第十一章2【双王国の思惑】
それから数日後。
意外と言えば少々失礼に当たるが、この数日間、フランチェスコ王子はこれといった問題を起こさずに、無事過ごしていた。
大袈裟な言い方をすれば、それは善治郎の作戦勝ち、といったところだろうか。基本的に、好奇心に手足を生やしたような生き物であるフランチェスコ王子も、武具および宝飾職人としては十分な誇りと責任感を持ち合わせている。そのことを逆手に取り、善治郎は王子に仕事を依頼しておいたのである。
もちろん、意味も無く仕事を割り振ったわけではない。フランチェスコ王子に依頼したのは、紛れもなく今善治郎が必要としている品である。
「やあ、お待たせしました、ゼンジロウ陛下。こちらが、依頼の品です。手にとってご確認下さい」
応接室のソファーに行儀良く腰をかけていた金髪の王子はそう言うと、自信の満ちあふれた笑顔で、その品をテーブルの上に置く。
「もう出来たのですか。流石ですね、フランチェスコ殿下」
そんな善治郎の賞賛の言葉は、あながちお世辞でもない。事実、同様の物を『職人の箱庭』の銀細工職人に頼んだときは、もっと時間がかかった。
「ええ。作り自体は単純ですから。もっとも、純度の高い銀をこれだけ細くて均一な太さの線にするというのは、なかなか大変でしたけどね」
胸を張るフランチェスコ王子が差し出した依頼品、それは『銀線』である。正確には、糸状に引き延ばした銀を薄い布で覆った代物だ。
依頼の品を手に取る善治郎に、フランチェスコ王子は、いつもと違う明るくはあっても軽薄さを感じさせない真摯な口調で言う。
「可能な限り純度の高い銀、というご希望でしたので、失礼ですが母国から持参した銀を使わせていただきました。ご希望通りある程度は曲げても折れないだけの柔軟性は持たせてあるつもりですが、限界がありますので、おったり曲げたりするときは、十分に注意して下さい」
「ありがとうございます。早速、試してみます」
長い銀線を受け取った善治郎は、笑顔で金髪の王子に礼を言う。
銀線の使い道は、言うまでもなく磁石作成である。これまで使っていた銀線コイルでも、乾電池を電源とした電磁石は一応成立していたのだが、発熱ばかりしてコイルの巻き数を少し増やすととたんに電流が流れなくなってしまっていたのだ。
これで、少しはましな電磁石が出来る。電磁石さえ出来れば、そこから永久磁石の量産が可能だ。
磁石があれば、ガラスの原材料となる珪砂から金属成分を取り除く手段がもう一つ生まれる。透明ガラスにもう一歩近づくというわけだ。
「しかし、このような布でまいた銀線をいったい何に使うのかは、やはり教えてもらえないのでしょうか?」
強烈な好奇心を全く隠さず、真っ直ぐな視線をぶつけてくる金髪の王子に、善治郎は苦笑を返す。
「ええ、申し訳ございませんが、ご容赦願います。この埋め合わせは、何らかの形でいたしますので」
銀線の使い道を電磁石の構造どころか、電気そのものすらろくに知らない人間に説明するのはかなり面倒だ。それに、最終的にはガラス製造という国家機密事業に繋がるのだから、秘密にしておくのが正しい判断でもある。
善治郎の答えを予想していたのだろう。フランチェスコ王子は、
「そうですか、それは残念です」
と口では言いつつも、すぐに気を取り直すと、善治郎に言う。
「では、この度の報酬ですが、代価としてあの宝玉を一つ、というのはいかがでしょう?」
朗らかな顔で、強欲なおねだりをするフランチェスコ王子に、善治郎は一瞬顔を引きつらせる。
もちろん、報酬に関しては仕事を依頼した時点で話し合い、しっかりと同意にいたっている。その話をこの場で蒸し返すというのは、かなり礼法に外れる厚顔無恥な振る舞いなのだが、溜息をつきつつもそれが許される立ち位置を、いつの間にかフランチェスコ王子は確保していた。
とは言っても、許されるのは礼法に外れる言動のことであり、その内容が受け入れられるというわけではない。
「フランチェスコ殿下。此度の報酬は、未加工の紅珊瑚ということで殿下もご了承下さったでしょう。後からの報酬の変更は、受け入れられません」
善治郎は、意識的に目に力を込め、にべもない口調でそう言い放つ。
だが、善治郎の眼力程度に、フランチェスコ王子が動じるはずもなく、
「あはは、やっぱりそうですか。言うだけ言ってみたんですけどね。いやあ、残念だなあ」
全く悪気のない笑顔で、ポリポリと頭をかいてみせる。
糠に釘、のれんに腕押し。そんな言葉が頭をよぎる善治郎は、もはやフランチェスコ王子の言動をいちいち注意する気にもなれない。
むしろ、ボナ王女がいないこの場でフランチェスコ王子の腹の内を聞き出す必要がある善治郎としては、この会話を目的の話へと持って行く入り口として有効活用することにした。
「流石に、駄目です。それでは対価が釣り合ってないでしょう」
「対価が釣り合えば良いんですか? それでしたら、ゼンジロウ陛下。私に宝玉を『二つ』譲って下さい。そのうちの一つで、ゼンジロウ陛下が希望される魔道具を作りますから、その対価としてもう一つの宝玉をもらうというのはどうでしょう?」
「殿下、それは私と殿下の間で取り交わしてよい取引ではありません。両国政府の総意がなければ動かせない重大事ですよ」
「ええ、それは分かってるんですけどねえ。ああ、じれったいなあ。宝玉があれば、前から作りたかった魔道具を、あれもこれも作れるのに! せっかくその好機が目の前にあるのに、手が出せないなんてッ!」
そう言うフランチェスコ王子の瞳には、隠しきれない強い渇望の色が滲んでいた。
このあたりは、能力とやる気の両方を兼ね備えた、一部の付与魔法の使い手にしか分からない感覚なのかも知れない。
本来、魔道具制作とは、簡単な物でも一つに数ヶ月、大規模な物であれば数年単位で時間のかかる行為なのである。
そのため、シャロワ王家の付与魔法の使い手一人が、生涯に作成可能な魔道具の数はどうやっても限られてしまう。
だが、フランチェスコ王子のように才能も意欲もある魔道具制作者は、作りたい魔道具のアイディアを無数に抱えている。細工師、付与魔法使いとして成長すればするほど、作れる物の種類は増えるのに、実際に作成可能な物はせいぜい一年に一つ。
一つ作っている間に、作りたい物のアイディアが十生まれ、二つ作っている間に作りたい物を百思いつく。
そんなジレンマを抱えていたところに、ビー玉という反則的な付与物質に出会ってしまったのだ。
前回フランチェスコ王子が作成した『未来代償』の魔道具など、それこそ通常のやり方でやれば、年単位の時間がかかる大物だったのだ。それを、僅か数日で作成できたという快感を、フランチェスコ王子は忘れられずにいた。
「ずっと前から構想があるんですよ。私が独自に考えている魔道具なんですけどね、多分作れると思うんです。『付与魔法』の魔道具。この魔道具が出来れば、シャロワ王家の人間じゃなくても簡単な量産型の魔道具は作れるようになるから、作成が一気に進むと思うんですけど、なぜか祖父や父上は血相を変えて「それだけは作ってはいかん!」と怒るんですよね。
でも、ここなら祖父や父上の目が届かないから、好機なんですよ。
双王国は、砂漠が多いですからね。せめて『水作成』の魔道具だけでも量産体制に乗せたいのですよ」
「殿下、少し落ち着いて下さい」
興奮状態で、ペラペラと一方的に話し続けるフランチェスコ王子の圧力に押されるように、善治郎はソファーの上で少しのけぞりながら、どうにか制止を試みる。なんだか、フランチェスコ王子の発言の中に、とてつもない爆弾が混ざっていた気がするが、善治郎の立場でそれを深く追求するのはやぶ蛇になりそうだ。
(これは、後でアウラに報告だな)
善治郎が頭の中で、そんなことを考えている間にも、フランチェスコ王子は話し続ける。
「とにかくですね、私はもっと色々作りたい物があるのです。そう言う方向では、ボナとは凄く話が合いますね。もっとも、ボナの場合は私と違って、魔道具よりも宝飾品へのこだわりが強いようですけど。私は武器や防具も作るんですよ。宝玉が戴ければ、陛下にも護身用の魔道武器を作らせていただきますよ。
あとは……そうですね。カルロス殿下がもう少し成長されたら、付与魔法の基礎を私がお教えするというのはどうでしょう? その代価としてならかなりの宝玉を譲ってもらえるんじゃないかなあ、と考えているのですが」
さらりと、こちらが話したかった話題を切り出してくるフランチェスコ王子に、善治郎は反射的に背筋を伸ばす。
「ッ、フランチェスコ殿下。それは、内密の話でしょうか? 人知れず、殿下が善吉に『付与魔法』の基礎を教えてくれる、と?」
表情を取り繕う余裕もなく、緊張を露わにする善治郎に、フランチェスコ王子はキョトンとした顔で、
「え? そちらが内密に事を運びたいのでしたら、私個人としては協力することもやぶさかではないですが、あまり意味は無いと思いますよ。私がこちらに立つ前の時点ですでに、現国王である祖父と、次期国王である父は、「どの機会にゼンジロウ殿の血筋について広めれば、国内外の動揺を最小限に出来るか?」という方向で話をしていましたから」
とあっさり、自国の内情を暴露する。あまりに簡単に口にするため、逆にどこまで本当なのか分かりづらいが、それが事実なのだとすれば、双王国としては最初から公表の方向でスタンスが決まっていたと言うことになる。
他国に流れた自国の血統魔法を黙認する王族がいるはずもない。そう考えると、フランチェスコ王子の言葉には十分な信憑性がある。
「では、シャロワ王家は私の血筋について、公表すると? カープァ王国と双王国との間で交わされた密約では、それは秘することになっていたはずですが?」
意識的に険のある目つきを作り、強い口調でそう言うカープァ王国の王配に、シャロワ・ジルベール双王国の王子は朗らかな笑顔を崩さずに答える。
「はい、そのようですね。でも、祖父や父はその密約が守られるとは考えていないようです。ゼンジロウ陛下は本当に生涯、一人の側室も取らずに過ごすのですか?」
答えに窮したのは善治郎の方であった。
「それは……そうでありたいと私は思っています」
と言う返答は、紛う事なき善治郎の本心であるが、周囲の状況がそれを許さないことも、理解している。
アウラは、できる限り善治郎の希望をくむだけの優しさを持ち合わせているが、同時に最終的には国益を最優先する王としての判断力も持ち合わせている。そして、情と国益の天秤を情に傾けるほど、アウラは暗愚な王ではない。それは善治郎もよく分かっている。
「それは、ゼンジロウ陛下の個人的な感想ですね」
「そう、ですね」
ゆえに、フランチェスコ王子の確認の言葉に、善治郎は首を縦に振らざるを得なかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
善治郎が王宮の一室でフランチェスコ王子の相手をしている時、妻であるアウラはまだ後宮のリビングルームにいた。
アウラが王宮で働いている時に、善治郎が後宮で寛いでいることはよくあるが、その逆は非常に珍しい。
当然と言えば当然である。元々、善治郎の仕事は『女王アウラの名代』としてのものが大半なのだ。アウラが後宮で寛いでいられるくらいならば、善治郎が王宮で働く必要はない。
しかし、本日アウラの最初の責務は、ここ後宮で行われる。そのため、女王は仕事用の第三正装に着替えた後、こうして来客が来るまでの隙間時間をゆっくりと過ごしているのである。
「ふむ。久しぶりに一人で見てみるか」
そう呟いた女王は、黒い革張りのソファーに腰をかけたまま、テーブルの上からリモコンを手に取る。
リモコンを操作するアウラの手つきは、すっかり慣れたものだ。広いリビングルームの壁際に備え付けられているテレビに光が灯る。もちろん、テレビの電波がこの世界に届くはずはないので、写るのは善治郎が持ち込んだDVDの再生画像である。
ソファーの肘掛けに右肘を乗せ、リラックスした姿勢で背もたれに体を預けたまま、女王はテレビに見入る。
今、再生されているのは、現代もののドラマだ(正確に言えば、それは善治郎が学生時代にテレビ放映されていたドラマなので、十年近く前の日本というべきなのだろうが、十年弱ならばそう大きな違いは無い)。機械で再生される音声には、『言霊』が働かないため、日本語の内容はアウラには全く理解できないが、画像を見ているだけでも十分に目を引かれる。
「何度見ても興味深いな。異世界の町並み、異世界の人並み。大筋では共通項を持ちながら、明らかに異なる文明。なにもかもが新しい刺激だ」
現代日本と、南大陸のカープァ王国。違いは多すぎて挙げられないが、そこに生活しているのは、生殖が可能なくらいに近い生き物である「同じ人間」である。
『同種』と言っても良い知的生命体が、文明を築けば、そこにはある程度の共通項が見られるものだ。
女王は、自国に取り込めるモノはないかと、単なる興味以上の関心を乗せた視線を画面に向ける。
「一般的な服飾文化は、こちらとそう違わないか。やはり、最終的には脱ぎ着のしやすさ、動きやすさを追求していけば、そう違いのない形に行き着くのだろうな」
正確に言えば、北大陸から伝わった服飾文化と、地球の洋服が基本的に同じ形をしているのである。
一方、カープァ王国古来の伝統衣装もカープァ王国では日常的に着られているのに比べ、現代日本では日本の民族衣装とも言うもうべき和服を普段着としている人間はきわめて少ない。
だが、幸いなことに、このドラマの中では落語家が登場するため、和服も比較的頻繁に画面上に登場する。
「これが、婿殿の国古来の衣装か。うむ、我が国の衣装と少し共通項があるが、やはり別物だな。まあ、婿殿自身は一度も着たことがないと言っていたし、無理にこちらで再現する価値はないか」
と言いかけたところでアウラは、善治郎が以前言っていた言葉を思い出す。「俺自身が和服を着たいとは思わないけど、和服を着た女の人は結構好きだな」という言葉を。
「……仕立屋を呼んで、女物を一着仕立てさせるか」
アウラの口からそんな言葉が漏れる。このドラマは現代物のため、和服を着た女性はあまり登場しないが、善治郎が録りためたDVDには時代劇もある。着込んだ状態の資料だけを頼りに、服を仕立てるというのはなかなか難度の高い話なのだが、王室付きの仕立屋ならばそれらしいものに仕上げることは可能だろう。
もっとも、完璧な女物の和服が出来たとしても、それをアウラが着こなせるかどうかは別問題だが。
なにせ、アウラは『怒り肩』『肩幅が広い』『乳房が大きい』という、和服美人の条件に全力で逆らっているような体型なのだ。いっそ、ある程度着崩した方が似合うかも知れない。
そんなことを考えながら、女王は言葉が分からないままドラマを見続ける。その途中、聞き取れた言葉を試しに口にしてみる。
「タイガー」
アウラの口から放たれたその言葉を、言霊は正しくこちらの世界の単語に置き換える。アウラの耳には、『タイガー』という耳慣れない単語と、南大陸西方語で『虎』を意味する単語が同時に聞こえる。
「なるほど、「タイガー」は虎のことなのか」
虎は、は虫類の天下であるここ南大陸には生息していない生き物だ。だが、北大陸から流れてくる書物や絵画などでその存在は意外と知られている。江戸時代や平安時代の日本人が虎を伝聞で知っていたのと同レベルで、アウラも虎の存在を漠然と知っている。
「タイガー」
もう一度発音してみる。今度も間違いなく言霊は働いた。
夫が生まれ育った異世界の言葉を覚えるのは、面白い。それは、女王としては『無駄な労力』なのかもしれないが、こうした遊びの部分は人生において以外と大切だ。効率だけで生きていけば、そのうち心が摩耗して、かえって効率を損なう。
段々興が乗ってきた女王は、続けて聞き取った言葉も口にしてみる。
「じれったいがー」
……言霊は働かない。
「……む? 発音を間違ったか?」
女王は怪訝そうな表情で首を傾げる。
翻訳に関しては限りなく万能に近い『言霊』の魔力も、流石にだじゃれには対応していないようであった。