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白の冠

 昔々、ある森に、一人の少年が住んでいました。

 この国には、両親のいない子どもたちがいっぱいです。少年もそのうちの一人でした。

 茶色くて手入れのなされていない毛、汚れた衣服。擦過傷だらけの腕と、顔。

 少年は、怖がられていました。


 昔々、ある町に、一人の少女が住んでいました。

 この国には、両親のいない子どもたちがいっぱいです。少女もそのうちの一人でした。

 長い灰色の、毛先の乾ききった髪、だぼつく衣服。細く折れそうな青白の体。

 少女は、憐れまれていました。



「はじめまして」

 少女は微笑むと、長いスカートの端を小さくつまみ上げ、おじぎをしました。

「私、リリィ。あなたのお名前は?」

 少女――リリィは、いつまで経っても返事をしない少年を不思議に思い、つまみ上げていたスカートを降ろすと、首をかしげました。

「もしかして喋れないの?」

 秋の木の葉と同じ髪色の少年は黙って首を横に振りました。リリィはぱたぱたと少年に近づくと、足りない身長で少年の顔を見上げました。少年の顔は、皮膚こそ傷ついてはいるけれど、とても印象的な蜂蜜色の瞳をしていました。それはこの国では珍しい色です。

 瞳を見られたことに気が付いた少年は、ぎゅっと固く目を瞑りました。他人とは違う少年は、いつも石を投げられたりしているのです。

 悲鳴か、それとも叩かれるか。

 しかし少年の予測したことは何も起こりませんでした。

 いえ、痛いのは痛いのですが。

「――――ったい!」

「大人しくして? 怪我はちゃんと治さないと痛いもの」

 ぴりぴりするすり傷に驚くと、リリィが薬草を片手にしかめ面をしていました。少年は、目を白黒させました。今まで、怪我の心配なんてされたことがなかったのです。

「私も、痛いの嫌いよ。でも、傷はちゃんと綺麗にしないと、ばい菌が入って膿んですぐに死んじゃうって婆様が言っていたの」

 だから、我慢。我慢、我慢。と、何度も何度も繰り返しながら、ぺそぺそと慣れた手つきでリリィは薬草を少年の顔に貼り付けます。少年はすることもなく、少女になされるがまま、座り込んで、ぼうっとしていました。

 リリィは青白く細い腕をしていました。少年が触れて、少し力を加えてやればすぐにでもぽっきりと折れてしまいそうです。こほこほ、と小さく咳もしています。きっと体が弱いのだろう、と少年は考えつきました。しかし、それならどうしてリリィがこんな、狼の出る森の中にいるのかが不思議でなりませんでした。

 これで終わり、とリリイが手を離しました。少年は、頬に貼られた湿布に手をやると、口を微かに開いて、閉じて、固く閉じて、目を何回も瞬かせました。塩水は、溢れることなく空に飛んで行きました。

「……俺、ガロ。……リリィ、その、あ、ありが、と……」

「どういたしまして」

 ガロははにかみました。リリィも笑いました。

 遠くの方から鐘の音が鳴り響いてきました。夕焼けがやってくる音です。リリィはパッと顔を上げると、空を眺めて残念そうな表情をしました。

「空が赤くなっちゃうわ。帰らないと、ご飯がもらえない……」

 ご飯がもらえない、というのにガロは首を捻りました。けれど、リリィの細い腕を見て仕方がないか、と納得しました。

「ガロ、また、来るね、バイバイ!」

 リリィは腕を振りながら、背を向けて歩き始めました。

「もう来ちゃだめだよ、リリィ! だってこの森には狼が出るから!」

「平気よ、だって狼に食われた人なんていないわ!」

 ガロは叫びましたが、リリィは笑い飛ばしてしまいました。ガロは心配でたまりませんでした。彼は森の中に狼が住んでいることを十分に知っていたし、狼が人をも食べてしまうことを知っているからです。


「なんでまたいるんだよ」

「私が嫌なら、あなたが来なければいいじゃない」

 翌日の同時刻、昨日と同じその場所にリリィがいるのを見て、ガロはため息をつきました。もう来るな、と言ったのに、それはリリィにとっては些細なことだったようです。にこにことご機嫌に微笑むリリィを見て、こいつは言っても聞かない類の人間だ、と諦めて木陰の下へガロは座り込みました。リリィも座り込みました。

「ここはいいところね、日差しも木の葉で柔らかいし、かわいらしい白詰草があるわ。四つ葉が見つけられるかも」

 くすくすと笑うリリィ。ガロは諦めたように頷きながら、手に持っていた籠からお昼ご飯を取り出しました。サンドイッチ。ガロの昼食が取り出された途端、 目の色を変えたリリィは興味津々にそのサンドイッチを見つめます。

「それはあなたが作ったの?」

「え? そうだけど?」

「パンも、果物も?」

「粉とか材料は商人さんと物々交換だけど、まぁ、手作り」

 ガロはサンドイッチを頬張ります。形の不揃いなパンの間に果物がいっぱいはさまれています。少しはさみすぎたのか、ぽとり、と果物の破片が落ちます。瑞々しい果汁。その様子を必死にリリィは見つめます。

「あまり見られると、食べづらいんだけど……」

 ジト目で抗議すると、リリィは慌てて目を逸らし、ぺたぺたとその裸足を上下に動かします。わざとらしい鼻歌も混じっています。

それでもやっぱり、またガロが食べ始めると、ちらちらとリリィはガロの口元を窺います。しまいにはお腹か ら、くぅ、と音を出して自己主張をしてしまう始末です。

「リリィ、お腹……すいてるの?」

「お腹……すいてるの?」

「ち、違うわ! 私は、その、珍しー果物だなぁって……」

 くぅうぅううぅ……。

 何も誤魔化せていません。リリィは頬を真っ赤に染めたかと思うと、手で頬を覆い隠し、そして三角座りになると顔を伏せてしまいました。恥ずかしい、恥ずかしい、とぶつぶつと膝の間から聞こえてきます。ガロはその様子を少し眺めると、籠の中身を確かめながら、考え始めました。

「リリィ」

 ガロはリリィを呼びましたが、リリィはかすかに首を横に振りました。よほど恥ずかしかったのでしょう。ガロは手に持っていたそれをリリィのすぐ横に差し出しながら、もう一度、リリィ、と呼びました。

 リリィは口をつむろうとしましたが、すぐ横からはとてもよい香りが漂ってくるのです。バターの香り。めったに食べることのできない高級品の香りがするのです。お腹が空いているのにこの食欲をそそる香り。我慢できずにリリィは顔を上げました。すぐ横には、サンドイッチを、口をへの字にしながら持っているガロ。

「何の嫌がら……」

「あげる」

「……っ!」

「たまたま、偶然、多いみたいだ」

 嘘です。本当は、ちょうどぐらいあるいは少なめぐらいでした。

「……本当?」

「うん」

 しかしリリィは優しさに気付いているのかいないのか、無邪気に小首をかしげました。それでも良心が咎めるのか、眉を少ししかめながら、もう一度聞きました。

「婆様に誓って?」

「ん? う、うん?」

 そこは神様に誓うのではないか、とガロは思いましたが、曖昧な返事は肯定とみなされたらしく、ありがとう……! とリリィは感謝を伝えると、ぱくぱくと小さな口で少しずつ、しかしあっという間に食べ進めていきます。時に大胆に時に繊細に、空いていたお腹を満たすために、破片も逃さず食べ進めていきます。その様子を、ガロは呆気にとられながら眺めるしかありませんでした。そして同時に、それほどまでにお腹が空いていたのだなぁ、と憐れみました。思えば、リリィのその細い手足というのは貧しくてご飯が十分に食べれていないからでしょう。ガロの手でも簡単に折ってしまえそうです。ほんの少しの食事の時間の間、ただガロは複雑な思いでリリィがサンドイッチを食べるのを見ていました。

 どうやら彼女は、見られていても食べづらいということはないようです。


「血と同じ色で、どろどろしてるわ。これは何かの血なの?」

「いいや、これは木の実を煮込んだジャムだよ」

「木の実? ジャム?」

「ジャムっていうのは、木の実っていうのは……」

 リリィにとって森の中は未知で溢れていました。白と灰色と黒とのモノトーンの清潔な街にはない、様々な色と不思議な物体が柏手を打って、迎え入れてくれているようでした。

 連日森を訪れては、ガロに多くの疑問をぶつけ、そしてガロはリリィに逐一、自分にできる限りの回答を返す。逆にガロも大きくそびえ立つ壁の中の街について質問をします。しかしそれにはリリィはうまく答えられません。彼女の周りは曖昧に答えるばかりだったのです。リリィはこんなにも好奇心旺盛だというのに。

 二人が会うのは、いつも小さなクローバー畑でした。リリィが街をでるために使う用水路の臭いの届かない、それでいて木々が遮るために見つかりにくい場所でした。

「四つ葉のクローバーはあるかしら?」

 あるとき、ガロから幸運を示す四つ葉の存在を教えられたリリィは顔を輝かせながら、それを探し始めました。ガロは困ったように笑いながら、言います。

「残念だけど、僕はここで見つけたことはないよ」

 しかしそんなガロの言葉をリリィは意に介しません。朗らかに笑いながら彼女はガロに指を立てるのです。

「そんなことはないわ、探せばどこかにあるはずよ」

 ……結局、ここでは見つかりませんでした。

 リリィは残念そうにクローバー畑を何度も振り返ってみては、首を振るのでした。

 森には人喰い狼がいます。そのことをリリィが実を持って知ったのは、ある昼下がりに、街から大きな、それでいて悲しい音楽が流れてきたときのことです。ガロはさっと顔を青くして、まずい、とあたりをせわしなく見回し始めました。一方リリィは、手を組んで膝立ちとなり、祈りを捧げるのです。

「リリィ、なにをして……」

「え……? だって、人が死んだのよ? そして街からいなくなるのよ? 祈りを、捧げてあげなくちゃ」

 街での風習でした。しかしガロにはそれは別の意味を持つのです。

 あぁ、そうか、あれは、狼への餌の時間。

「隠れて、息を潜めて。声を立てないで、動かないで」

 ガロはリリィを強引に茂みに体を潜めさせました。なにをしたいのか分かりませんでした。けれど、リリィは、ガロは自分よりも物知りだ、と自覚していたので黙ってそれに従いました。

 ……血の臭いが訪れました。

 リリィには長い毛に覆われた、灰色の足しか見えませんでした。それから、ぽたぽた滴る赤い血、と。

 しばらくしてから、ようやっとガロはもうでていいよ、とリリィを茂みから引っ張り出しましたが、リリィはがたがたと震えていました。

 彼女は今、初めて、自分のいる場所が、人食い狼のいる恐ろしい森だと実感したのです。

 それでも、リリィは森に来ることをやめませんでした。


 ガロの生活は、リリィのおかげで様変わりしました。毎朝起きては、木の実や畑の収穫をし、商人さんと物々交換などを行い、畑の手入れ、物の細工、など生活に必要な行動。そして、自分の分と、リリィの分の昼食を作って、昼下がりに例のクローバー畑へと向かうのです。

 リリィの生活も、ガロの元へ向かうことで様変わりしました。毎朝起きて、自分の「お仕事」をこなします。その出来栄えによって与えられる朝の栄養食材の量は変わります。朝食のあとは、またお仕事です。昼食のために施設の子どもは頑張ります。リリィはこっそりと、昼食は少ない子に分け与えます。午後の自由時間には、森のクローバー畑へと赴くからです。下水道を通り、足早にガロの元へ向かうのです。コンクリートの街から、土の森へと。リリィの足に付着した土。日に日に健康的に肥えていく姿。知る由もないはずの知識。街の人々が、気づかないはずがありません。

 疑いをしないリリィは、今日もガロの元へ向かいます。「ガロ!」

 嬉しそうに声を弾ませるリリィを、大人たちが後ろから手を引き、絡め取り、動けなくするのです。ガロは顔を強張らせます。

「何をするの? 離して!」

 リリィは暴れますが、大人の力にはかないません。ギリギリと、強い力で握りこまれたその手首は、微動だにしません。拳銃を持った大人や、斧を持った大人。みな一様に、白い服を着ており、その姿にはまるで蓮の種のような感覚を覚えてしまいます。白い大人たちは、リリィのことなど気にもかけません。見るのは、ただガロの方ばかりです。ガロの方も、緊張に満ちた表情で、しかし頻繁にリリィの方へ視線をやります。

「食料が、心配か」

「リリィは、そんなんじゃない! 俺は……っ、人を食べない!!」

「人を食べない? どうして、そんな普通のことを……」

「狼は、人を食らうのが普通なのだ。子供」

 リーダー格なのでしょう、他の誰よりも一歩だけ前に出ている大人は、そう言いました。

「それじゃあまるで、ガロが、ガロが、狼みたいじゃないっ!!」

「狼だ」

「やめ……」

 泣きそうな顔で、ガロは静止の声を上げようとしましたが、ひゅっと苦しそうな呼吸とともに、その声は細く消えてしまいました。

「こいつは、人狼だ。子供、お前といたので、殺さねばならない」

 不可侵の条約があったのですが、破ってしまったのだから仕方がありません。幼子二人、知らないのも無理はありません。ただ、ガロは喉を振り絞って叫ぶのです。

「違う! 俺は狼じゃない!! 俺は人間を食わない! 俺は、人なんだっ!!」

「撃て」

「だめ!!」



 銃声。



 銃口から伸びる白い煙、汚物を見るような目をした大人、恐怖の色を隠せない大人、白目を剥いた大人。

 手を伸ばす、白い少女。

 ガロは赤い血を出しながら、意識を手放す――



 ガロが意識を取り戻すのに、どれだけ時間がかかったのでしょうか。ガロが最初に認識したのは、リリィでした。土で汚れた、白かった少女。

「なん……で、なにが」

 ガロはリリィに覆いかぶさるような体勢でした。ガロの手は、細く鋭い毛となっています。毛の先は、血液でわずかに赤色が付着しています。上体を起こして、あたりを見回したところ、クローバー畑は悲惨な状況でした。やっと咲き始めた白いクローバーの花は、傷ついた人間によって押しつぶされていました。肉を削がれた人間が苦痛でのた打ち回っていました。斧は遠くの木の幹に深く刺さっています。白い狂った制服は土と血液とで赤茶色に穢れていました。鉄砲は無様に折れ曲がっていました。人間の手足も折れ曲がっていました。三つ葉ばかりの緑の葉は、千切れたり押しつぶされたり、掘り返されていたり、血液の赤や、吐瀉物の灰色で色づけられています。

 そんなうめき声と、腐った匂いの中心で、少年と少女。

「リリィ……」

「ガロ、泣いてる」

「ごめんね、俺、やっぱり、狼だった」

「みたいね」

 リリィは、笑いました。口の端から血を流しながら、けれど彼女は涙を流さないのです。

「ガロ、痛いの?」

「リリィは、痛くないの?」

「痛くないわ。ガロがいたから」

「でも俺が、俺のせいで、リリィは」

「違うよ。ガロは私を、守ってくれたよ。ガロのせいじゃないよ。ガロ、泣かないで」

 ぽろぽろと、大粒の涙を、狼は流し続けます。

「ごめん」

「どうして、謝るの?」

「ごめん、ごめん、抑えられなくてごめん、狼でごめん、傷つけてしまってごめん、リリィ……ごめん、なさい」

 ぺちん、とガロの頬が鳴ります。リリィが、ガロの右頬をはたいたのです。リリィは一瞬、怒ったようなしかめ面をしたかと思うと、次の瞬間には、笑っていました。

「バカね」

 するりとその細腕をガロの首に巻きつけるようにし、ぎゅっと抱きつきました。柔らかく優しい声色で伝えるのです。

「私は、弱くないよ。隣にいれないほど弱くないよ。大丈夫、ガロは優しい。私を殴らない、私にいろんなことを教えてくれる、私がご飯をいっぱい食べても贅沢だって怒らない、ガロは私を守ってくれた」

「リリィ、俺は、狼だよ……?」

「それがどうかしたの? ガロは、ガロでしょ?」

「人狼でもいいの?」

「ガロ……私ね、ガロと一緒に、隣で歩いていきたいの」

 ガロは恐る恐る腕を伸ばします。背中に腕を回し、包み込むようにリリィを抱きしめると、しゃくりあげるように涙をこぼし始めました。喉を絞り嗄らすように声をあげました。異端として追い出された少年は、狼でも人間でもなかった少年は、その存在を小さな少女に認められました。あなたはここにいてもいい、世界に存在してもいいのだと、微笑まれた気がしました。

 ひとしきり泣き終わると、ガロは立ち上がり、リリィの手を引いて立たせました。

 その姿はいつも通り、人の形をしていました。

「行こう」

 赤く目をはらして、少年は言いました。

「どこへ?」

 白く、汚れを知らなかった少女は問いかけます。

「ここじゃないどこかへ、リリィと、俺だけの世界へ」

 少年は、少女と手をつないだまま、一歩足を進めました。少女もそれにならい、歩みを進めます。

「そこに四つ葉のクローバーはあるかしら?」

「きっとあるよ、いや、作ろう。大丈夫、一人じゃできなかったけれど、二人ならできる気がする」

「おとぎ話のお姫様と王子様みたいに、めでたしを歌いたいな」

「うん、そうだね」

「そうよ」

 少年と少女は、歩き始めます。歩みを止めることはないでしょう。どこまでも、進み続けるのです。歩き続けるのです。

森の中から出られるのはガロとリリィの二人だけで、我々は彼らが出ていくのを、その小さな背中がさらに小さくなっていくのを眺めるしかできないのです。

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