第八章1【双王国の意図、カープァ王国の対応】
その後、フランチェスコ王子は、すぐに後宮を後にした。
一方、まだ驚愕の冷めないアウラと善治郎は、そのまま真っ直ぐ我が子が待つ、子供部屋へと向かう。
ただし、残念ながら主目的は、病気が治ったばかりの我が子を抱いてやる事ではなく、その部屋に軟禁してある医師と、乳母と、侍女に改めて口止めをすることである。
「よいか。本日この部屋で貴様等が見聞きしたことは、何があっても他で言いふらしてはならぬ。万が一、漏らそうものならば、貴様等自身だけでなく、一族郎党の命を持って償ってもらう。よいな」
「承知いたしました」
女王アウラの混じりけない最終通達に、医師も乳母も侍女も声をそろえて頭を下げる。
「うむ、しかと心せよ」
アウラは満足げに頷く。
おそらくはこれで問題ない。
ミシェル医師は王家付き医師という立場から、秘密を守ることには慣れているし、乳母のカサンドラはアウラも信頼する王家への忠誠厚い女だ。
金髪の侍女――マルグレーテに至っては、念を押すまでもないだろう。彼女は、アウラが情報網を預けている腹心である。
機密漏洩問題に関して、彼女が信用ならないというのならば、アウラの部下で信用がおける人間は一人もいないと言い切ってもよい。
この面々ならば、よほどのことがない限り、大事には至らないとアウラは判断したのだった。
「ふう……」
「さすがに今日は、私も疲れたな」
カルロスの子供部屋からリビングルームに戻ってきた善治郎とアウラは、そろってソファーに体を投げだし、しばらくなにも言わずに、その身を泥のようにべったりと横たえる。
「…………」
「…………」
今日一日だけで、あまりにいろいろなことがありすぎた。
カルロスの発病。
フランチェスコ王子の見舞い。
そして、そこで発覚したフランチェスコ王子の秘密と、暴かれたカルロスの秘密。
どれひとつとっても、善治郎とアウラの心を激しく揺さぶる出来事ばかりである。
窓から差し込む太陽が、さんさんと室内を照らし出す中、善治郎もアウラもまだ首をもたげる気力も沸いてこない。
朝の時点で本日の仕事をキャンセルした善治郎はともかく、アウラは本日中に片付けなければならない業務があるはずなのだが、この時点でアウラはもう今日は臨時休業と決めていた。
こういうときに無理をして仕事を続ければ、いずれ積もり積もって仕事に押しつぶされる。それを感覚的に理解しているアウラである。
大体にして、王宮での業務を放棄したところで、今日のこれからが休日になるわけではないのだ。
「……くうぅ」
そうしてだらけることしばし。どうにか、最低限の気力を取り戻したアウラは、ソファーの上から体を起こし、座り直す。
「ゼンジロウ、どうだ、まだ駄目か?」
「うう……んん? なに、もう始めるの?」
声をかけられた善治郎は、ソファーの上に寝そべったまま、首だけを対面のソファーに座る妻へと向ける。
「うむ、そなたが良ければ話を始めようと思うのだが、どうだ?」
「んん……分かった」
まだどこかだるそうな半眼の善治郎も、そう答えるとソファーの上から体を起こすのだった。
「さて、なにから話すべきか」
まだ本調子ではないのか、ソファーの上でけだるげに足を組み直すアウラに、対面に座る善治郎もコリコリと首をならしつつ、あくび混じりの言葉を返す。
「んー? それじゃ、まずいくつが疑問があるんだけど、聞いてもいい?」
「ふむ、私で答えられるかどうかは分からぬが、よいぞ」
許可を得た善治郎は、考えをまとめるように訥々とした口調で話し始める。
「んじゃ、まず最初に根本的な質問、ていうか確認。善吉の病気を治したフランチェスコ王子のあれ。あれは本当に『治癒魔法』だったんだよね? 実は、こっそり右手に持っていた『治癒の秘石』を使ってたってオチはないよね?」
「ああ、それはない。そなたも見ただろうが、あの瞬間、間違いなく魔力はフランチェスコ王子の体から立ち上り、カルロスに注がれていた。あれは、間違いなくフランチェスコ王子自身の魔法だ。
それにこの通り、『治癒の秘石』は、未使用のままだ」
アウラはそう言うと強い魔力のこもった白い石をコトリとテーブルの上にのせた。
善治郎はパチクリと目を瞬かせる。
「あれ? 結局それ置いていったんだ?」
「うむ。元々フランチェスコ王子が後宮まで見舞いに来た大義名分が『治癒の秘石』をカルロスに使う、だからな。未使用の『治癒の秘石』を持って帰っては話が矛盾する、とのことだ」
「でもフランチェスコ王子、言ってなかった? それを使ったら、ボナ王女に怒られるって」
「フランチェスコ王子曰く。自分は怒られるのに慣れている、ボナは怒るのに慣れている、だそうだぞ」
「うわあ……言葉だけ聞けば、フランチェスコ王子に同情するべき何だろうけど、光景を想像するとボナ王女に同情するしかないね、それ」
善治郎は心の中でボナ王女に手を合わせた。
「それにしても、フランチェスコ王子はやっぱりただの馬鹿じゃなかったわけだ。となると、向こうの王様直々にフランチェスコ王子のお目付役を頼まれたボナ王女ってひょっとして……」
「まず間違いなく、真実を隠すための目くらまし役、だろうな。フランチェスコ王子の馬鹿ぶりに本気で振り回されている人間が一人いるだけで、信憑性が桁違いにあがるからな」
「なんて不憫な……」
善治郎は鼻の奥がツンと熱くなる。
ボナ王女に本気の同情を寄せてしまった善治郎は、その思いを振り切るようにして話題を次に移す。
「ところで、善吉が『時空魔法』だけじゃなくて『付与魔法』も使えるって説明に一応は納得したんだけど、そもそもなんでフランチェスコ王子はあんなまねをしてまでそれを俺たちに教えたんだろうね? なんか、一方的にこっちだけにメリットがある気がするんだけど」
善治郎の疑問に、アウラは少し渋い表情で首を横に振る。
「いや、実は短期的に見ると、それを知ったことでこっちの利益となる事はないに等しい。
考えてみよ。『付与魔法』の正しい呪文、そこに込める魔力量、その際脳裏に描く効果認識などを先達の指導なしに身につけられると思うか?」
「あ、そうか。『付与魔法』が使えるって事実だけを知ったところで、実際の魔法の詳しい使い方を知らないと、使いようがないのか」
納得する善治郎に、アウラは忌々しげに頷く。
「そうだ。シャロワ王家の協力をなしに、『付与魔法』を確立するのならば、実用化には三世代ぐらい時間をかける覚悟が必要だろう」
「うわあ、それはまた……」
なるほど、それでは確かに「短期的には、利益はない」とアウラが言い切るのも当然である。
「てことはなに? フランチェスコ王子は「善吉君は『付与魔法』が使えますよ。使い方を教えるから、私と取引しませんか?」ってそのうち言ってくるのかな?」
少し思案して、フランチェスコ王子の思惑を推測した善治郎に、アウラは肯定しつつも少し修正を加える。
「その可能性が一番高いだろうな。ただし、この一件はフランチェスコ王子の独断だとは考えづらい。明かした情報があまりに大きすぎるからな。
その背後にシャロワ王家の第一王子や現国王が控えているのだとすれば、ひょっとするともっと大きな視点での変化を狙っているのやもしれぬ」
「もっと大きな視点での変化?」
首を傾げる善治郎にアウラは、少し真面目な表憎を作ると説明を続ける。
「ああ、カルロスが『付与魔法』の使い手になっても、シャロワ王家にとって直接の利益はない。しかし、カルロスが『付与魔法』の使い手であるという情報が公然のものとなったら、立場が変わる人間がいるだろう?」
「フランチェスコ王子のこと?」
「そうだ。政治的な立ち位置を考えずに一人の人材として考えれば、フランチェスコ王子は極めつけに有能な人物だ。
二つの魔法を使いこなすという特異性も無論だが、なによりあの膨大な魔力量を次代に継がせたいと考えるのは、ごく自然なことだろう」
「そっか、例外はあるけど、基本的に魔力量は遺伝するんだもんね」
背の高い両親からは背の高い子が生まれる程度の精度でしかないが、魔力量は親から子へと受け継がれる。『血統魔法』を操る王族にとって、魔力量の多さは魅力である。
それなのに、圧倒的な魔力量を誇るフランチェスコ王子が、密約により子をなすことも許されないというのは、確かに見方によってはとてももったいない話である。
「つまり、善吉という前例を公然のものとすることによって、巡り巡って「逆の血統魔法に目覚めた者の血筋は絶やす」という、取り決めを無効化しようと企んでるってこと?」
「まあ、あくまで私の想像だがな。実際そうするのであれば、双王国は革命に近い騒ぎが起こるはずだからな。そこまで思い切ったことをやる可能性は低いと思うが」
「なるほど。それならそう大袈裟な騒ぎにはならない、かな?」
そう淡い期待を込めた善治郎の言葉は、無情にも女王によって一刀両断にされる。
「いや。残念だが、それはない。こうしてカルロスが『付与魔法』の使い手になれると、外部の人間に知られた時点で、国中に知れ渡る可能性もある。
そうなれば、次は「なぜ、カルロス王子は『時空魔法』だけでなく『付与魔法』の資質も持っているのか?」という疑問を抱く者が現れる。
そこまえいけば、後は簡単だ。ゼンジロウ、そなたがシャロワ王家の血を引く人間であるとばれるのも時間の問題だ。後は、プジョル将軍を筆頭に急進的な一派は今まで以上に強硬に側室を取るよう、そなたに押しつけてくるであろう」
「うわああ……」
絶望的な声を上げる夫に、それまで淡々と確定的な未来予想を話していた女王は、痛みに耐えるような表情を浮かべる。
「すまんな。結局私はそなたとの約束を破ってばかりだ。そなたは私との約束を破ったことは一度もないというのに……」
ショボンという擬音が聞こえてきそうなくらいに肩を落とす妻に、善治郎の口からは反射的に慰めの言葉が出る。
「いや、そこまで気にしなくても良いよ。なんて言うか、俺の先祖の事情が特殊すぎただけでアウラが失敗したわけじゃないことは分かっているから」
実際、アウラが悪いわけではない。強いて言えば、最初の見通しが甘かったというのが、アウラに向ける一番正しい非難だろうか。
ただ、状況がどうしても善治郎の望まぬ方向に流れてしまい、その流れを遮るには国に与える悪影響が大きすぎるため、王であるアウラは夫である善治郎にしわ寄せを送るしかない。
「とはいえ、そなたを召喚したときに提示した条件が『子をなす事以外なにもしなくてもよい』だからな。まったく『時間遡行』の魔法で時をさかのぼることができれば、あのときの自分の後頭部に一発平手を打ち込んでやりたいわ。
はっきり言って現状で、そなたに『なにもしない』などというマネをされれば、王宮は大混乱だぞ」
当時の自分の甘い見通しを自嘲するように、アウラはそう履き捨てる。
「んー、でもまあ、こっちは最初から本当に、なにもしなくていい、とは思ってなかったし。実際結婚式の後、何ヶ月かはなにもしないでいられる時間もあったし。
でも、その割にはそのなにもしなくてよかった期間は、思ってたほど楽しくなかったからね。結果としては良かったんじゃないかな」
答える善治郎の言葉は、アウラを慰める意図で選択した言葉である事は事実だが、嘘をついているわけではない。
一国の代表という立場で公務に就くのはなかなかのプレッシャーだが、最近は良くも悪くも慣れてきたので、精神的にもそこまで疲労は感じなくなっている。
現状の生活に大きな不満はないのだ。
だが、だからこそ、現状の生活を激変させる『側室問題』だけは断固拒否したい。
最悪、どうやっても逃げ切れなくなれば覚悟を決める必要があるのだろうが、少なくとも絶体絶命のそのときまで、『側室拒否』の姿勢だけは崩すまいと善治郎は改めて誓う。
「しかし、そなたはなにか、欲しいものや、やりたいことはないのか?」
もう何度目になるか、すっかり聞き慣れた妻の言葉に、善治郎は少し考えた後、今日はいつもとは少し違う答えを返す。
「うーん、そうだね……今は何はさておき、善吉を抱っこしたい」
恐らく、アウラが期待する答えとは全く違うのだろうが、間違いなくそれこそが今善治郎が何より求めるものであった。
なにせ、ここ数日仕事が忙しくて子供部屋を訪れる暇がなかったところで、今日の『赤斑熱』騒動である。
完治したはずと愛息をこの手に抱き、その体温を感じて一刻も早く安心したい。
「ゼンジロウ……」
これにはアウラも苦笑するしかない。
迷惑をかけ通しなのに、文句の一つも言わない夫の労苦に何らかの形で報いていやりたくてした質問であったのだが、不覚にもアウラはその善治郎の答えに強く共感してしまった。
「そうだな。病気はもう治っているのだ、ミシェル医師も口うるさいことは言うまい。もう少ししたら、二人でカルロスに会いに行くか」
「うん、そうしよう。よし、そう考えたら気力が戻ってきたッ」
その言葉通り、目に力が戻った善治郎はソファーから身を乗り出し、グルグルと肩を回す。
「ただし、そなたはカルロスの前で喋っては駄目だぞ」
「いや、俺も最近かなりがんばってるんだよ。発音も良くなってきたと思うし、そろそろ『パパだよ』以外も喋らせて欲しいなあ」
「それは駄目だな。努力は認めるが結果が伴っておらん」
「なんと厳しいお言葉」
「ふふん、我が子の将来がかかっているからな」
その後の談笑は、それまでの暗い雰囲気を払拭するように、明るく楽しい雰囲気で続いたのだった。