第六章3【双王国からの書状】
それから約一月後。アウラの妊娠は確定的となった。
まだ、腹が目立つような体型にはなっていないが、妊娠初期独特の症状が如実に現れたうえに、月の物も三月以上来ていないことから、ミシェル医師は確信を持って懐妊と断言したのである。
女王の懐妊。その特大の情報に、当然ながらカープァ王宮は揺れ動く。
早速、懐妊祝いの目録を片手に女王へ面通りを願い出る者。そのついでにそれとなく善治郎へつける側室候補の名前をアピールする者。
さらには、有力貴族達は自分の派閥の中から、女王の嫡子の乳母を出さんと、現在妻が乳飲み子を抱えている者や、腹を大きくして出産を間近に控えている者をリストアップしているという。
女王に変わって乳を与える文字通りの『乳母』と、乳離れした後の養育を担当する『乳母』は、別人であるケースの方が多いので、この時点での決定が絶対的な意味を持つわけではないのだが、乳母や乳兄弟が次代の王に、強い影響力を持つことは間違いない。
後宮という閉鎖空間は、本来外の雑音が届きづらいものであるが、今回の一件は噂の発信地が後宮なのだから、無関係ではいられない。そのため、善治郎もこの一月はなかなか心が安まるときのない、慌ただしい日々を過ごしていた。
「ああ、やっぱりろくな情報ないなー。完璧に失敗した」
開けはなった窓から、最近少しずつ穏やかになってきた日差しが差し込む後宮の一室で、ずっとパソコンに向かっていた善治郎は、一度大きく伸びをして首をならした後、落胆の溜息を漏らした。
アウラから妊娠の可能性を伝えられてから、何度も全データを見直してきたのだから、今更新たな発見がない事はわかりきっているのだが、それでも暇があると確認せずにはいられない。それくらい、善治郎は過去の自分の不備を後悔していた。
「ああ、もう。なんであの時俺は、生まれた後のことしか考えなかったのかなあ?」
後悔先に立たず。そう頭では理解しているが、愚痴を漏らす口が止まらない。
元々子作りの義務を負ってこの世界に来た善治郎だ。子作りについてもそれなりの準備はしてきたつもりだった。
ほ乳瓶、母乳冷凍保存のタッパー、万が一に供えて粉ミルク一箱。他にも乳幼児に着せる可愛いらしい服も、何枚かは用意してきたし、ネットで『パパの育児指南書』だの『男親に出来ること』などという題名のホームページもダウンロードしてきた。
しかし、それらの物資や情報は全て、無事赤子が生まれた後に役立つものであり、妊娠中の妻の助けとなるものは何もない。
「無意識のうちに、育児はともかく、出産は他人事だと思っていたんだろうな」
そう自省の言葉を吐いた善治郎は、パソコンの前でがっくりと項垂れた。
正確に言えば、妊娠・出産を『他人事』と取られていたと言うよりも、母子に危険が及ぶ行為であるという認識自体が薄かった、というのが真実だろう。
現代日本の、若い未婚男性ならば、無理なからぬことである。
現代日本でも、流産の可能性は未だに色濃く残っているが、妊娠・出産に伴う母胎の命が危険にさらされるケースは、激減している。
現代の日本で、妊娠・出産に伴う母胎の死亡率は、0.005パーセント前後だという。十万人に五人だ。東京で交通事故に会う確率よりまだ低い。
だが、現代の地球でも、衛生環境や設備の整っていない発展途上国だと死亡率が未だに、5%近い数値を残している地域もある。妊婦二十人に一人の確率で死んでいるというのだ。
幸いにしてカープァ王国の衛生意識や医療技術は、そこまで低いものではないようだが、それでも、一般市民レベルでは出産に絶えきれず命を落とす母親という存在は、そう珍しいものではないらしい。
無論、女王であるアウラの周りを固めているのは、王国最高の医療団だし、アウラ自身も極めて健康で気力体力共に充実している人間だ。滅多なことはないとミシェル医師は言ってくれたが、善治郎としては、やはり最悪の予想を連想してしまう。
「双王国のジルベール法王家の人間を呼べたら、一発解決なんだけどなあ」
現代日本の数段下の医療技術しか持たないこの世界で、例外なのがジルベール法王家の『治癒魔法』の存在である。
魔法というデタラメな力で、患者の傷を癒し、体力を付与し、精神の疲労を除去できるジルベール法王家の人間が側に付いていてくれたなら、何も怖いことはない。妊婦の安全は現代日本以上に保証される。
しかし、いかにカープァ王国が、南大陸西部に覇を唱える大国であっても、妊娠期間中ずっとジルベール法王家の人間を雇っておくことは不可能に近い。
出産はまだ半年以上先の話なのだ。王族の身の安全と、血統の流出問題に目を尖らせているジルベール法王家が、そのような長期契約を結んでくれるはずがない。
ならば、せめて容態が急変した場合だけでも即座に法王家の人間を呼びたい。最も早い移動手段が走竜であるこの世界で、夢のような話であるが、その夢を実現させる例外的な手段が、このカープァ王国には、本来存在する。
「瞬間移動の使い手が、アウラ以外にもいれば、問題の大半は解決するんだけどな」
『時空魔法』の使い手であるカープァ王家の人間にとって、距離の壁というのは本来意味をならないモノである。瞬間移動の魔法を使えば、大陸中どこへ行くのも一瞬だ。
しかし、現在時空魔法の使い手は、アウラ唯1人を残すのみ。
患者であるアウラの容態を見てもらうために、治癒術士を呼ぶのだから、その時アウラが瞬間移動のような大魔法を使える状態のはずもない。
「だから、本来これは俺の役割なんだよな。俺が時空魔法を使えるようにならなきゃいけないんだ」
あくまで潜在的な話だが、善治郎には時空魔法が使えるだけの素養がある。
しかし、善治郎が魔法の勉強を初めてまだ、ほんの数ヶ月。通常、魔法を使えるようになるには、平均して三年近い修練の時間を必要とする。
もっともこの三年という数字は、個人差もあるし、環境や一日の内修練に費やす時間の大小でもかなり変動するのだと、教師役であるオクタビア夫人は言ってくれた。無論、だからといって三年が一年や一年弱まで短縮できるというものではない。
せいぜい二年と十ヶ月とか、良くて二年と半年とか、その程度の話だ。どう考えても、今からアウラの出産までに、善治郎が時空魔法を使えるようになっている可能性はない。
「でも、だからといって、俺が魔法の習得を怠けていい理由にはならないよな。第一、アウラの出産は、これ一回とは限らないわけだし」
マウスを操作し、パソコンの電源を落とした善治郎は、気分を切り替えるように両手でピシャリと両頬を軽く張ると、勢いを付けて椅子から立ち上がる。
「魔法の修練時間を増やしたいところだけど、アウラが妊娠している最中にオクタビアさんと会う時間を増やしたりしたら、絶対邪推されるよな。なんとか、もっと安全なおばあちゃんの先生を紹介してもらうか、最悪後宮から出て、男の先生につくかした方が良いかも知れないな」
アウラの権力を守るという名目を盾に、これまで引き籠もり生活を満喫してきた善治郎だが、アウラとその子供の命を守るためならば、多少の面倒後とを引き起こしてでも、後宮の外に出る心づもりはある。
そう言えば、アウラの妊娠に関するごたごたで延び延びになっている、『竜弓』を貸し与えた騎士と対面を果たすため、ごく短時間ではあるが、後宮から出る事になっていたはずだ。
善治郎が後宮から出る事で、どのような問題が生じるのか、その辺で少し様子を見ることが出来るかもしれない。
「もしかすると、アウラが安定期に入るまでは、難しい判断力のいらない公的行事の出席は、俺が代理で出た方が良いのかも知れないな」
善治郎がアウラの代理として立つことは、男社会のカープァ王国では女王の権限を揺らがしかねない。それは間違いのない事実だが、そうしてアウラに無理を掛けることによって、母子の命を危険に晒すようであれば、あまりに本末転倒である。
ようは、善治郎が気をつけて、行儀のよい人形のように振る舞えば良いだけの話だ。
内心、色々と決意を固めた善治郎は、講義にオクタビアがくるまでの間、今の自分に出来ること、やるべき事を頭の中で整頓していた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「……さすがに、これは少々きついな」
同じ頃、王宮では、突如わき上がった嘔吐感に業務を中断させられたアウラが、珍しく弱音に近い言葉を漏らしていた。
「つわり」と呼ばれる妊娠初期の症状である。ミシェル医師の言葉が正しければ、つわりのヒドイ時期はそろそろ過ぎ去るとのことだが、正直、その日が待ち遠しくて仕方がない。
「吐き気をかみ殺すことには、戦場で慣れたつもりでいたのだが……」
「体調不良による一過性の嘔吐感と、つわりによる連続性の嘔吐感を同一視はできない、ということですな」
「ああ、骨身に染みて痛感したよ……なんの役にも立たない情報だがな」
アウラは、椅子に座ったまま、木桶の前から顔を上げると、横に立つファビオ秘書官を睨み上げ、そう言葉を返した。
日頃は、普通に流せる秘書官の飾らない言葉遣いに、今はいちいち噛みつきたくて仕方がない。今ならば、病症時に人を寄せ付けたがらなかった善治郎の心境が理解できる。体調の悪化に伴って高まる攻撃性を、周囲に悟らせないようにしておくのは、かなりの負担だ。
そう言う意味では、ファビオ秘書官の存在は逆にありがたい。
多少口汚い言葉をぶつけたところで、この中年の秘書官はそれを呑みこむだけの度量と忠誠心を兼ね備えているし、日頃から歯に衣着せぬ物言いばかりだから、こちらが文句を言う気になればいくらでも言える。
無事出産を済ませた後には、何らかの形で感謝と謝罪を示すべきだろうが、今は少しその忠誠に甘えてもよいだろう。
「……ふう」
善治郎からもらったガラスのコップで口をすすぎ、その水を木桶に吐き出したアウラは、少し落ち着いた様子で、椅子に深く座り直す。
「それで、次の議題はなんだ?」
職務に意識を戻した女王に、秘書官は「もう、お体はよろしいのですか?」などと、気遣いの言葉を掛けることもなく、話を再開する。
「はい。シャロワ・ジルベール双王国からの使者が書状を持ってきた件です」
「ああ、あれか」
秘書官の言葉に、アウラは目を固く瞑り、二,三度頭を振って意識を覚醒させた。
双王国からの正式な使者。本来ならば、アウラが自ら謁見の間で拝謁を許してもおかしくない相手であるが、妊娠に伴う体調不良を煩っているアウラは、現在極対外的に顔を出す機会を減らしている。
「おそらく、イザベッラ殿下にお渡しした、指輪の魔道具化に関する話だろうが、目を落としておくか」
「はい、これに」
そう言って差し出すアウラの手に、秘書官は阿吽の呼吸で懐から取りだした書状を載せる。
「ん? この紋章はシャロワ王家の紋章か?」
封蝋の紋章が、イザベッラ王女のジルベール法王家の紋ではなく、シャロワ王家の紋章であることに少し首を傾げたアウラであったが、頼んだのはジルベール法王家のイザベッラ王女でも、実際に指輪を魔道具化するのは、シャロワ王家の人間だ。
シャロワ王家から直接書状が来てもおかしくはない。
そう納得したアウラは、机の引き出しから意匠を凝らした青銅製の短剣を取りだし、その刃で書状の封を切る。
「ふむ……」
最初は予想通りの事が記されていたのか、冷静に目を通していたアウラが、あるところに差し掛かると急激にそのまなじりを吊り上げる。
「ッ!?」
「陛下っ?」
ガタリと椅子の上で立ち上がり掛けたアウラを、珍しく驚いた様子の秘書官が素早く制止しようとする。
「大丈夫だ、大事ない」
そうファビオ秘書官に言葉を返したアウラの顔は、血の気が引いて青黒くなっている。
「はっ」
どう見ても、大丈夫ではなさそうなのだが、まずは主君の出方を窺うことにしたのか、秘書官は素直に引き下がった。
やがて、書状に目を通し終えたアウラは、大きく三度深呼吸をする。
まだ、顔色は青黒いままだが、その表情から見るに、多少は落ち着きを取り戻したようだ。
頃合をはかっていたファビオ秘書官は、恐る恐る女王に声を掛ける。
「陛下、内容をお聞かせ願えますでしょうか?」
国内の『小飛竜便』と違い、この書状は王族から王族へと渡された外交文章だ。一回の秘書官に過ぎないファビオに、それに目を落とす資格はない。
秘書官の言葉に、アウラは何らかの激情を押し殺した表情でとうとうと語り出す。
「主立った内容は、予想通りだ。イザベッラ殿下を魔法で転送した事への礼と、私が頼んだ指輪の魔道具化を了承した、という報告事項だ」
アウラの言葉を、忠実な秘書官は無言で聞き、続きを促す。
女王アウラをここまで動揺させた内容。鉄面皮が売りのファビオ秘書官も、無意識の内に握った拳の中にじわりと汗をかき始める。
「問題は、その中に、世間話のように紛れ込ませていた、『噂話』だ。噂の主人公は、シャロワ王家に生まれた一人の王女だな」
「シャロワ王家の王女ですか? 傍系はかなりの数がいますが、直系ですと十五歳のカロリーナ殿下が最年長でしたか」
「いや、現代の話ではない。今から約百五十年前の公式記録から抹消された王女の話だ」
「百五十年前……」
アウラの言葉に、秘書官はピクリとその鉄面皮を揺らがせた。
百五十年前。存在を抹消された王族。しかも、女。
何の話なのか、『誰』に繋がる話なのか、この時点でほぼ正確に理解したファビオ秘書官は、乾いた唇を一舐めして湿らせ、アウラの言葉を待つ。
「公式の記録から完全に抹消されているので、あくまで噂なのだそうだが、なんでも百五十年前、シャロワ王家直系の姫君が、本来結ばれるはずのない男と恋に落ちたのだそうだ。
相手の男は、ただの平民だったとも、『当時敵対していた国の王族』だったとも言われているのだとか。
そうして、決して結ばれてはいけない間に芽生えた愛は、やがて二人を愛の逃避行へと向かわせた。その後、二人は『追っ手の手の届かない新天地』へと旅だったのだそうだぞ」
最後はやけになったように、吐き捨てるような口調で、アウラはそう早口で言い終えた。
秘書官は、先ほどのアウラ同様、大きく何度か深呼吸をする。なるほど、これは確かに動揺せずにはいられない、特大の凶報だ。
それでも、当事者ではないぶん、アウラよりは随分と冷静さを残しているファビオ秘書官は、声を震わせることもなく、確認の言葉を発する。
「カープァ王国に伝わっている、抹消された王子の相手が、シャロワ王家の王女だった。つまり、ゼンジロウ様はカープァ王家の血を引くと同時に、シャロワ王家の血も引いておられる、そういうことですかな?」
「さあな。真実は誰にも分からんよ。だが、この手紙の主は、そう考えているようだな」
アウラは不快げに、鼻の周りに皺を寄せると、手に持つ書状を乱暴にテーブルの上に投げ捨てた。不愉快極まりない話ではあるが、事の重大さはアウラも十分に承知している。
この世界では、王族とはイコール特殊な魔法力をその血統に宿すものを指す。
そのため、地球の中世ヨーロッパのように、他国の王家に別な国の王族が嫁ぐケースは、まずあり得ない。カープァ王家を例に挙げれば、二親等以内に『時空魔法』の使い手を持つ人間は、他国の人間と婚姻を結ぶことが許されない、と明確に記されている。
血統魔法の使い手である王族は、その国の財産であり、場合によっては戦力でもあるのだ。その血筋が、他国の王族に取り込まれているのだとすれば、平静ではいられないことは理解できる。
「しかし、その書状の内容は、本当に真実なのですか? こちらの噂話に便乗して、我が国に揺さぶりを掛けることが目的のはったりという可能性は?」
慎重な物言いの秘書官に、アウラは面白くなさそうな表情で、首を横に振る。
「その可能性もないとは言わんが、それにしては使者が来るのが遅すぎる。あれから一月だぞ。恐らく、あの書状は小飛竜などは使わず、慎重に使者が自らの手で運んできたのだろう。噂で揺さぶりを掛けることが目的ならば、小飛竜を使う方が自然だ」
小飛竜での伝令は、同じ書状を複数飛ばせて、一通でも目的地にたどり着けばよい、というものだ。その分、情報が横から漏れやすい。確かに、噂でこちらを揺さぶることが目的なのだとすれば、小飛竜を使わない理由がない。
「なるほど、ではいっそ、知らぬ存ぜぬで押し通すという選択肢は?」
秘書官の少し大胆な提案に、アウラはばつが悪そうにスッと視線を横に逸らし、答える。
「それは駄目だ。見舞いの際、婿殿がイザベッラ殿下の前ですでに白状してしまっている。自分は、百五十年前に異世界に愛の逃避行を行ったカープァ王家の子孫だ、とな」
「それは、少々軽率でしたな」
「仕方がなかろう。あの時点で、その情報がこのような大事になるなど、誰が思うか。しかも、あの時婿殿はまだ、病床の身だったのだぞ」
「事情は分かりますが、軽率であったことは事実です」
とっさに善治郎を庇うアウラを、秘書官は冷たい正論で切って捨てる。そして、少し考えた後、極めて拙い現状を言葉で言い表す。
「となると、最悪なことに、『噂』の信憑性は高いと言うことになりますな。陛下、ゼンジロウ様は間違いなく、カープァ王家の血を引いているのですな?」
今更ながら、確認してくる秘書官に、アウラは椅子の背もたれに身体を預けながら、首肯した。
「ああ、それは間違いない。召喚術をそのように条件付けしたからな。しかも、婿殿の魔力は、王族としてはそう高いモノではない。間違っても、『時空魔法』と『付与魔法』を同時に操るようなマネは出来まいよ」
公式に二つの血統を引いた王族というのは、存在していないため実例はないが、理論上一人の人間が、二つの血統魔法を操ることは不可能ではない、というのが現在の定説ではある。だが、それを可能にするには、通常の王族に倍する魔法容量が必要であるとされている。
「そうなると、やはりシャロワ王家の方々が怖れているのは、ゼンジロウ様の潜在的な血の力、その子供の存在でしょうな」
秘書官の視線を腹部に感じたアウラは、無意識のうちに右手の平で腹をさすり、答える。
「ああ、だが私の子はまず問題あるまい。かりに婿殿がカープァ王家とシャロワ王家の血を、ほぼ互角に引いていたのだとしても、私という濃いカープァ王家の血を混ぜれば、まず間違いなくシャロワ王家の血は押しつぶされる」
アウラの言葉に、ファビオ秘書官は同意を示す。
「はい、それはその通りかと。ですが、ゼンジロウ様が他の側室との間に子を作れば、話は別です。その子は、『時空魔法』ではなく、『付与魔法』の血を発現させる可能性があります」
「そうだな。恐らく、シャロワ王家が怖れているのは、それだろう」
国の最高機密である、王家の血統魔法が、他国に流れる。シャロワ王家の人間が危機感に襲われるのも分かる。特にシャロワ王家の場合、血統魔法の存在は、国防にも国の財政にも密接に結びついている。魔道具の独占が崩れれば、控えめに言ってもシャロワ・ジルベール双王国の財政は、大きく傾く。
一歩対応を間違えれば、双王国は『次の大戦』へと決意を固めてもおかしくはない。
「とりあえずは、婿殿に側室は入れない。そう匂わせることで、双王国をなだめるしかないな」
「それで、双王国は矛を収めるでしょうか?」
秘書官の疑念の声に、アウラは溜息を漏らし、首を横に振る。
「まず無理だろうな。公的に側室を持たずとも、人知れず女を孕ませ、他人の子として生み育て、『付与魔法』の使い手を作る。そういう疑念は捨てきれんだろうよ、向こうは」
実際、追求がなければ、アウラ自身、そう言う手を打つかも知れない。大国シャロワ・ジルベール双王国を怒らせることの危険は分かっているが、それでもつい手を伸ばしたくなるくらいに、『付与魔法』の使い手を国内に抱えるというのは、魅力的なのだ。
「まったく、このような書状が送られなければ、私は婿殿の血筋など、知るよしもなかったというのに。シャロワ王家に人間も、蛇を怖れるくらいならば、最初から藪をつつかなければよいものを」
憮然と不満を漏らすアウラに、秘書官はいつの間にか、完全に冷静さを取り戻した声で答える。
「恐らく、向こうは、こちらが真実を知らないことを知らないのでしょう。より正確に言えば、知らない、という確証が持てない、と言ったところでしょうか。万が一、こちらが気づいていた場合、手をこまねいたまま手遅れになるくらいならばいっそ、といったところでしょうか」
「おおかた、そんなところか。いずれにせよ、まず婿殿と相談だな。私はこのような状態だし、事が事だ。当人に秘密にしたまま、話を丸く収められる可能性は、ないと思ったほうがよい」
一瞬何か言いたげな表情を浮かべたファビオ秘書官であったが、その言葉を口にすることはなかった。
「……承知いたしました。どれほど大事であっても、結局根は夫婦の問題ですからな。陛下にお任せします」
「ああ、任せろ」
力強く頷き返すアウラは、いつの間にか、つわりの嘔吐感も忘れていた。