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理想のヒモ生活  作者: 渡辺 恒彦
一年目
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第五章3【ビー玉と金貨】

 指輪を見た時の驚きが、「隠す気のない驚き」だとすれば、今イザベッラ王女が浮かべているのはさしずめ「隠すことに失敗した驚き」と言うべきだろうか。


 イザベッラ王女は、一瞬「しまった」という表情を浮かべた後、すぐにいつもの柔和な顔つきに戻る。


「失礼しました。それにしても、驚きました。これは、一体何なのでしょうか?」


 銀のトレイの上で転がるビー玉に視線を向けたまま、イザベッラ王女はさも驚いたような口調でそう言った。その「驚き」は、取り繕った驚きで、最初にビー玉を目の当たりにした時のような、生の感情としての「驚き」ではない。


 予想を超える大きな反応を見せたイザベッラに、内心訝しみながらアウラは、笑顔の奥に感情を隠し、言葉を返す。


「驚いたであろう? これも婿殿が持ち込んだ品だ。水晶でも、もちろん金剛石でもない。ガラス、というモノらしい。水晶などと比べれば随分脆く、割れやすいのだそうだ」


 脆い、という言葉で、そっとビー玉に手を伸ばし掛けていたイザベッラ王女は、ピクリとその手を止める。


 アウラは少し笑うと、


「ああ、脆いとは言っても、高所から固いところに落とすと割れるという意味だ。普通に手で持って傷が付くことはないし、ここのように下が絨毯であれば、落としてもまず問題はない」


 そう付け加える。


「そうですか。では、手に取ってみてもよろしいでしょうか?」


「うむ。よく見てくれ」


 アウラの許可を得て、そっと三本の指でビー玉を摘んだイザベッラ王女は、それを先ほどの指輪と同じく日の光にかざし、ホッと恍惚の息を吐く。


「素晴らしいですわね……」


「率直にきこう、イザベッラ殿下。それを融通すると言えば、貴女はそれ一つに、いくらの値をつける?」


 何らしかの意図があるのか、驚くほど率直に切り出すアウラに、イザベッラは視線を正面に戻すと、取り繕うように一度咳払いをした後、問い返す。


「つまり陛下は、この宝玉をお売りする心づもりがある、と?」


 偉く真剣な面持ちのイザベッラに、アウラは小さく笑い返すと、


「いや、元々それは婿殿の私物だからな。勝手に全て売り払うわけには行かぬ。しかし、なにせ元々この世界に存在していない代物だ。価値を知るために、幾つか手放す許可はもらっている」


 そういって首を横に振った。


 宝飾品のような、生活必需品でも、軍事的に価値のあるモノでもない品というのは、価値が定まっているようで定まっていない。特に、ガラス玉はこれまでこの世界には存在しなかった代物だ。

 アウラや善治郎が、いくら主観で「これは価値があるモノだ」と思っていても、外に出して一般的な評価を得なければ、正しい価値はつけられない。


 そう考えれば、一つ二つ世に出して、その価値を確立させるというアウラの発想は、そう奇をてらったモノではない。その意見を求める相手として、イザベッラ王女を選んだのも悪くない選択だ。


 しかし、そのイザベッラ王女は、真面目な表情でアウラが耳を疑うようなことを言ってのける。


「そうですね。仮に私がこの宝玉を買い取ることが出来るのだとすれば、私は金貨30枚をお支払いします」


 金貨30枚。


 予想外の金額に、絶句しかけたアウラであったが、それでもどうにか表情には出さず、短い言葉で問い返す。


「……本気で言っているのか?」


「…………」


「…………」


 しばしの沈黙の後、イザベッラ王女は観念したように小さく肩をすくめて答える。


「……分かりました。では、金貨50枚。流石にこれ以上の値をつける者は、いないと存じます」


 いつの間にか、仮定の話ではなく、今この場で商談を行っているように、イザベッラ王女はそう言って、一気に金貨20枚の上乗せを提案した。


 今度こそ、アウラは驚きを完全には隠しきれなかった。


 ビー玉一つに金貨30枚でも『過分』だと感じ、「本気で言っているのか?」と問いかけたのに、まさか更なる上積みを提案されたのだから、驚くのも無理はない。

 まさか、アウラの「本気で言っているのか?」と言う言葉を、「そんな安値で買いたたくつもりなのか?」と言っているように誤解してしまったのだろうか?


 そう思ってアウラがイザベッラ王女に探るような視線を向けると、イザベッラ王女はそのふっくらとした上品な顔に、にっこりと優しげな笑みを浮かべてこちらを見ている。


 その笑みを見たアウラは確信した。


(いや、違うな。イザベッラ殿下が、あれだけ分かりやすい言外の意図を、察し間違えるとは考えがたい。ということは、この値上げはわざとか。たかが宝玉一個にそこまで法外な値をつける意味はなんだ?)


 金貨50枚という金額は、それだけ常識外なのだ。

 分かりやすい例を挙げれば、騎乗用の『走竜』は金貨1枚で購入できるし、戦闘用の訓練を受けた『騎士用走竜』でも金貨2,3枚も出せば、それなりのモノが手に入る。


 さらに、領地を持たない中小貴族の邸宅の売買価格が、おおよそ金貨50枚から金貨100枚の間だといえば、いかに珍しい見事な代物だとはいえ、宝玉1個の値段として金貨50枚というのがいかに破格であるか、分かるだろう。


 無論、宝飾品の中にはそれくらいの値がつくものも珍しくはないし、もう一桁上の品も存在するにはする。しかし、アウラの見立てではこのビー玉という代物は、そこまでの価値はないように思える。


 何かがおかしい。


 そう感じたアウラは、情報を得るため、もう一つの巾着袋に指を入れると、そこから数粒のビーズを取りだし、銀のトレイに乗せる。


「では、これはどうだ。こちらも中々面白い代物だと思うのだが」


 赤、青、緑。綺麗に透き通った色とりどりのビーズは、十分に人目を引く品であったが、イザベッラ王女の反応は、ごく一般的な範囲に留まった。


「まあ、こちらも素敵ですわね。粒も揃っている上に、真ん中に小さな穴が空いているのですね。色々面白い使い方が出来そうですわ」


 褒め称える言葉にも、うっとりとしたその視線にも偽りはなさそうだが、ビー玉を見た時のような驚愕の色は見えない。


「美しいだろう。それに面白い。そのまま、糸を通せば、首飾りに出来そうだ。こちらは、どれくらいの値が相応だと思う?」


「そうですわね。見た目の良さは一目で分かりますが、大きさが大きさですし……一粒、銀貨10枚といったところでしょうか」


 ふっくらとした顎に手を張り、イザベッラ王女が提示した値段は、アウラの予想とそう大きく外れたモノではなかった。

 

 ちなみに、場所や時代による細かな差異を省けば、金貨1枚はおおよそ銀貨100枚の価値がある。王都で働く日雇労働者の賃金が、およそ銀貨3枚から5枚だ。


 ビー玉は一つに金貨50枚。銀貨に換算すれば、5千枚だ。一方、ビーズは一粒で銀貨10枚。


 つまりイザベッラ王女は、ビー玉にビーズの500倍の価値を付けたというわけになる。

 重量比で見れば確かにそれくらいの違いはありそうだが、アウラには、ちょっとビー玉の値付けが過剰に思えてならない。


 ビーズの値が予想通りだった分、ビー玉の値の異常さがよりいっそう際立つ。


(それにしても、ここまであからさまな値付けをすると言うことは、隠す気はないという意思表示だろうな。少し試してみるか)


「なるほどな。いや、参考になった。礼として殿下にお一つ進呈しよう。好きなモノを一つ選ぶがよい」


 アウラはそう言って、わざとらしい仕草でビー玉の入っている巾着袋を持ち上げると、そっとその中身を銀のトレイの上にぶちまけた。

 何十というビー玉が、銀のトレイの上をコロコロと転がす。


「まあっ」


 口元に手を当てて、驚きの声を発するイザベッラ王女の視線の先を、しっかりと確認しつつ、アウラはにこやかに笑い、言葉をかける。


「ささ、遠慮は無用だ。手にとってよく確かめた上で、好きなモノを選ぶがよい」


 銀盤の上にひしめくビー玉。中に色ガラスを封じたスタンダードなモノ、表面が曇りガラスになったモノ、綺麗なマーブル模様のモノ、さらには地球儀を模した簡単な大陸図が描かれたモノ。

 それらが一つのトレイに盛られている様は、確かに『宝玉』と言っても差し支えがないくらいに、見栄えがする。


「…………」


「…………」


 アウラの視線から、自分のの出方を窺っていることを察したのだろう。イザベッラ王女は、一度肩をすくめると、トレイの上からビー玉を一つ摘み上げる。


「では、お言葉に甘えて、これを頂きます」


 イザベッラ王女が手に取ったのは、模様も何も入っていない、限りなく無色透明に近いビー玉だ。


「それで、残りの宝玉ですが」


「分かっている。全ては婿殿の意向次第だが、もし婿殿が手放す意思を示すことがあれば、その時は必ず殿下に最初に声を掛けよう」


「お願いします」


 アウラの言葉は、イザベッラ王女にとっても満足のいくものだったらしく、王女はフワリと笑い、丁寧に頭を下げる。


 それからイザベッラ王女は、窓から差し込む日の影に目をやると、さも今思いいたったような顔で言う。


「ああ、不作法にも、すっかり話し込んでしまいました。陛下、宝玉の礼と言っては何ですが、陛下の夫君のお見舞いを許可して頂けないでしょうか。少しはお力になれると存じます」


「もちろん、大歓迎だ。ジルベール法王家の見舞いを断る者など、この大陸にいるはずがない。用意ができ次第、後宮に案内するので、それまでは隣室で休んでいてくれ」


「承知いたしました。それでは、失礼します」


 最後は笑顔で会談を終えたイザベッラ王女は、洗練された動作で立ち上がると、小さく礼をし、隣室へと下がっていった。






 ◇◆◇◆◇◆◇◆







「……というわけで、イザベッラ殿下は、丸い大きな宝玉に金貨50枚、小粒の穴の空いた宝玉に銀貨10枚の値をつけた。お前の率直な意見が聞きたい」


 イザベッラ王女が隣室に下がるのと入れ替わるようにして姿を現したファビオ秘書官に、先ほどの会談の内容を打ち明けたアウラは、そう言って秘書官の意見を求めた。


「金貨50枚ですか。いささか、高値が過ぎる気がしますな」


 ピクリと眉を跳ね上げてそう言う秘書官に、アウラは不機嫌さを隠さない声をぶつける。


「ファビオ、言葉は正確に使え。お前は、本当に金貨50枚という値が、「いささか」高値が過ぎる程度だと言うのか?」


「……失礼しました。訂正します。予想を遙かに超える高値ですな」


 不快げな主の声に全く怯むことなく、ファビオ秘書官は謝罪と訂正の言葉を並べ、小さく頭を下げる。アウラとしても、このような些細な言葉使いに、何時までもこだわる気はないのだろう。

 すぐに、冷静な表情を取り戻すと、ソファーの前に立つ秘書官の鉄面皮を、ソファーの上から見上げながら、会話を続ける。


「おかしいだろう。それどころか殿下は、この指輪よりも、宝玉に大きな反応を示したのだぞ」


 アウラと善治郎の結婚指輪。細かな細工の施された金の台座に、金剛石というこの世界では研磨方法が確立されていない石が飾られたその宝飾品は、誰が見ても一目で分かる美しさだ。宝飾品に関して、何の知識の無い人間が見ても、普通はビー玉よりこちらに価値を見いだすだろう。


「はい。何より、あのイザベッラ殿下がそこまであからさまな態度に出たことが、不可解です」


 ファビオ秘書官はそう言って、主の意見に同意を示した。


 イザベッラ王女は、どちらかというと人が良いことで通っている人物ではあるが、それでも四十年以上大国の王族として、宮廷社会を生き抜いてきた人物だ。

 あからさまに物欲しげな言動を取れば、相手に付け込まれる。そのくらいの常識は持ち合わせているはずだ。

 それなのに、あえて金貨50枚という馬鹿げた金額を提示してきた。


「イザベッラ殿下は特に新しい物好きでもなければ、浪費家でもないはずだ。ならば、イザベッラ殿下にとって、金貨50枚という金額は、適正な価格であると言うことになる」


「もしかすると、競合相手を想定しているのかも知れません。この宝玉の存在を知れば、イザベッラ殿下と同等か、それ以上の金額を出す存在に心当たりがあるのだとすれば、この不可解な高値も納得がいきます」


「いずれにせよ、ただの宝飾品と見なしているという線はないな」


「はい、それは確実でしょう。詳細は全く想像もつきませんが、その宝玉に何らかの高い利用価値を見いだしたのだと、考えてよろしいかと」


「ふむ……」


 アウラはソファーの上で腕を組み、イザベッラ王女の反応を思い出す。


 アウラがトレイの上にビー玉を纏めてばらまいたとき、イザベッラ王女の視線は最初からあの無色透明なビー玉に向けられていた。それが偶然や、イザベッラ王女の意図したミスリードではないのだとすれば、宝玉の色や透明度に何らかの価値があるのかも知れない。しかし、そうだとすると、それは水晶で代用が可能な物に思える。


「駄目だな。情報が少なすぎて、当て推量にしかならん。後で、爺の意見を聞いてみるか」


「それがよろしいでしょう。私や陛下にはない知識も、エスピリディオン様ならばあるかもしれません」


 筆頭宮廷魔術師であるエスピリディオンは、カープァ王国随一の魔術師であると同時に、多方面の知識を持つ賢者でもある。あの老魔術師ならば、なにかヒントとなる知識を有しているかも知れない。


「そうだな。爺に話を通しておいてくれ。今夜にでも知恵を借りたい、とな」


「承知いたしました」


 ファビオ秘書官はそう答えて、丁寧に頭を下げる。


「それにしても、一つ金貨50枚か。全て同じ値が付くのだとすれば、婿殿はこれだけで金貨2500枚近い資産を有していると言うことになるな」


 それだけあれば、小さめの砦が一つ建つ。


「はい。イザベッラ王女がその宝玉にどのような価値を見いだしたのか、詳しい事情を知らないまま売り払うのは危険ですが、もしこちらに実害が出ないものなのであれば、ゼンジロウ様のご自由にされてもよろしいかと、存じます」


「ああ、商売相手として、双王国の王家は掴まえておきたいところだからな。なにせ、支払いが全て新造金貨だ」


「はい。失礼を承知で申し上げるのならば、ゼンジロウ様が入手した金貨を国庫の大型銀貨と交換して頂きたいくらいです」


「率直すぎるぞ、それは」


 中年秘書官の言葉に、アウラは思わず苦笑を漏らす。


 現在、南大陸で金貨を鋳造している国は、二カ国しかない。シャロワ・ジルベール双王国は、その二カ国の一国であり、カープァ王国は残念ながらそうではない。

 カープァ王国の領内には金山は存在せず、辛うじて幾つかの河川から砂金が取れる程度だ。とてもではないが、毎年定期的に金貨を鋳造できるほどの、金は取れない。


 その代わり、銀山に関しては南大陸でも有数の数と質を保有しているため、通常の銀貨の25倍の価値を持たせた、純度の高い『大型銀貨』で諸外国との取引を行っているのだが、それでもカープァ王国の大型銀貨の価値は、双王国の金貨の4分の1程度である。


 そのため、国内に流通している最高値の通貨が、自国産ではないという問題は、解消されないままなのだ。


 ならばせめて、いざという時のために、国庫に双王国の金貨を大量に蓄えておく必要があるのだが、カープァ王国は先の大戦を乗り越えたばかりだ。国庫の中身はかなり寒い。

 最悪、銀貨で双王国から『金貨を買う』という案も真剣に議題に上がりつつある状況である。例え2000枚程度の金貨でも、十分魅力的に映る。


 とはいえ、ここで話し合っていても、これ以上進展することはない。


「よし、ではこの話は夜、爺を呼ぶまで保留だ。これ以上、イザベッラ殿下をお待たせするわけにも行かないからな。殿下を後宮にお通しする。そっちの準備は出来ているか?」


「はい。いつでもお通し可能です」


 ファビオ秘書官の返答に、アウラは「よし」と一つ頷くと、ソファーから立ち上がる。


 イザベッラ王女は大切な賓客で、善治郎の見舞いも、表向きは彼女の「善意からの行動」ということになっている。あまり待たせては、失礼に当たる。


「では、行くか」


 立ち上がったアウラは、自らイザベッラ王女を後宮に案内するため、隣室のドアをノックするのだった。

本作のヒロイン、女王アウラのイラストをいただきました。


tokumei様、ありがとうございました。

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