傍らで微笑むは瑠璃色の光 《アキナ編》
二人とはじめて会ったのは、私が魔専学院に入って間もない頃。
最初はちょっと苦手……だったな。
いつも二人で騒いでたし、どうしても人見知りしちゃうから……なかなか近寄りづらい人たちだなぁとその頃は思ってた。
お姉ちゃんとも相変わらずだったから……同じ治癒魔術師の飛鳥先輩くらいしか話せる人がいなかったかな。
別に寂しいってわけじゃなかったけど、少し、静かだった毎日を送ってた。
二人と仲良くなれたきっかけは……皮肉だけど、一色君と久条君だった。
ある朝、魔専学院に行く途中、物凄い音が鳴ってすっごくびっくりした。
でも、周りの人はちらっと見て何事もなかったように通り過ぎていった。
あの光景は今でも忘れられない。正直、気持ち悪かった。
私たちは蝕む者と戦うためにここにいるはずなのに、どうして人と人が傷つけあうのか、私にはわからない。
たとえどんな理由があっても、私はわかりたくない。
でも私は力がないから。治療くらいしかできないから。
その光景を黙って見ているしかできなかった。
一方的に痛めつけていた茶色の髪の男の子と金色の髪の男の子は、倒れている人を蹴り飛ばしたあと、魔専学院に向かっていった。
倒れている人は、見るからに痛々しい有様になっていた。
制服はぼろぼろ、髪も薄汚れた灰色になってしまっていた。
その人はうつ伏せに倒れたままぴくりとも動かないで、まるで死んでるように静かだった。
助けなきゃ。そう思って近づいたら、その人はがばっと勢いよく起き上がった。
『あー……つつ……また制服ダメになっちまったか……今月厳しんだがな―――ん?』
ぱちりと目があった。びっくりしすぎて固まってしまってた私は言い逃れできない状況にどうしようどうしようと必死で頭を回転させる。
見るからにボロボロの男の子は、魔術でやられて相当辛い思いをしてきたのだろうか、とても暗い目で私をじっと見上げてきていた。
『えっと、何? 何か用?』
灰色の頭に手を入れて、ごしごしと頭を掻いているその人は不機嫌そうに言った。
怒らせちゃった? どうしよう、でも悪いことはしてないし、どうしたら……。
『ゴルァ匠間! か弱い女子を襲ってんじゃねーぞぉ!』
『えぇ⁉ 俺なにもしてねごっふぉ⁉』
桃色のパイナップルが飛んできたかと思った。
そして灰色の人がすごい勢いで転がっていった。
すごく痛そうな音がしたけど、大丈夫なのかな……?
『てめコラぐふっ! もろ入ったぞごっふぉ! こっちのダメージのほうがでけぇっておかしいだろぉ!』
『お嬢さん大丈夫かい? もう大丈夫、君を肉欲の限り陵辱しようとしていた悪しき獣は僕が倒しておいたからね』
パイナップル……じゃない、桃色の髪の毛の可愛らしい女の子が、私に向けて親指を立ててウインクする。
何を言ってるのかさっぱりわからないけど、助けてくれた……のかな? 男の子がすごい怒ってるけど、大丈夫かな?
ところでりょ、りょうじょく? ってなんだろう。あとで調べよう。
『おい凛、午前の座学は確かシエル教授だろ? 遅れたら洒落にならん』
『あ、ちょ、待ってよ匠間ぁー!』
二人は私を置いてさっさと行ってしまった。ぽつねんと残された私は刺さる視線から逃げるように魔専学院入口へと足を動かした。
匠間君と……凛ちゃん。騒がしい人たちだなぁと思ってたけど、実際話してみると少し印象が変わった。
二人はとても仲が良かった。一目見てそれが分かった私はそれから無意識に二人を目で追っていた気がする。
気付けば二人の姿がいつもあったから。匠間君と凛ちゃんはいつもはしゃいでて―――いつも笑ってた。
それが自分と重なって、胸がきゅうっと締め付けられたことは何度もあった。
いつか―――私も。そう思ってた時、あの出来事が起きたんだ。
『そうだね……今日はピクニックにでも行こうか? 天気もいいし、気持ちいいと思うんだ。あそこは良い薬草も取れる。霧の深い場所に行かなければ危険はないから、早速行こうか?』
ぱん、と柏手を打つ、爽やかな笑顔を浮かべる先生の一言で、Fクラスのみんなはピクニックに―――白霧の尾根へと向かった。
そこは見晴らしが良く、とても空気の澄んだとても綺麗な場所だった。
見たこともない綺麗な草花。珍しい昆虫たち。どれも私には真新しいものばかりだった。
もともとここは蝕む者が出没する場所と聞いてたから、私から近寄ることはなかった。
でも、飛鳥先輩が気分転換に良く中腹まで行くって良く話してたから気にはなってたけど、ここまで美しい世界があるなんて、どうしてもっと早く来なかったんだろうって、ひとりで感動していたことを今でも覚えてる。
その時私は、先生が何度も注意してくれたことをすっかり忘れて奥へ奥へと進んでいた。
『霧が深い場所は蝕む者が襲ってくる危険性が高いからね』
気付けば、山が吐く白い吐息の中に、私は入り込んでいた。
ハッと気付いて来た道を戻ろうと振り返っても、霧が深くなってたのか、今自分がどこにいるのかさえわからなくなっていた。
どうしよう。これじゃあどこが道なのかわからない。
迂闊に動けば崖から落ちて真っ逆さま、なんてこともありえる。
狼狽える私の耳に、それが聞こえた。
カサカサと風に飛ばされて転がる紙のような、地面を這いずる不気味な音が私に近付いてきていた。
それもひとつじゃなく、複数の音が。
私は悲鳴をあげた。悲鳴と同時に、緑色の硬い殻の大きな昆虫が霧の中から飛び出してきた。
硬く、鋭い角が私の肩をかすめていった。痛い。浅いけど、やっぱり痛いし怖い。
次々と襲いかかってくる蝕む者の姿が、やけに遅く感じた。
ああ、そっか。私死ぬんだって、なんとなくわかった。
でも、死にたくなかった。力の限り、私は叫んだ。
『凛ちゃんの秘奥義! スーパーダイナミックギャラクティカエキセントリック匠間ミサイルぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!』
『おいお前ちょなにしてるんどぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ⁉』
目の前を、匠間君が風を切ってすごい勢いで飛んでった。
まるでボーリングのピンみたいになぎ倒されていく蝕む者の姿を見て、ぽかん、と開いた口がふさがらなかった。
『おま、いってぇな! ツノが軽く肩に刺さったぞゴルァ!』
『うわーい虫取りだー! あらやだ魔獣までいる! きゃー誰かー!』
『お前あとでぜっっってぇしばく!』
『ヤダ……人前でそんな卑猥なことあたしできない……せめて布団の中で……』
『いいから手伝えゴルァァァァァァァァァァッ!』
ランクは最弱とは言え、結構な数の蝕む者がいたにも関わらず、二人はいつも通りじゃれあいながら拳打と蹴撃のみで瞬く間に蝕む者を倒していく。
すごかった。目を奪われていた。魔術を使わず、それも素手だけで蝕む者に立ち向かうなんて、聞いたことも見たこともなかった。
―――私は二人の流麗な動きが織り成す舞踏会を、瞬きも忘れて釘付けになっていた。
『っと、こんなもんか。あとは専門に任せてとっとと戻るか』
『大丈夫?』
大丈夫、と答えようとして、鋭い痛みが肩に走る。
『ちょっとごめんね』
『侵蝕は?』
『んー、だいじょぶみたい。でも結構えぐれてる』
大丈夫です、と言って近付いてくる二人から離れようとしたとき、すとん、とお尻から座り込んでしまった。
自分でも理解できない間に、腰が抜けてしまったみたい。
『しゃあねぇ、保健室につれてくか』
『保健室ってなんかエロいよね。響きが』
『安心しろ、そう思ってんのはお前だけだ。嫌かもしれねぇがちっと辛抱してくれな』
言われて、ふわっと浮きあがる感覚がした。
目の前には灰色の髪と、どこか眠そうな黒の目。
何をされたか理解した途端、かぁっと全身が熱くなった。
『凛、説明頼むわ。ちょっくら送ってくる』
『二人きりの保健室。彼は傷ついた肩を治療するため彼女をベッドに下ろす。彼は言った。『脱がすよ』彼女の拒否の言葉も聞かず、彼は彼女の上着をやや強引に脱がし、赤く血が滲む白い肩へと指を這わせる。びくりと彼女の肩が震える。『大丈夫。我慢してればすぐ終わるから……』そして彼は彼女の肩をそっと押し、ベットへとその白く美しい肢体を優しく誘う。彼の目は完全に雄のそれだった。白くほっそりとした首筋に唇を落とし、熱く湿った吐息を吐きながら、耳元で甘く甘く囁く。『痛みは少し。すぐに気持ちよくなるよ』彼女は甘い痺れに抵抗できず、快楽の底へと堕ちていく……』
『なっっっっげぇよ! つか何言ってんだお前は!』
『え、匠間が嫌がる彼女を強か』
『笑ってるうちにやめような?』
そして匠間君は私をお姫様だっこして保健室まで連れて行ってくれた。
途中で何か言ってたけど、恥ずかしすぎて死にそうだった私は何を言われてたかすら覚えてない。
それから凛ちゃんが良く話しかけてくるようになった。
いろんな場所に連れてってくれた。
凛ちゃんはいつも楽しそうだった。
良くわからないこと言って、おじさんみたいな変な声を出して笑ってたり、それで匠間君に怒られてたり。
楽しかった。凛ちゃんの笑顔を見てると、心から笑えるようになっていた。
だから、そんな凛ちゃんの悲しい顔は見たくない。
凛ちゃんが泣いていると、私も泣きたくなっちゃうから。
だから、待ってて。
強さをくれた。勇気をくれた。暖かさをくれた。大切なあなたにもらったものを返しにいくから。