第一章3【蒸留酒、ガラス、そして水車】
午前中、長時間に渡りアルコールの蒸留作業を行っていた後宮のリビングルームは、夜になってもまだうっすらとアルコールの臭いを漂わせていた。
午後からは、善治郎が中庭でアウラと槍術訓練を行っていたため、リビングルームの窓を開け放ってずっと換気していたはずなのだが、まだしつこくその臭いが残っている。
ひょっとすると蒸発したアルコールが、リビングルームの家具や絨毯に染みついてしまっているのかも知れない。
(今後は中庭でやろうかな?)
そんなことを考えつつ、善治郎はウィスキーの空き瓶に入れた自家製の蒸留酒をペアのグラスに注ぐ。同じデザインで、片方は赤、もう片方は青の細かな模様が入ったそれは、『薩摩切り子』と呼ばれる、品物である。
何度も蒸留を繰り返したことで、アルコール濃度の高まったその自家製蒸留酒は、うっすらと琥珀色が滲んでいるものの、ほとんど無色透明である。
「それじゃ、飲んでみてもらえるかな? 昼間、手の空いている侍女の人達に飲んでみてもらった感じでは、正直あんまり評判は良くなかったんだけど」
そう言って苦笑を浮かべた善治郎は、赤い切り子グラスをソファーに座る妻の前へと押し出した。
善治郎が手ずから作った代物とはいえ、味見も毒味もされていないものを、王配である善治郎や、ましてや女王であるアウラが口にすることは許されない。
そのため、事前に非番の侍女達に一通り飲んで貰い、彼女たちの体調に異常がないことを確認した上で、こうして振る舞っている。
肝心の評判はというと……まあ、今善治郎が言ったとおりだ。
そして、その感想は、アウラもほぼ同じであったようだ。
「むう……なんというか、味も素っ気もないな」
グラスに口を付けたアウラは、そうはっきりと言い切り、少し眉をしかめる。
「だよねー……はあ」
自覚のある善治郎は、がっくりと肩を落としつつも、同意するしかなかった。
電気式ホットプレートを使った蒸留装置は、温度管理も自動でやってくれるので蒸留そのものは特別難しくないのだが、扱うのはド素人の善治郎である。蒸留酒に風味や香りを持たせる『コツ』のようなものを知っているはずもない。
結果、できあがったのは、少し琥珀色に色づいただけのただの高濃度アルコール溶液である。
その液体をもう一度口に含んだアウラは、目の前で項垂れる制作者を慰めるように言う。
「だが、確かにそなたの言うとおり、驚くほど『濃い』酒だ。この濃さはそれだけで十分な売りになるな。味や風味は、飲むときに果汁などを足しても良い。質の悪い果実酒や穀物酒では、そういう飲み方もある」
アウラの言葉を受けて、善治郎はポンと手を叩いた。
「あ、なるほど。ようは焼酎的な飲み方をすればいいんだ。あれもそのままストレートで飲むこともあるらしいけど、炭酸やライム水で割って飲むこともあるもんな」
そう言って善治郎は、自分も青い切り子グラスを傾ける。日本在住時には、発泡酒と安物のウィスキーしか飲んでこなかった善治郎でも「確かに強いばかりで味がしない」と認めざるを得ないこの酒にも、利用価値があると分かり、少し気をよくする。
「そういえば、ウィスキーやブランデーなんかは蒸留した後に木樽に詰めて、年単位で熟成させるんだよな。蒸留しただけの状態では、風味も味もないのもそう考えると当たり前、なのかな?」
おぼろげな記憶を頼りに、善治郎がそう呟く。一足先にグラスの中身を飲み干したアウラは、空のグラスをテーブルに戻すと、それに答えるように口を開く。
「ほう、色々まだ工夫の余地があるようだな。ところで、この『蒸留』という作業は、そなたが持ち込んだその特別な装置なしでは再現不可能なモノなのか?」
興味を示した妻の言葉に、善治郎は少し首を傾げて眉をしかめつつ、答える。
「うーん。まあ、不可能じゃないよ。原理は凄く簡単だから。要は、酒類をおおよそ七十℃から八十℃くらいの温度でずっと熱し続けて、そこから沸き上がるアルコールの蒸気を集めて水滴化するだけだから。ただ、その温度管理がねえ……。普通に薪の炎でやろうと思ったら、コツを掴むまでかなり試行錯誤することになると思う」
「なるほど。温度管理、か。その七十℃から八十℃というのは、大体どのくらいの温度だ?」
アウラの問いに、善治郎はソファーに深く腰を下ろしたまま、視線を天井に向けて考える。
「ええと……何て言えば分かりやすいかな。そうだね、身近な例を上げれば、真水の沸騰する温度がおおよそ百℃で、俺達が普段入っている風呂の温度が多分、四十℃弱くらいだと思うから、『風呂のお湯と、沸騰しているお湯の、丁度中間』くらい、かな?」
善治郎としては、相当大ざっぱな説明のつもりだったのだが、どうにかアウラにはその意味するところが伝わったようだ。
対面のソファーから少し身を乗り出していたアウラは、深く一つ頷きつつ、言葉を返す。
「そうか。となると、感覚的にはけっこうな高温に思えるな。少なくとも人が『手で覚える』ことのできる温度ではなさそうだ」
「まあ、無理だろうね。火傷しちゃうから」
想像してしまったのか、善治郎は少し眉の間に皺を寄せて、身体を縮こませる。
実際には、一瞬ならば七十℃程度では火傷はしない可能性もあるのだが、だからといってその温度を『手』で覚えることが非現実的であるという事実に変わりはない。
「だが、やりようはあるな。多少畑は違うが、砂糖の煮出し作業に携わっている職人ならば、水温を測る感覚も持ち合わせているやもしれぬ」
アウラの提案に、善治郎も頷き返す。
「まあ、そうだね。向こうの世界でも、酒類の蒸留はそうとう昔から存在しているから、基本的なやり方さえ覚えれば、後は職人の感覚と経験次第だと思うよ」
蒸留酒の歴史は古い。その製造工程も基本的には簡単だ。電気式の温度調整器などなくとも、職人の目と腕を頼りに再現は十分に可能なはずだ。
昔の鍛冶師などは、鉄を打つのに最適な温度を『炎の色』を睨んで探り当てていたという。恐らく、現在のカープァ王国にも同様の『眼力』をもった鍛冶師は存在しているはずだ。
それと比べれば、酒の蒸留の適温を、目や肌で覚えることも、そう難しくはないようにも思える。
無論、実現にはそれなりの道具と、それ専用の人材育成が必要だろうが。問題は、蒸留酒という存在に、そこまで投資する価値が果たしてあるのか、という点である。
大国とはいえ、いまだ戦災復興中のカープァ王国の国庫は、決して余裕のある状態とは言えない。
人材、資金、そして時間。全ては有限なのだ。将来の国益になりそうだからといって、安易に手を伸ばすわけにはいかない。
取り合えず、『蒸留酒』に関しては、今のところ婿殿の趣味に止めておくことに決めたアウラは、もっと関心を寄せているものへと話題を移す。
「そうか。そのうち色々試してみたいものだな。ところで話は変わるが、『ガラス』の製造技術開発は、近日中に始められそうだぞ。
あまり予算に余裕がないので、専属の人員は十名弱だがな。だが、皆引退した元鍛冶師や、鍛冶師の元で修行をある程度積んだ鍛冶師見習いなどだから、火を扱うことには慣れている連中だ」
そう言って胸を張るアウラに、善治郎は内心返事の予測が付いたまま、念のため尋ねる。
「元とか見習いとかつかない、『現役』の鍛冶師はやっぱり無理なんだ?」
善治郎の予想を違わず、苦笑を漏らしたアウラは、
「ああ、鍛冶師は国の宝だからな。現役を引退した老人達はともかく、見習いを引っ張ってくるだけでも、かなり大変だったのだ」
そう言って、ソファーに深く腰を掛けたまま、小さく肩をすくめた。
現役の鍛冶師というのは、替えのきかない専門職である。ある意味、熟練の騎士や優秀な文官よりもまだ貴重な人材だ。
その貴重な人材を、いつ芽が出るか分からない新事業の為に引き抜くことはできない。いや、正確に言えば、アウラの権力を持ってすれば引き抜き自体は不可能ではないだろうが、そうした結果、国内の鉄生産量が落ちて、一番困るのは国王であるアウラである。
流石に一人二人、鍛冶師を引き抜いただけで、そこまで露骨な悪影響が出る可能性は低いだろうが、少なくとも鍛冶師達の王家に対する心証は間違いなく悪くなる。
手に職をつけた職人というのは、得てしてプライドが高いうえに、意外と横のつながりも強い。
よって鍛冶師達の反感を買うマネは、できれば避けた方が良い。
「とにかく、今のところ『ガラス開発』に割くことができる人員はそれだけだ。無論、資材の運搬や、必要な道具の作製などで、一時的に人を増やすことはあるだろうがな。
ああ、開発施設で専用に使う水車もあったほうが良いだろうな。そなたに見せてもらったディー・ブイ・ディーでは、砕いた煉瓦を引いて粉にしたり、砂を引いてより細かな砂にしたりと、かなり石臼を使う必要があるように見えた。
人員が少ないのだから、水車で代用できる労力は、最初から代用してしまった方が良い」
「ああ、水車はあるんだっけ」
アウラの言葉に、善治郎はオクタビアから聞いた講義の内容を思い出す。
元の世界でも、水車は紀元前から存在している。カープァ王国でも普通に用いられていて特に不思議はない。
善治郎の言葉に、アウラは少し眉をしかめて頷き返す。
「ああ、カープァ王国は河川が多いのでな。農村部では、粉ひきなどに有効利用しているぞ。ただ、元々は北大陸で生まれた技術だからな。どうも、向こうの水車と比べると、我が国の水車は寿命が短いのが欠点だ。どうしても、簡単に歯車が割れてしまう」
「歯車の寿命が短いって、それって単にかみ合う歯車の数が『互いに素』になってないだけなんじゃないの?」
善治郎が中学生の頃、数学の教師が脱線して語った知識を、おぼろげに思い出しながら、そう言ったその時だった。
「ん? 『互いに素』? なんだそれは?」
という、アウラの言葉を打ち消すように、コンコンと入り口のドアがノックされ、ドアの向こうから、「失礼します」という聞き慣れた若い侍女の声が聞こえてくる。
「ん? なんだ?」
「なんだろうね。はい、どうぞ。入っていいよ」
いったん、会話を打ち切った善治郎は、そういってドアの無効の侍女達に入室の許可を与えるのだった。
一枚板で作られた豪華なリビングルームのドアがゆっくりと開き、見慣れた若い侍女が三人、中へと入ってくる。
「夜分に失礼します。今夜もまだ気温は下がらない様子なので、カルロス殿下のために御氷を頂きたく、存じます。頂戴してもよろしいでしょうか?」
三人を代表して、真ん中に立つ金髪の侍女がソファーに座る女王夫妻に頭を下げると、落ち着いた声色で用件を告げた。
「ああ、そうだね。確かにまだちょっと危険かな。うん、いいよ。持っていって」
善治郎は、そう気安く許可を出す。
善治郎の元にフォードア冷蔵庫があるとはいっても、その冷凍室で造る事ができる氷は限られている。夜の分の氷を持って行かれては、善治郎とアウラは、水を張った桶とその前においた扇風機だけで熱帯夜を凌がなければならなくなるのだが、可愛い我が子のためならば、そのくらいは我慢できる。
基本的にカープァ王国人は、生まれつき暑さに強いのだが、流石に生後一ヶ月ちょっとの赤子に、この酷暑期の夜は辛い。実際、夏の暑さに負けて死んでいく乳幼児の例は、貴族などの富貴層の子でも比較的良く聞かれる話らしい。
乳幼児であるカルロス王子が、乳母と共に寝起きしている一室までは、電源コードがのばせないため、扇風機は持って行けないが、その代わりに部屋に敷居を立てて、狭くすることで氷の冷気を室内に充満させている。
乳母の負担を軽減させるため、ほ乳瓶で乳をやったり、おしめを交換するために、毎晩一人、侍女からも寝ずの番を出しているらしいが、その寝ずの番が侍女達の中では『垂涎の的』だというのだから、王子の寝室は十分に涼が取れていると考えて良いだろう。
侍女達は、「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げ、冷蔵庫へと向かう。
「ふむ。カルロスを私達の寝室で一緒に寝かせてやれればよいのだがな……」
冷蔵庫を開ける侍女達の後ろ姿に、視線を向けつつ、アウラはまだ諦められないようにそう呟く。
もちろん、アウラが惜しんでいるのは、氷のある寝室ではない。愛するわが子、カルロス王子と同じ寝室で寝起きできないという、事実そのものだ。
父として、妻の言葉に内心では全面的に同意したい善治郎であったが、その思いを呑みこみ、苦笑混じりに妻を説得する。
「それは、駄目だよ。アウラも分かっているでしょ。あの歳の赤ちゃんが、どれくらいの頻度で夜泣きするか。おしっこ、うんち、オッパイ。その度にいちいちアウラがおこされてたら、昼間仕事にならないよ」
授乳やおしめの交換自体は侍女に任せるとしても、同じ部屋に赤子を寝かせておけば、夜泣きの度に目を醒ましてしまうことに変わりはない。
そんな浅い眠りを繰り返しては、昼間の業務に支障を来すことは明白である。
それを頭では理解しているアウラは、自らの我が儘を押し通すつもりは元からない。
「……ああ、分かっているさ。まったく、我が子の世話をしてやることもできぬとは、王という立場もままならぬものよ」
だから、ただ、そう愚痴をこぼすだけだ。
その妻の愚痴に同調するように、善治郎も少し苦い表情で言葉を発する。
「アウラはまだ良いよ。オレなんか、もうしばらくしたら、善吉に話しかけないようにしなきゃならないんだからさ」
言っているうちに、感情が高まってきたのか、善治郎はハアと無念そうに溜息をついた。
「仕方がなかろう。そなたは南大陸西方語ではなく、異世界の言語を話しているのだからな。今のまっさらなカルロスには、良い影響を与えぬのは明白だ」
アウラはそう言うと、正面に座る夫を慰めるように微笑む。
愚痴を言う者と、慰める者。いつの間にか、立場が逆転してしまっている。
「まあ、仕方がないことは分かっているんだけどねぇ……」
善治郎はもう一度、溜息を漏らす。
乳幼児が言葉を覚えるまでは、他国語ではあまり話しかけないようにする。というのは、『言霊』という自動翻訳が存在する、こちらの世界では常識である。
一切の言語を覚えていない赤子が最初に言葉を覚えるときだけは、『言霊』の助けを借りる事が出来ない。
その段階で、異なる言語を操る二種類の人種が近くにいると、赤子は二つの言語をまぜこぜにして覚えてしまう危険性がある。
なにせ、子供のうちは、意識的に魔力を抑えて言霊の働きを遮断することができないのだ。
一つの例えを上げると、善治郎が『父親』を意味する言葉として『パパ』という言葉を教えたとする。父親はパパ。最初にそう覚えてしまったら、その後、アウラ達がこの世界の言葉で『父親』に相当する言葉を教えても、カルロス王子の耳には、自動的に翻訳されて『パパ』と聞こえてしまう。
結果、そのまま言語習得を進めると、南大陸西方語と日本語が入り交じった奇妙奇天烈な言葉を操る人間の誕生だ。
日常的に「ミーとダンスホールでトゥギャザーしようぜ!」といった感じの怪しい言語を連発する人間になってしまうと思えば、だいたい間違っていない。
そうならない為、赤子が一定の言葉を覚えるまでは、別な言語を主言語とする人間との接触は極力避ける必要がある。
その事情は分かっている善治郎であるが、可愛い我が子との接触を制限されるのはやはり辛い。
「しかも、善吉は男の子だからなぁ。五歳になったら、後宮に入ることも許されなくなるわけだし」
そう、なおも善治郎は溜息をつく。
カープァ王国の風習では、五歳以下の子供は性別がないものとして扱われるため、今のところは後宮で育てられているカルロス王子だが、後宮の男子禁制の掟は本来直系王子も例外ではない。
五歳の誕生日を迎えれば、その生活拠点を後宮から王宮に移し、乳兄弟と共に文武の教育係の元、徐々に王族としての教育を受けていくのだ。
善治郎が後宮に引きこもっている限り、将来的には我が子と疎遠になるのは、確定している。
「……将来的には、王宮にも俺の私室を作ってもらうかな」
善治郎が口の中でそんな呟きを漏らしている間に、侍女達は手際よく氷の入った大きな金だらいを、台車の上にのせると、絨毯の上を押し動かし、入り口のドアへと移動していく。
その台車も、善治郎が現代日本から持ち込んだ代物だ。水力発電機を乗せて動かすため、わざわざホームセンターで買ってきた代物が、こちらの世界に来てからは、善治郎自身より、侍女達の労力を軽減させるために役立っている。
「それでは、失礼します」
「ご苦労」
「よろしくお願いね」
一礼をして退室していく侍女達に、アウラと善治郎はソファーに腰を下ろしたまま、そうねぎらいの言葉をかける。
バタンと小さな音を立てドアが閉まると、再び夜のリビングルームは女王夫婦だけの空間となった。
「…………」
「…………」
六つのLEDスタンドライトに照らし出されるソファーの上で、善治郎とアウラは、向かい会って座ったまま、しばし無言の時を過ごす。
言葉が途切れても、どちらも無理に会話を探そうとしないあたり、善治郎もアウラも二人きりの時間、空間を『当たり前』の状態として受け入れているのだろう。
その心地良い『沈黙の時間』を破り、アウラがソファーから身体を起こしながら言葉を発する。
「さて。私もそろそろ寝るとするか。明日は朝一で、ガジール辺境伯の使いを『瞬間移動』で辺境伯領まで送らねばならぬからな。睡眠が足りていない状態で、大魔法を使うと、その後の政務に支障をきたしかねん」
そう言うアウラの視線は、テレビ台の横の電波時計に向けられていた。
デジタル式の電波時計は、当然アラビア数字で時刻を表示しているのだが、この一年でアラビア数字の読み方も、二十四時間六十分六十秒式の時間のはかり方も、完全に身につけているアウラである。
最近は王室付きの文官達にもアラビア数字を学ばせているが、アウラほど完全にアラビア数字を操ることができる者は、まだいない。
むしろ彼等よりも、日頃、侍女長の目を盗んで、善治郎から借りた『携帯ゲーム機』で、『落ちモノゲーム』や『カートレースゲーム』のハイスコアを競い合っている、若い侍女の通称『問題児三人組』のほうが、身についているかも知れない。
ともあれ、早めの就寝を宣言したアウラは、ゆっくりとソファーから腰を上げると、夫である男に尋ねる。
「そなたはどうする?」
妻の問いに、少し考えた善治郎であったが、ゆっくり首を横に振り、答える。
「いや、俺はもう少し起きているよ。ほら、寝る前の『魔法の反復練習』もあるし。アウラは先に寝てて」
以前ならば、アウラが寝室に向かえば即座にその尻を追いかけていた善治郎であるが、今は少々事情が異なる。最近はまた、夫婦仲良く一つのベッドで寝るようになった善治郎とアウラであるが、現在は抱き合って眠る程度で、直接的な性行為には及んでいないのである。
いかにアウラが、先の大戦を生き抜いた女傑とはいえ、第一子を出産した次の年にすぐさま妊娠・出産を連発するのは少々厳しい。流石に今度は、政務に支障を来してしまうかもしれない。
そう言うわけで、現在子作りに関しては、「一時様子見」の状態なのである。
ちなみに、アウラと話し合ってその結論を出した際、善治郎はこちらの世界にゴム製の避妊具を持ってこなかったことを、死ぬほど後悔した。
半ば本気でアウラに、「星の並びが整わない状況で、地球からモノを取り寄せる時空魔法』が開発できないか、尋ねたぐらいだから、善治郎にとってはかなり深刻な問題だったのだろう。
「分かった。それでは、私は先にベッドに入っているぞ」
「ん。俺もすぐにいくから」
遅れて立ち上がった善治郎の首に、アウラはごく自然な動作で両腕を回し、互いの唇を重ね合わせる。
「ん……」
「ンン」
抱擁と口づけ。以前と比べると、抱擁の密着度が若干弱まっているのは、アウラがダイエット途中の自分の身体に自信を失っている現れか。
「では、おやすみ」
「うん、お休みなさい」
どちらともなく抱擁がとかれると、アウラは寝室へと消えていく。
「……よしッ。それじゃ、俺もとっとと魔法の反復練習を終わらせて、寝るとするか」
愛妻とかわした抱擁の感触を振り切るように、大きく二度三度首を回した善治郎は、少し強い声で自分に言い聞かせると、魔法の反復練習をおこなうべく、パソコンを設置ている机へと向かうのだった。