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理想のヒモ生活  作者: 渡辺 恒彦
二年目
56/101

第四章2【王子の歌、王女との約束】

約一時間後。


「オオオオ、生きることの喜びウォオ! この金色の海に歌イィイイイ!」


 宴もたけなわになってきた会場の中央部では、赤ら顔のフランチェスコ王子がその見事な美声を響かせていた。


 一応歌は、楽器の演奏や踊りと並び、貴族のたしなみと言われているが、このような普通の夜会で朗々と独唱を披露するのはもちろん滅多にあることではない。


 ひょっとするとカープァ王国ではそうでなくとも、双王国では当たり前のことなのかもしれない。そんな可能性に思い至った善治郎は、同じ会場にいるボナ王女や双王国の騎士達を目で探す。


 すると、お付きの騎士達が頭を抱えたり、口ひげの下で苦笑いをかみ殺している様子が見て取れた。

 その様子から判断するに、双王国の常識もカープァ王国のそれと大差はないようだ。


「申し訳ありません。あの方に悪気はないのですが……」


 フランチェスコ王子の奇行を止められなかった責任を感じているのか、可哀想になるくらいに縮こまりながら、ボナ王女はもう何度目になるのか分からない謝罪の言葉を口にする。


「いえ、それほどお気になさらずともよろしいかと。誰が迷惑するわけでもないですし」


 作り笑顔で対応する善治郎は内心、ちょっと罪悪感を感じずにはいられない。


 いつの間にか紫のタキシードを脱ぎ捨て、気持ちよさそうに歌声を披露しているフランチェスコ王子のその赤ら顔を見れば一目瞭然だが、彼は現在したたかに酔っ払っている。


 その理由はまず間違いなく、善治郎手製の『蒸留酒』を混ぜた果実カクテルを景気よく飲み干したせいだ。


 アルコール度数が10%以下の果実酒や穀物酒しか飲んだことのない南大陸の人間が、同じ感覚で蒸留酒ベースのカクテルを飲めば、酔っ払うのも当たり前である。


(一応、「これはかなり強い酒です」ってことわったんだけどなあ。まあ、初めて見る蒸留酒の強さを想像できるはずもないか)


「愛の賛歌ヲォオオオ! 銀の月に歌うウウウウウ!」


 それにしても実に楽しそうな、歌いっぷりである。身の置き所がなさそうにプルプル震えているボナ王女には悪いが、あれだけ爽快に歌声を響かせてくれると、なんだかこっちも良いことをしたような錯覚さえしてしまう。

 実際、ほかの出席客達も、最初の驚きが去った後には、好意的な笑みを浮かべて、歌う異国の王子を遠巻きにしている。


 さらに、そうしている内に歌声に合わせるように、伴奏が聞こえてくる。


(ん?)


 反射的に音の鳴る方に首を向けた善治郎の視界に、古式ゆかり正しいカープァ王国の民族衣装に身を包み、弦楽器や横笛を奏でる男女の姿が映る。


(あれは、宮廷楽師団? ああ、アウラの手はずか)


 そういえば、フランチェスコ王子が大声で歌い始めた時、アウラが給仕係の一人を呼びつけて、なにやら命じていたことを善治郎は思い出した。


 一人で勝手に歌い出せばただのハプニングだが、楽師団の演奏をバックに歌えばそれは一つの余興だ。

 無論、酔っ払ったフランチェスコ王子が調子に乗って勝手に歌い出した、という事実は今更隠しようもないが、この夜会のホストであるアウラが楽士達に伴奏をさせたことで、フランチェスコ王子の歌を公認したことになる。

 会場にいる貴族達にも、そんなアウラの意図は伝わったのだろう。わずかに流れていた戸惑いの空気も完全に払拭され、みな素直に異国の王子の歌声に笑顔と拍手を向ける。


「フランチェスコ殿下は、実に物怖じしない人柄ですね」


「は、はい、その……ありがとうございます」


 明らかに言葉を選んでいる事がモロわかりな善治郎の評価に、ボナ王女はホッとしつつも、まだ申し訳なさそうに苦悩の表情を浮かべている。


「ゼンジロウ」


 私は、フランチェスコ王子のフォローに回る、と目で言うアウラに、


「分かった」


 こっちは任せて、と目で答えた善治郎は、滑るような足取りでこの場を離れる愛妻の背中を見送った後、異国の王女に向き直った。


「ボナ殿下、のどは渇いていませんか? よろしかったらどうぞ」


 そう言って、善治郎は近くに待機していた銀の盆を持った侍女に手で合図を送る。


 その侍女は銀杯を乗せた銀の盆を手に持ったまま素早く足取りで、こちらに近づくと、恭しい仕草で銀の盆を双王国の王女へと差し出す。


「あ、はい、ありがとうございます。いただきます」


 勧められるままに銀杯を手に取ったボナ王女は、恐縮しつつも一息にその中身をあおる。


 銀杯の中身は、カープァ王国では一般的な甘口の果実酒だ。さすがに、初対面の王女に蒸留酒ベースのカクテルを勧めるほど、善治郎は非常識ではない。

 ついさっき、初対面の王子に進めて失敗したばかりなのだから、なおさらだ。


「ふう……」


 水分を摂取したおかげか、はたまた微量のアルコールが効いたのか、さっきまでの気の毒なまでの緊張が少しだけとけた栗色の髪の王女は、今一度確認するように視線をフランチェスコ王子へと向ける。


「オオオ、麗しの都ォオ! 砂漠の真珠、その名はァアア!」


 宮廷楽師団という心強い味方を得た酔っ払い王子様は、気持ちよさげに二曲目に突入していた。


 国元の現国王と前国王から『お目付役』を仰せつかったボナ王女としては頭の痛い事だが、女王アウラが手配した『場』ができあがってしまっている以上、ボナ王女の介入できる余地はない。


 せめてもの救いは、女王アウラも周りの貴族達もこちらに気を遣って無難に場を収めようとする意思が明確に見えることだろうか。まあ、それはそれで「お目付役」としては、無力さを痛感させられて、情けない気分になるのだが。


 ともあれ、現状でこれ以上フランチェスコ王子のことを気にかけても、精神的な疲労が増すだけで何の益もないことを悟ったボナ王女は、この夜初めてフランチェスコ王子を視界から完全に外す。


 ボナ王女は、銀杯を持つ善治郎の左手の薬指に光る『魔力を帯びた指輪』の存在に気がついた。


「ゼンジロウ陛下、その指輪は……!」


 目の色を変えたボナ王女は、身を乗り出すようにして善治郎の左手に熱い視線を向ける。


「ああ、これですか。ええ、そうです。これは、以前シャロワ王家の方に『魔道具化』していただいた指輪です」


 そう言って善治郎は、銀杯を右手に持ち直すと見やすいように、手のひらを下に向けたまま、指輪をはめた左手をボナ王女の顔近くに差し出す。


 魔力視認能力に目覚めている者ならば、見えるだろう。善治郎の手から立ち上る魔力とは別に、指輪自体が魔力を発している。


 善治郎が地球から持ち込んだその『結婚指輪』は、精密すぎる作りが悪目立ちするという理由から、後宮外に持ち出したことはなかったのだが、今夜はさすがに例外だ。


 指輪を魔道具化した本人であるフランチェスコ王子が出席している以上、この場につけてこないのは失礼に当たる。もっともあのフランチェスコ王子の奔放さを見れば、不必要な気遣いだったのかもしれないか。


 ともあれ、ボナ王女の食いつきから、これはいい会話の糸口を見つけた思った善治郎は、積極的に指輪の話を振る。


「確かこの指輪は、フランチェスコ王子が魔化してくださったのですよね?」


「はいっ、フランチェスコ殿下は現シャロワ王家の中でも指折りの付与魔法の使い手ですから。私も付与者に名乗りをあげたのですが、選から漏れてしまいました。まあ、細工物を一から作るのであればそれなりに自信があるのですけれど、すでにできている物に付与するだけとなると、私の魔力では無理もないんですけれど」


 そう言って自嘲気味に笑うボナ王女の体から立ち上る魔力は、なるほど王族としてはかなり少ない。


 王族としては下の方である善治郎以下だ。王族としては最低ラインだろう。

 隔世遺伝的に現れる王族は、その血の力も最低クラスという話はどうやら本当のようだ。


(それに比べて、あっちはさすがだな。あれは、アウラの五割増しって感じだ)


 善治郎は、ちらりと一瞬だけ視線を、会場中央で気持ちよさげに三曲目を歌う金髪の王子様に向けた。


 金髪の王子様がその身にまとう魔力は、直系王族の貫禄を示す膨大なものである。


 女王アウラも、大国の王としてなんら恥ずかしくないだけの魔力を有しているのだが、そのアウラと比べても一目で優越が分かるくらいに、フランチェスコ王子の魔力は突出している。


 善治郎やボナ王女と比べれば、冗談ではなく『倍以上』ありそうだ。


(すごいな。もしかしたら『善吉と同じくらい』あるんじゃないか、あれ)


 そんな感想を心の奥に隠しつつ、善治郎はすぐ遠くの王子から近くの王女へ意識を戻す。


「なるほど、ボナ殿下は細工物が得意なのですか。そういえば、双王国は宝飾に関しては南大陸一だと聞き及んでおります」


「ええ。もちろんそちらの腕もまだまだ未熟ですけれど、魔法力よりは宝飾の技術のほうがまだ自信があります」


 そう言って小さく頷く王女の顔には、言葉以上の自信の色がにじんでいる。


 このいかにも生真面目で、どちらかというと引っ込み思案な質に見える王女様が、はっきりと『自信がある』というのだ。ひょっとすると、この若さですでにひとかどの職人なのかもしれない。

 少なくとも、彼女が宝飾というものに並ならぬ興味と情熱を持っていることは間違いなさそうだ。


「以前、ジルベール法王家のイザベッラ様がその指輪をお預かりしたときに、一度拝見したのですけれど、それはゼンジロウ陛下が陛下の故国から持ち込まれたのですよね?」


 礼法こそ破っていないものの、思わず善治郎が身の危険を感じるほどの熱い視線を、ボナ王女は善治郎の左の薬指に注ぐ。


 食い入るように見つめる、とはこういう視線のことを言うのだろう。


 予想外の熱視線に内心たじろぐ善治郎であったが、どうにか笑顔を崩すことなく、


「ええ、そうです。私の故郷の風習で、婚姻を交わす男は、妻となる女にペアリング――そろいの指輪を贈るという風習があるのですよ」


 そう、簡単に結婚指輪について説明をする。だが、そんな結婚指輪に関するうんちくなどボナ王女は興味がないらしく簡単に聞き流し、あくまで『指輪』そのものに焦点を向ける。


「そうなのですか。では、あのような指輪はゼンジロウ陛下の故国では一般的なのですか? あのように、金剛石を輝く多面体にカットし、あまつさえ三つの石を見分けがつかないほど同じ大きさ、形にそろえるようなモノが……」


「え。ええ、まあ、決して安いモノではないですが、一般的と言っても差し支えないでしょうね」


「では、あの台座の金属の加工方法をゼンジロウ陛下はご存じなのですしょうか? 確かに黄金は加工が容易い金属ではありますが、あのような細かな模様を歪みなく刻む方法を私は知りません。もし、ゼンジロウ陛下がご存じなのでしたら、是非ご教授お願いしたいのですが」


 多少は酒の勢いもあるのだろうが、さきほどまでの物静かさとは打って変わった饒舌さは、ボナ王女の『宝飾工芸』というものに対する情熱を現している。


「いえ、申し訳ないのですが、私にはそういった知識は全くありません」


「全くですか? ひとかけらも? どんな些細なことでもいいのです」


「そうは言われても……本当に門外漢なのですよ。聞きかじりの素人知識など、害になるだけでしょう」


「それでもかまいませんっ。なにか、参考になれば」


 当初の印象からはほど遠い、ボナ王女の熱意と懇願に善治郎は驚きを隠せない。


(うわっ、なんか随分第一印象と違うな。猫をかぶってたのかな? いや、この感じは第一印象が違ってたというより、宝飾に関する話題に関してだけ、人が変わるって感じかな?)


 こういう趣味人的な、自分の好きなモノには目の色を変える人間が善治郎は嫌いではない。


「……わかりました。機会があればいずれ」


「ありがとうございます!」


 結局、粘り負けした善治郎は、そう『言質を取られた』と言ってもおかしくないくらいの言葉を発してしまうのだった。








 ◇◆◇◆◇◆◇◆








 ホスト役として出席した夜会をどうにか無事に終え、浴場で汗と汚れと香油を綺麗さっぱり洗い落とした善治郎とアウラは、就寝前の一時をエアコンの効いた寝室で過ごしていた。


「あー、疲れた。あーあ、寝る前に善吉の顔を見たかったんだけどなあ」


「ふふ、仕方があるまい。この時間にカルロスの部屋を訪れては、乳母や担当侍女に迷惑がかかる。私達が部屋に入れば、彼女たちは立場上目を覚まさぬ訳にはいかぬからな」


「それは、分かってるけどさ」


 妻の言葉に理解を示しつつも、未練がましい言葉を紡いだ善治郎は、大きく溜息をつき、椅子の背もたれに背中を預ける。


 現在、善治郎とアウラが腰を下ろしているのは、寝室の一角に設置された木製の椅子である。


 エアコンの設置に成功した翌日、早速アウラの指示により寝室には、丸い小さな(あくまで王宮の基準での「小ささ」であるが)テーブルと、木製の椅子二脚が持ち込まれていた。それにともない、二つある寝室のLEDスタンドライトも片方を、ベッド脇からテーブル横へと移動させている。


 それからというもの夜の寛ぎの時間はもちろん、後宮で取る朝食・昼食もほとんどこの寝室で取っている。


 この状態は、酷暑期が過ぎるまで続くであろう。


 夜でも気温が人間の体温を下回らない日も珍しくないこの時期、エアコンの存在を知ってしまった人間が、その魅力から逃れられないのも、当然と言える。


 善治郎は、ガラスのコップに入った氷水を一息にあおると、空のコップをテーブルに戻す。


「……ふう」


 以前は善治郎が湯上がりに飲んでいたのは、日本から持ち込んだ発泡酒だったが、さすがにもうほとんど残っていない。最後の六缶が冷蔵庫の奥にしまってあるが、あれを空けるのは今後何か特別な日だけと決めている。


 夫がコップをテーブルに戻したのを確認したアウラは、組んだ両手をテーブルの上にのせ、口を開く。


「では、始めようか。明日も早い故、あまり時間を無駄にはできぬからな。

 ゼンジロウ、そなたはシャロワ・ジルベール双王国の王子と王女、フランチェスコ王子とボナ王女をどう見た? 単純な印象、気になったこと、何でもよい。話してくれ」


「了解。そうだね。うーん……」


 アウラの言葉に、善治郎は軽く首を縦に振ると、夜会の出来事を思い返しながら慎重に言葉を紡ぎ始める。


「それじゃ、まずフランチェスコ王子の第一印象から。

 まあ、言うまでもないかもしれないけれど、あの言動に一切裏がないのだとしたら『脳天気なバカ』、だよね」


「確かに、な……」


 率直な善治郎の人物鑑定に、アウラも苦笑しつつ頷くしかない。


 フランチェスコ王子の夜会での言動は、確かに「知恵が足りない」と言われても仕方のないものであった。


 いくら多少の無礼講は許される夜会とはいっても、正体を失うほどに酒を飲み、大声で歌い始めるなど、およそ貴人のとる行動ではない。


 あの言動が素なのだとすれば、フランチェスコ王子が二四歳にもなってまだ王位継承権をもっていないことにも、一応は説明がつく。


 しかし、善治郎は首を傾げつつ、言葉を続ける。


「ただ、だとするとフランチェスコ王子の言動に嫌みがなさ過ぎたのが気になるんだ。あれが素だとすると、ある程度バカをやっても許されるような、カラッとした邪気のない人柄じゃない、あの王子様」


「うむ、そうだな。それがおかしいのか?」


「普通に考えてさ、もし本当にあの軽率さとバカさ加減があの王子の本質なのだとしたら、幼少の頃から王宮で白眼視されてきたと思うんだ。第一王子の正嫡という立場に望まれる期待を裏切っているわけだから。


 そんな環境で育った人間が、あんな無邪気な人格に育つかな?」


 幼少の頃の環境というのが、その人間の人格形成に大きな影響を与えるという善治郎の意見に、アウラも異論はない。とはいえ、全面的に賛成するには、一面的すぎる意見でもある。


「私も噂程度しか耳にしていないが、フランチェスコ王子の両親――ジュゼッペ第一王子とその奥方はどちらも立派な人物だと聞き及んでいる。二親がしっかり愛情を注げば、ある程度真っ直ぐ育つ可能性もあるのではないか?」


 そんなアウラの反論は、善治郎としても十分に頷けるものであったようだ。


「うん、それは十分にあり得ると思う。それに、これはボナ王女から聞いたんだけど、フランチェスコ王子は、現シャロワ王家の中でも指折りの付与魔法の使い手らしいしね。

 そういう「これだけは負けない」っていう心のよりどころがあるっていうのは大きい。だから、あれがまるっきりの素でもおかしくはないとも思う。演技にしては、違和感がなさ過ぎるしね」


 そう言って簡単に同意を示す。


「ただそうなると、疑問が残るんだよね。

 なんで、そんなただの「気がいいお馬鹿さん」を、シャロワ王家にとって数百年ぶりの国外訪問という大事な任務に割り当てたのか?」


「ふむ。こちらが思っているほど向こうは、この一件を重要視していない、というのはどうだ? だから、消去法で王位継承権を持たない事実上の廃嫡王子と、王族とは名ばかりの王女を送ってきた」


 それはないだろうと、思いつつもアウラは半ば夫の思考を試すくらいの気持ちで、そう説得力のない反論を述べる。


 善治郎の反応は、案の定であった。間髪入れずに首を横に振った善治郎は、


「それはない。だって、フランチェスコ王子は「指折りの付与魔法の使い手」なんだよ? 少なくとも、魔道具制作者としては有能である事が明白なんだから、最低でもその有能な魔道具制作者の手を止めるだけの確固たる理由か、何らかの利点がこの人選にはなきゃ、筋が通らない」


 そう、アウラの予想と大差ない結論を出す。


「ふむ。そうだな」


 とりあえず、夫と自分の間に現状認識のズレがないことを確認したアウラは、少しうれしそうに頬を緩めた。この面倒くさい事態を前に、夫との意思疎通に問題がないというのは、喜ばしいことである。


「つまり、フランチェスコ王子の人格に裏がないのだとすれば、その裏のない王子を我が国に送り込んだシャロワ王家上層部の人選に裏がある。どちらにせよ、表向きだけの情報で話を進めるのは危険、ということだな」


「うん、そういうこと」


 確認するようなアウラの言葉に、善治郎は首肯した。


 いずれにしても、今夜が事実上の初対面だったのだ。たったの一度、顔を合わせてわずかに言葉を交わしただけの人間を正しく評価できるほど、善治郎は自分が卓越した眼力を持っているとは思っていない。


 それは、多少の差はあってもアウラも同様だった。


「わかった。では、フランチェスコ王子に関しては、ひとまずは様子見だな」


 そう一度、話を切ったアウラは、続いてもう一人の王族について言及を始める。


「では、もう一人、ボナ王女についてはどう思った?」


「うん、ボナ王女の第一印象は、「真面目な苦労人」かな? こっちの印象は結構当たっている自信があるよ。フランチェスコ王子のお目付役みたいで、気の毒なくらいに肩に力が入りまくってたよね」


 アウラには通じないだろうから言わなかったが、より正確に言えばボナ王女の印象は「気弱で真面目な学級委員長」だ。

 成績が良いので先生受けが良く、そのせいで学級委員長をやらされているが、社交的な質ではなく押しが弱いためクラスをまとめる力はなく、だが真面目すぎるせいで押しつけられた責務を投げ出すこともできずに、いつも涙目になりながらがんばっている女の子。そんなイメージである。


「うむ。確かに、緊張しながら常にフランチェスコ王子の方ばかり気にしていたようであったな。しかし、そなたとはなかなか話が弾んでいたようだが?」


「うん、最初はガチガチに緊張して「すみません、申し訳ありません、ご迷惑をおかけします」の連発だったんだけどね。


 指輪の話を振ったとたんに、すごい饒舌になってね」


 そのときの状況を思い出したのか、善治郎の顔に苦笑が浮かぶ。


「そっち関係のことに人生全体の比重を傾けてる感じだね。ちょっと引くくらいの、ものすごい食いつきだった」


「指輪? ああ、そなたの『結婚指輪』か。それならば、無理もないな」


 あっさりと納得するアウラに、善治郎は少し意表を突かれたように軽く目を見張ると、


「あ、無理もないんだ?」


 と問い返す。


 アウラは、軽く頷くと、


「ああ、シャロワ王家の分家王族は、魔道具制作で身を立てるものだからな。男ならば、武器防具、女ならば装飾品と言った具合に手に職をつけるのが一般的だ。


 そんなボナ王女があの指輪を見れば、目の色を変えるのも当然だろうよ」


 そう言って、小さく肩をすくめる。


 金の台座に小粒の金剛石が三つ並べて埋め込まれた善治郎の結婚指輪は、見る目のある人間が見れば、息を呑むくらいの輝きを放っている。


 まして、専門家であるボナ王女ならば、その細工の精密さ、石の均一さが逆立ちしてもこの世界では再現不能である事が理解できるだろう。


「へえ、でもそんな「仕事だから」って感じじゃなかったな。もっとこう、熱烈に入れ込んでる感じだった。もう、熱心に『指輪を見せてくれ』、『一度話がしたい』って押しの一手でさ。結局最後は根負けして、そのうちいずれって約束させられちゃった」


 そう言って頭をかく善治郎に、アウラはこの夜初めて眉の間に皺を寄せ、険しい声を上げる。


「おい、ゼンジロウ。それは、ちょっと軽率だぞ? はっきりと日付や条件を決めた約束ではないようだが、うかつに言質を与えるような言動は慎んでくれ」


 珍しい妻の叱責に、善治郎は少し真剣な表情で首をすくめる。


「ごめん。なにせ相手が、末端とはいえ大国の王女様だからね。失礼がないように言葉を選んでいる内に、そうなっちゃった。


 どうする? 約束とさえ言えないような言葉だから、いざとなったらすっとぼけることもできると思うけど」


「ふむ……」


 善治郎の問いに、アウラはあごに手をやり、しばし考える。


(約束自体はさほど問題ない。所詮は酒の場の口約束だし、向こうも遵守されるとは思っていないだろう。ごまかしようはいくらでもある。

 問題は、婿殿がこのようなうかつな言動を取ったのは、初めてだということだ)


 それが、慣れのせいで起こしてしまったうっかりならばよい。今の神妙な表情から見て、善治郎も気を引き締め直したようだ。今後しばらくは、同じような失態は犯すまい。


 怖いのは、これが「ボナ王女との相性」の問題である可能性である。


 相性の良い相手。別の言い方をすれば話しやすい相手、もしくは無条件に警戒心が薄れてしまう相手と言ってもいい。


 考えすぎかもしれないが、善治郎とボナ王女の距離が初対面の割にはやけに近かった気がするアウラである。


(本来ゼンジロウは、慎重で保守的な質だ。現にこれまで、何度も二人きりの時間を過ごしてきたオクタビア夫人も、ことあるごとに積極的に攻勢をかけたファティマ嬢も、全くと言っていいほど距離を詰められずにいる)


 それに比べて、ボナ王女は事実上の初対面で、いい加減な口約束とはいえ後日会う約束まで取り付けた。


(気のせいや、私の嫉妬心ならば良いのだが、そうでなければ少々やっかいなことになるやもしれぬな)


 なんだかんだ言って、夫に近づく女にはあまりよろしくない感情を抱いてしまうことを自覚しているアウラである。自分の判断に、嫉妬からくる邪推が混ざっていないと断言できる自信はない。


 とりあえず、現時点ではそれ以上突っ込んだ話は避けることにする。


「分かった。確かに、あまり邪険にもできぬ相手だからな。今後注意してくれればよい。

 さて。今夜はこんなところにして、そろそろ寝るとするか」


 アウラの言葉を受けて、テーブルの上においてある携帯電話で時間を確認したゼンジロウは、椅子から立ち上がると対面に座るアウラのそばへと歩み寄る。


「あ。もうそんな時間か? はい」


 自然に差し出される夫の手。


「うむ」


 その手を取り、立ち上がる妻。


 そのまま、手と手を握り合わせたまま、ベッドへと向かう……かと思いきや、善治郎はなにやら考え込んだようにその足を止める。


「む? どうしたのだ?」


 怪訝そうにこちらの顔を伺う妻に、夫は空いている方の手でポリポリと頭をかき、


「いや、別にたいしたことじゃないんだけど。こういうシチュエーションなら、奥さんを『お姫様だっこ』でベッドまで運べたら格好がつくのになあ、ってちょっと考えただけ」


 そう、らちもない想像を口にした。


「お姫様だっこ?」


「ああ、うん。なんて言えばいいのかな。こう相手の膝の裏と背中のあたりに両手を回して抱き上げる形のことを、俺の国ではお姫様だっこっていうんだ」


「ほう」


 夫の説明を聞いた女王は、しばし考えた後、にんまりと笑い口を開く。


「ふむ、そういうことならば任せろ。最近は、体がなまっている故、現状では心許ないが、もう少し鍛え直せば、そなたをお姫様だっこしてやれると思うぞ」


「え? 攻守逆? それはあこがれるどころか、ちょっと傷つくシチュエーションだよ? ってアウラ、分かって言っているでしょ!?」


 途中で、ニヤニヤ人の悪い笑みを浮かべている妻に気付いた善治郎は、そう言ってわざと少し目をつり上げる。


 女が男を抱き上げる。男性優位で強さが美徳とされるこの世界の男に言えば、どれだけ冗談めかして言っても本気で怒られかねないたぐいの軽口である。


 だが、この一年半で、自分の夫がこの程度の洒落で気を悪くするような小さな男ではないことを知っているアウラは、ついついそんな悪ふざけをやってしまう。


 それは、一種の「甘え」と言ってもよい。


「もう、ほら寝るよっ」


 案の定、善治郎は空いている左手でコツンと軽くアウラの額にチョップを入れただけで、右手はしっかりとアウラの左手を握ったままだった。


「痛ッ。ふふ、分かった」


 アウラは、善治郎の右腕を胸の谷間に挟み込むように抱き寄せると、甘えるように夫の右肩に頬を寄せる。


「…………」


「…………」


 そうして二つの人影は、一つの人影に見えるほどに身を寄せ合い、一つの寝台へと向かい歩み始めるのだった。

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