第四章1【立食会の幕開け】
王宮主催の夜間立食会パーティ。定期的に開かれるその行事は、上流貴族達の社交の場であると同時に、王国・王室の権威と権勢を国内に知らしめる絶好の機会でもある。
無粋な話ではあるが、夜間に開かれる行事というのは、それだけで恐ろしく金が掛かるものだ。
広い大広間を照らし出すのは、高い天井にぶら下がっている大小いくつものシャンデリアだが、そこで燃えている蝋燭という代物は、貴族の金銭価値で言っても決して安いものではない。
『蜜蝋』はカープァ王国でも生成されているが、現代の地球のようにミツバチの養殖に成功しているわけではないため、原材料は採取頼みだし、東方諸国から輸入される『木蝋』は輸送費がかさむ分、どうしても割高になってしまう。
付け加えるのならば、シャンデリアその物もこの世界では超がつく高級品だ。なにせ、ガラス製造技術の存在しない世界である。シャンデリアは全て、銀と天然の水晶で出来ている。小さなモノ一つでも一財産だ。
さらに、広い部屋全体に敷きつめられた赤い絨毯は、専門の職人が三世代に亘って編み続けた一点物で、飲食物をのせている背の高いテーブルは、すべて一本の木を削りだして作られた贅沢な代物。
平民はもちろん、中流以下の貴族でも目がくらむような、きらびやかな空間である。
事実、中の下クラスの貴族達は、「昨晩、王宮の大広間のパーティに参加してきた」という話題だけで、一日盛り上がることもあるという。
そんな夜の大広間に初めて足を踏み入れた善治郎は、シャンデリアの明かりの下、貴族達の挨拶攻勢を作り笑顔で必死に裁いていた。
「ゼンジロウ、紹介しよう。これなる男は、パントハ男爵だ。先の大戦では騎士隊長として武を振るい、今日は領主として腕を振るってくれている」
善治郎の右腕に、左腕を絡めたアウラが、そう言って一人の中年男性の名前を読み上げる。
「お初にお目に掛かります、ゼンジロウ様。勿体なくも陛下より男爵を賜っております、トマス・パントハと申します」
「うむ、領主自らの挨拶、大儀である」
「ははっ」
鷹揚に頷いてみせる善治郎の前で、パントハ男爵と名乗った中年の男は下げていた頭を上げた。
オレンジ色のノースリーブドレスを着ているアウラが、左胸に着いている大きな花飾りを直している間に、パントハ男爵はそのまま女王夫婦の前から退去していく。
去っていく男の後ろ姿を見ながら、善治郎は周囲に気づかれないようにそっと溜息を漏らした。
幸いにして、王族の元に息をつく間もないくらいに挨拶攻勢を掛けるほど、この国の貴族達は礼儀知らずではない。
周りが気をつかって少し猶予を設けてくれている間に、善治郎は今挨拶をしてきた人間の容姿と印象を頭の片隅に印す。
(中肉中背の四十男、黒髪のパントハ男爵。目線があからさまに媚を売っている感じ。どちらかというと悪印象……と。あー、せめて名刺くれ、名刺ッ)
善治郎は内心、悲鳴を漏らした。
サラリーマン時代にも、取引先の顔と名前を覚える作業はやらされている善治郎であるが、その数は多くても一度に十人弱だ。
それに比べて、今日紹介される貴族達は何十人という数である。しかも、当然ながら名刺交換のような風習は存在しない。
せめてもの慰めは、背広姿のサラリーマンと違い、社交界に出る貴族達は特徴的な服装をしている人間が多いため、多少は個体識別がしやすいということくらいだろうか。
南国らしく、女はノースリーブのロングドレス、男は半袖のシャツと大枠は決まっているが、その色合いや細かな形は、スーツとは比較にならないくらいに多種多様だ。
おかげで善治郎の脳内では「太った花柄シャツおじさん」やら、「紫のトドおばさん」などという、失礼極まりないキーワードが乱舞していた。
アウラの様子から見ると、今のところ善治郎は、大きな問題もなく対応できているようだ。元々この立食会というイベントは、舞踏会のように特定の技術を身につける必要もなければ、公的行事ほど規律にうるさい物でもない。
付け焼き刃のインスタント王族が社交界デビューをするには、悪くない選択だ。その分、一般貴族達との距離が近く、対応に追われることになるのは、許容範囲内のデメリットだろう。
善治郎がそんなことを考えていると、スッと離れたアウラが、テーブルの上から銀杯を取って善治郎の元に戻ってくる。
「ゼンジロウ」
「ああ、有り難う、アウラ」
アウラが差し出す銀杯を受け取った善治郎は、随分と喉が乾いていたことを自覚した。
杯の中身は、この国で作られた麦酒だ。度数が低く、苦みが強く、なにより生ぬるいその酒は、善治郎の口に合う代物ではなかったが、熱帯夜の空気で渇いた喉を潤す役割は、十分に果たしてくれる。
「お下げします」
「ああ、頼む」
善治郎が銀杯の中身を飲み干したを見たアウラが、近くに立っていた侍女服姿の給仕係に目をやると、その給仕は素早くこちらに近づき、善治郎の手からカラの銀杯を受け取り、下がっていく。
そのタイミングを見計らっていたのか、喉を潤した善治郎がホッと緊張から少し解き離れたところで、次の貴族がアウラ、善治郎の前に進み出る。
男女一組、二人の貴族だ。
その、女の方には善治郎も見覚えがある。この世界に来てからずっと、後宮に引きこもっていた善治郎が、見覚えのある女など、妻であるアウラと後宮の使用人達を除けば一人しかない。
マルケス伯爵夫人オクタビア。と、いうことはその横に立つ太めの中年男が、マヌエル・マルケス伯爵なのだろうか。アウラの婚約者候補、ラファエロ・マルケスの父に当たる、カープァ王国有数の大貴族。
(うわー、話には聞いていたけど、本当に親子くらい年の離れた夫婦だな。美人の後妻さんって、男のロマンの一つだよなぁ)
不埒なことを考えていた善治郎の右腕を、不意にアウラはギュッと強く力を込めて握りしめる。
一瞬心が読まれたのかとドキッとした善治郎であったが、すぐにそれは事前に話し合っていた合図であることを思い出す。すなわち、「可能な限り顔と名前と第一印象を覚えておいて欲しい、重要人物」の合図だ。
「ご無沙汰しております、アウラ陛下。そして、お初にお目に掛かります、ゼンジロウ様」
「本日はお招きに預かり、ありがとうございます、両陛下」
丁寧に頭を下げる年の離れた夫婦に、アウラはいつもの迫力ある笑顔で応え、善治郎に二人を紹介する。
「よく来てくれた、マルケス伯、オクタビア夫人。紹介しよう、ゼンジロウ。我が国における重鎮の一人、マルケス伯爵マヌエル卿だ。となりのオクタビア夫人は紹介するまでもあるまい」
「貴公がマルケス伯か。噂は聞いている。夫人には世話になっている」
意識的に胸を張り、鷹揚に答える善治郎に、マルケス夫妻は揃ってもう一度頭を下げた。
「はっ。この者が、ゼンジロウ様のお役に立てたのであれば、幸いです」
「勿体ないお言葉です、ゼンジロウ様」
いつの間にか、周りの貴族達も興味津々な様子で、こちらの様子を伺っているのが感じられる。
一番近い者でも十メートル以上離れているので、会話が丸聞こえということはないだろうが、注目を浴びているという意識は常に持っておく必要があるだろう。
そんな場馴れしていない婿殿を矢面に立てて、恥を掻かせる気は毛頭ないアウラは、善治郎の右腕に左腕を絡めたまま、積極的に対応に回る。
「謙遜するな、伯爵。夫人の才色兼備ぶりは噂に違わぬ見事なものだ。今後も伯爵共々、その力を我が王国のために役立てて貰いたいものだ」
「はっ、過分なお褒めの言葉、ありがとうございます」
「はい、陛下。私でお役に立てるのでしたら、今後も微力を尽くす所存です」
原則、対応はアウラに任せた善治郎は、水を向けられる度に「ほう、そうか」とか「ふむ、そうだな」などと相づちを入れるだけだ。
善治郎の社交界デビューは、こうして無難に幕を開けたのだった。
しかし、無難に幕を開けた立食会も、閉幕まで平穏にすむという保証はない。
そもそも、この立食会における最大の目的は、衆目にアウラと善治郎の仲がうまくいっていることを知らしめることだ。
そうした目的を考えれば、いつまでもアウラが善治郎の腕をとり、フォローに回っているわけにはいかない。そんな状態が続けばむしろ逆効果だ。「アウラが夫の自由を束縛している」という風評に目鼻をつける結果になってしまう。
そのため、一通りの挨拶がすんだところで、アウラと善治郎がしばし別行動を取ったのは、当初から予定されたことであった。
「ふう」
アウラと離れた善治郎は、一人ゆっくりと大広間を歩み進む。周りからは好奇の視線が向けられるが、王族である善治郎に話しかけてくる者はいない。
基本的に、この国の礼儀では、目下の者が目上の者に声を掛けるというのは、不敬とされているのだ。立食会のようなある程度砕けた場であれば、多少の無礼は目を瞑ってもらえるが、それを踏まえても直系王族である善治郎に、声を掛けられるものは皆無に等しい。
声を掛けても、ギリギリ無礼ではないと見なされるのは、大領の領主や軍の将軍クラスといった国の重鎮ぐらいの者だろうか。しかし、そういった重責を担っている人間は、たいがい常識や場の空気を読むことに長けているため、あえて冒険を犯して『自ら』王族に声を掛けるという冒険に出る者は、皆無に等しい。
そんな冒険に出る大領主や将軍がいるとすれば、その者は良くも悪くも礼儀・儀礼という物を軽視している剛の者か、それだけの高位にあってもなおどん欲に上を目指しているような、底なしの野心家だ。
(仕方がない。こっちから話しかけるしかないか)
元々、中小企業のサラリーマンとして、社内業務だけでなく、外回りや対外交渉もやらされていた善治郎は、初対面に人間に声を掛けることをさほど苦とする人間ではない。
直系王族が直接声を掛けても問題がなさそうな無難な人間を求め、善治郎がゆっくり視線を会場全体に巡らせたその時だった。
「失礼します、ゼンジロウ様。少々お時間を頂いてよろしいでしょうか」
突如横合いからスッと進み出てきた体格のよい壮年の男が、片膝を着き善治郎にそう声を掛けてくる。
(え、え、ええ? うそ、向こうから声を掛けてきた? 誰だよ、おい?)
善治郎が習ったマナーでは、「まずあり得ない」と言われていた状況に遭遇し、善治郎は内心パニックを起こしつつも、反射的に表情を固まらせ、ゆっくりと跪く男の方へ向き直る。
「なんだ……?」
精一杯の威厳を取り繕い、振り向いた善治郎の視界にその男が入る。
膝を付いていても、一目で「大きい」と分かるほどの、よく鍛えられた巨躯。その身体に纏うは、立食会には若干不釣り合いな、黒地に金糸の飾りをあしらった無骨な服装――それは、カープァ王国陸軍騎兵団の第三正装である。
左胸の房飾りの形と数から、この巨漢が現王国でも最高位に近い軍人であることが見てとれる。
シャンデリアの灯りの下、赤い絨毯の上で膝を付くその様はまさに、『騎士』そのものだ。それも、白面の王子様然とした王宮の『騎士』様ではない。最低限の礼節を知りつつも、戦場で武勇を振るうことにこそ生き甲斐を見いだす、荒ぶる国の守護者としての『騎士』だ。
善治郎は膝を付く『騎士』を見下ろしながら、頭の中で思い返す。
善治郎に声を掛けることがギリギリ許されるのは、大領の領主か、将軍クラスの軍人。
あえて声を掛ける者がいるとすれば、その者は多少の礼儀など歯牙にも掛けない、良くも悪くも剛の者。
さもなくば、王配の不評を買うリスクを承知した上で、なお積極的に王配とのつながりを求めるほどの、よほどの野心家。
それら全ての条件を満たす男が、善治郎の前で膝を付いていた。
善治郎は、跪く男に声をかける。
「これは、プジョル卿か。なに用かな?」
その男の名前は、善治郎も事前に何度も耳にしている。かつて、マルケス家のラファエロ卿と並び、アウラの最終婚約者候補であったその男の存在を、善治郎が意識していないはずがないし、アウラからも「要注意人物」として、事前に何度も聞かされていた名前だ。
「はっ、実はゼンジロウ様にぜひ、受け取っていただきたい贈物がござります。そのため、無礼を承知で声を掛けさえて頂きました。ささやかな物ですが、受け取って頂けたのならば、望外の幸福です」
カープァ王国竜騎兵団総団長、プジョル・ギジェン将軍は、赤い絨毯に膝を付いたまま、自分の前に立つ女王の伴侶を真っ直ぐ見上げ、そう言ってのけたのだった。