特殊犯罪課 笹中報告
17 特殊犯罪課 笹中報告
名護屋市自治体警察公安部特殊犯罪課課員・笹中透警部補は一人黙々と細々とした作業をしていた。手隙の探偵達に捜査協力を仰ぐために上層部に提出しなければならない書類を作成してゆく。
県警から出向してきている彼が配属された名護屋市自治体警察公安部特殊犯罪課は、国家警察や県警と違い、官民共同出資経営の第三セクターとして存在している以上、それなりの自由度、許容度を持ってはいるものの、それでも〈特殊犯罪〉という様態が不明確なものに対応する部署というのは存在意義そのものが疑問視されている。仕事内容も他の部署からしたら何をしているのかわかりにくく、閑職と言われてしまうほどには異質な存在だ。
しかしながら、それは現に存在し続けている。その設立の経緯と維持に関しては、地元に古くから根ざしている有力家系である荒神家や、国家警察、首都警察にも存在する特殊な部署を設立、運用している者たちが関わっている。その存在は、末端の警察官達には到底到達することのできない霞の上もしくは、常識の与りしれない領域にあるものだ。仮に到達できたとしても、〈労多くして実りなし〉と一般の警察官は考えている。
特殊犯罪課の設立に関わっているこの土地を支配する旧家・荒神家は強大な政治力を持っている。それに、特殊犯罪課が所属しているのは公安部だ。公安部に関しては、国家護持の目的から、自治体警察といえども、独立した権能を持ってはいない。国家警察や内務省が常に関わってきている。事実、公安部に関しては、どの自治体警察においても、国家警察並びに内務省からの出向者が重要なポストに就いている。地方自治体に大きな権能を与え、自治体警察の設置という警察権をも認めている現状の自治体警察機構であっても、こと、公安に関しては、中央 国家警察、内務省 の担当する領域なのだ。
それ故に、公安部以外に属する警察官は、公安部自体に、深く関わることは得策ではないと判断しているのだ。様々な奸計があるのはわかってはいる。真実を知りたい気持ちも勿論ある。しかし、公安部はアンタッチャブルな存在なのだ。法的正義ではなく、恣意的で超法規的な判断と政治的思惑が跋扈する公安部は、戦後から現在に至るまで、そのような存在であり続けているのだ。
しかしながら、我が国の警察組織と公安部の歴史にそうした背景があるとはいえ、こと、その下部組織である特殊犯罪課においては、扱いは別である。公安部所属といえども、その実務に関わる者は少なく、伝統的で現実的な右翼、左翼の活動の監視、そして防諜、間諜といった仕事をしているわけではない。実務レベルにおいては、殆ど仕事をしていないに等しい。いや、そもそも、その仕事自体がどのようなものなのか、外部の人間どころか、同じ警察官ですら全くわからないといった奇妙な存在なのだ。
特殊犯罪課が取り扱っているとされる〈特殊犯罪〉というものも、その定義は極めて曖昧である。その定義として、
〈国家の公安に係るものであり、且つ、その事件並びにそれに誘発される事象が超常的な事柄に起因する場合において、且つ、その捜査手法に通常の刑事捜査並びに公安刑事捜査が使用できない事件〉
と言う一文が警察法に規定されているが、そのような極めて限定的で且つ曖昧模糊とした事件が頻繁に起こりうるなど、到底考えられないものである。ごくごく一般的な常識を持った人間ならば誰もがそう思うであろう。
それ故に、警察組織の中でもアンタッチャブルな存在とされている公安部の下部組織ではあっても、実務上、特殊犯罪課は、他の部署ーーー特に、名護屋市自治体警察に於いては刑事部ーーーが抱える事件の捜査に駆り出されることが多いというのが現状である。
特殊犯罪課は、公安部所属であるのに刑事部との関わり合いが多いという点でも異質な部署であるといえる。自治体警察の地縁的な在り方や国家警察と比べた小規模な組織であるということもあって、県警察や首都警察、国家警察ほど従来の公安部と刑事部の対立はないとは言うものの、異質であることは確かだ。そういったこともあり、特殊犯罪課は署内では大分浮いた存在として認識されている。そんな中、笹中透は黙々と大量に押し付けられたペーパーワークをなんとかこなしていくのであった。
◆
笹中透は過去の資料を漁りつつ、刑事部から放火殺傷事件の進捗状況について情報を仕入れてきた。大きな進展があったようだ。早速、上司の湊葵警視に電話をする。
数回のコールの後、湊葵が電話に出た。
『状況は?進捗があったんだな?』
湊葵は、課員に必要以外の時には電話をしないように言っている。故に、電話があったということは、何か重大な案件の報告があるということを意味している。
「はい。先程、刑事部から仕入れてきました。このまま電話口で報告しても大丈夫でしょうか?」
『こちらは構わん、続けろ』
「例の放火死傷事件ですが、生存者のヒヤマアキラが意識を取り戻して、情報をとれるところまで回復したそうです。で、事情聴取をしたところ、自身が経営する会社とマフィアとの関係を証言したそうです。当初、刑事部殺人課が予想したとおり、マフィア絡みの見せしめとしての放火にまず間違いないとのことです。今、自治警と県警の刑事四課と合同で被害者の会社と関係のあったマフィアのフロント企業である産廃業者の家宅捜索を考えているとのことです。」
『ふむ。放火死傷事件の方はおおよその犯人や犯行動機の目星がついたということか。で、私達が追っている連続放火事件とボヤ騒ぎとの関わり合いについて、うちの刑事部はどう考えている?』
「その件ですが、刑事部は当初、放火死傷事件とその後に多発した連続放火事件・ボヤ騒ぎを関連付けて捜査していたフシもあったようです。この放火死傷事件を捜査するにあたって、刑事部は、捜査員を殺人課、放火課から見繕い、二班に分けて捜査にあたったそうです。メインの一班は、放火死傷事件を連続放火事件と切り離して〈殺人〉を犯人の犯行目的に据えて捜査し、サブの二班は、犯人の犯行目的を〈放火〉と考え、死傷はその結果として起こった副次的要素ではないかと考え捜査していたそうです。」
『結果としては一班の捜査方針が当たっていたということだな。二班の捜査方針はいささか強引すぎるからな。あくまで可能性に着目した取りこぼしをなくすための捜査ーーーあらゆる可能性を考えて捜査をするーーー近藤警部らしいやり方だ。ということは、今現在、私達が追っている連続放火事件は放火死傷事件と無関係だと刑事部は判断したと考えていいな?』
「ええ、それで構わないと思います。他の連続放火事件との関連性は今のところ見つけられません。遺体の検視結果からも、犯人の明らかな殺意と犯行痕ーーーナイフの刺突痕と裂傷痕が見つかったようでーーーが認められたようですし。また、既に、殺人課と放火課の合同捜査体制は解かれて、殺人課が捜査に注力しているそうです。刑事部は完全に殺人、それもマフィアの洗い出しに忙しいといった様子で。放火事件に関しては注力しないスタンスをとっているそうです。そういった点からも既にウチの案件とは無関係と考えてよろしいかと。」
『そうか、これでようやく外堀が埋まってきたと言う訳だ。うちの部署の担当である〈特殊犯罪〉にまず間違いないと上層部も判断してくれるだろうよ。また進展があれば随時報告してくれ。そうだーーー』
そう言って湊葵は聞いた。
『ーーー〈アキラとコーイチ〉。このワードに関しては何か進展はあったか?被害者のヒヤマアキラは別として、だ。なんでもいい、なにか思い当たるフシはなかったか?』
「〈アキラとコーイチ〉………アマネの言ってたアレですね。少し待ってください………どこかでその名前を見たような………そうだ、警視に言われて調べた過去の放火事件や失火・ボヤ騒ぎといった資料の中にその名を見たような………探偵から上がってきた過去の新聞記事や、報告にその名があったように思います。」
『そうか、オマエの記憶力は人並み外れて優秀だからな。見覚えがあるというのは間違い無いだろう。すぐに裏を取れ。期待している。今から署に戻るから、それまでに確認し、資料を用意するように。以上だ。』
湊葵はそう言って電話を切った。
笹中透の記憶力は、めったに人を褒めることのない湊葵が褒めるほどには優秀である。
それ故に、特殊犯罪の捜査に特化した能力を持っているわけではない笹中透を未だに登用しているという面もある。実際には人事面においては、上層部からの締め付けがあるため、湊葵に人事決定権があるというわけではないのだが。
とにかく、湊葵は、笹中透の記憶力に期待をしている。それ故に、膨大な捜査資料の閲覧・整理といった仕事を任せている。
ーーーそれだけが、湊葵が彼にデスクワークを押し付けている理由ではないのだが。
◆
湊葵への報告が終えた笹中透は、周りに誰も居ないことを確かめた後、個人の携帯電話でとある所に電話をかけた。
「ーーーこちらエス二六六ー七ー三四。特殊犯罪課の動向について定期報告します。」
彼のもう一つの仕事ーーーそれは特殊犯罪課の動向を県警の一派に報告するという間者としての仕事だ。つまるところ、彼は、愛知県警察本部刑事部から派遣されたスパイなのだ。
彼は、名護屋市自治体警察に設置されている奇妙な組織である特殊犯罪課を通して、公安部に関する情報を集める任を受けた。彼の出向元である愛知県警察本部にも、当然公安部と特殊犯罪課は存在する。しかしながら、その存在は厚いベールに包まれており、内部の、特に刑事部からすると、その全容をつかむことが非常に困難である。これには、刑事部と公安部の軋轢が大きいといった、古来よりの関係性も起因するだろう。
しかしながら、愛知県警察本部刑事部のある一派は、公安部の動きを把握したいとの考えを持っている。それ故に、目をつけられたのが、名護屋市自治体警察公安部特殊犯罪課なのであった。自治体警察は、都道府県警察よりも比較的刑事部と公安部の軋轢が少ない。また、特に官民合同出資の組織である名護屋市自治体警察という存在はよりその傾向が高い。准警察官や、他の警察組織からの出向を多く引き受けている部分も都合がよい。
そのため、愛知県警警察本部刑事部のある一派は、笹中透警部補を名護屋市自治体警察公安部特殊犯罪課に出向させ、自組織に存在する公安部の情報を探る端緒としようとしたのだ。
しかし、名護屋市自治体警察公安部もそれをおいそれとは許してはいない。それ故に、笹中透警部補は、特殊犯罪課に縛り付けられている。しかしながら、公安部の動きを探る一つの線として、特殊犯罪課の動向を探ることは有用であると、彼を送り出した一派は判断している。故に現在、笹中透警部補は、公安部そのものの動向というよりは、特殊犯罪課の動向を中心として調査し、情報を送るように指示されている。
電話先には発信元と受信元が簡単には探知されないように色々な通話網を経由して接続される。盗聴に対して可能な限りの方策を講じた後、レコーダーに諸々の報告を吹き込む。笹中透は、現在、特殊犯罪課が担当している案件と、湊葵、天音佳奈の動向を報告し、
「………以上、定期報告終わります。」
と、携帯電話の終話ボタンを押してふうと息をついた。
(しかし、報告といってもこれといってなあ………大概デスクワークに忙殺されてイマイチ動向がわからん………公安部の動向が掴めないのはともかくとして、この課の動向すら曖昧模糊として掴めない。天音の超能力とやらなんぞまさにそうだ。本当にそんな能力があるのかどうかもわかったもんじゃあない。俺は一度も彼女と一緒に現場の捜査に出たことがない。いや、正確には〈出させてもらえない〉か。愛知県警からの出向。しかも何故か刑事畑の人間である俺を怪しまない方がおかしいか。湊警視も俺が県警からの回し者だってわかった上でうまいことはぐらかしながら俺を利用しているって感じだしな………公安部そのものの圧力はなにをかいわんやだしな………)
笹中透はチッと舌打ちをしてとりあえず目の前に山積みになっている資料から〈アキラとコーイチ〉に関する資料を探し始めた。
(信用されていないことはわかっている。が、かといって、特殊犯罪課の課員としての仕事をサボるわけにもいかんしな。さて、〈アキラとコーイチ〉。どの資料で目にしたんだっけな………)
スパイとはいえ、彼も一端の警察官なのだ。その身を警察組織に寄せた、仕事に対する強い正義感と義務感は消えてはいない。それ故に、事件捜査にも本腰を入れている。もとより、そういった生真面目な人間なのだ。時折、スパイとしての自分の在り方と、警察官としての自分の在り方に悩みつつも、彼は、与えられた仕事と、自ら手がける仕事のバランスを上手く取ろうとしているのだ。
笹中透がガサガサと資料を漁っていると、突然、特殊犯罪課の部屋のドアが、ノックもなしに乱雑に開け放たれた。
「こんちわー。ササナカ、いるかー?」
荒井総二だ。得体のしれない男だと笹中透は認識している。荒井総二の存在と湊葵の関係も笹中透の調査案件の一つである。
(相変わらず、雑な男のように見えるが、足音は殺していた。不可解な男だな)
笹中透はそう思い、荒井総二の方を向いた。荒井総二は壁に体をもたれかけさせながら言う。
「ちっと放火死傷事件の犯罪現場を捜査したいんで、同行してくんねえかなあ?どうせ暇だろ?」
「暇じゃあないですよ。大忙しです。」
笹中透は少し苛つきながらそう言った。そして、書類の山をポンポンと叩き、山積したペーパーワークの多さを示した。しかし、そんな笹中透の意など全く介せず、荒井総二は続ける。
「頼まれている案件に関わってそうなもんでさあ。桧山明邸を現場検証したいんだけどさあ、刑事部の連中は手が離せないらしくってさあ。で、思い浮かんだのがササ君だってわけよ。」
荒井総二はそう言って、笹中透を指さした。その後、くるくると指を回しながら笹中透に近づき、その手を書類の山に置いて言う。
「デスクワークばっかじゃあ飽きるだろ?外の空気を吸いがてら行こうぜ?」
はあ、と、笹中透はため息をつき、
「コレも立派な仕事なんですけどね。それに、俺はここを離れるわけにはいかないんです。他に課員もいませんし。」
頭を抱えながら空席のデスクを見やりながら答えた。
湊葵と天音佳奈は現在、関連性があると踏んでいる放火・失火事案のあった現場や、事件化していない放火・失火未遂事案ーーー緑色の炎が上がったという目撃談がある事案ーーーの発生現場を虱潰しにあたっている。
「それに、もうすぐ湊警視も戻ると言ってましたし。情報連絡も直接行いたいのでますます離れる訳にはいかないんですが。」
「ああー、それは大丈夫よ。ミナト警視殿からは許可もらったからさー。さっきは冗談めかして『暇だろ?』なんて言ったけどさ。ほれ、こいつは〈特殊犯罪〉じゃん?言うても、他の部署には任せられないからササ君を使えって言われたの。」
笹中透は訝しげな表情でそれを受け止めた。
(実際に湊警視から許可をとっているとは思えないが………まあ、この男についても色々と調べなくてはならないし………仕方ない。乗る、か。)
「………わかりました。すぐ準備します。資料を整理しますので少しお待ちを。」
「はいはい、ヨロシクどうぞっと。」
そう言うと笹中透は机の上の資料を軽く整理し、荒井総二とともに桧山明邸へ現場検証に向かった。




