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ブレイクスルー

 暑い夏だった。蝉がそこらじゅうで鳴いている。まだ幼かった私は木や電柱にとまって鳴いている蝉を見つけることに不思議な魅力を感じて強い日差しの中を帽子もかぶらずにうろうろしていた。何匹目の蝉だったろうか?背の低い木にとまって鳴いているアブラゼミを見つけたときのことだ。その木はブロック塀から少し頭が出るぐらいの高さで、子供の私でも頑張れば手が届きそうな気がした。そんな低い木にとまったものだから蝉は見つかりやすかったのだろう、私以外にも蝉を見つめる者があった。猫である。ブロック塀の上をそろりそろりとやってきたのだ。私は直感的にこの猫は蝉を狙っているのだと思った。蝉を助けなくてはいけない。私は猫を追い払おうとしたがなかなかうまくいかなかった。このままではいけないと思った私は武器を使うことにした。どこかに棒でも落ちていないかとキョロキョロと辺りを見回した。しかし、これが良くなかった。探しながらふと気がついたのだ、蝉の鳴き声がしなくなっていることに。顔を上げるとそこにとまっていたはずの蝉が居ない。猫を見るとモグモグしている。愕然とした。これが弱肉強食…。幼い私の前に自然は圧倒的すぎたのだ。それからと言うもの私はニュースで殺人事件や戦争の話を聞く度に猫に食われたのだと思うようになった。大人になった今もその表現は変わることがなかった。表現だけが残りあの頃受けた衝撃は消えていた。当時は猫を恨みもしたが、今では何とも思っていない。ところが自分が蝉になったとき、あのとき現れた猫のように、憤りがそろりそろりと近づいてきたのだ。そして一瞬のうちに私の心をえぐった。

「ちくしょう…何で俺がニートなんだよ!どいつもこいつも俺を、この俺をバカにすることを楽しんでやがる!許せん!俺は鳴くだけの蝉とは違うのだ!ぶっ殺す!」

と、パソコンの画面に向かってブツブツ呟いているのが私である。これが自分と思うと悲しいが仕方ない。エロサイトを中心に色々なサイトを巡って一日が終わる。まじ終わってる、こいつ。こいつっていうか俺。そんな終わりを迎えている私であるが、もちろんこのままフェードアウトする気など無い。こんなに社会不適合者だった自分が情けなくてしょうがないし悔しいから己を叩き直して必ずこの社会で成功を掴んで周りを見返してやる!と思えたらまだ救いようがあったのだろうけどそうは思わなかった。じゃあ、どう思ったかというとこうだ、こんなに社会不適合者だった自分が可哀想でならない。こんな自分にした社会に報復をしてやりたいがそんな大それたことはできないから今日もエロサイトを巡って寝てしまおう。

うわ、自殺したい…。


       ○


 暑い夏だった。蝉がそこらじゅうで鳴いている。まだ幼かったニャたしは木や電柱にとまって鳴いている蝉を見つけることに不思議な魅力を感じて強い日差しの中をうろうろしていた。何匹目の蝉だったろうか?背の低い木にとまって鳴いているアブラゼミを見つけたときのことだ。その木はブロック塀から少し頭が出るぐらいの高さで、猫のニャたしには容易に捕まえられるように思われた。そんな低い木にとまったものだから蝉は見つかりやすかったのだろう、ニャたし以外にも蝉を見つめる者があった。人間である。ブロック塀の下をのろりのろりとやってきたのだ。ニャたしは直感的にこの人間は蝉を狙っているのだと思った。蝉を食べなくてはいけない。人間はニャたしを追い払おうとしたがそうはさせなかった。すると、このままではいけないと思ったのだろう、人間は何かを探し始めた。ニャたしはこの人間はアホだと思った。人間が捜し物をしている間にニャたしは蝉を食らった。人間が顔を上げたときのその表情はとてもおかしかった。ニャたしはモグモグしながら笑いを堪えるのが大変だった。これが弱肉強食…。幼いニャたしは生きるということを知った。それからと言うものニャたしは他人を出し抜いてでも餌にありつこうと必死であった。遠慮などしていたら食いっぱぐれると思ったからだ。

ニャーニャー。自分が猫であることを忘れないようにたまに鳴いておこう。ニャーニャー。

ところで、そんなニャたしのやり方が気に入らなかったようで、周りの猫達はニャたしを敵視し始めていた。次第に孤立していくニャたし。可哀想なニャたし。これからは周りの顔色を伺って、角が立つようなことは避けて生きよう。何が弱肉強食だ、平和が一番。そのためなら多少腹が減っていたって構わん。猫なのにわんだって、えへ。と思えればまだ良かったのかもしれないが実際はそうは思わなかった。じゃあどう思ったかと言うとこうだ、あいつら野良猫のくせに生きるということが分かっていない。飼い猫と違って野良は日々命がけで戦っていかなくてはならない。それを教えてやろうと思ったのに、弱い自分を棚に上げてあろうことかこのニャたしを逆恨みするとは許せん。根性叩き直してやる!

生きるとはどういうことか!


       ○


 暑い夏だった。蝉である私は女子の気を惹こうと必死に鳴いていた。それが良くなかった。必死に鳴くあまりそこが外敵からすぐに手の届く範囲であることに気がつかなかったのだ。悲しい雄の性よ。ミンミン。何かが近づいてきたと思ったときには遅かった。どうやら私を争って猫と人間が対峙しているようだった。どうにか隙を見て逃げようと思ったがそれも叶わなかった。どう言うわけか人間の方が戦線離脱をしやがったのだ。ちくしょう。おかげで私は猫に食われてしまった。だがしかし、私もただでは死なぬ!補食される直前に私は仲間に信号を飛ばしていたのだ。ナイス私。私の信号を受けとった仲間達がいずれこの恨みを晴らしてくれるだろう。ミンミン。

ぶっ殺せ…!


       ○


 ふう、スッキリした清々しい気分である。

今日も何の変哲もない一日であった。明日は何か変わるさといつものように思って布団に入ろう。

やばいよね?私の目には涙が浮かんでいた。このままではいけない、絶対にやばい。こんな風に悶々と日々を過ごしていても腐っていくだけだ。これ以上腐るかは疑問だが、蝉でさえ鳴くぐらいはするのに私ときたらジッとしているだけじゃないか。そのくせ何か変化を求めている。いけないよぉ、このままじゃいけないよぉ。私は布団に入らずに外に出ることにした。外出だ。おお、なんという進歩だろうか、この私が出掛けようとしている、外は寒いぞ気をつけろ。季節は冬だ。

外は暗かった。人通りもない。当たり前だろう普通の人ならとっくに寝ている時間なのだから。明日も会社や学校に行くのだから。私はというと明日も何もない。明日もというか未来が見あたらない。普通の人は嫌だ嫌だと言いながらもやるべきことをやっているのに。昔は私にもそう言う時期があった、ずっと休みならどれほど良いかと思っていた。しかし、無限の休みが与えてくれるこの疎外感はなかなかヘビーだ。夢を追い会社を辞めたはずだったが、いつの間にか夢を失い堕落して社会復帰も儘ならぬということになってしまった。虚無であるよ。しかし、心まで腐りきったと思っていたのに、外出をするなんて素敵なやつだぜ俺って!ナイスガイ!と己を奮い立たせたものの困ったことに行き先が無い。どこへ行こうかな?というのは人生の話ではなくて、とりあえず今これからの話である。怖い怖い。しかしまあ、こういう時はコンビニというのが定番だろう。深夜のコンビニで立ち読みをしてお菓子を買って公園でも行くのがゴールデンコースかな?レベル高いかな?とにかく行ってみよう。そんな風だからダメなのだということに気がつかずにいたが、とにかく私にとっては大きな一歩、コンビニに向かうことにした。

さすが深夜といだけあって誰もいない。店員が暇そうにしているだけである。店に入ってきた私を見て何かゴニョゴニョと言ったようだ。たぶん、いらっしゃいませと言ったのだと思う。やる気は感じないが久しぶりに人から何か言われてドキッとしたのは事実である。恥ずかしい。私の心はこんなに乾いていたのか…。

雑誌コーナーに行ってみて気づいたのだが普段雑誌なんて読まないからどれを手にして良いものか分からない。エロ雑誌でも読むかと思ったが封がしてある。何と小癪な、もういい、読まない!私は第一のミッションを放棄してお菓子を買うことにした。情けない話である。

う~む、ここでも困ったことになった。いっぱいありすぎてどれを買おうか迷ってしまう。近頃はバリエーションが増えすぎているようだ。ここでもまごついてしまう。私は買い物すら満足にできないのか!ちくしょう!おまけに店員がこちらを見ている気がして無駄に緊張する。なんだよあいつ、他にやることあんだろうが、こっち見んなよ。と思って恐る恐る店員の方を見たが全然こっちのことなど見ていなかった。むしろ他のことをしていて忙しそうであった。うわ、恥ずかしい。コーラ買ってさっさと出よう。

結局私はコーラだけを買って外に出た。これなら自販機で事足りたなと思うが、他人と同じ空間に入ったというのがこの日の成果ではなかろうか?と自分を納得させて公園へ向かった。さすが深夜の公園だけあって誰もいない。薄暗い街灯が逆に不気味である。このミッションはレベルが高いというか別の話じゃないか、肝試し的なあれじゃないか。と言い訳して帰ろうとしたら園内から不気味なうめき声のようなものが聞こえてきたからおったまげ。すげー怖かった。おまけにどこからか聞こえてくるメトロノームの音が最速のテンポを刻んでいると思ったら自分の心臓だった。早く帰ろう、そう思った瞬間私の足下を黒い無数の陰がすごい早さですり抜けていった。私は声も出せないまま固まってしまった。陰が行ってしまってからどのくらい経っただろうか?ようやく安心して動けるようになったとき園内の街灯の下に何か動くものを発見した。よろよろとかろうじて動いている感じであったが、やがて倒れて動かなくなった。気味が悪かったので帰りたかったが、何故か助けなくてはいけない気がして恐る恐る公園に入って行った。

街灯の下に倒れていたのは猫であった。ぼろぼろになって辛うじて息をしている状態である。私は何だか悲しくなった。猫に食われたのだと思った。弱肉強食だよと呟いてみた。ミャ…。猫がかすかに鳴いた。それは私に答えているかのように思えた。分かっているさと言っているように感じた。

そんな以心伝心の最中に突然さっきと同じようなうめき声が聞こえてきたと思ったらさっきの黒い陰達が周りを囲んでいた。少しずつ目が慣れてきたおかげでその正体が見えてきたのだが、それは多くの野良猫であった。どうやらこのぼろぼろになった猫を狙っているようである。さっき出て行った数よりも多い気がするが、仲間を呼びに行ったのだろうか?こんな弱った猫一匹のためにそこまでするのか?とにかくこの猫を助けなくてはいけないのだが、私は迷い始めていた。猫達の威嚇は続いている。ぼろ猫はよろよろと立ち上がって賢明に睨み返しているが多勢に無勢勝てるわけがない。巻き込まれたら私も怪我をしてしまうだろう。そんなアホな話はない。だいたい人間が野良猫と戦おうと思ったら武器を持ってやっと互角だという話を聞いたことがある。今の私がもっているものと言えば、コーラだけ。これでどうやって助けりゃいいんだ?猫達のにらみ合いが続く中で私の中でも葛藤が繰り広げられていた。助けるべきか見捨てるべきか。そのとき私に名案が閃いた。私はぼろ猫を抱き上げた。猫は少し抵抗したが、体力が続かずにすぐにおとなしくなった。なんか臭かった。周りを囲んでいた猫達の鳴き声が一瞬止んだ。私は持っていたコーラを思い切り振って地面に叩きつけた。パーン!とものすごい音がしてコーラのペットボトルが暴れた。猫達は怯んで逃げ出す者もあった。私はその隙にぼろ猫を抱えて家までダッシュで逃げた。久しぶりに全力疾走というものをしたのでしばらく息が整わなかった。ぼろ猫もはあはあ言っていた。二人してぐったりした。猫は取りあえず生きているようで良かった、朝一で病院に連れて行こう。


       ○


 俺はここらをまとめてる権蔵ってもんだ。と言ったって別にやりたくてそんなことをしているわけじゃねえ。だいたい自由気ままな単独行動をモットーとするキャッツにまとめ役なんていらねえはずだ。

ニャーニャー。俺が猫であることを忘れないようにたまに鳴いておく。ニャーニャー

それがどうしてこうなったのか?それは奴が変な思想に駆られて妙な行動をとるようになったからだ。幾ら自由気ままと言ったって限度がある。猫の世界にもそれなりに節度ってもんがあるんだ。あいつはそれを破った。要するにやり過ぎたんだよ。そこで誰かが制裁を加えようとしたんだが、困ったことにあいつはめっぽう喧嘩が強いらしい。まあ、俺程じゃないがな。にゃっはっは。はは…。何匹もやつに挑戦したがまったく歯が立たなかったってんだからもうここらはやつの独壇場よ。そこで困った猫どもが俺に助けを求めに来たってわけだ。俺なら何とかできると思ったんだろうが、正直困っちまった。腕に自信はあったが、それはもう昔の話だ。今更俺を頼られても…と初めは思った。だが、若いもんに頼られるっていうのは中々悪くない。そいでついつい引き受けちまったってわけよ。

まあ、俺一人でってのは無理だと思うんだがニャーニャー…。まあ、その、良いように言いくるめられてさ、皆でやろうぜってことになって俺は親分に納まったっていうニャー…。とにかく俺は、いや、俺達はあいつを懲らしめてやらなくちゃならねえわけよ。ぶっ殺す!ていう気でいかないとな。にゃっはっはっは。はあ…、まじどうしよう…。親分とか言われて良い気になってるけど正直やめてほしいんだよね。だいたい猫が組織を組もうって無理でしょ?それぐらいあいつらも猫なんだから分かれよ。いや、そういう都合の悪いことを無視する能力ゆえに猫なのかもしれない。それに一番気になるのはあいつらが俺に任せっきりで何もしようとしないとこだよ。何もしないどころか俺に押し付けて自分達はもう関係ないですみたいな態度だよ。おい、こら。ニャーニャー。あいつらがそんなだから俺もふてくされて日がな一日屁をこいてゴロゴロして過ごさなきゃならんじゃないか。ああ、やべ、考え事してたら眠くなってきたにゃー。寝よ。ZZZ。


       ○


ニャたしには義務がある。それはこの弛みきった野良猫共に生きるとはいかなることかを教えることだ。生命とは争いの上に成り立っているということを分からせなくてはいけない。ニャーニャー。ニャたしは人間との争いの末に蝉を捕食したのだ。ニャたしは捕食した蝉の命で生きている。生き残るということはそういうことのはずだ。ところが悲しいことに現状それを理解している者は皆無。ニャたしは悲しい。

う…げーげー…うう…はあはあ…。毛玉を吐いてしまった。

ぺっ。

ニャたしはそれを教えるために餌を横取りしたり、縄張りを荒らしたりした。するとやつらは私を敵とみて排除しにかかった。ふざけてませんか?と思ったがもう一つニャたしの心に浮かんだ思いがあった。それは以外にもいいじゃない。というものだった。そうなんだよ、生きるとは戦うことだよ。安住なんて死んでいった者への冒とくだよ。もっと危機感を持たなきゃいけないよ。そうだよ、ニャたしは悪役になろう。なるべきだ。ところがだ、予想外というか拍子抜けしたのはやつらの弱さよ。すんげー弱かった。正直初めて喧嘩みたいになった時はニャたしもビビったよ。でもちょっと小突いたら、にゃん!とか言って逃げちゃった。ニャーニャー。そいつだけが弱いのかと思ったら来るやつ来るやつ皆弱い。どうなてんだ?ニャたしが強いのか?しかし、油断していられないというのはどうやら向こうはあの権蔵を担ぎ出したらしい。権蔵と言えばもう昔の猫だが、その武勇伝たるやすさまじい。元は飼い猫だったらしいが飼い主が引きこもりだったらしく、その唯一の遊び相手として大切にされていたそうだ。ところがある日引きこもりのオタクヤローが何を血迷ったか猫耳に興奮して権蔵を犯そうとしたらしい。その時権蔵は飼い主の性器を食いちぎって殺したのだそうだ。それから権蔵は人間を恨むようになり若い時に5人の人間を殺したという。まじ怖い。


       ○


こんな噂話がある。やつは熊を倒しに北海道まで行ったという。鮭を食いに行ったというのが本当のところらしいが、どうやらその時に熊と戦って殺したとい言う話しだ。俺は熊を殺すような奴と戦って勝てる自信はない。だって俺は猫だし。ニャーニャー。結局鮭ではなく熊を食って、それからというもの熊の味が癖になって何度も北海道に行っていると言うから驚きだ。まじぱねー。もうだめだよ。俺に任されても無理だよ。はあ、取り合えず腹減ったから出かけよう。餌の時間だよ。


      ○


ニャたしの情報だとさらに先がある。やつは人間だけじゃなく何とドーベルマンを相手に奮闘、結果十七匹を殺したらしい。それもただのドーベルマンじゃない、警察犬として鍛え上げられたドーベルマンだ。一体どうしたらただの野良猫にそんなことができるんだ?ていうかニャたしはどうしたらいいんだ?もう無理。そんな奴に目をつけられたら生きるとはなにかとか言ってる場合じゃない。こえーよ。とにかくお腹が空いたからニャたしは出掛ける。ニャーニャー。


       ○


だいたい熊を食うっていうのはどんな気持ちなの?どうしたら食おうという発想になるの?俺も食われちゃうの?共食いじゃん。ダメじゃん。野性味あふれすぎじゃん?既に食われた奴がいるって話だが…。

おっと、考え事しながら歩いてたから見逃すところだったぜ。へっへっへ。もとい、にゃっへっへ。人間どもの廃棄弁当だ。頂くとしますかね。


       ○


 権蔵ももう年だそうだが、そんな凄い武勇伝をもつ男がちょっと年取ったぐらいでニャたしなんかが勝てるとは思えない。これは暫くおとなしくしてようかな?

 おっと、考え事しながら歩いてたから見逃すところだった。へっへっへ。もとい、にゃっへっへ。あれは人間どもの生ゴミだな。カラスにつつかれる前に物色するか。


       ○


食ったは良いがどうも腹の調子が良くない…。と思ったら突如襲ってきた吐き気。これはあれだな、毛玉だな。うげぇ…。はあ、はあ…。うげぇ…。ふう、苦しかったと思った私の心臓をさらに苦しめたのは驚くべき激臭であった。何事かと顔を上げるとそこにいたのはやつじゃないか…。なんでこんなに臭いんだ?俺死ぬのかな…?


       ○


あ~、うんこしてーと思ってブリッとしたら我ながら激臭に驚いてひんむいた目がさらにひんむかれたのは向こうからやってくるあれは権蔵ではないか。やべー。なんかむせているようだが…?


       ○


 お互いがお互いに気がつくとお互いが同じこと思った。気付いてないふりをしよう。二匹は何食わぬ顔で平静を装ってすれ違おうとした。しかし、何故だろう?こんな時に限って何か起きてしまうのは。権蔵がくしゃみをした。思わず見てしまった。目があった。二匹は思った、目が合ってしまったよ。


       ○

「リーダー準備は整いました。」

「うむ。いよいよ先代の恨みをはらす時が来たな。そして、恨みをはらすと共に我々の恐ろしさをやつらに教え込んでやるのだ!」

地底で密かに動きを見せている集団があった。彼らの目的は先代のリーダーであったアブラゼミの仇を討つことである。何を隠そうその先代のアブラゼミと言うのはかつて猫により捕食され、捕食した猫に生きることを悟らせたあのアブラゼミであった。そう、死の間際仲間に向けて発信した信号はしっかりと受信されていたのである。そして次の世代の蝉達がいよいよ成長し、次の夏には成虫となり、繁殖のために地上に姿を表わすのである。しかし、次代の蝉達は考えた。普通に成虫になったところで出来ることと言えば小便をひっかけるくらいである。それははっきり言って別に怖くない。むしろ情けなさで泣きたくなる。ミンミン。どうしよう?蝉達は悩んだ。

どうしてやらなくちゃいけないことや考えなくてはならないことがあると別のことが気になってしまうのだろう?悩みだすと蝉達は寝てしまった。だってそれが本業だしというのが言い訳であった。本業に精を出すうちに次の夏には成虫になってしまうという事態になってしまった。そんなある日誰かが言った。

「奇襲とかでよくね?」

そして、その誰かが今や新たなリーダーとなり何となく敵討ちの体面を保っていた。そして、間もなく奇襲作戦が開始される。リーダーは少し不安であった。皆も少し不安であった。正直言って眠かった。


       ○


 地上ではにらみ合いが続いていた。どちらのメッキが先に剥がれるかという情けないさぐり合いでもあった。どのくらいの時間が経ったであろうか?二匹を囲むように野良猫たちがいつの間にか集まり始めていた。お互いに消耗しきっていて後は気力だけでにらみ続けているような状態である。それを見計らったかのように地中から這い出てくる無数の黒い固まりがあった。夕焼けに照らされオレンジ色に光る体が猫達の足下に広がった。それは蝉の幼虫であった。こんな時期に地中から出てきて、しかもその目的はどうやら脱皮や繁殖行動ではないらしいことはその異様な様子から伺うことが出来た。

ニャー!!!!

突然一匹の猫が叫んだかと思うと飛び上がりもんどりをうちはじめた。なんだ?と思う間もなく二匹目、三匹目と次々にもんどりをうちだす猫達。それは蝉の幼虫に肉球を思い切り噛まれたためであった。しかも一匹だけではない、無数にいる幼虫から手当たり次第に攻撃をくらうのである。これはさすがの猫もたまらない。大勢の猫が倒れ、残りはにらみ合いを続ける二匹だけとなった。二匹の足下にも当然幼虫達は群がっていたし、他の猫達と同様に攻撃も受けていた。にも関わらずなぜ二匹は立ったままにらみ合いを続けていられるのであろうか?

くそう、蝉のガキどもめ、すんげい痛いじゃないか。しかし、ここで倒れたりしたら今度は蝉みたいな生やさしいものではない、人間を5人も殺しているあいつが襲ってくるに違いない…。それはまじでやばい。ここは意地でも維持しなければ。はは、こんな状況でもダジャレが出てくるなんてニャたしもたいしたものだな、いけるニャ!

くそう、なんだこいつらは、めっちゃ痛いじゃないか。しかし、ここで倒れたりしたら今度は蝉みたいな生やさしいものではない、熊殺しが襲ってくるに違いない…。それはまじできつい。ここは何としてでもにらみ合いを続けて、相手が飽きるのを待つしかない。しかし、あいつのあの不適な笑みは何だ?とりあえず俺も笑っておこう。

恐怖が痛みを凌駕している。二匹にとって蝉の幼虫など目の前の恐怖に比べれば全くたいしたものではなかった。目の前の恐怖というかただの妄想にすぎないのだが、二匹にとっては現実なのである。哀しいね。

ニャー!!!!

倒れていた猫達が一斉に悲鳴をあげはじめた。幼虫達の第二の攻撃が開始されたのだ。倒れて動けなくなった猫達を何ということでしょう、あろうことか食い始めたのである。しかし、動けないと言ってもそこは猫である、持ち前の身体能力を使って寝た状態であるにも関わらず応戦を始めた。逆に幼虫を食いだしたのだ。まさに食うか食われるかの地獄絵図であった。ここにきてにらみ合いを続けていた二匹も漸くやばいと思い始めていた。

ニャんだよあのガキども、猫を食い始めたぞ。これはいかんよ。猫達も応戦しているけど、さすがにこの数相手じゃ死ぬやつも出てくるし、死なないにしても大怪我だ。ニャたしもこんなことをしている場合じゃない、さっさとずらかろう。

うわ、蝉が猫を食ってやがる。逆だろ普通。ていうかやばいじゃん、多勢に無勢じゃん。逃げなきゃ。と言ってさっさと逃げるわけにも行かないのは仮にも俺はこいつらの親分。一人で逃げるわけには行かない。でも、じゃあどうするんだよ俺?

そのとき権蔵があることに気がついた。なぜか奴の周りだけ幼虫の数が少なくないか?なぜだ?あ!幼虫がうんこを避けてやがる!蝉に嗅覚があるとは知らなかったぜ。よし、とにかくもう猶予はねえ、これでいくしかねえ。

「おい、てめーら!寝てねえで良く聞け!死にたくなけりゃあ腹に力入れろ!全力出してひねり出せ!!」

 なんのことか分からない猫達であったが死にたくないのでとにかく腹筋に力を込めた。権蔵も力を込めた。

ニャニャニャニャニャニャニャ!!!!!

凄かった。もの凄かった。もの凄く臭かった。近所の犬が全滅した。飛ぶ鳥が落ちた。お爺ちゃんのボケが治った。不良が更生した。生理が来た。産声が臭いだった。

権蔵の奇策により蝉はほぼ全滅したが猫達の被害も大きかった。一体何を食べたらこんなものが出るのだろうか?権蔵は仲間達の窮地を辛くも救うことに成功し、己の窮地も脱したが今後のことを考えると少しうんざりしてしまう。今までは他の猫達に押し付けられる形で親分と言うことになっていたが、これを機に本当の親分になってしまうだろう。そうしたらまた奴と戦わなくてはならなくなる。それは嫌だなあと思ってうんざりするのだ。今から追えば奴を見つけ出して何とかできるかもしれな。しかし、動けるものが少なすぎるし、俺自身消耗が激しい。どうしたものか?

 はあはあ、全くひどい目に遭った。何とか逃げてきたけど、ぼろぼろの身体で無理して走ったからもうダメです。ニャーニャー。

生きるとはこういうことなんだ。はあはあ。


       ○


 「うぐぐぐぐ…、何ということだ、我々アブラゼミがほぼ全滅とは…。先代のリーダーの無念を晴らすどころか返り討とは情けないじゃないか!ミンミン!」

「リーダー、見回り完了しました。」

「おお、御苦労。それで、他に生存者はいたのか?」

「それが…、残念ですが生存者はここにいる我々だけのようです…。」

「そうか…。」

猫達の起死回生の奇策によりアブラゼミ達は致命的な打撃を受け、残りはわずか五匹となっていた。

蝉たちは先代のリーダーが猫に食われ、非業の死を遂げたその仇を討つために今日まで日々訓練をしてきた。肉食にもなった。それが猫の糞に破られるとは思ってもいなかった。無念である。まじむねん。

「リーダー、我々はこの先どうすれば…?」

「うん…、とにかく眠ろう。残された我々の使命は種の保存だ。絶滅だけは避けねばならない。繁殖をして戦力を蓄えるんだ。今はそれしかない…。」

「うう…、無念です。私は、私は…。」

ミーンミンミンミン、ミーンミンミンミン

季節外れの蝉の声。それは夏ほどの活気はなく、むしろ哀愁を漂わせている。おのれ見ていろ猫どもよ、糞に負けたこの恨み、いつかはらさでおくべきか。こうして蝉達の作戦は終わった。残されたわずかな蝉達は地中へと帰っていった。一人リーダーを除いて。

「お前達、後は頼んだぞ。」

そうつぶやくと、リーダーはばれないように姿を消した。

「先代を食ったのは間違いなく奴だ。せめて奴だけでも俺の手で倒す!」


       ○


 「ニャァニャァ、ここまで来れば安心ニャン。それにしても蝉が襲ってくるとはビビった。おかげで助かったけど。」

何とか逃げ出すことができたもののかなり消耗しているのは確かであった。こんな所をまた襲われでもしたら万事休す。ここは暫く身を隠しておくのが良いだろうと考えた猫はちびりそうになった。ここまで来れば安心と思っていたここは近所でも有名な野良猫の集会場となっている公園ではないか。なんてこった。ちょっと気付かないふりをして出て行ってみようかな?そんなアホなことしか思いつかなくなっていた。しかし、園内の猫が見逃すはずもなく、案の定囲まれてしまった。囲まれてしまったけど気付かないふりでやり過ごすしかなかった。当然無理ですよね。しかし、幸いなことに数が少ないのは他の連中はさっきの喧嘩に参加していたのだろう。つまりここに残っているのは大したことのない、云わば雑魚である。それを確信させるのは見覚えのある顔がちらほらある。その顔と言うのはかつて自分に喧嘩を売ってきて即退散していったやつらだ。これならハッタリで何とか切り抜けられるかもしれない。そんなことを考えてニヤッと笑って見せてみた。殴られた。痛かった。まじむかついた。こんな雑魚に殴られる屈辱と情けなさが怒りになって消耗しきった身体で殴ってきた猫をボコボコにしていた。

「けっ、雑魚が、ざけんじゃねえ!」

ふと冷静になった時、もうこれ以上は戦えないことを悟った。立っているのがやっとであった。しかし、雑魚ども相手に今のデモンストレーションは効果絶大であった。ただ、うなり声を上げるだけで誰も襲ってこようとはしなかったのだ。勝機はここしかないことを悟って思い切り叫んだ。

「かかってこいや!腰ぬけ共!こねえならこっちから行くぞ!てめえら全員ぶっ殺す!」

叫ぶなり動くそぶりを見せると全員逃げ出した。公園の外へ凄い勢いで走り去って行ってしまった。はは、情けない野郎どもだ、これで一安心だな。そう思うと力が抜けていくのが分かった。ふらふらと歩くと街灯の下で倒れてしまいそのまま動けなくなった。このまま少し眠ってしまおうか?それは危険すぎるだろう。でも、眠いにゃあ。何かが近づいてくることに気づかないほど消耗していた。それに気づいた時にはすでに逃げられる距離に無かった。それが見下ろしているのが分かった。何をするでもなくただ見下ろしている。殺すなら殺せ。そんな思いが込み上げてきた。もう疲れたよ。

「弱肉強食だよ。」

そんな声が聞こえた気がした。そういうことかと思ってミャ…と答えるのが精いっぱいだった。


       ○


 「権蔵親分、大変です!やつが集会場に現れました!」

疲弊しきっていた権蔵のところに公園から逃げてきた猫達が押し寄せていた。権蔵は思った、何故こいつらは奴を倒さなかったんだろう?かなり消耗しているはずなのに、こいつらまさか逃げてきたのか?情けなくなって溜息をついたがとにかく奴を放っておくわけにはいかな。

「よし、動けるやつらとテメーらは俺に続け!ここでカタをつけるぞ!」

権蔵の声に反応して何匹かの猫達が立ち上がった。逃げてきた猫達は戻るのが嫌そうであったが、権蔵に一睨みされるとしぶしぶ従った。

「奴はもう消耗しきっているはずだ!糞だってもう出やしねえ!猫なりの秩序ってもんを教えてやろうぜ!」

権蔵は走り出した。皆それに従った。


       ○


 ミンミン。さて、意気込んだは良いがどうやってやつを倒すか?リーダーには何の考えもなかった。まいった。この小さな身体で、しかも成虫にもなっていないのにどうやって猫を相手にすればいいのか、勢いだけでは越えられない壁がある。そしてこの寒さである。普通なら地中でぬくぬくと眠っているのに、慣れない寒さで思考力も低下してきた。これではやつを見つける前にこっちがへばってしまう。何か、何か良い考えは無いものか…?そんな、思い悩むリーダーの眼前を物々しい集団が駆けて行った。それはさっきまで死闘を繰り広げていた猫の集団であった。リーダーはむかついた。あれだけ奮闘したのにやつらはもうあんなに元気に駆け回っているじゃないか。こっちは絶滅の危機だと言うのに。我々にもあんなに頑丈な身体があればいいのに。リーダーは切に思った。そして閃いた。そうだ、奪ってしまおう。都合良くリーダーを見下ろす猫があった。その顔を見上げながらリーダーは悲しくなっていた。その顔が余りにもアホ面だったから。こんなアホ面に敗北したと思うと怒りと情けなさと悔しさと、色々な感情が混ざり合って思わず号泣した。ミーンミンミンミン。そんなリーダーの気持ちなどまるで知らんと言うように猫はリーダーを食べた。リーダーの最後の戦いが始まった。


       ○


「権蔵親分、あそこですぜ!」

「おう、俺にも見えているぜ、ぶっ殺す!」

「ちょっと待ってください、親分、人間が居ます。」

「む…、本当だ。何をしていやがるんだ?しかもあの人間の足元に転がってるのは奴じゃないか?」

「どうします?やっちまいますか?」

「いや、まて。ここは様子を見ながら少しづつ囲んでいくんだ。ばれるなよ。」


       ○


 ニャたしはここまでだろうか?弱い者は死ぬ。ニャたしは弱かったのだ。結局一人では何もできないのだ。最期を人間なんかに見られるなんて猫失格だ。ちくしょう!まだやりたい事が沢山あったのに!可愛い雌猫とニャンニャンして、いっぱいニャンニャンして、それからマタタビたらふく食って、年とったら飼い猫になって炬燵で丸くなろうと思ってたのに!こんな寒い夜に倒れて亡骸は凍ってしまって、春ごろに解凍されてカラスにでもつつかれるのだろうか?最悪じゃん。ニャたしは保存食になってしまうのか?嫌だニャ…。この人間にでも助けてもらおうかな?っておい、どこ見てんだ?

ニャたしとしたことが、囲まれていることに全く気付かないなんて、さっきのやつらが戻ってきたのか?いや、それだけじゃないな、権蔵達もいる。くそ、権蔵だってボロボロのはずなのに…。

 よろよろと起き上がると懸命に闇の中の猫達を睨んだ。闇の中からは猫達の威嚇するようなうめき声が聞こえてきている。もう駄目だと思ったとき身体が宙に浮いた。何事が起きたのか分からなかった。あるいはもう死んでしまったのかとも思った。分からないまま意識が遠ざかって行く。本当に死ぬのかな?分からない、分からない…。

その時何か破裂音がした。ニャたしの身体は何処かへ飛んでいくようだった。蝉の声が聞こえたような気がした。


       ○


 ニャ…ニャニャニャ…!!!

 リーダーを食った猫が暴れている。というよりはのたうち回っている。

「ミンミン。ここはどの辺りだろうか?脳まで行ければ良いのだが道が分からないぞ。口から入ったからこのままいくと胃袋に行って消化されちゃうのかな?」

猫が苦しんでいる原因は猫の中で迷子になっていた。起死回生の最後の策にでたリーダーは猫の身体を乗っ取ろうと考えたのである。蝉の考えることは恐ろしいですね。

 ニャオーンミャオーン!

 蝉はウロウロした。猫は苦しんだ。蝉はウロウロした。猫はもっと苦しんだ。蝉は屁をこいた。猫も屁をこいた。どうやら脳にたどり着いたようである。

 「ミンミン。ここが脳か。身体の割に小さいな。」

蝉は脳に取り付くと口を突き刺した。

 ニャー!!ニャーニャー!ニャア!ニャニャニャニャ…ミャミャ…ミャア…ミャーミャー。ミャー…ミーミー。ミーンミーンミンミンミンミンミン。

「ミンミン。成功したぞ!この技を後世に伝えられたら我々蝉の時代がやってくるな!まずはやつを倒すことだが!」

リーダーはすぐさま権蔵達の後を追った。そこにいるはずの先代の仇を求めて。

 公園に着くとそこには何やらどなり散らしている権蔵とおろおろしている猫達がいた。そこには奴はいなかった。

「あれ?奴はどこだ?」

リーダーの不用意な一言で権蔵がさらに怒り出した。

「貴様!今更のこのこやってきて、今まで何していやがった!」

権蔵の余りの剣幕にリーダーはビビった。ビビったがそこは猫に恨みを持つ蝉のリーダーである、ビビったのもつかの間、次の瞬間にはキレていた。

「うるせえ!おいぼれ!テメーに蝉の気持ちなんか分かんねえよ!」

権蔵はキレた。全力でキレた。消耗した身体で信じられないほどキレた。

 公園に残されたリーダーの新しい身体は早くも使いものにならなくなっていた。権蔵達はやつを探しに行ってしまって誰も残っていない。

「ミンミン。このまま終わってたまるか…。」

リーダーの戦いは終わらない。


       ○


 目が覚めると部屋中真っ白だった。どうやら天国に来れたらしい。死ぬ前は死ぬのが嫌だったけど、いざ天国に来れたとなると結果オーライだなと思ってしまうのは猫だからだろうか?そんな短絡思考な頭を撫でてくるものがあった。神様だろうか?それは白衣を着て優しそうな顔をしていた。やはり神様だ。神様はニャたしの手を握ってくれた。そして、優しく撫でてくれた。注射まで打ってくれた。こいつは神様じゃないと確信した。いてーよ。ここは地獄だろうか?また眠くなってくる。まどろみの中で誰かがニャたしを覗き込んでいるのが分かったが眠気に逆らえる猫なんていない。いや、逆らう猫なんていないというのが正しいな。

「先生、様子はどうですか?」

「はい。怪我はたいしたことはないですね。しかし、体力の消耗が激しいです。暫くは安静にしておかなくてはいけません。」

「そうですか。入院ということになるのでしょうか?」

「今日のところは入院していただいた方が

良いでしょう。明日また来てください、経過を見て判断していきましょう。」

「分かりました。よろしくお願いします。」

私は自分が何故野良猫のためにここまでするのか分からない。でも、街灯に照らされて倒れこんでいる猫を見ているとどうしても見捨てることなんてできなかった。同じ猫の仲間に囲まれたあの猫を放っておくことなんてできなかった。どこか今の自分と重なるところがあったのかもしれない。しかし、それが猫だなんて皮肉だろうか?不意に涙がこぼれ落ちた。私は泣いていた。それは猫や自分の境遇を思って泣いたのではない。それは会計を済ませてから突発的に溢れてきたのだ。突発的に。何かを守ると言うのは金がかかるのだな。私を囲むものは何なのだろう?誰なのだろう?涙をごまかすために私は考えるんだ、考えるんだ、私は。これからの、その、あれを…。私は誰の心配をするべきなんだろう?


       ○


 公園に残された、かつては猫で今はアブラゼミのリーダーにその体を乗っ取られて、野良猫の親分の権蔵にボッコボコにされて動かなくなったそれにカラスが群がり始めていた。やばい状況である。しかし、リーダーは冷静であった。むしろわざと死んだふりをしてカラスが集まるのを待っているかのようでもある。何を考えているのか?数十羽のカラスが集まったころでリーダーは動いた。カラスも動いた。カラスがリーダーを啄ばもうとしたその時、リーダーの背中がぱっくり割れてニューリーダーが誕生したのである。カラスは逆にニューリーダに食われてしまった。そのカラスだけではない、園内に集まっていたカラスは全て食われた。肉食になるように訓練されたリーダーが肉食である猫の体を奪いそして蝉として成虫を迎えたこのニューリーダーはそれはもう肉食であった。カラスなんかまじ餌ですよね。とは後にこのニューリーダーが言ったとされる台詞である。

「ミンミンミン。この体は…、素晴らしい!」

それは蝉と言うには余りに大きく猫と言うには余りに蝉であった。意味が分からない。要するにでかい蝉が誕生したのである。違うところと言えば口である。通常の蝉のようにストローのような口ではなく猫の口のような鋭い牙を備えた口になっていた。口だけ見ればまさに肉食獣であろう。こんな体を持ってしまったからであろうか、ニューリーダーはその力を無暗にふるってみたくてしょうがなくなっていた。そんな衝動に逆らう理由も無いなと思ったリーダーは取り合えず思い切り鳴いてみた。園内の動物は全部死んだ。ニューリーダーは己の力にビビった。そして思った、もっとカラスを食べればもっと強くなれるはずだ。そうすれば猫などに遅れをとることなど…、いや、もうそんな小さな次元で収まる私ではないはずだ。そうだ、私はもっと大きな世界でリーダーになれるはずだ!敵討ちなどもうやめだ!私はこの世を支配し、蝉の王国を作る!

ニューリーダーの新たな野望の始まりであった。


       ○


 翌日私は猫を迎えに病院まで行った。昨日までの衰弱ぶりが嘘のように元気になったように見えた。医者の腕が良いのだろうか?当の医者本人もその回復ぶりには驚かされているようであった。

「凄い回復力ですよ。きっとこの子の生命力はずば抜けているのでしょう。いや、驚きました。」

 ずば抜けた生命力を持った野良猫がずば抜けて社会性がないニートに助けられるなんて屈辱だろうなと思った。猫はそんなことは知らんぷりであくびをしている。あんな状態だったのに気楽なものである。

 病院からの帰り道、私は考えていた。成り行きで助けてしまったが、この猫をどうしたものか?恥ずかしながら私はニートである。猫を飼うどころか己の生活すら儘ならない。とはいえこのまま放したらきっとまた他の猫達に狙われてしまうだろう。それでは折角助けたのに殺してしまうようなものだ。考えがまとまらないまま家に着いた。猫は寝ている。私は通帳を開いて残高を確認した。溜息をついた。猫はまたあくびをした。むかついたので屁をこいた。猫は小さく鳴いた。


       ○


 カラスが姿を消したというニュースを聞いてそういえば最近カラスを見ていないということに気がついた。それよりも世間をにぎわしているニュースがある。それが蝉の異常発生で、しかもそれが真冬の出来事というから世間は好奇心とある種の恐怖心で興味を惹かれたのだ。このくそ寒いのに蝉の勢いは真夏のごとくである。専門家も首を捻って意味が分からないといった様子であった。原因不明ということも世間の目を惹く一つの要因であることは間違いない。しかし、面白がってばかりもいられないのは冬の澄んだ空気の中で夜通し鳴かれたのでははっきり言ってうるさくて敵わない。それが原因でノイローゼになる人も出てきたそうだ。それでも人間の方がまだましだと思えるのは、人間以上に睡眠が必要な猫がいるからである。ずば抜けた生命力と言われたはずなのに今やその影も見えず、なんともつらそうで見ているこっちも参ってくる。そんな事情などお構いなしに蝉達は鳴き続けている。その数は日に日に増しているようであった。思えば猫を助けたあの日から何かおかしなことが続いているように思う。カラスだけでなく猫も減っている気がするのは私だけだろうか?かつては蝉を食べてしまった猫を恨んだこともあったが、今となってはあの大量の蝉を食べて欲しいのだが、この鳴き声にまいって何処かへ逃げてしまったのかもしれない。しかし、このまま蝉が鳴き続ければ猫だけでなく人間だって逃げ出しかねない。世の中がおかしくなる前に手を打たないと。ていうのはニートが考えたってどうしようもない話である。情けないけど、とにかく今はうちの猫を何とかしてやろう。自分の届く範囲でしか人は動けないものさ。


       ○


 蝉の世界を夢見るニューリーダーの計画は着々と進んでいた。作戦の第一段階は既に成功と言ってよかった。蝉の鳴き声によって世の中の機能はほぼマヒしている状態である。しかし、この真冬の蝉の異常発生とはどういうことであろうか?それはひとえにニューリーダーの頑張りであった。カラスを食す傍らニューリーダーは仲間を増やすことを怠らなかった。猫の体を手に入れたニューリーダーは雌猫を見れば片っ端から犯した。犯された雌猫は三日もしないうちに蝉を生んだ。それも最低でも三十匹は生んだ。生まれた蝉は生んだ猫を食った。こうして生まれた蝉は冬の寒さにもめげない元気な子に育ったのである。結果、世の中からカラスと雌猫が激減して蝉が爆発的に増えたのである。そしてニューリーダーの計画は第二段階へ移行しようとしていた。

「ミンミンミン。そろそろ計画を次のステージに移すか。我ながら第一段階はうまく行った。この調子で全種族蝉化計画を進めるのだ。」

全種族蝉化計画。ニューリーダーの計画はこうである。まず蝉の鳴き声によってあらゆる生命の活動を鈍らせる。そして弱ったところを蝉達に襲わせてその体を乗っ取る。その後蝉として新たに脱皮させその種族プラス蝉という新しい種を生む。後はそれに繁殖活動を行わせる。これによりあらゆる種が蝉の要素を持つのである。そして、ニューリーダーの下全ての種は蝉として生きていくのである。今や計画は第二段階に入ろうとしていた。


       ○


 ニャたしを助けてくれた人間がまたもニャたしを苦しみから救ってくれた。あの蝉のアホどもの鳴き声に苦しめられていたが、防音の小屋を作ってくれのだ。ええ人や。これで安眠できる。ニャーニャー。おまけに飯まで食わせてくれるし、もしかしてこれが飼い猫というものなのか?まじかよ。こんなことならもっと早く飼い猫になっとけばよかった。今頃権蔵達はあの蝉の鳴き声に苦しんでいるに違いない。ざまあ見やがれ、この現代を生きて行くには野生より知恵が必要なんじゃ、にゃはは。ニャたしも大人になったなあ。にゃはは。


       ○


 動物園の動物がミンミンと鳴き出したそうだ。ニワトリは朝ミーンミンミンと鳴くし、犬もミンミンと鳴く。最近では人間でもミンミンと鳴く人が増えてきているそうだ。世間は大騒ぎだ。蝉の駆除は追いつかないどころかどんどん増えている。そんなある日一通の手紙が届いた。それには昨今の蝉の被害云々とかそれにより今後予想される損害云々とか色々と書かれていたが、要するに駆除をするから手を貸してくれというものであった。この手紙はどうやらニートを対象にばら撒かれているらしいというのはインターネット掲示板で騒がれていることだった。真っ当な人達は今やノイローゼ状態で外に出れば蝉に襲われてしまう恐れがあるため学校や会社はほぼ閉鎖状態という異例な事態になっている。そんな中一日中家にいて体力が有り余っているであろうニートが駆り出されることとなったのだ。この手紙は云わば赤紙であった。蝉を駆除できればそれに越したことはないし、何の生産性もないニートが死んだところで痛くも痒くもないという裏も見え隠れした。ネット上では手紙を受け取ったニート達が騒いでいる。断固拒否という流れができていたがいつのまにか否定的な書き込みは削除され、書き込みをしたニートは姿を現さなくなった。当然皆思うことは同じであったが誰もそこに触れようとはしなかった。そしてニート達は蝉退治に駆り出されるのである。


       ○


 権蔵は死を覚悟していた。仲間達は既に散り散りになっていて生死も定かではなかった。どうしてこんなことになってしまったのか?思えばあの日蝉の幼虫達に襲われた時から何かがおかしかったのだ。今更考えてももうどうしようもない、後の祭りだ。今できることはこうして身を潜めることだけなのか?それもいずれ見つかってしまうだろう。蝉達は数が多いだけではない、その統率力は猫以上であった。猫以上と言うと逆に低そうに感じてしまうが、そうではなく、じゃあ何以上にしようかな?とにかく凄かった。軍隊みたいだった。権蔵は思った、統率力が凄いということは逆に蝉の親玉を叩けば残りは簡単に叩けるかもしれない。何とか親玉を探し出せないだろうか?そう言えば奴はどうしたろうか?あそこまで追い詰めて蝉と人間のせいで倒せず終い。その後も行方を捜したが見つからなかった。奴も蝉にやられたのだろうか?奴の力があれば何とかなるかもしれないのだが。権蔵は考えているうちに眠くなってきた。呑気である。これが猫の哀しい性であろうか?


       ○


 ニャんということでしょう。事情はよく分からないが主人が蝉退治に出かけるらしい。それは別に良いのだが、ニャたしの面倒は誰が見るのだろうか?ニャーニャー。困ったことになってしまった。そういえば、ニャたしの面倒を見るようになってからどうやら主人は労働を再開したらしい。バイトと言うらしいが、とにかくご苦労なことである。おかげでニャたしは蝉の鳴き声も気にせず惰眠を貪ってこれた。そんな主人にちょっと恩返しでもしてみるか。よし、ニャたしも戦う!蝉ぐらい食ってやる。そういえば昔人間と蝉を争ったことがあったけど、これから人間と蝉を退治に行くなんて、何とも不思議なことだ。生きるって不思議な巡り合わせの連続だな。


       ○


 蝉は超絶に強かった。ニートに体力が有り余っている何て言う認識は大きな間違いである。ニートは蝉のいい鴨であった。一日で壊滅したニート軍団は国からもあっさり見捨てられて今や私となぜか付いて来た猫だけとなっていた。昔は蝉を助けようとして猫と争ったが、今は蝉に食われそうになって猫と戦っている。なんじゃこりゃ?生きるって大変ですね。生きるって不思議ですね。争うって悲しいですね。

 なぜニート達が食われていく中私だけが生き残ったのかというと、実は私はニートではなくフリーターだったからだ。というのは嘘で、本当は猫が助けてくれたからだった。襲い来る蝉を次々に食っていった。今も足元でむしゃむしゃやっている。それにしても気になるのはこいつってこんなに大食いだったっけ?それに体が一回り大きくなっている気がする。ほら、どんどん大きくなってる。食べる度に大きくなって、うわ、ちょっとまて、落ち着け、うわわ。猫の食欲は止まらない。巨大化も止まらない。


       ○


 何ということだ、俺の体がでかくなっていく!この蝉は普通じゃないぞ、このまま食い続ければ一気に親玉を叩けるかもしれない。ニャーニャー。

 大きな鼾をかいて寝ていたところを見つかってしまった権蔵は睡眠を妨げられ、怒り狂って蝉を食いまくった。するとどうでしょう、何ということでしょう、これが恐ろしく美味かった。びっくりした権蔵は余りの美味さに失禁した。泣いた。脱糞した。体がでかくなった。食った。食いまくった。権蔵は夢中で食った。そして我に帰った時に体がでかくなっていることに気がついたのだ。権蔵は駆けだした、新たな蝉を求めて。


       ○


 ニャたしの背中に主人を乗せて歩いていると町の変貌ぶりが良く分かった。主人が、あそこはああだったとかこうだったとか一々説明してくるからだ。ていうか何でニャたしの背中に主人が乗ってるんだ?いつの間にそんなに小さくなっちゃったの?蝉に食われたの?いや、違う。どうやらニャたしがでかくなったようだ。だって目に映るあらゆるものが小さくなってるんだからね。しかし、どうやら外を出歩いているのはニャたしと主人だけのようだ。他は家にいるか蝉に食われたかしたのだろう。ニート達も綺麗に食われて跡形もなくなった。今の時点で蝉以外の生存者がいるのかいないのか、それも分からない。


       ○


 この国はもう駄目かもしれない。我々ニート軍団を助けに来なかったのはどうやら偉い人たちは国外逃亡したらしい。こうなったらやることは一つで、この蝉どもをこの国でくい止めると言うことである。蝉のリーダーを倒せば何とかなるかもしれない。猫もどんどんでかくなってどんどん強くなっているし。もう普通の蝉なら全く相手にならない。なんて頼もしいんだろう。こんな猫があと一匹いたら形勢逆転できるのにと思っていたら前から巨大な猫が歩いてくるのが見えた。


       ○


 蝉の幼虫に襲われてからおかしなことが続く。カラスがいなくなり、そして雌猫がいなくなった。なぜ雌猫だけがいなくなったのだろうか?カラスは雄雌関係なく消えたのに。何故だ?そう言えばあの日妙な猫がいたな。逆切れしてきたからさらに逆切れしてぼっこぼこにしてやったっけ。もしかして、あいつが蝉に襲われた第一号だったとしたら、それなら雌猫を襲うこともあるかもしれない。そうか、だとしたらここらの猫が集まるところに親玉がいるかもしれない。だとしたら、やつはあの公園にいるはずだ!

考えごとをしていて気がつかなかったが、正面から歩いてくるでかい猫があった。あれは奴じゃないか?生きていたのか、さすがだ。ここは奴と共闘して蝉どもをぶっ殺すしかないだろう。やつらの親玉の居場所なら検討が付いている。背中に乗っているのは人間だろうか?


       ○


「ニャーニャー。」

「ニャーニャーニャー。」

「ニャン。」

「ニャーニャーニャン。」

 猫の会話を聞きながら今後のことを考えてみた。何も浮かばなかった。変わりに他のことが頭の中をぐるぐるしていた。何故私や猫だけが戦っているのだ?他の奴らはどうしたのだろう?まさか国民全員が国外逃亡なんてことはないだろう?いい加減出てきて戦えばいいのに。ああ、そうか私もこんな風に思われていたのか。戦わないものは戦わないと言うだけで恨まれるのだな。それは嫉みひがみに似た感情かもしれない。何で俺ばっかというのは誰でも持ってしまう感情なのだろう。猫は何を話しているのだろう?

「ニャたしと手を組もうと言うのか?」

「そうだ、二人でやれば蝉の親玉なんて直ぐに倒せるはずだ。」

「なるほど、親玉を叩けば統率はとれなくなると言うことか。しかし、どこにいるかも分からない敵の大将をどうやって探すんだ?」

「それなら既に見当が付いている。やつならおそらくあの公園にいる。」

「なに?何故そんなことが分かるんだ?」

「それは敵の大将は始めに猫に寄生した奴だからだ。」

「にゃ、ニャんだって!それは本当か?」

「ああ、おそらく間違いないだろう。」

「畜生!ぶっ殺す!直ぐに向かおう!」

 どのような会話が交わされていたのか分からなかったが何か合意したらしく二匹は走り出した。どこに向かっているのだろうか?


       ○


「ミーンミンミンミン。よくここが分かったな。さすが猫の感と言うやつかな?ミンミン。」

「仇をとらせてもらうぞ蝉やろう。」

「仇?ミンミンミン。それはこちらのセリフ。先代を食ったのは貴様だろう?今となってはどうでもいいことだが、ちょうどいい、ここで貴様を殺して当初の目的をはらすとしよう。」

「ニャたしが仇だと?わけのわからぬことを!」

信じられないほど巨大な蝉がそこにはいた。大きさで言えばゾウぐらいあった。なるほど、これが敵の親玉か。こんな奴をどうやって倒すつもりだろう?私は支給された蝉駆除用のスプレーを握った。

猫達は蝉を両側から挟むようにして一斉に飛びかかった。そのとき蝉の大将は羽をばたつかせて突風を巻き起こした。猫達は吹き飛ばされ地面に叩きつけられた。ダメージを負ったはずの権蔵であったがすかさず立ち上がると今度は正面から飛びついた。

 ニャーー!

 権蔵の悲鳴が響いた。ひっかくために降り下ろした手を逆に大将に噛みつかれてしまったのだ。必死に振りほどこうとしているが全然離せない。権蔵の顔は苦痛に歪んでいた。何とかしなければと思うが私にはどうしていいか分からない。しかし、次に悲鳴を上げたのは大将の方であった。

 ミーーン!

「ニャたしを忘れてもらっては困る!」

 権蔵に気を取られていた大将の懐にいつの間にか潜り込んで腹をえぐった。権蔵は何とか逃れたが、今度はうちの飼い猫が苦痛のため倒れてきた大将の下敷きなってしまった。権蔵の片腕はもう使い物にならなくなっていた。私は決心した、猫を助けなくてはいけないと。大将は羽を無暗にばたつかせている。そのせいで突風が巻き起こり周りの民家は倒壊しだした。私は負傷した権蔵に助けられその懐で難を凌いでいた。私は権蔵に言った、次にこの風が収まったら私をあの蝉野郎の口元まで連れて行ってくれと。伝わったかは分からないが権蔵は頷いたような気がした。更地と化していくかつての町を見ながら、心配だったのは我が家の猫のことだけだった。いい加減落ちつけよ大将。そして、そのときはきた。暴れ過ぎと腹をえぐられたダメージで弱り始めた大将の動きが止まったのだ。私は権蔵に行こうと言った。権蔵は負傷した手をかばいながらも大将の口元まで行ってくれた。私は支給された蝉駆除用のスプレーを構えた。大将の口が開いた。食われるのだと思った。それでもいいと思った。私は開いた口にスプレーをおみまいしてやった。これが意外に効いた。大将は思い切り悲鳴を上げてさっき以上に暴れ出した。私の鼓膜は破れ、暴れる大将によって吹っ飛ばされてあちこちの骨が折れたようだった。大将の下敷きになっていた猫はぐったりしていた。権蔵も何処かへ飛ばされたようだった。万事休す。こちらには動けるものがいなくなってしまった。せめてこのスプレーをもう一度おみまいできれば仕留めることができるかもしれないのに。そう思っている私の手からスプレーを奪って飛んでいく黒い影があった。それは一瞬であった。私は何が起きたのか分からなかった。飛んでいく影を目で追うと、それはカラスであった。全滅したと思われたカラスがまだ生きていたのである。カラスはスプレーを銜えたまま大将の口中へ飛び込んで行った。カラスの恨みであった。暫く暴れ続けた大将であったがやがて動きが鈍り始めた。

「ミンミン…。おのれ、許せん。こんな所で我が野望が潰えるとは。こうなったら貴様ら全員道連れにしてやる…!」

 猫がよろよろと立ち上がり動けない私のそばにやってくると、懸命に自分の背中に乗せた。どうやら私を連れて逃げようとしているらしかった。私は泣いた。私は良いからお前だけでも逃げろと言った。喋るのも辛かったが、そう言い続けた。瀕死の権蔵もやってきた。涙が止まらなかった。その時最悪の事態が起きたのだ。

 蝉のリーダーは自爆した。その威力はすさまじく地軸がずれた。私は猫の背中で最期を迎えた。猫も一緒に逝った。権蔵も一緒だった。ぱっとしない人生だったけど、最後は守る者ができて生きる喜びを教えてもらえたように思う。その猫に守られながら死んでいく。こういうのもありだよね?支えあうってそういうことだよね?来世であえたら今度は同じ種族がいいな。そうしたら友達になれるだろう。その日までさようなら。その日まで世界よ続け。




                 完


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