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夏休みに入ろうかという七月の中頃、僕の元に、一通の手紙が届いた。

名古屋の実家に出産の為に帰っている妻の美由紀からだった。


・・変だな?いつもなら電話かメールで済ますのに?・・・

一抹の不安を胸に、白い封筒を開けた。



・・えっ・・・・


ナンナンダ? これって離婚届か? なっ・・えっ・・・チョッとなに?・・・


僕は直ぐに名古屋に電話を掛けた。

「もしもし、お母さん?僕 葉月ですが、美由紀に代わっていただけませんか?」

美由紀の携帯は既に解約されていたのだ。


「ああ 葉月さん。届いたのね?美由紀はもう休んでいるから私が受けたまるわ。」

受話器の向こうから冷たい声が聞こえてくる。


葉月には何が何だかわからない。

「お母さんも知っておられるのですか? 」


「ええ。 主人も、もちろん美由紀も納得の上のことですよ。」


「子供だって産まれてくるのですよ?僕の子供です。」


「子供は一橋の姓を継がせますから、心配要りません。それとも、貴方が一橋の姓を継いでくれますの?」


「それは・・・結婚前に話し合ったことではありませんか?僕は葛の一人息子なんですから、無理です。一橋家には息子さんがいるではありませんか?」

そう、一橋美由紀と結婚するとき、婿養子に入ってくれと美由紀に頼まれた。

しかし葛の家には僕以外の子供はいなかったし、何より自分の姓を捨てる事など僕の頭には無かったのだ。


美由紀が折れて、葛に嫁に来てくれたという負い目があるからか、美由紀が頻繁に実家に帰ることを黙認してきた。子供が出来たら落ち着いてくれるだろうと楽観していたのだ。


「美由紀も もうソチラに帰らないと言っています。離婚届に印を押して送って下さいね。では。」


・・ガチャン・・


「ちょっと・・ちょっと待ってくださ」


なんだ・・・どうして?・・・俺の子供なんだぞ・・・勝手のされてたまるか・・・

次の日は、まだ授業が入っているため休むことは出来ない。

苛々している気持ちのまま生徒に接していてもろくなことがない。案の定、他愛のないことで女子生徒を泣かせてしまった。

副担の真藤先生が 女子生徒をなだめて俺を叱った。本当に情けない。


「葛先生ちょっとお話してよろしいですか?」

「はい。済みません。迷惑をかけてしまって・・・・」

すっかりしょげてしまった俺は、年上の教師の後に付いて英語教官室に入って行った。

英語教官室には机が五脚あり、窓際にオレンジのソファが置いてあった。

真藤先生がミルクをタップリ入れた珈琲を渡してくれたとき、指先が触れた。気がした。


「先生何かあったんですか? 普段の先生ならあんなこといわないでしょう? 私で良ければ話してみませんか?」

まるで幼子に話すように暖かい声が聞こえてきた。

木枯らしが吹き荒ぶ荒野に暖かい日の光が射しこんだかのように・・・




いつの間にか僕は泣いていたみたいだ。マグカップを両手に握ったまま体を震わせていた。

何も言わず、背中を撫でてくれる女性に身を委ね一頻り涙を流した後 ポツリポツリと話だした。


「妻が、実家に帰ったまま離婚届を送りつけてきたんです。何が何だか分からなくて・・・

子供も出来るのに、どうして・・・・」

「奥さまとは、恋愛ですか?」

「はい。友達の結婚式で知り合って、一年半付き合って結婚しました。美由紀の実家は 名古屋で薬局を経営しているのですが、長男は家を出て大阪ですんでいます。それで、薬剤師の資格を持つ美由紀に跡を継がせたかったみたいなんです。 結婚するときも、随分揉めました。けれど、子供が出来たため向こうの親が折れてくれたんです。 フゥ-


今思えば、始めからそのつもりだったんですね。

結婚して七ヶ月。美由紀と一緒に過ごした結婚生活は 数える程しかないんですから・・・・」

溜め息と共に 葛の苦悩が溢れだしていた。

「葛先生は奥様のことを愛していないんですか?」

窓の外を眺めながら、真藤先生が葛に問いかけた。

「えっ?」 ・・愛しているのか?・・・・

・・・・美由紀のことを愛しているのか?・・・



結婚したのが一月の末。新婚旅行も美由紀のツワリがきつくて行けなかった。体が辛いからと、三月から四月はズッと実家に帰ったままだった。その時期は、学校も忙しく美由紀に構ってやれかった葉月にとって渡りに舟であったのだ。そのつけが回って来たと言うのか?

確かに美由紀の我儘も、お嬢様育ちだから仕方が無いと諦めていた。それも可愛く思えて守ってあげなければと感じていたのだ。

兄弟のいない僕にとって 妹のような存在だった。 だから、面と向かって『愛しているのか?』と聞かれたら、即座に愛している と返事出来ない自分がいた。


「先生?僕はどうすれば良いのでしょう?」

縋るような表情で、年上の綺麗な女性に尋ねてしまう。悪い癖だ。


昔から、年上の女性には甘えてしまう。


「そうね。先ずは二人でキチンと話すべきだわ。子供の為にも、両親は揃っている方が良いんですから・・・。幾ら、経済的に恵まれているといっても産まれた時から父親がいなかったら、子供にとって余り良い環境じゃないでしょ。」


・・そうだ。 産まれてくる子供に父親の顔を見せられないんだ。


「そうですよね? 今週末にでも、名古屋に行ってきます。」

「何言ってるんですか? 今から行きなさい!泊まる所ぐらいどうにでもなるでしょう?明日の授業は 自習にしておきます。校長と教頭には、私がちゃんと話しておきますので 急いで行ってください!」優奈に背中を押され、葉月はその日の内に名古屋に降り立っていた。


タクシーで 一橋の家の前まで着くと、リビングから賑やかな笑い声が聞こえてくる。

不審に思い、玄関のチャイムを鳴らさず庭先に足を進めた。


「進さん お腹の子供の父親になって頂けるなんて 本当に有りがたいわ! 美由紀が独りで育てて行かなければいけないと可哀想に思っていたんですもの。」

?どういうことなんだ?事態が見えない・・・


「僕は元々美由紀ちゃんが好きだったんですから、美由紀ちゃんが結婚したと聞いてショックを受けていたんです。 僕の努める病院の待合で会った時は驚きました。大きなお腹を抱えて、辛そうだったんですよ。 」


「宮坂先輩に助けて頂いた時は、久しぶりに独りで百貨店に出向いたんだけど、体調が思わしくなくて直ぐに病院に行った日なの。私の気持が赤ちゃんにも判るのかしら?って思ったわ。」

甘えるような声で美由紀が話している。


「そうなんですよ。旦那さまとうまくいってないのは美由紀のせいでは無いのに・・・

この子は何もかも自分を責めて・・可哀想に・・こんなことなら、結婚を許すんじゃ無かったですよ・」

声を震わせて姑が話している。


?????僕は 訳が分からなくなった。


それでも、自分を貶めている一橋の家族に怒りが込み上げてきた。

直ぐに怒鳴り込もうかと思ったのだが、それすら馬鹿らしく思えてきた。

この人達は既に葉月を切っている。新しい男を取り込もうとしているのだ。

この宮坂という男がどういう人間かは知らない。しかし、この家に入ろうかという男だ。それ相応の野心家である筈だ。


自分の子供が他人の子供として生きていくことに、少なからず抵抗は有るがこれも美由紀が望んだ事なのだ。

何だか、もう美由紀に振り回されるのは沢山だ!と考えていた。



結局その夜、僕は一橋の家には顔を見せず、名古屋駅の近くのビジネスホテルに泊まった。



「モシモシこんばんわ。真藤先生ですか?葛です。」

「葛先生?気になっていたんです。もう名古屋に着いたんですね?」

「はい。今 名古屋駅の近くのホテルに居ます。」

コンビニで買ったビールと巻き寿司で夕飯にしているところだった。

「奥さまとは話されましたか?」

「いいえ。もう このまま帰ろうかと思っているんです。」


「何か在りました?」

僕は先程聞いてしまった話を、全て話していた。もう夫婦が元に戻ることがないことも。

話をしながら呑んでいたビールは二本目になっている。

真藤先生と話していると気持ちが落ち着いてくるような気がした。


「明日は 帰ります。」

「葛先生?別れるにしても明日はキチンと話した方が良いと思います。事務的な事が結構あると思うので 弁護士を立てても良いかも知れませんね。」


弁護士か・・今まで自分には程遠い世界の出来事にしか存在しない職業だったのにな・・・

他人にまかせた方が良いのかも知れない。

「でも、弁護士さんなんて知らないんですよ。誰かれなしにお願いするのも抵抗がありますし。」窓の外には、ネオンと街の灯りが煌めいていると言うのに 僕の瞳の奥には虚無しか無かった。


「モシモシ? 先生? 葉月先生? しっかりしてますか? 大丈夫ですか?」

急に黙り込んだ葛に、優奈が心配そうな声をかけていた。

「すみません。何だか疲れてしまって・・」

もし、今隣に優奈がいればきっと泣いていただろう・・

「先生? 明日は、奥様と話したあと又お電話頂けますか? 知り合いの弁護士に当たってみますので・・・」

「はい。ありがとうございます。助かります。」



結局それから僕はあと二本カップ酒を空けた。そうでもしなければ眠ることなど出来なかったのだ。






新幹線のホームで、僕は真藤優奈に電話を入れた。

「先生すみません。もう 昼休憩ですか?」

「ええ。校長と教頭には、熱があって休むと言っておきました。職朝前に連絡があったと。 」

穏やかなアルトが聞こえてくる。


「何から何までありがとうございます。今から名古屋を出ます」

「お話は出来ましたか?」

「はい。離婚をすることにきめていました。後の事は、向こうの親が来て采配するみたいですよ。」

離婚がこんなに疲れるものだとは、思わなかった。神経が参ってしまっている。


ホームに出発のベルが成響く。


「葛先生? 帰ってきたらうちに来てください。息子も今日は早く帰るらしいので暖かいシチューを作ったんです。ね? 東京駅に着いたら、又電話してください。キットですよ!」

葉月は涙が溢れてくるのを止めることが出来なかった。独りで家に帰ることの寂しさを身に染みて感じていたのだ。





東京駅に着いたとき、 あー 終わったんだなー と 思った。

名古屋でも新幹線の中でも 張りつめていた糸がふっと緩む。



優奈が言った駅に着くと、あの夜に見掛けたラウンドクルーザーが止まっていた。

車のドアにもたれて煙草をすっている青年。

僕を見つけて、携帯灰皿で煙草を消した。

「葛先生ですか? 進藤 匠です。初めまして」

爽やかな笑顔を向けているが、目の奥は笑っていない。敵意が見えた気がする。


進藤 (たくみ W大法学部二回生の二十歳。進藤優奈の一人息子。 少し茶色に染めた髪の毛は 緩やかにウェーブがかかっている。くせ毛かな? 今時の青年だ。 左耳にはピアスが二つ並んでいた。

二十歳か?

ん? 待てよ?

進藤先生は三十八歳だろ?

って言うことは十八歳の時の子供かよ?!


嘘だろ?



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