悲劇
葉月が自分の気持ちに気付くとき・・・・・
「すみません?卒業アルバムを貸して頂きたいのですが?」葉月は事務室を訪れ用件を伝えた。
事務室の少し年配の女性が対応してくれる。
「はい。何年の物でしょう?」
「80期生の分なんですが・・・」葉月は少なからず後ろめたい気持ちを隠して平静を装った。
事務員は「ちょっと待って下さいね。」そう言って隣の部屋に入っていった。そんなに待ち時間はかからずに一冊のアルバムを持って来てくれた。
「ここで見るだけなら良いですが、持ち出すのであればこの書類を書いて貰えますか?まあ、葛先生ってわかっているから良いんですけど、一応手続きなので、ごめんなさいね。」貸出書には氏名住所、電話番号と借出目的、借り出し期間と返却予定日を書かなければいけなかった。
書類を書き込み、返却日は明日にした。
葉月は借りたアルバムを胸に抱かえ、物理教官室に舞い戻った。後ろめたい事など何も無いのに、胸がドキドキ波打ち、血圧が上がっているようだ。
(・・先ずは落ち着け・・)葉月はコーヒーを入れてソファーに座った。
まるでエロ本を初めて見る中学生のように、口が乾く。
ゴクッと唾を飲み込んで真藤優奈の名前を探した。名字は真藤で無い確率が高い。優奈で探した方が良いだろう。先ずは1組からだ。居ない。 次は2組。ここにも居ない。 3組。
・・・・・匠だ・・・・いや・・違う・・・
同じクラスに優奈の写真もあった。
優奈の名字は・・・真藤・・・・・
匠に良く似た男子生徒は伊勢宮匠吾
キット彼が優奈の夫だ。
未だ幼さが残る優奈の写真。軟らかい少し茶色がかった髪質は変わっていない。
前髪を後ろでまとめて、聡明なおでこを出している。此方を見据えた瞳は何かに挑むように強い光を放っていた。
伊勢宮匠吾
少し長めの髪の毛は癖毛なのか、緩くウェーブがかかっている。
匠と同じように切れ長の瞳とスーと通った鼻梁、引き締まった口元には聡明さが表れている。
(見なければ良かった)
余りにも綺麗な匠吾の写真に打ちのめされ、始めの目的すら忘れていた。
そして二人の揃った写真は以外な所で見つけた。
―生徒会の五役―
伊勢宮匠吾は生徒会長。真藤優奈は書記だった。
五人の中には、男子が後二人、女子が一人 隣には顧問の教師
あれ?この人は?
顧問の教師は今も生徒会を纏めているこの高校の最古参、社会科の古澤晴夫先生ではないか。 確か今年で定年を迎えるはずだ。
コンコン。社会科教官室のドアを開け
「古澤先生! 今時間空いてますか?チョッと相談に乗って頂きたいのですが?」ソファーで新聞を広げている古澤に声を掛けた。
「ああ 葛先生 どうした?また生徒にやられたか?」
講師の時から知っている古澤にとって、葉月は息子の様な者だ。新任の頃、生徒にからかわれたり、授業に失敗した時には励まし見守ってくれた恩師でもある。
「上手い豆が入ったんだよ。飲むか?」葉月の返事も聞かず古澤は珈琲メーカーをセットしていた。
いい香りが狭い教官室に漂う。
「ブラックで良いよな?」と白いマグカップを手渡された。
珈琲を飲みながら、意を決して口を開いた。
「古澤先生は、真藤先生を教えたことがあるんですか?」
「おお何を聞くかと思えば、そんなことか?彼女のことが気になるかね?」
意味深な笑みを浮かべて古澤が返答してきた。
「いや。離婚のことで真藤先生にお世話になったんですよ。だから、お礼に何か喜ばれるものを・・・と思いまして・・」随分間抜けないい訳だ。
「ははは。まあ・・良いがね。」先ほどまで笑みを浮かべていた古澤の瞳には真剣な光が宿っていた。
「人の過去を聞こうと言うのなら、覚悟があるんだろうね?私も誰かれなしに話す訳ではない。君の人柄を信じて話すが心して聞いた方がいい。生半可な気持ちでは無いんだろうね?」いつになくきつい口調の古澤先生が葉月に問いかける。まるで父親のように。
「・はっはい。真面目です。」俺は何を言っているのだ。支離滅裂じゃないか。
葉月の動揺を目の前にして古澤はフウッと表情を和らげた。
「ああ、だいぶ前だ。前に私がこの高校に居た頃だよ。一年間だが彼女は生徒会の書記をしてくれた。忙しいのに良くやってくれていたよ。・・・しかし・・彼女が教師になるとは思わなかったな」
「どうしてですか?」
「いや。彼女は・・・あのころ・・・教師を信用していなかったからね。」
思い出すかのように、古澤の瞳がゆらゆらと揺れている。
「どうしてです?」
「真藤君は、母子家庭だったんだよ。今では珍しくも無いんだけれどね?
彼女は英語の成績が抜群に良かった。シェイクスピアが好きだと言っていた。けれど、その頃の英語教師は、受験英語しか教えない人でね。偏見もあり、彼女を差別的な目で見ていたんだよ。
そんな教師を信用すると思うかね?
それに・・・・・彼女は・・・高3の時大切な人を二人も亡くしたんだ・・・・・・」
ゴクリ と葉月の喉が動いた。
「それは・・誰ですか?・・・」
「たった一人の肉親である母親と、恋人の伊勢宮匠吾君だ。」
・・・えっ・・・・死んだ・・・・伊勢宮匠吾が・・・・・そんな・・・・・・
だって・・・匠君は彼の・・・・・?・・・・
「真藤君の母親が亡くなったのは、夏休みも終わりに近い日だった。暑い暑いその日に心筋梗塞でなくなってしまったんだよ。あのときの彼女の姿は今でも目に焼きついている。泣き喚くでもなく、縋りつくでもなく、ただ悲しみが彼女を殺してしまうんじゃないかと思ったよ。
けれど、彼女は大学受験のために、九月の半ばから学校に出てきた。彼女を立ち直らせたのは、伊勢宮の存在だった。伊勢宮は伊勢宮財閥の一人息子だった。金持ち特有の傲慢さなど欠片も無いイイヤツでな。秀才で人望もあり男前だった。伊勢宮と新藤は本当に人目を引く綺麗なカップルだった。
しかし・・・アイツも・・・彼女を置いて遺ってしまったんだ。Christmasの夜、事故で呆気なく遺ってしまったんだよ。」唖然とする葉月の顔を横目で見て古澤は話を続けた。
「真藤君のアパートの近くで事故は起こった。知らせを受けて私が駆け付けた時には、彼は病院で白い布を被せられていた。
伊勢宮の家族が彼の遺体に縋り付いて泣き崩れていたが、彼女の姿はその場には無かった。告別式にも来ていなかった真藤君は卒業まで学校に来ることはなかった。担任が何度か足を運んで入試だけは受けるように説得したらしい。その時の彼女は青白い顔をして今にも折れそうな程に痩せていた。」ため息混じりの話は重苦しく葉月の胸に沈んでゆく。
「俺も何度か訪ねてみたが、いくら生徒とは言え独り暮らしの女性の部屋に男が長居することは出来ない。
彼女はもう1人の女性なのだからな。
痛々しいぐらい憔悴した真藤君は差し入れした食べ物を直ぐに吐いてしまったんだよ。
結局、彼女はその年の受験をしなかった。卒業式にも顔を出すことが出来なかった程悲しみと絶望が彼女を支配していたんだ。私はその年の異動で瑞穂高校に変わったから詳しい事はわからないが、この春に真藤君に聞いた所によると翌年受験をして信州大学に進学したらしい。
息子が1人いるらしいから、キットいい出会いをしたんだろう。姓が変わっていないところをみたら婿に来てもらったのかも知れないね。でも、そんなことはどうでも良いんだ。彼女が幸せになってくれて本当に良かったよ。」まるで自分の娘のように真藤優奈の身の上を心配している。
その顔を見ていて、葉月は確信した。
・・古澤は知らない・・真藤先生の息子の父親が伊勢宮だということを・・・
優奈が立ち直ったのは匠の存在があったからだ。キット並大抵の決心ではないだろう。まだ二十歳にも成らない少女がたった独りで子供を育てるのだ。もしかしたら誰か助けてくれる人がいたのかも知れない。けれど一番の協力者であるだろう母親が居ない。優奈がどんな想いで匠を育ててきたのか・・・
・・・だから・・葉月の離婚を我が事のように心配してくれたのか・・・
加美弁護士は匠のことを母独り子独りと言っていた。
そうだとしたら、伊勢宮との死別から優奈は誰とも結婚していないのではないか?考えられるだろう。 彼女の姓は真藤のままだ。
知ってしまって、良かったのか?知ったところでどうなるのか?
僕はどうすればいい? 彼女に対しての思いはどれぐらいのものなのか?
優奈が既婚者だと思っていたから自分の気持ちに蓋をしていたのか?
美由紀との離婚にもあまりショックを受けなかったのは、優奈の存在があったからでは無いのか?
何を考えても?マークで終わってしまう。
僕はどうすれば良いのだろう・・・・・・