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暴力の記憶




   10   暴力の記憶


 

 深夜三時を越えた頃だった。

 月のない夜。閑静な住宅街に男はやってきた。

 自転車に乗って、静かに目的の家へ向かっていった。

 門戸を開け、敷地に侵入する。

 防犯装置は機能していない。

 門戸には灯油が満たされたポリタンクが。

 分業制だ。最後の仕上げは男が担当する。

 同業者の仕事を確認し、男は、家の奥側にある庭の方へ進む。

 砂利が引いてある。多少の音が鳴るのは仕方ない。

 極力音を立てないようにして、縁側の方へ向かう。

 窓ガラスに布を当て、ハンマーで一撃。手をつっこみ、錠を開ける。

 動きは最小限に。ゆっくりと、しかし確実に。

 男は、家屋に侵入した。誰もいないリビング。一家団欒の場。

生活習慣は調査済みだ。この時間帯には皆、眠りに入っている。

 これっきり、目覚める事はない眠り。

 男の手によって為される、永遠の眠り。

 何度も眠りをもたらしてきた、死の手。

 足元を照らす程度の間接照明が、男の顔を真っ暗なテレビの液晶画面に映し出す。

 男は、背負っていたリュックを下ろした。

 中から取り出したのはナイフとスタンガンとビデオカメラが二つ。

 ビデオカメラを起動し、赤外線モードにし、録画ボタンを押す。

 事前に、間取りは調べてある。まずは子供たちだ。

 主目的の息子と娘。

 レディーファーストだ。娘から殺る。

 ゆっくりと階段を上がっていく。ギシリと軋む音は最小に。

 階段を上がりきった廊下の左手に、娘の部屋はある。

 他の者を起こさないように慎重にドアを開ける。

 娘は熟睡しているようだ。掛け布団から顔が半分覗いている。

 ビデオカメラを置く。娘が映るアングルで。

 右手にはナイフを。左手は娘の口に。

 掛け布団越しに、心臓を一突き。続けて喉を掻っ切る。

 娘は悶絶したが、声を出せない。

 しばらく男に押さえつけられた後、痙攣しながら息絶えた。

 ビクンビクン。生命が失われる感触にはもう何の感情も沸かない。

 返り血は最小に。布団に吸わせる血量は最大に。

 娘の部屋を出る。真向かいの息子の部屋へ。

 娘を殺った時と同じように、息子も殺った。

 ナイフ越しに生命が絶えるのを感じる。

 痙攣の仕方が、娘と似通っていた。

 当然、ビデオカメラに収めた。表情がよく映るように。

 次は、妻だ。主目的と一緒に寝ている。手早く殺らねばなるまい。

 息子の部屋を出て、奥の夫婦の寝室に向かう。

 右手にはナイフを。左手にはビデオカメラが。

 予想だにしない事が起こった。

 ドアが開いた。主目的だ。

 一瞬、時が止まる。お互いを見つめる。

 男のほうが先に我に返る。

 ナイフを捨て、スタンガンを取り出す。

 まだ殺す訳にはいかない。そういうオーダーだ。

 一気に間合いを詰め、体に押し付けた。

 主目的は、低いうめき声を上げて倒れた。

 家中に響く鈍い音と甲高い金属音。

 防音性の高い構造であることは知らされていた。

 だが、油断はできない。妻が起きたかもしれない。

 男は急いでナイフを拾い、寝室へ急ぐ。

 妻はベッドの中にまだいる。だが起きてしまったかもしれない。

 ビデオカメラを設置する時間はない。 

 一気呵成に距離を詰め、ナイフを心臓に。

 一瞬、悲鳴が響いた。

 左足の靴底で口を踏みつけ、塞ぐ。

 そのまま全体重をかけ、ナイフを捩り、抜き、喉を掻っ切る。

 妻は絶命した。

 それを確認すると、ビデオカメラを置いた。

 気絶したままの主目的に近づき、縛り、猿轡をした。

 ズルズルと引きずり、椅子に座らせ、足首を椅子の足に縛り付けた。

 もう一つのビデオカメラを取り出し、録画ボタンを押した。

 殴る。二度、三度と。

 主目的は目覚めた。男の姿を確認する。

 瞬間、逃げ出そうとしたが、体は固定されている。

 主目的は戦慄した。自らの絶望的な状況に。

 男はビデオカメラで主目的を撮影しながら、もう一つのビデオカメラの映像を見せた。

 主目的の娘と息子と妻が殺されるシーンを。

 主目的は唸り、息を荒げながら怒りをあらわにした。

 体を固定させられた椅子がガタガタと音を立てて揺れる。

 フーフーと憤怒の息がもれ、目は充血し、涙が流れ落ちる。

 その様子を男は冷静にビデオカメラで撮り続けている。

 依頼主の要望だ。

 主目的を絶望の淵に追いやってから殺害しろと。

 そしてその様子を撮影してよこせと。

 最後の仕上げにかかる。

 家ごと主目的を焼き殺す。

 男としてはナイフで確実に殺ってから、家に火を点けたかった。

 確実性に欠けるが、依頼主の要望なら仕方ない。

 それも織り込み済みの額で引き受けたのだから。

 男は一度外に出る。灯油の入ったポリタンクを手にした。

 主目的の体に掛けた後、全ての部屋に灯油をまき散らした。

 二階から一階へ。

 玄関まで来た後、男は自分の体に灯油がかかっていないことを確認しながら火をつけた。

 家は業火に包まれる頃、男は既にその場を去っていた。

 消防車のサイレンが鳴り、警察、救急、野次馬が集まる。

 その様子をマスコミが生中継している。

 男はそれを、早朝の牛丼屋で見ていた。

 飛行機の搭乗時間を待ちながら。

 ひたすら無関心な様子で眺め、ガツガツと残りの牛丼を掻きこみ、店を出た。

 そこそこ割のいいバイトだ。そう思いながら。


     ◆


「………酷い………」

 そう言って、天音佳奈は青ざめた様子で焼け焦げた家屋から手を離した。彼女は今、湊葵と一緒に放火死傷事件の現場に来ていた。サイコメトリー能力によって読み取った残留思念は、犯人のものだった。あまりの凄惨さに、吐き気がした。

「大丈夫か?」

 湊葵が声を掛けた。

「ええ、まあ………いつものことですので………とはいえ、なかなか慣れないものですね………」

「慣れたら慣れたで、それも問題だな………で、早速で悪いんだが………」

「………はい。」

 天音佳奈は湊葵にサイコメトリー能力で視た事象を報告した。一つ一つ、子細を漏らさず。湊葵は毅然とした態度でそれを聞いていた。無論、凄惨さに心が動かなかったわけではない。しかし、上司として、動揺を見せる訳にはいかない。それに………一番辛いのは、その事象を映像として、犯人の主観として追体験した天音佳奈の方なのだ。

 それ故に、湊葵はどんなに凄惨な事象を報告されても動揺するわけにはいかないのだ。声を振り絞りながら報告する天音佳奈に辛い思いをさせているのは、捜査に駆り立てた他でもない自分自身だからだ。

 ひとしきり、天音佳奈の報告を聞いた後、湊葵は言った。

「そうか。報告ご苦労。テレビのモニタに犯人の顔が一瞬映りこんだか………よし、これからオマエの証言を元にして似顔絵を作成してもらおう。アンオフィシャルな資料だが、捜査の役には立つ。それと、最後に読み取れた犯人の居場所は………」

「牛丼チェーン店でした。個人店ではないことだけは確かです。どこかまではわかりませんでしたが………すみません………。」

「いや、そこまで絞れれば僥倖だ。刑事部にその線をあたってもらおう。ご苦労様。」

 湊葵は、ぽん、と天音佳奈の肩に手を置いた。天音佳奈には、それがとても優しく感じられた。じんわりと、体温と共に、湊葵の優しさが伝わってくるような、そんな気がした。

(〈出来損ない〉にそんなに優しくされたら………困るじゃあないですか………)

 優しさに、涙がこぼれそうになった。今振り向いたら、瞳にうっすら浮かんだ涙を見られてしまう。無用な心配は、湊葵には掛けたくはなかった。天音佳奈は、ゆっくりと眼を閉じ、涙を封じ込めた。しばし間を置き、天音佳奈は、

「いえ、これがアタシの仕事ですから。」

 そう言って、くるりとおもいっきり振り返り、湊葵に向かってニッコリと微笑んだ。肩に乗せられていた湊葵の手が振りほどかれ、空中をさまよった。湊葵は手を下ろしながら、天音佳奈を見つめた。   天音佳奈のそれは、作り笑顔だった。目を細め、口の端をきゅうっと思いっきり引いた笑顔。とても哀しい笑顔。心の内を思い切り吐露できない、そんな不器用な、彼女特有の、虚勢を張った作り笑顔だ。なにか、声をかけようと少し考えたが、何も浮かばなかった。   何も、だ。どんな言葉を持ってしても、嘘になってしまうだろう。天音佳奈にこのような思いをさせている張本人の自分が、天音佳奈の能力を利用している自分が、彼女に苦痛を強いている自分が、一体どんな言葉をかけられるというのだろうか?

 心の奥底には決して触れられないのだ。そんな資格は、自分にはないのだ。その事実がとても湊葵を悲しくさせた。だが、そんな心の内を彼女に見せる訳にはいかない。湊葵は、その心の内を押し隠して、微笑み返し、頷いた。

「そういえば」

 と、天音佳奈が思い出したかのように呟いて続けた。

「先ほど報告したビジョンの他に、後行事象感知能力が捉えたと思われるものがありました。」

 ーーー〈後行事象感知能力〜未来の記憶/アンスタビライズド・シード〜〉。サイコメトリー能力と併用される際には、そのサイコメトリー能力により読み取った事象に今後関連する事柄を、得ることができる能力だ。それによると………。

「〈アキラ〉と〈コーイチ〉。その二つのワードが浮かびました。名前、でしょうね。」

「〈アキラ〉か………被害者の名前は〈ヒヤマアキラ〉………関連してはいるが………」

 湊葵は考え込んだ。天音佳奈の後行事象感知能力が指し示す事象は、あくまでサイコメトリー能力で読み取った事象に〈後行して〉起こる事象である。今の今まで、例外はなかった。先行事象に関わる〈ヒヤマアキラ〉と、後行事象感知能力で得られた〈アキラ〉と言う言葉が、同じ物を指し示しているとはあまり考えられない。勿論、例外も考えて然るべきなのだが………。

「今までのアマネの能力の現れ方を考えると………〈アキラ〉は〈ヒヤマアキラ〉ではない別人の可能性が高い………それに〈コーイチ〉か………二人セットで考えるのが望ましいか………」

 湊葵はうつむいて、ブツブツと呟き、しばらく無言になった後顔を上げて言った。

「考え込んでいても仕方ないな。とりあえずできることをやろう。署に戻って似顔絵の作成だ。〈アキラとコーイチ〉についてはその後に考えよう。レッグワークをしながらだ。明日から本格的に捜査に入る。私達は他の事件現場を虱潰しに当たるぞ。ササナカには〈アキラとコーイチ〉のことを調べるよう指示しよう。それにアラカミが何か情報を掴んでいるかもしれないしな。明日は………」腕時計に目をやる。「〈統合警備保障〉だな。〈紫煙〉にアポを取ってあるから代表者に会って、紫煙側からの捜査状況を知りたい。私達より先にこの事件に関して色々探っているかもしれないしな。何しろあっちは専門家だからな。何かしら得るものがあるといいが………。アラカミ様のご助力にも改めて感謝の意を伝えなければならないしな。忙しいな。アラカミもこのぐらい精を出して捜査しているといいんだが、あいつは生来の怠け癖がなあ………うーん………無駄な懸念事項だな………。」

「あのー?」

「ん?なんだ?何かまだ懸念事項があるのか?」

「いえそうじゃあなくって」

 そう言って、天音佳奈は湊葵の顔を下から覗き込み、いたずらっぽく言った。

「………アラカミじゃあなくって………アライさん、ですヨ?」

「!!!!????ツッッッッ!?」

 湊葵は一瞬取り乱した後、眼鏡をくいと直し、ほら、さっさと行くぞ!と天音佳奈を急かした。眼鏡はちっともずれていなかった。その所作は湊葵が照れ隠しをする際によくする所作だ。そんな様子を見て天音佳奈は、

(かーわいいなあ………今度、カオリちんに話してあげようっと♪)

 と、心の中で思ったのだった。

 先ほどまでの緊張感はどこかに行ってしまい、場は、一気に弛緩した。

(いや、癒されるわぁ………真面目だけど天然って、どんだけ萌えキャラなんですかー………)

 湊葵と天音佳奈は、桧山明邸を後にした。そして翌日、ひとしきり昨夜の捜査状況を整理した後、統合警備保障へ向かった。


 


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