取り巻く環境が、彼女を歳相応以上に大人びた雰囲気を醸し出すようになった。その、寂しげな眼で男を見つめる。
「まあ、この街に戻ってきたのは、自分の過去と決別するためでもあるんだ。これから僕らは戦争に行く。人間兵器としてね。死が当たり前の世界に投入される。否応なしにだ。その前の息抜きをしたってかまやしないじゃないか。過去との決別の時間にそれを使うのだってね。それに………」
男は視線を少女から廃工場に再び移して言う。
「噂の〈摂理の鍵〉の効果を見る機会なんて、そうそうないからな。しかと、観測させて利用させてもらうさ。」
廃工場を中心にして広がる紫の煙は、彼らの元にまで達しようとしていた。それを見て、男は、
「ヒナ。死角結界の展開を頼む。そろそろ〈希薄化される存在〜ステルス〜〉では対応できない。身体に負担をかけるが、〈不可視の十分〜インビジブル〜〉の発動を頼む。」
「はい。私のセンサー網にも、ひっかかってますしね。」
そう言うとヒナと呼ばれた少女は男の手を握り、能力を展開し始めた。
◆
(反応が消えた?)
男たちを追っていた亜黒清志郎は、追尾していた対象の反応が消えたのを感じ取り、早めていた足を止めた。そして、考える。
(コレが噂の四条雛の能力か。世界の修正力からをも逃れられる〈不可視の十分〉。誰にも観測される事なく存在を隠すことができる能力………だが、既に場所は特定済みだ。)
亜黒清志郎は、タブレット端末に映しだされた地図を見た。すでに、〈ハウンドドッグ〉によって補足した〈奴〉の場所はマークしてある。そこから動いている形跡はずっとなかった。これから先、動く可能性もなきにしもあらずだが、その可能性は少ないだろう。
(そもそも、この場に居る時点で、アライの〈摂理の鍵〉の発現を観測する気マンマンってわけだろうしな。隠遁を続けたきゃ、そもそもこんな場所には来ないはず。確実に奴はこの場から動かない。事が終わるまではな。)
亜黒清志郎はそう、結論付けると、腰に吊り下げたホルスターから拳銃を取り出した。遊底を引き、固定した後、クリップを使い、親指で銃弾を上方から下方に押し込んで装填する。
寂れた工場・倉庫街を、錆びの匂いと紫の煙が満たしていく中、亜黒清志郎は、不倶戴天の相手と会敵するタイミングをはかるため、建物を縫うように、そして、〈奴〉に気付かれないように静かに距離を縮めていった。