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理想のヒモ生活  作者: 渡辺 恒彦
二年目
82/101

第十二章3【夜の王宮】

 その日の夕刻過ぎ。


 善治郎はすっかり暗くなった王宮の一室で、静かに人を待っていた。元々の予定ならば、とっくに後宮に戻っている時間なのだが、急きょ予定が変更されたのである。


 これは非常に珍しいことである。まず第一に、アウラほどの仕事量をこなしていない善治郎が、日の落ちかける時間まで王宮に残っているのが珍しいし、善治郎の予定が途中で変更されることがそれ以上に珍しい。


 これでこれから会うのが、フランチェスコ王子やボナ王女であれば、「ああ、またあの王子様がなにか突拍子もないことを言い出したのか」と納得もできるのだが、善治郎がこれから会うのは、女王アウラの腹心であるファビオ秘書官だ。


「何かあったんだろうな。それも、かなりやばい事が」


 窓から差し込む消えかけの夕日と、テーブルの上で燃える油皿の炎に赤く照らし出される善治郎は、ポツリとそう独り言を漏らす。


 善治郎は特別聡い人間ではないが、極端に鈍い人間でもない。


 自分の予定が急遽変更され、アウラの腹心である男が「アウラを交えず」自分に話があると聞かされれば、何らかの非常事態があったのだというくらいの想像は付く。念のため確認を取ったのだが、善治郎がこうしてファビオ秘書官と話し合いの場を持つことは、女王アウラにも話が通っているという。


「なにがあったのかは分からないけど、アウラ抜きでファビオだけが俺の所に来るってことは、アウラも今は手が離せないってことかな? アウラと俺がそれぞれ別のところで取りかからなければならない急用。これはいよいよ大事だ」


 そう呟く善治郎の推測は筋の通ったものであるが、あいにくと全くの的外れである。


 この時点でアウラはすでに後宮に戻っている。アウラが来ないでファビオ秘書官一人が善治郎との面談を申し込んだのは、アウラでは私心の混じらない説明が難しい話を善治郎にするためだ。


 その可能性に善治郎が思い至らなかったのは、それだけ善治郎がアウラという人間を、能力的にも人格的にも信頼しているからに他ならない。


「失礼します、ゼンジロウ様。お待たせいたしました」


 そんな善治郎の妻に対する全面的な信頼をほんの少しだけ揺るがせる話を伝えに、細面の中年男がやって来たのは、窓から差し込む夕日がすっかり沈んだ後のことだった。






 ファビオ秘書官と一緒に入ってきた王宮侍女が木戸を閉じ、代わりに追加の油皿に火を灯した後、一礼をして退室する。


 ユラユラと揺れる油皿の炎に照らし出されるファビオ秘書官の姿は、率直に言って不気味である。細面で表情の乏しい中年男が、姿勢良く微動だせずに立っていると、どこか非人間的な雰囲気を漂わせる。


 本音を言えば、このような暗い密室で二人きりになりたい相手ではない。


「用件を聞こう。このような時間に貴様が私との時間を欲するなど、ただ事ではあるまい」


 木と蔦で出来た椅子に深く腰をかけた善治郎は、対面に立つ秘書官の顔を下から見上げながら、そう切り出した。


 主君の夫の言葉に、中年の秘書官は小さく一礼すると、


「はっ。お許しを頂き、率直に申し上げます。ガジール辺境伯家に、こちらの知らない『次女』ニルダ様がいることが判明したしました。その結果、『長女』ルシンダ様の、ゼンジロウ様の側室入りが、一気に現実的な話となってきております」


「ッ!? ………詳しく聞こう」


 一瞬で険しい顔になった善治郎は、薄闇でも全く動揺を隠せていない脆い無表情で、そう説明を促すのだった。






 元々秘書官という仕事をこなしているファビオは、話の要点をまとめて他者に伝えることを得意としている。


 そのため、ファビオ秘書官の説明を受けた善治郎は、簡単に自分の置かれている状況を理解したのだった。




 ガジール辺境伯には実は、私生の娘がいた。

 その私生の娘は、カープァ王国の『名簿』に名を連ねる歴とした貴族なのだが、先の大戦中に『名簿』が一部紛失(確定ではない)した影響で、アウラはその存在を知らなかった。

 チャビエル・ガジールと面識を持ったプジョル将軍は、チャビエルの口からその存在を知らされていた。そのため、女王アウラの「善治郎がルシンダに興味を示している」という発言を受け、その場で自分の結婚相手を正妻の子である長女のルシンダから、私生児である次女のニルダへと移行。

 結果、ルシンダは未婚のまま、「善治郎がルシンダに興味を示した」という情報が、プジョル将軍、チャビエル・ガジールにも広まってしまった。





 これだけの情報を聞かされて自分の立場を理解できないほど、善治郎は馬鹿ではない。


 眉の間に深い皺を寄せたまま、善治郎は低い声で妻の秘書官に確認する。


「おおよその事情は分かった。仮にも私の方から「一度会ってみたい」と言ったのだから、こうなった以上私がルシンダ嬢と会うのは決定事項だろう。その上で、率直に答えよ。私には最終的にルシンダ嬢を側室に迎えないという選択肢は残されているのか?

 その場合、私の悪評はどれだけ上がっても良い。その代わり、アウラ陛下、王家、王国への実害は最小限、欲を言えば実害がない状態で、断ることは可能か?」


 王配の問いに、女王の秘書官は最初から答えを用意していたかのように、即答する。


「可能です。ルシンダ様と対面をはたした後、ゼンジロウ様があることないこと難癖を付けて、話をご破算にすれば良いのですから。あいにくと、最大の攻めどころは使えませんが」


 最大の攻めどころとは言うまでもなく、ルシンダの歳である。二十代の半ばを過ぎているという年齢は一般的に、結婚を破断にする十分な理由となり得るのだが、今回は使えない。善治郎は事前にルシンダの歳を知った上で「一度会ってみたい」と言っている以上、他に難癖を付ける場所を見つける必要がある。


「ゼンジロウ様が「一方的な我が儘」でルシンダ様を拒絶し、目に見える形でアウラ陛下がその仲裁に入り、それでもゼンジロウ様は意思を変えない。そういう流れでしたら、ゼンジロウ様個人の評判以外は、最少の傷で切り抜けられるでしょう」


「そうか」


 ホッと安堵の息を漏らしかけた善治郎に、細面の秘書官はその希望を断ち切るように言葉を続ける。


「ただし、ゼンジロウ様個人の評判は、間違いなく最悪まで落ちます。そして、現状ではゼンジロウ様の評判が落ちること自体が、アウラ陛下、ひいてはカープァ王家の損害です。

 ゼンジロウ様は今一自覚されていないようですが、今のゼンジロウ様はアウラ陛下の名代として多くの仕事をこなしておいでです。しかし、ゼンジロウ様の評判がそこまで落ちた後は、今のように名代の仕事を問題なくこなすことも困難となるでしょう。それはそのまま、アウラ陛下の負担となります」


「む……」


 難しい顔をする善治郎に、ファビオ秘書官はさらにたたみ掛ける。


「付け加えますと、これは私の私見なのですが、ゼンジロウ様が今回「ルシンダ様を側室に迎えない」ことは可能だと思いますが、生涯を通して「誰一人側室を持たない」ことは不可能ではないでしょうか。少なくとも、先ほどゼンジロウ様が仰ったように「アウラ陛下にも、王家にも、王国にも迷惑をかけずに」達成することは、絶対に不可能であると断言できるかと」


「…………」


 ハッキリと現実を突きつけられた善治郎は、しばし言葉を失った。


 薄々そうではないかと、分かっていたことではある。善治郎という男が、王配として求められることは本来ただ一つ。一人でも多くの『血統魔法』の継承者を作ることだけなのだ。


 もちろん、女王の名代として仕事をこなしたり、異世界から持ち込んだ道具や知識で、王家、王国に利益をもたらす事も決して無意味ではない。


 だが、それは国軍の将軍が、実は政治にも強かったり、書類と格闘する文官が、密かに弓の腕もたったりするのと同様で「その分評価にプラス修正を受けるが、評価の土台からは離れている」部分である。


 今のところ、善治郎がそれなりの評価を受けているのも、女王アウラとの間が上手くいっていて、第一王子カルロス=善吉を設けているからに他ならない。


 言葉をなくした善治郎に、ファビオ秘書官は少しフォローするように付け加える。


「召喚前にこちらが想定していたとおり、アウラ陛下との間にかろうじて血統魔法の使い手を設けられる程度の血の濃さであれば、側室問題も生まれなかったのでしょうが、ゼンジロウ様ご自身が『時空魔法』を使えるほどの濃さとなりますと、側室問題は避けようがありません。

 『血統魔法』の継承者が三人しかいない現状は、南大陸の大国では、正常な状態とは言えないのです」


「……つまり、ルシンダ嬢の側室入りに抗っても無駄、ということか?」


 硬い表情で固い声を発する善治郎に、秘書官はその細面の顔を小さく横に振り、


「いいえ。前提条件をお間違えないように、と申し上げているのです。側室など一人もいらない、というゼンジロウ様の『我が儘』が通用しない。いずれ誰かは側室を取らなければならない、という前提で今回の一件を考えていただきたいのです。

 側室などいらない、という前提で考えれば、ルシンダ様の人となりもその周囲を取り巻く環境も、全くゼンジロウ様に取っては無意味なものとなりましょう。しかし、嫌でも側室はいずれ取らなければならない、という前提で考えれば、ルシンダ様との面談も多少は有意義なものになるのではないでしょうか」


 そう、冷静に助言した。


 つまり、反射的に拒絶するのではなく、ルシンダ・ガジールという人間と接し、その人格なり容姿なりをある程度理解した上で、結論を出すべきだと言っているのだ。


 最終的に側室を取るという運命が避けがたいという前提で見れば、ルシンダ・ガジールという女は、側室として最良の選択である可能性もある。もし、ここでルシンダを拒絶し、後日もうどうやっても側室を迎えない訳にはいかない所まで追いつめられたとき、「ああ、こんなことならあそこでルシンダを選んでおけば良かった」と、後悔しても遅いのだ。


「もちろん、ルシンダ様と相性が悪い可能性もございますので、拒絶という選択肢もございましょう。しかし、それは『ルシンダ様を拒絶する』場合の話です。『側室は無条件で拒絶する』のは危険ではないかと、あえて苦言させていただきます」


 そう言って、ファビオ秘書官は、機械のように正確に頭を下げた。


「…………」


 善治郎は無言のまま目を瞑り、痛みに堪えるように体を硬くする。


 ファビオ秘書官の言葉は、恐らくこの国の貴族のごく一般的な意見だ。善治郎に遠慮があるアウラが伝えていない、ダイレクトな言葉である。


(言われてみれば確かに、俺に側室を薦めてくる貴族連中は『側室を持つことを前提』とした物言いしかしていなかったよな……)


 目を瞑ったまま善治郎は、これまで社交界で、貴族達に言われた言葉を思い出す。


「ゼンジロウ様は、女性に何を求めますか?」「やはり、アウラ陛下のような女性がお好みなのでしょうな?」「いやはや、ゼンジロウ様は手厳しい。果たして、アウラ陛下の次に、ゼンジロウ様のお心を射止める女性は誰になるのやら」


 娘や親族を紹介する貴族も、自分を売り込む娘達も、善治郎が将来的に側室を持つことは確定している前提で、常にものを言っていた。


 自分の希望が叶わない可能性はあっても、それはライバルに先を越されるという可能性であって、『側室試験合格者ゼロ』という結果は想定していない。そういう物言いだ。


(側室完全拒否は、茨の道か……)


 それでも、目があるのならばその茨の道に挑戦したい、というのが善治郎の正直な心情であるが、冷静に考えればファビオ秘書官の言葉が正しいことは理解できる。


 やっと目を開いた善治郎は、努めて平静を装った声で、微動だしない秘書官に言葉をかける。


「分かった。貴様の忠言、確かに胸に刻んでおく。今回の一件を、アウラ陛下ではなく、貴様が一対一で私に伝えたのは、その苦言のためか?」


 アウラは公人としての判断を優先する人間であり、間違っても甘い人間ではないが、善治郎に対してだけは、どうしても遠慮がある。まあ、アウラの立場を考えれば、夫で王配の善治郎と仲違いをすることは、万難を排してでも避けなければならないことなのだから、その判断は公人としても決して間違ってはいない。


 だからこそ、アウラには言いづらい善治郎の機嫌を損ねる忠言を、替わってこの女王に忠実な秘書官が行ったのだろう。そう当たりを付ける善治郎に、ファビオ秘書官は珍しく、肉付きの薄い唇をほんの僅かだけ、笑みの形にゆがめた。


「はて、そういう意図がなかったといえば嘘になるでしょうな。しかし、主だった理由は此度の一件について詳しくお話すると、どうしても先々代陛下の戦死について触れる必要がございます。そのあたりについては、アウラ陛下では私心の入らない説明は不可能でしょうから、私が変わってご説明させていただくため、お役目を頂戴いたしました」


「先々代、サンチョ1世陛下か。アウラ陛下にとっては同腹の弟だったな。実の弟の死に関わる話は、さすがのアウラ陛下も感情を交えずに説明は難しいか」


 ファビオ秘書官の言葉に、善治郎は理解を示すが、秘書官の答えはそうではなかった。


「いいえ、それは違います。アウラ陛下がその件に関して、私心を交えずに話すのが難しい理由は、血のつながりではなく、もっと単純にアウラ陛下が『当事者の1人』だからです」


「ッ!?」


 炎の薄明かりでも容易に分かる位に、善治郎が驚きを露わにする。


「当事者? つまり、サンチョ陛下が戦死された戦場に、アウラ陛下もおられたということか?」


 先の大戦では、アウラも女将として戦場を駆け抜けたという話は聞いているが、具体的な話を聞くとやはり驚きが先に立つ。


 ファビオ秘書官は、能面じみた無表情のまま、小さく一つ首肯する。


「はい。その戦いの詳細を知っている者はごく僅かです。『夜戦』であり『乱戦』であり『激戦』であったその戦場は、参加した者でも兵士や下級の指揮官では、自分たちがどこで何をやっていたのか説明が出来ないほどでした。

 カープァ王国側で、詳細を理解している人間は、アウラ陛下とララ侯爵、そしてこの私の三人だけでしょう。

 一夜の戦いで、敵味方二人の王が戦死した、先の大戦の中でも特筆される戦いの一つ。その戦いの勝者を定めるとすれば、それはアウラ女王陛下――当時は王女殿下でしたが――がそれに相当するでしょう。

 少々長い話になりますが、お聞きになりますか?」


 表情にも声にも感情の色は欠片もないのに、不思議と圧迫感のある秘書官の問いに、善治郎はゴクリと唾を飲み込み、首を縦に振る。


「ああ、聞かせてもらおうか」


 覚悟を決めて発したつもりのその言葉は、それでも少しかすれていた。

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ハーレムなんて普通喜ぶもんなんだけどねぇ。なんで主人公こんなに拒否してんだろ。そもそも最初からそういう条件での結婚だったわけでそれはわかってたんだから、何今更グチグチ言ってんだか。それに一方的な自分の…
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