第五章4【魔道具候補】
夕刻、後宮に戻った善治郎は、早速着慣れないカープァ王国の民族衣装を脱ぎ捨てると、私物のTシャツと綿パンに着替えた。
「とりあえずエアコンのスイッチを入れてっと」
いったん寝室に入った善治郎は、エアコンのスイッチを入れるとすぐにリビングルームに戻ってくる。
善治郎が留守にしている間に、木戸を全開にして換気されている寝室の気温は、後宮の他の部屋と遜色ないくらいに高まっている。エアコンがその効果を発揮し始めるまでは、あえて寝室に身を置く理由はない。
リビングルームに戻った善治郎は、すぐさま冷蔵庫を開けると、銀の水差しを取り出し、その中身をガラスのコップに注ぐ。
「ふう……生き返る」
冷水を一息にあおり、人心地着いた善治郎が次に向かったのは、ソファーの前に設置されているテーブルだ。
黒い革張りのソファーに腰を下ろした善治郎は、テーブルの上に乗っていた細長い茶色の棒をその手に取る。
「んー、やっぱりかなり太いなあ。これじゃとてもじゃないけど、銀線とは言えないな。せいぜい、『銀製の針金』だね」
善治郎が手に取ったのは、王室付きの銀細工師に頼んで作ってもらった、銀線である。
色が茶色なのは、その上から布を巻き、膠のような物を塗って固めているからだ。電気コイルとして使用するためには、電線の表面が絶縁状態になっていないと扱いづらい。巻き付けたときに隣の線とくっついたら、コイルにならないからだ。
だが、その銀製の電線は今善治郎が言ったとおり、かなり太いものであり、下手に扱うと中でポキリと折れてしまいそうな脆さがあった。
「まあ、最初のうちはしかたがないかな。最悪失敗しても、修理は難しくないって言ってたし」
そう自分に言い聞かせた善治郎は、用意していた木の棒を手に取ると、慎重な手つきでその丸い木の棒に銀線を巻き付けていく。
木の棒の太さは善治郎の指に二本から三本くらいだろうか。本当はもっと細く巻きたいのだが、あまり細いと巻き付ける銀線に負担がかかり折れてしまう。
「よし、こんなもんかな」
かなり不格好ではあるが、どうにか銀線を丸い木の棒に巻き終えた善治郎は、慎重な手つきでそのできたばかりの銀製コイルから、丸い木の棒を抜き取る。
代わりにそこに差し込んだのは、木の棒とほぼ同じ直径に縫ってもらった、竜皮製の細長い筒である。
「最初は、乾電池一つで試してみるべきだろうな。んー、我ながらちょっと神経質すぎる気もするけど、警戒してしすぎる事は無い、か」
一瞬この場で最初の電磁石実験を行おうかと考えた善治郎であるが、すぐにその考えを改める。
電磁石を発動させると言うことは、周囲に磁力を振りまく事に他ならない。
たかだか乾電池一つ分の電力と、三十回弱巻いただけでのコイルで発する磁力線が、この広いリビングルームの家電に悪影響を与えるとは思えないのだが、この問題に関して善治郎は、完全な素人である。
素人判断で『大丈夫』とするよりは、無駄に慎重になった方が良い。
「よし、場所を移そう」
善治郎は、電磁石実験に必要な一式をまとめると、ソファーから立ち上がるのだった。
結論から言うと、実験は一応成功したといえる。
日頃は全く使っていない簡素な家具しか置いていない後宮の一室で、実験を終えた善治郎は、西日の差す窓の下、腕を組んで眉をしかめる。
「うーん、とりあえず『電磁石として機能する』ってことを確認できたことが、今回唯一の実績かな」
そう非常に不本意そうな言葉を漏らす。
実際そう言って自分を慰めなければならないくらいに、今回の電磁石実験は問題だらけだった。
そもそも、磁力を発することに成功したと言っても、その磁力があまりに弱い。鉄製のクリップや小さな釘は確かに電磁石の伸鉄に吸い付いたのだが、慎重に電磁石を持ち上げると、重力に負けてテーブルに落ちてしまったのだ。
当然その程度の磁力では、鉄を実用レベルの永久磁石化できるはずもなく、かなり長い時間電磁石にくっつけ続けた鉄釘も、磁石化はほとんどしてない。
試しに用意して置いた砂箱に突っ込んだら、ほんの少し砂粒がくっついたので、全く駄目だったわけではないようだが、実用化などどうひいき目に見てもまだまだ遙か先の話だろう。
「なんにせよ、もうちょっと有効的な絶縁方法を見つけないと、そのうち火傷しそうだな、これ」
善治郎を一番うんざりさせたのは、銀線を覆う膠が、通電の熱に耐えられず溶け出したことである。
元々銀という物質は、電気の伝導率も高いが、熱伝導率も同じくらいに高い物質である。長時間電気を通せば、発熱するのは予想がついていたのだが、善治郎の予想以上に塗ってある膠が熱に弱かった。
すでに持ち込んだ銀線はあちこちの膠が溶けて、グチャリと竜皮製の筒に張り付いてしまっている。
さらに、顔を近づけると、ほのかに焦げ臭い匂いすらする。ひょっとすると銀線に貼り付けた布が焦げているのかも知れない。
「あー、次の実験はむき出しの銀線使った方がいいかな? どのみち今の太さじゃ、隙間無くびっちり巻く事なんてできないんだし。それなら、無理に線全体を絶縁するより、むき出しの銀線を余裕もって巻いた方が良いかも。
でも、そうなるとどうしても巻き数が少なくなるから、コイルの電磁力が弱まる、か。うーん、問題だらけでどこから手をつけて良いか分からない状態だな、こりゃ」
夕日の差し込む静かな一室で、善治郎は深い溜息をつくのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
その日の夜。
夕食と入浴を済ませ、ラフな格好に着替えた善治郎は、エアコンの効いた寝室で妻であるアウラと向かい、今日の出来事について話していた。
「なるほどな……フランチェスコ王子も随分と対応に困る『失言』を漏らしてくれたものだ。これは確かに喜ぶべきなのか、迷惑がるべきなのか迷うな」
今日の昼間にあった出来事を一通り聞き終えたアウラは、そう言って椅子の背もたれに体を預ける。
「しかし、経過はどうあれ、ビー玉の効果を確定できたのは十分な成果だ。よくやってくれた」
「ありがと、まあ、どう考えても俺の手柄じゃないし、立場上手柄にもできないんだけどね。でも、アウラは本当のところどう思う? ファビオの言うとおり、下手に俺一人が最初に聞いちゃったせいで、相当やっかいな状況になってると思うんだけど、それってわざとかな?」
「ふむ」
アウラは軽く目をつむり、しばし考える。
「確かに、面倒と言えば面倒な状況だな。正直、私の夫がそなたでなかったとしたら、私にとっては致命的とまではいかぬものの、相当な痛手になっていたことは間違いない」
「アウラ」
妻の言葉に、善治郎は思わず顔をほころばせる。
それは紛れもない、妻からの信頼の言葉だ。もっとも詳しく内容を吟味すれば、善治郎の「野心や欲のなさを確信している」と言っているに等しい。
この世界の一般的な価値観と照らし合わせれば決して褒めているとはいえない評価なのだが、善治郎にとってそれはさほど重要ではない。
そんなものに、愛する妻との関係をこじらせてまで追い求めるほどの価値はないと、断言できる。
嬉しそうに頬を緩める夫に笑い返しながら、アウラは体を前に乗り出すと、テーブルに両腕をのせた体勢で話し続ける。
「まあ、現時点での結論は、私もファビオやそなたと同意見だな。とにかく、情報が足りないため、何一つ断言できん。現時点では、向こうの意図を気にするより情報の確度をあげることを重要視するべきだろう。
となると、試しに一つビー玉を渡して、作らせてみるのも手かもしれぬな。さすがに疑いすぎとは思うが、現時点ではフランチェスコ王子とボナ王女が示し合わせた狂言、という可能性もないとは言い切れぬ。
なにより、本当に魔道具制作時間をそれほど短縮できるというのであれば、正直私としても非常に助かる。『時空魔法』を魔道具化する有効性は理解しているのだが、その施術に何度もかり出されるとなると、魔力も時間も大幅に食われるからな」
そう一息に言い終えたアウラは、テーブルの上から氷水の入った赤い切り子グラスを手に取った。
魔道具の作成には、付与魔法の使い手とは別に、魔道具にこめる魔法の使い手が必要となる。
簡単な四大魔法であれば付与者が術者も兼任すれば良いのだが、こめる魔法が『時空魔法』となると、現存する唯一の使い手であるアウラの協力が不可欠だ。
一回当たりの拘束時間がごく短時間だとは言え、女王としての責務に追われるアウラの拘束期間が、一年から十日未満まで短縮できるというのは、非常に大きい。
「まあ、確かにアウラが魔道具制作にかり出される期間が大幅縮小されるっていうのは、いいね。でも、それだけ早く魔道具が完成しちゃうとそれはそれで問題じゃない?
どこかから情報が漏れたら、たどって『俺の功績』まで発覚しかねないと思うんだけど」
アウラの提案の有効性を認めつつも、なお懸念を口にする善治郎に、アウラは口をつけた赤いグラスをテーブルに戻し、答える。
「そこは、内密に事を運ぶしかあるまい。実際の完成は数日でも、発表は一年後まで遅らせる。幸い、関係者は私とそなた、フランチェスコ王子とボナ王女の四人だけだ。この少人数ならば、機密を護ることも不可能ではあるまい」
「大丈夫? フランチェスコ王子の約束だよ?」
心底疑わしそうな夫の視線に、女王は珍しく少し言いよどむ。
「む……まあ、確かに少々不安ではあるな」
「少々?」
「……結構不安ではある。しかし、今後のことを思えば、ここは多少危険を冒してでも踏み込むべきだろう」
「うーん、まあ、そのあたりの判断は基本的にはアウラに任せるけど。となると、最初に作ってもらう魔道具は何にするかもう決めてるの?」
とりあえず、アウラの基本方針はすでに決まっていると理解した善治郎は、そう議題を次へと移す。
ビー玉を譲渡し、シャロワ王家の『秘術』を実践してもらうことが決定しているのならば、作成を依頼する魔道具を何にするかが、重要だ。
アウラとしても、その点に関しては善治郎と話し合いたかったらしく、いっそう身を乗り出し、薄い夜着の下からのぞかせる深い双乳の谷間を見せつけるような体勢で、話し始める。
「そうだな、難しいところだ。強力で使い道の多い魔法を魔道具化した方が利点が大きいのは確かなのだが、将来的にそれが敵対勢力に渡る可能性を考えれば、あまり大きな危険もおかせぬ。
『血統魔法』の独占は、王家が王家として成り立つための支柱だからな。魔道具化するということは、一部とはいえその利点を捨てることを意味する。
安全を考えれば、一度きりの『使い捨て』の魔道具の方がよいのだろうが、そうなると、今度は使いどころが限られる。なんとも、難しいな」
テーブルの上で頬杖をつき、溜息を漏らす妻の胸の谷間に視線を奪われながら善治郎は、
「うーん、やっぱりそういう問題か。となると『秘匿魔法』の【時間遡行】や、最重要魔法である【瞬間移動】はだめだよね。
他にあると便利そうな魔法というと……【大結界】とか【効果継続】かな?」
最近はアウラから、【時空魔法】にどのような魔法があるのか、一通りは教えてもらっている善治郎である。
「ふむ、そのあたりだろうな。後は使い捨てならばいっそ、【空間振動】という手もある。時空魔法では数少ない破壊系の魔法だな。この魔道具を作って、国境砦に配備すればちょっとした抑止力にはなる」
アウラはそう答えると、満足げに頷いた。
時空魔法はその名の通り、時間と空間を限定的に操作する魔法である。そのため、日常的に使い勝手のよい便利な魔法が多いのだが、反面攻撃魔法はほとんど存在していない。
「なるほどねー。他には……あ、俺をこの世界に呼んだ『異世界召喚』なんかはどうなんだろ? あれも特別秘匿されている魔法じゃないよね?」
この場でアウラが自分に求めているのは、的確な判断ではなくインスピレーションを刺激する多数の提案だと感じた善治郎は、思いつくままに言葉にしていく。
「さすがに『異世界召喚』はなしだな。星の並びに左右されて、三十年に一度や二度しか使えない魔法を、魔道具にする意味がない」
「いや、でも前にちょっとひらめいたんだけどさ、『時間遡行』や『時間加速』って魔法があるんだから、それと組み合わせたら、星の並びが整っていない時でも使えないかなーって、思ったんだけど」
「無理だ。時を操作する魔法は、魔力を帯びたモノには使えぬ。その異界転移と時間遡行の組み合わせで召喚できるのは、生物以外ということになるぞ。
しかも、極小の物体を一年さかのぼるだけでも『時間遡行』は『未来代償』で私の魔力を何十日分も費やす必要があるのだ。『時間加速』ならば『時間遡行』よりは負担が小さいが、そこまでして極近い未来の異世界から、何を取り寄せようというのだ。
はっきり言えば、割に合っていない」
「うーんそっか。残念」
善治郎は少し無念そうに、天井を仰いだ。
『時間遡行』と『未来代償』の組み合わせで、善治郎がやりたかったのは、インターネットのフリースポットとの接続である。
点ほどの小さな空間を『時間遡行』もしくは『時間加速』で星の並びの良い時間まで移し、そこから『異界転移』で地球とつなげる。
さらに、事前にPCか携帯電話を『時間遡行』で契約解除前の状態に戻せば、ネットに接続できるのではないか、と考えたのだが、どうも思っている以上に障害が多そうだ。
(さすがに虫が良すぎる話だったか)
気を取り直した善治郎は、さらに思いつくままに、語り続ける。
「ああ、それならいっそ『未来代償』を魔道具化するっていうのはどうだろう? 確か、『未来代償』で未来の魔力を先に使うことはできるけど、その逆の過去に使わなかった魔力を有効利用する『過去代償』みたいな魔法は存在しないって言ってたよね?
でももし『未来代償』を魔道具化できたら、擬似的にそれと同じ状態にできると思うんだ。具体的には……」
「ほう、それは確かにできそうだな。詳しくは、フランチェスコ王子に聞いてみる必要があるが……」
女王夫妻の夜の会話は、就寝時を告げる音楽を携帯電話が奏でるそのときまで続くのだった。