幕間【侯爵と王兄とオマケの王太子】
南大陸西部にアルヴェ王国という国がある。北にトゥカーレ王国、南にカープァ王国という大国に挟まれた、小国だ。
その国土は、極端に東西に長い長方形型をしている。随分と不自然な形だが、そもそもアルヴェ王国が現存していること自体が、ある意味不自然なことなので、仕方がないと言えばその通りである。
大戦前、南大陸西部四大国と呼ばれていた国々の中で、先の大戦を勝ち残った二国。トゥカーレ王国とカープァ王国。その二つの大国が、互いに国境を接したくないという見解で一致を見たため、存続することとなった小国。それが、アルヴェ王国だ。
そのためアルヴェ王国の首脳陣は、大戦後、非常に難しいかじ取りを強いられていた。その反面、国民や兵士は意外と現状に適応し始めている当たり、アルヴェ王国首脳陣の手腕の確かさと、両大国の強かさが感じられる。
アルヴェ王国自体がしっかりとした国家運営を行っていれば、国民には現状に大きな不満を感じさせない程度の締め付けに抑えている、ということだ。
一例をあげれば、トゥカーレ王国もカープァ王国も、アルヴェ王国と自国との国境付近に、アルヴェ王国の軍を駐在させることを禁止している。しかし、同時に国境周辺で悪さをする竜種に関しては、北側がトゥカーレ王国軍が、南側がカープァ王国軍が責任もって討伐している。その上、両軍とも極めて統率が行き届いていて、アルヴェ王国に足を踏みいれたとしても(条約により、残念ながら両国軍が緊急時にアルヴェ王国領に足を踏み入れることは、合法となっている)、アルヴェ王国の国民には一切狼藉を働かないため、国境付近に住むアルヴェ王国民たちは、現状を受け入れつつあるらしい。
アルヴェ王国首脳陣が顔色を失っていることは言うまでもない。
そんなアルヴェ王国の港町で今日、大げさではなく、国の命運を左右する会談が行われようとしていた。
「アルヴェ王国第一王子ダミアンである。此度は我が父、セルジオ四世陛下よりこの場の全権を委任された」
アルヴェ王国の港町の代官所。その奥まった一室で、そう宣言したのは、アルヴェ王国の若い王族だった。短い黒髪に濃い褐色の肌。際立った特徴のない、典型的な南大陸人の容姿である。強いて言えば、どことなく眠たそうな黒い垂れ目が特徴だろうか。
年のころは、恐らくは善治郎と同じくらいだろう。背格好も善治郎と大差なさそうだ。つまりは中肉中背。見た目の特徴はなくとも、一国の第一王子である。当然のごとく、王太子であり、王位継承権第一位であり、次期国王が内定している人間である。そのため、『表向き』は、この場で最高位の人間となる。
不幸中の幸いというべきか、だからこそ尚更憎らしいというべきか、両大国の代表はその表向きの立場を、表向きはしっかりと尊重する輩であった。
「ご尊顔を拝する機会を得て、恐悦至極に存じます、ダミアン殿下。トゥカーレ王国国王、ジョアン八十七世より此度の一件を任されました、コブラにございます。セルジオ陛下には、此度の我らの申し出を快く受け入れていただき、感謝の言葉もございません」
そう言って洗練された動作で一礼をしたのは、トゥカーレ王国の王族、ジョアン・コブラ王兄だ。
年のころは、四十代と言ったところだろう。背は南大陸の平均よりは若干高めで百七十センチの半ばくらいはあるだろうか。ただし、非常に細身で、手足、そして首が異常に長いため、実際の身長以上にひょろ長いイメージを抱かせる。
さらに、感情の映らない、アーモンド形の黒眼――黒目部分が非常に大きいので一見すると白目の部分が見えない――もあいまって、やけに無機質な印象を抱かせる。
「久しいな、コブラ殿下。なに、礼には及ばん。我が国が、トゥカーレ王国の要望を断るはずもあるまい」
アルヴェ王国の第一王子は、そう現状を鑑みれば皮肉としか取りようがないことを言って、自分よりニ十歳前後年上の、大国の王族相手に胸を張る。
そんな皮肉にも、コブラ王兄は「恐縮です」と恭しく返すだけだった。
続いて口を開いたのは、カープァ王国の代表である。
「ご無沙汰しております、ダミアン殿下。カープァ王国国王アウラ一世より、本件を任されました、フェルナンド・ララにございます。カープァ王国の一貴族として、国境を接する隣国に貴国アルヴェ王国という友好国を持てた幸運に、感謝する次第です」
そう言って、お手本のような綺麗な礼を見せるのは、カープァ王国代表フェルナンド・ララことララ侯爵である。五十代のララ侯爵は、この場にいる中では最年長だが、それは齢を重ねているというプラス要素にはなっても、年老いたというマイナス要素にはなっていない。そう思わせるだけの、独特の圧力のようなものがこの初老の貴族にはある。
「カープァ王国にその人あり称される、ララ侯爵にそう言ってもらえるとは光栄だ」
アルヴェ王国第一王子ダミアンは、小さく手を挙げて、ララ侯爵の言葉を出来の良い作り笑いで受け止める。
「さて。我が国に出来るのは、この場を提供するところまでだ。後はその方達で、存分に話し合うがよい」
そう宣言したことで、本当に自分の役割は終わったとばかりに、ダミアン王子は完全に沈黙を保つ。
これで会話の主導権は、両大国の代表、トゥカーレ王国のコブラ王兄と、カープァ王国のララ侯爵へと移った。
先の大戦では、表立った戦火こそ交えていないものの、敵対し続けていた両大国。コブラ王兄とララ侯爵は、その最前線に立ち続けてきたものだ。因縁は数えきれないほどある。間接的には、お互いが部下や親族の仇のようなモノであり、同時にその力量を認める好敵手でもある。
そして、良くも悪くも大戦中のやり取りを通して、互いの方針、価値観、人間性を理解している。そのため、その話し合いは、大国同士の外交とは思えないくらいに、率直で虚飾のないものとなるのだった。
「公式に和議を結び、国交を正常化したい。その後は、同盟まで話を持っていく必要があるのだ。まずは、その説明をする」
「分かりました。説明をお願いします」
唐突に結論から話し始めるコブラ王兄の無機的な声に、ララ侯爵は落ち着いた声で先を促す。
「我が国に、北大陸から大型船が到着した。船の名前は『黄金の木の葉号』。所属国家はウップサーラ王国。北大陸でも最新最大の大型船だ。その船の責任者がこちらの、マグヌス船長だ」
コブラ王兄の言葉を受けて、今まで無言で後ろに立っていた大柄な男が一歩前に踏み出て、口を開く。
「ウップサーラ王国海軍所属、『黄金の木の葉号』船長マグヌスです。御覧の通りの、海で生まれ育った無頼漢故、多少の無礼はご容赦願いたい」
マグヌス船長と名乗るその男は、筋骨隆々とした大柄な男だった。ぼさぼさの髪や瞳は確かに色素が薄く、北大陸人の特徴を備えているが、海の太陽に長年さらし続けたその肌は、南大陸人の平均以上に褐色が濃く、一見しただけでは北大陸人と思えないほどだ。
言葉遣いも精一杯取り繕っているが、貴人を相手の言葉遣いが板についているとは言い難い。本人の言う通り、船乗りとしての腕だけで、大陸間航行船の船長まで上り詰めた、たたき上げの海の男、という評価で間違いないだろう。
「大陸間航行を成し遂げた偉人に、会うことが出来て光栄だ」
そう言って、ララ侯爵は小さく会釈する。これで、ララ侯爵はこの場に、マグヌス船長がいることを認めたことになる。それを受けて、マグヌス船長は一歩後ろに戻り、口を閉ざす。
あくまでも、交渉の中心は、コブラ王兄とララ侯爵の一対一だ。
「これから話す情報の出所はマグヌス船長だが、『ジョアン王』が裏を取っている。途中、疑問な点があったら、遠慮なく聞いてくれ」
「承知いたしました。その場合、聞くのはコブラ殿下ですか? それとも、マグヌス船長に?」
「どちらでも、構わない」
ララ侯爵の少し含みのある問いにも、コブラ王兄は全くよどみなくそう答える。極端に瞬きが少ない、そのアーモンド形の黒い双眼には、毛ほどの揺らぎも見えず、吸い込まれそうな不気味さがある。
だが、その程度でたじろぐララ侯爵でもない。
「分かりました。続けてください」
「近年、南大陸に来る北大陸船が増加傾向にある。見過ごせないのは、単なる増加ではなく大陸間航行船の高性能化、大型化が急速に進み、大陸間航行の安全性、確実性が高まっていることだ」
南大陸でも中西部に位置するカープァ王国ではめったにないが、カープァ王国よりも北の国には、以前から定期的に北大陸の貿易船が来航していた。だから、北大陸から船が来ること自体は、珍しいことではあっても目新しいことではない。
だが、新型の船が増え、その船の性能が劇的に向上しているとなれば話は別だ。
これまでの大陸間貿易というのは、ギャンブルに近かった。成功すれば大儲け、失敗すれば船員たちは命を失い、出資者は破産する。そんな、危険な勝負だ。
その成功率が大幅に向上すれば、それはギャンブルではなくなる。正確に言えば、実際に船に乗る船長以下船員たちにとっては、命がかかっている以上「確率の上がったギャンブル」のままなのだが、船のオーナーや出資者達にとっては、ギャンブルではない。成功率が高いところで安定しているのならば、連続して船を出し続ければ、よほど不運なものではない限り、収支はプラスに傾くからだ。
そうと分かれば、商人や為政者という人種は、利益には鵜の目鷹の目だ。大陸間貿易が激増することは、もはや既定路線と言える。
説明を聞いたララ侯爵は、冷静な表情を崩さないまま、小さく一つ頷く。
「なるほど。ただの大陸間貿易の拡大では済まされないのですね。そちらに対応するため、一刻も早く和平、そして同盟が必要だ、と」
船が大きくなり、性能が上がり、数が増えれば、貿易はやがて侵略になる。そうした未来への懸念をコブラ王兄は表明し、ララ侯爵がそれを理解した。
それに、対抗するため、トゥカーレ王国は先の大戦後も冷戦状態が続いていた、カープァ王国との関係改善のみならず同盟まで欲している。それだけで、トゥカーレ王国が北大陸の侵攻をどれだけ本気で警戒しているか分かるというものだ。
となると、真っ先に確認するべきなのは、コブラ王兄の後ろに控えている、『北大陸』の船長殿の立ち位置だ。この話し合いの場にあえて連れてきたのだから、敵ということはないのだろうが、詳細の確認は必要だろう。
「一つ確認させて頂きたい、マグヌス船長。コブラ殿下の懸念が最大限に当たっていた場合、貴国ウップサーラ王国の立ち位置はどのようなものになるのだろうか?」
ララ侯爵の問いは、当然のものだった。懸念されていることは、北大陸国家による南大陸への侵略なのだ。コブラ王兄がこの場に同席させている以上、マグヌス船長の祖国であるウップサーラ王国が敵に回る可能性は低いのだろうが、ある程度詳細を確認しておく必要がある。
だが、ララ侯爵の問いに、マグヌス船長は即答出来なかった。
歴戦の船長は、しばし考え込んだ後、観念したように口を開く。
「分かりません。正直、一船長に過ぎない私の立場で断言できる規模を超えています。突き詰めれば我が国の王が、どのような判断を下すか、という話になりますからね。ただ、ハッキリ言えることは、我が国は北大陸では少数派の精霊信仰国です。現状、大陸間貿易に積極的な他国は皆、竜信仰の『教会』勢力だ。『教会』勢力とうちが歩調を合わせたことは、過去ほとんどありませんね」
「ほう。それは知らなかった」
さしものララ侯爵も、北大陸の情勢についてはあまり明るくないのだろう。
ララ侯爵は、コブラ王兄と、マグヌス船長を平等に見やりながら言う。
「あいにく私は、北大陸については明るくない。失礼ですが、ウップサーラ王国との名称すら知らなかったくらいです。その私でも知っている国名となると、デンハグ王国、リグリア王国といったところになるのですが、コブラ殿下が懸念されているのは、そうした国々と考えてよろしいでしょうか?」
デンハグ王国とリグリア王国。どちらも、現状大陸間貿易を主導する北大陸の雄国である。その名前を告げれらたコブラ王兄は、小さく首肯することで、ララ侯爵の言葉を肯定する。
「それは間違いない。付け加えるならば、そこに赤竜王国が加わるかもしれないが、こちらは白竜王国との停戦がなされれば、の話だな。我が国としては両国の争いが一日でも長引くことを願うばかりだ。あとは、ズウォタ・ヴォルノシチ貴族制共和国か。こちらは『ジョアン王』のお言葉によると、動向はまだ流動的だ」
「なるほど」
コブラ王兄の言葉に、ララ侯爵はその灰色の双眼を細めた。こちらの動向はまだ流動的、という言葉の裏を読めば、先に挙げた二国、デンハグ王国とリグリア王国の動向はすでに確定している、という意味になる。少なくとも、トゥカーレ王国はそうすでに判断を下している。
そして、ララ侯爵は、トゥカーレ王国の判断が間違っている可能性にかける気にならない程度には、トゥカーレ王国の情報収集、分析能力を評価していた。
「分かりました。では、正式に終戦として、国交の正常化を図りましょう。書類はございますか?」
「ああ、これだ」
ララ侯爵の言葉を受けたコブラ王兄は、打てば響くと言わんばかりのスムーズさで、懐から無造作に三枚の書状を取り出し、対面に座るララ侯爵の前へと押し出した。
ララ侯爵は、素早くその書状に目を通す。書かれている内容は、三枚とも全く同じだ。今コブラ王兄が言った内容――トゥカーレ王国とカープァ王国の終戦及び、国交正常化について、過剰なまでに誤解の入り込む余地がない表現で丁寧に記されているだけだ。三枚共、トゥカーレ王国代表の欄には、コブラ王兄の名前が記されている。
本国から持ってきた書類なのに、署名がジョアン王ではなく、コブラ王兄になっているのは、最初からこの場で条約を締結するつもりだったからだろう。ジョアン王のサインがあれば、両国の比重の関係から、カープァ王国側も女王アウラのサインでなければならない。だが、コブラ王兄のサインであれば、ララ侯爵のサインでもギリギリ比重は合う。
無論、いくら全権を委任されているとは言っても、終戦と国交正常化の正式文書が両国のトップサインではなく、王族や高位貴族のサインで代用されるというのは、いささか問題がある。その問題を解決するための三枚目だ。
「ダミアン殿下。お手数をおかけしますが、見届け人としてサインを頂けますか?」
コブラ王兄の言葉に、最初の挨拶以降ずっと沈黙を保っていたアルヴェ王国王太子ダミアンは、小さく息を吐くと、手を出しだす。
「寄越せ」
同じ書状を二枚ではなく三枚用意し、条約を結ぶ両国だけでなく、見届け人である第三国でも保管してもらう。そうすることで、条約を結ぶ人間の軽さを補うということだ。
付け加えれば、この後、もっと踏み込んだ軍事・経済同盟を結ぶ予定になっており、そちらは流石に両国国王直筆のサインが求められる。それまでの『繋ぎ』としてならば、コブラ王兄とララ侯爵のサインでも事足りるという判断であった。
無事、ララ侯爵とダミアン王太子のサインがされ、同じ内容の書状がトゥカーレ王国、カープァ王国、アルヴェ王国の三陣営に一枚ずつ渡される。
主目的が無事果たされたところで、並みの人間ながら多少なりとも緊張の糸を緩めるところだろうが、両大国の外交を受け持つ人物が並みのはずもない。
「では、その後、同盟についての対談を行う必要がありますね。具体的な日程について、腹案はございますか?」
歴史的ともいえる終戦条約にサインを終えた次の瞬間、ララ侯爵は全く変わらない口調でそう、対面に座るコブラ王兄へ問いかける。
対するコブラ王兄も、負けず劣らず、淡々と、
「時期は不明だ。多くの猶予があるわけではないが、全く猶予がないわけでもない。日時については、そちらに一任する。こちらはいかようにも合わせよう。ただし、一つだけ、要望がある」
「お聞きします」
「対談の場に、最低一度は、フランチェスコ殿下と、ゼンジロウ陛下にご同席を願いたい」
コブラ王兄のその言葉に、この日初めて、ララ侯爵の眉が意表を突かれたように、小さく動いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
無事目的を果たした両大国の使節団が去った室内には、ホスト役であるアルヴェ王国の人間だけが残る。
「……………………はあ、最重要書類だ。厳重に保管して置いてくれ」
アルヴェ王国王太子ダミアンは、手に持つ書状を部下に差し出すと、、コキコキと音を立てて首を回す。
「は、承知いたしました」
部下の一人が、書状を丁寧にしまい込むのをぼうっと見ながら、ダミアン王子は思考を纏めるため、腹心の部下たちに話しかける。
「とんでもないことになったな」
「はい」
端的で抽象的であるが、それは同意するしかない感想であったため、横に控えている腹心の騎士もそう答える。
「北大陸が大海を超えて侵略してくる? そのために、トゥカーレ王国とカープァ王国が和平を結ぶ? さらには経済・軍事同盟すら結ぶだと? 分かってるのか? 同盟を結ぼうにも、トゥカーレ王国とカープァ王国は一切国境を接していないのだぞ!?」
両国の間にはここ、アルヴェ王国が挟まっているのだ。
「分かった上で、気にも留めていないのでしょうな」
腹心の落ち着いた声に、ダミアン王太子は長い長いため息をつく。
「我が国は道路ではないのだが」
「奴らにとっては道路なのでしょう」
「…………」
きっぱりと言われて、ダミアン王太子はがっくりと椅子の上で脱力する。
「あー、なんでうちは北も南もあんな化け物に挟まれてるんだ?」
会談中はそれなりに威厳を見せていたダミアン王太子は、右頬をテーブルにくっつけるように突っ伏し、ダラダラと愚痴を漏らし続ける。
「確かにあれらと比べれば、東の未踏地の竜種が可愛く見えてきますな」
「そして、西の海からは、その北と南の両大国が手を結ぶ必要がある、北大陸の猛威がやってくるのですな」
「………」
容赦なく現実を突き付けてくる側近たちの言葉を拒否するように、ダミアン王太子はその垂れ目をぎゅっと固く瞑る。
「ああー、折角奇跡的に先の大戦を生き延びたのに、その後にこれか。もう少し平穏が欲しいぞ」
「大国に挟まれた小国の王族という生まれと、平穏な人生という望みは根本的に相反しているのでは?」
「強いて言えば、両大国に外交権も兵権も半ば奪われている大戦終結から今日までの日々が、相対的に言えば『平穏な日々』だったのでは?」
「………………」
容赦ない側近たちの追撃に、ダミアン王太子はテーブルに頭部をめり込ませる勢いで、額を押し付ける。無論、そんなことで現実が消え去ってくれるはずもない。
やがて、どうにか気力を取り戻したダミアン王子は、おもむろに上体を持ち上げると、
「よし、決めたぞ。王都から南北の国境まで伸びる街道を早急に整備するっ。最低でも千単位の軍が問題なく行軍できる程度にな。どうにか、父上を説得するぞ。お前たちも知恵を貸せ」
そう、側近たちに指示を出す。
アルヴェ王国王都から南北に延びる街道を整備。それの意味するところを理解できないものは、この場には一人もいない。
「自主的に、両大国の道路になられるおつもりですか?」
驚きを隠せない側近の言葉に、完全に開き直ったダミアン王太子は、自棄になった大声で、だが同時に自信すら感じさせる声色で答える。
「その通りだ。ただし、同時に北大陸の国々についても調べる。上手く取り入ることができるか、我が国が北大陸陣営に付くことが出来る余地があるか、な」
「そんな余地がありますか?」
懐疑的な視線を向ける側近に、ダミアン王子は小さく肩をすくめると、いともあっさりと言う。
「あるわけがなかろう。ただでさえ、北大陸の奴らは南大陸を下に見ているのだ。その上、コブラ王兄の見立てが正しければ、やってくるのは侵略軍だぞ。そんな奴らの下につくぐらいなら、両大国の間で道路やってる方が万倍はましだ」
不幸中の幸いというべきか、だからこそ不幸というべきか、南北の大国は非常に理性的だ。近隣の小国を自国のために都合よく使いつつも、暴発させないくらいの配慮はしている。根本的に南大陸を下に見ている北大陸の教会勢力の扱いが、それより良いことを望むのはもはや夢想に近いだろう。
「それではなぜ?」
首を傾げる側近に、ダミアン王子は心底忌々しそうに、
「知れたこと、我が国を守るためだ。トゥカーレ王国がカープァ王国と早急に経済・軍事同盟を結ぶ必要性を感じるほどの勢力を相手に、我がアルヴェ王国が抗しきれるはずもあるまい。ならば、両大国に守ってもらう必要がある」
「それは確かにその通りですが?」
まだ今一言いたいことを理解していない側近たちに、ダミアン王子は説明する。
「道というのは一方通行ではないのだぞ。我が国から両大国に軍隊が行軍できる大道が通ったとして、その状態の我が国が北大陸に征服されたらどうなる?」
「っ、なるほど」
アルヴェ王国を貫く、トゥカーレ王国とカープァ王国を貫く大道。それが完成してしまった場合、アルヴェ王国が征服されるということは、トゥカーレ王国とカープァ王国の陸路が寸断されるのみならず、アルヴェ王国という橋頭保から容易にトゥカーレ王国、カープァ王国に侵攻が可能となることを意味する。
それが嫌ならば、トゥカーレ王国とカープァ王国は、自主的にアルヴェ王国を守らなければならない。
「道路を作っただけでは、あいつらには良いように使われる可能性が大だからな。同時に我が国が、北大陸勢力と手を結ぶ可能性を見せておくことで、けん制するのだ」
ようは「分かった。自腹でお前たちの道路になってやる。だから、お前たちは外敵から道路を守れ。道路の使い方にも気をつけろ。配慮のない使い方をするなら、北大陸勢力引き入れて自爆してやるからな」と、いうメッセージをトゥカーレ王国とカープァ王国に送ると言っているのだ。
「大丈夫でしょうか? 下手をすれば力づくで道路を確保しようとされるのでは?」
道路完成後、北大陸勢力に侵略される前に、南北の両大国に侵略される。その可能性を示唆する側近に、ダミアン王太子は確信をもって首を横に振る。
「その可能性は考慮する必要もない。トゥカーレ王国のコブラ王兄も、カープァ王国のララ侯爵も、理性と打算の権化だ。力づくで奪った道路と、契約で正式に使用可能になった道路。どちらが交通の便が良いか、短期的にはどちらが安く済むか、一目瞭然な判断をあの化け物たちが間違える可能性など、無いと言い切っても良いわ」
長期的な視野に立てば、いっそアルヴェ王国を滅ぼして、道路を直接確保したほうが良い可能性もあり得るが、短期的に見れば間違いなく、アルヴェ王国を存続させたままの方が都合がよい。攻め滅ぼした国を平定するのに、どれだけの時間と手間がかかるか。
先の大戦の戦勝国であるトゥカーレ王国とカープァ王国が知らないはずはなかった。