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理想のヒモ生活  作者: 渡辺 恒彦
一年目
21/101

第三章4【妻の追求、夫の告白】

 オクタビアを家庭教師に迎え、最初の講義を無事終えた日の夜。数時間に及ぶ緊張の時間から解放された善治郎は、妻であるアウラと二人、後宮の一室でくつろぎの時間を過ごしていた。


 湯上がりの善治郎は、いつも通り缶の発泡酒。一方、アウラは、ブランデーを注いだグラスを顔の前に持ってきて、その芳醇な香りを楽しんでいる。

 数日掛けて白ワインを一瓶飲み終えたアウラが、次に選んだのが、この箱入りのブランデーだ。どうやら、この世界では蒸留酒の類は一般的ではないらしく、最初はブランデーのアルコール度数にむせていたアウラであったが、飲み方を覚えた後は、ワインよりも美味そうに飲んでいる。


 善治郎がうろ覚えの知識で「確かブランデーは、常温ストレートが常道だったはず」と教えた通り、何も入れずストレートだ。


 LEDライトの明かりにブランデーグラスを透かし、琥珀色の影を目で楽しみながら、アウラはその中身を少しずつ喉へ流し込む。


「なあ、それって美味いの?」


 善治郎の問いに、アウラは満足げに首を縦に振り、答える。


「うむ。驚くほど香りが高く、味が濃い。飲み慣れると、やみつきになるな」


「へー、そう言うもんかね」


 正直に白状すれば、ブランデーとウィスキーの違いもろくに分からない善治郎には、アウラの感想が理解できない。だが今アウラが飲んでいるブランデーは、ヘネシーのXOとか言う名前で、一本一万円以上した代物である。分かる人には分かるのだろう。

 分からない人である善治郎は、冷たい発泡酒で満足だ。


 アウラは、飲み干したブランデーグラスをいったんテーブルの上にも戻し、隣に座る夫に話しかける。


「それで、どうであった? 感想を聞かせて貰おうか」


 唐突にそう話を切り出すアウラに、善治郎は少し意表を突かれたが、発泡酒の缶を口から離して素直に答える。


「ああ、そうだな。一言で言うと「覚悟していた以上に疲れた」ってとこかな。礼儀やマナーがなってない点を何度も注意されたよ。特に昼食は、ほとんど何を食べたのか覚えていない」


「苦労を掛けるな」


「いいって、必要なことなんでしょ? それに、魔法の講義は面白かったし。まあ、使えるようになるまで三年以上かかるって聞いたときは流石にちょっとへこんだけど」


 善治郎はそう言って、アウラに向かい、缶を持っていない方の手をヒラヒラと振った。

 実際、魔法を目の当たりにして興奮したのは事実だ。

 この世界を行き来したのも歴とした魔法なのだが、いかんせんあれは当事者であったため、魔法が発動するところを見ていたわけではない。それに比べて今回オクタビアが見せてくれたのは、指先に水を球状に止めるという、非常に分かりやすい魔法だ。

 魔法としての説得力は、こちらの方が何倍も勝っている。


「まあ、魔術に近道はないからな。身につけたいのであれば、地道に努力するしかない。逆を言えば、時間さえ掛ければ誰でも習得できる技術でもある。最後までやりきる覚悟さえあれば、決して無駄な努力にはならんぞ」


 アウラはそう言うと、励ますように隣に座る夫の腕をその深い胸の谷間に抱きとる。


「アウラ……」


 そして、柔らかい感触に眉尻を下げる夫の意表を突き、女王は少し意地の悪い笑みを浮かべ耳元で囁く。


「して、オクタビア殿はどうであった? やはり、お前の目にも魅力的に映ったか?」


 妻の口から漏れた、別な女の名前。男の常か、善治郎はやましいことは何も無いはずなのに、反射的にビクリと身体を震わせる。


「んん? どうであった?」


 逃げられないよう、ガッチリと腕を抱いたまま、なおも問いかけてくるアウラに、善治郎は視線を天井に這わせながら、答える。


「あー、うん。確かに綺麗な人だし、人当たりも凄く良い感じだよね。ああ、こういうタイプが、この国では人気なんだって、凄く納得した」


「……ほう」


 短く返すアウラの返事は、心なしがいつもより少し低い気がする。


「それは、お前の目にも好ましい女に映ったと言うことか?」


 アウラも自分に自信がない訳ではないが、オクタビアとは正反対の人間である自覚はある。思わず、探るような口調になってしまう。

 そんな妻の機嫌の悪化に気づかないほど、善治郎は鈍い人間では無い。


「いや、確かにストライクはストライクだけど、外角低め一杯って感じかな。下手に手を出してスイングを崩したら『ど真ん中の剛速球』を打ち返すのに支障が出そうなイメージ」


 しかし、慌てた頭で紡いだ言い訳は、この世界の人間には全く理解不能な代物であった。それでも、口調と全体のニュアンスから善治郎の言わんとしていることを悟ったアウラは、ニンマリと笑うと、より直接的な言葉を求め、再度問い返す。


「つまり、どういうことだ? もう少しはっきりと言ってくれ」


 はっきり言ってくれと言われても、「言えるか」というのが、善治郎の正直な感想だ。ここで「僕が愛してるのは君だけだ」とか「君の方がずっと綺麗だよ」などと言えるほど、善治郎は羞恥心を無視できる人間ではない。


「ん? ほら、はっきりと、な?」


 楽しそうに自分の腕を抱いて揺さぶる妻に視線を向けず、善治郎は天井に目を向けたまま、己の羞恥心と妻の要望の間を取り、精一杯の答えを返す。


「ええっと、その……だから。最初に召喚されたあの日、俺を召喚したのが、アウラじゃなくてオクタビアさんだったら、俺は今頃この世界にはいなかったっていうこと」


 言いながら善治郎は、自分の頬が紅潮していることを自覚する。この答えで、アウラは満足してくれるだろうか? 首は上に向けたまま、視線だけを横に向けた善治郎の視界で、アウラの赤い長髪がゆらりと揺れる。


「ふ……ふふふ、そうか。そうか」


 嬉しそうに笑う、アウラの声。


 どうやら、善治郎の答えは、アウラの心を震わせるのに十分なものだったらしい。


「私も、召喚されたのがお前であったのは、この上ない幸運であったと思っている」


 アウラはそう言って善治郎の頬に、熱く濡れた唇を強く押しつけたのだった。






 ◇◆◇◆◇◆◇◆







 深夜。いつもの通り、夫である善治郎と仲むつまじく一つのベッドで眠りについたアウラは、真夜中過ぎに目を醒ますと、静かに寝息を立てる善治郎を起こさないよう、細心の注意を払いベッドから降りた。


 寝室にもLEDスタンドライトは設置してあるが、善治郎が寝ている手前スイッチを入れるわけにはいかない。

 アウラは、真っ暗な中手探りで衣類を探す。やがてアウラの手が、柔らかく薄い布地を探り当てた。

 アウラはそのやけに肌触りの良い、薄い服――赤いスケスケのネグリジェを手に持ち、こみ上げてくる笑いを堪える。


 床につく前、こちらの問いに嬉しい答えを返してくれた夫への感謝を込めて、この扇情的な夜着を纏って見せたのだが、その時の善治郎の反応は、『デジカメ』とやらに納めておきたいくらいに楽しいものだった。


「ウエェ!?」


 と言葉にならない悲鳴の様な声を上げて、硬直した夫を前にして、アウラは失礼としりながら、笑い声を堪えることが出来なかった。

 善治郎も、その『エッチな夜着』の存在がアウラにばれていないとは思っていなかったようだが(転移初日に丸ごと持ち物検査をされているのだ)、アウラの方から自主的に着て見せたのは、かなり効果的な奇襲であったようだ。


 恥ずかしい衣装を身につけているのはアウラの方なのに、顔を真っ赤にして羞恥と戦っているのは善治郎という何とも奇妙な状況となった。


 それでも、妻の妖艶なネグリジェ姿に善治郎は十分に刺激を受けたのだろう。

 昨夜の営みは、これまで過ごしてそれと比べても少し激しく、少し長かった。


「…………」


 夜の営みを思い出し、頬を緩めながら、アウラはスケスケネグリジェではなく、寝る前に着ていたワンピース型の部屋着を探り当てる。部屋着を手に持ったアウラは、善治郎を起こさないよう、足音を忍ばせて、ゆっくりと寝室から出て行った。






 寝室から、善治郎が昼間主に使用しているメインルームへと移ったアウラは、LEDスタンドライトを一つだけ点灯させ、その明かりの下、素早く部屋着を着込む。

 蒼い袖のないワンピースを着込んだアウラは、革張りのソファーに腰を下ろすと、テーブルの上に供えてあるベルを鳴らす。


 すると、しばらくして一人の若い侍女が部屋に入ってきた。手に持つ蝋燭立ての明かりを頼りに、暗い廊下を渡ってきたのだろう。薄闇になれた目にはLEDの明かりが眩しいのか、少し眼を細めている。

 カープァ王国の人間には珍しい、長い金髪が印象的なその侍女は、元はアウラの側仕えであり、今は善治郎の一番近いところで働いている人物である。


「失礼します、陛下」


 恭しく頭を下げる侍女にアウラは一瞥をくれると、ソファーの上で足を組み、言う。


「報告を聞こう」


 主君の言葉を受け、忠実な侍女は今日自分が見てきたことについて、できるだけ私心が混ざらないように気をつけて、話し始める。


「はい。私が見た範囲では、オクタビア様に不審な様子は見受けられませんでした。誠実に、ゼンジロウ様の家庭教師役を務められていた模様です」


 昼間、水やタオルの差し入れなどで、善治郎とオクタビアの勉強風景に何度も足を踏み入れていたその侍女は、しっかりとした口調でそう報告する。


「うむ、そうか。やはり、オクタビア殿はただの偵察要員かな?」


 報告を受けたアウラは、独り言のようにそう呟いた。

 元々オクタビアは、はかりごとには向かない真っ直ぐな女だ。マルケス伯爵としては、妻の目を通して、問題の『女王の夫』の人となりを知ることが主目的だったのではないだろうか。

 油断は禁物だが、今から神経質になることもないだろう。


「分かった。今後は、オクタビア殿に不審な言動があった場合だけ、報告を入れよ」


「はい、畏まりました」


 頭を下げる侍女に、アウラは「うむ」と頷き、話を続ける。


「では、このところ婿殿はどのように日々を過ごしている? 誰か、手つきになった者はいるか?」


 歴代の王の中で、後宮の侍女に手を出さなかった者はむしろ少数派である。まして、善治郎は後宮に通う歴代の王と違い、後宮に住んでいるのだ。

 若く見目麗しい侍女達に、色目を使わないほうが不自然なくらいである。


 しかし、侍女は少し困惑したように、首を横に振り答えるのだった。


「それが……今のところゼンジロウ様に、手を触れられた者はおろか、女を意識させるような目を向けられた者も皆無です。そもそも、ゼンジロウ様はお部屋に私達が立ち入る事を嫌う傾向がございます。

 ですから、私たちは用事を仰せ使わされた時以外は、この部屋に足を踏み入れないようにしております。逆に、この部屋のお掃除をするときは、ゼンジロウ様は別なお部屋に移動されます」


 侍女が部屋を掃除するから、部屋を移動する。主人と侍女の関係で考えればあり得ない話だが、この辺りはどうしても善治郎がまだ、日本での生活習慣が抜けていないのだろう。

 言うならば、お母さんの掃除機に追い立てられるお父さんのような感覚である。

 侍女の報告に、アウラは頷き、指示を出す。


「そうか。何度も言うようだが、婿殿はあれが欲しい、これをして欲しいという自己主張が弱い御仁だ。そうした欲求を口にすることを『悪徳』と捉えている節がある。仕える人間としては、難しい類だろうが、なんとか意をくみ、要求を満たすように努力をしてくれ」


「はい。畏まりました」


「よし、もう良いぞ。ご苦労だった」


「はい、失礼します」


 報告を終えた侍女は、一礼をして部屋から出て行く。

 パタンと音を立てて侍女が出て行った一室で、アウラは一つ息を吐く。


「……喉が渇いたな。水にしておくか」


 ふと、喉が渇いていることを自覚したアウラは、寝室に戻る前に水を一杯呑もうと、冷蔵庫を開け、銀の水差しを取りだす。そして、水差しから、コップに一杯水を注ぎ、水差しはまた冷蔵庫の中へと戻す。


「ふう」


 一息で冷水を飲みほしたアウラは、一つのLEDライトだけで照らされる、薄暗い部屋の中で、独り言をつぶやく。


「そうか……ゼンジロウは、オクタビア殿にも侍女達にも、目もくれぬ、か」


 アウラは無意識のうちに、両腕で自らの身体を抱く。

 今夜も、何度も善治郎と愛し合った身体だ。まだ、身体のあちこちに、夫の指や唇が触れた感触が残っている。善治郎と言う男が、どれだけ情熱的に女を求めるか、アウラは身体で知っている。


 それなのに、そんな男が、自分以外の女には目もくれていないという事実。


「ふ、ふふふッ」


 知らずにアウラは、笑いがこみ上げる。この感情を何と言い表せばよいのだろうか?

 異性に愛されるというのが、これほど心地よいものであるとは、思いもしなかった。


 王として政務で得られる充実感とも、将として戦場で勝ち得た勝利の美酒とも違う、この身体の奥底からわき出す熱気。

 いやらしい言い方をすれば、それは一種の『優越感』だ。一人の男が自分にだけ女としての魅力を感じているという、喜び。自分を最高の女だと認めてくれる快感。


「まずいな。なんだか、独占欲が出てきた」


 この感情におぼれてしまうと、今後善治郎が側室を迎える事態に陥ったとき、反射的に感情だけで反対してしまいそうだ。

 アウラは、自分の思いのままにならない感情に戸惑いを隠せない。さらに意外なのは、その暴走する感情が、アウラにとってとても心地よいものであると言うことだ。


「まあ、いい。先の可能性について、今から心配する必要もあるまい」


 アウラは頭を振ると、LEDスタンドライトを消し、手探りで寝室のドアを開く。


 寝室へ戻ったアウラは部屋着を脱ぎ、ゆっくり寝息を立てている善治郎の横に、その豊かに実った褐色の裸体を滑り込ませる。


「ふふふっ」


 アウラは、こちらに背を向けて寝る善治郎の背中に、裸の両乳房を押しつけるようにして、抱きつく。


「……んん」


 男の背中としては、特別広い方ではない善治郎の背中に、アウラは不思議な位の安らぎを感じる。こうしていると、「帰ってきた」という穏やかな気持ちになる。

 事実、そうして善治郎の背中に抱きついたアウラが、安心しきった表情で熟睡するまで、そう長い時間はかからなかった。

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