第四章3【トゥカーレ王国からの申し出】
その日の夜。後宮のリビングルームでは、王配善治郎と女王アウラが向かい合って座り、話し合っていた。
最初に紡がれるのは、女王アウラによる王配善治郎の労をねぎらう言葉である。
「ご苦労だったな、ゼンジロウ。無事、カープァ王家の務めを果たしてくれたこと、うれしく思う」
『瞬間移動』で地方に飛ぶ。『瞬間移動』で地方に人を飛ばす。そして『瞬間移動』で地方から人を飛ばす。これらが出来るのが本来、カープァ王家の強みである。
今までは『瞬間移動』の使い手が、女王アウラしかいなかったため、『瞬間移動』の強みは半分しか生かせなかった。王であるアウラが『瞬間移動』で地方に飛ぶことは、よほどの事情がなければできないからだ。
だが、善治郎は違う。善治郎も数少ない成人した王族なのだから、大切な身であることは女王アウラにも伍するのだが、逆を言えば安全さえ確保できるのならば、ある程度自由の利く身と言える。
安全が保障される国内ならば、善治郎が『瞬間移動』で人を迎えに行くことが出来る。もちろん、そう頻繁に出来ることではないが、それでもいざというときには非常に大きな手札になるだろう。
「どうにか無事に終えてホッとしたよ。他人を飛ばすのは緊張して失敗するかと思ったけど、そっちも問題なかったしね」
その言葉通り、善治郎は大きく安堵の息をつく。善治郎にとっては、ララ侯爵領行は、王宮から出る初めての公務だったのだ。
なんだかんだ言って非常に緊張していたことは隠しようがない。元々、人見知りをする質ではないので、初対面の人間との対話はそこまで苦手としてない善治郎だが、流石に愛する妻の育ての親と会って緊張しないほど豪胆ではない。
「すまぬが今後は、この手の仕事が増える。心づもりをしておいてくれ」
「だろうね。大丈夫、分かってるよ」
『瞬間移動』で王都から人を飛ばすことは、女王アウラにも可能だが、地方にいる人間を『瞬間移動』で迎えに行くのは、基本的に善治郎にしかできないことだ。
女王アウラは原則玉座を空けることが出来ない。善治郎と違い、『瞬間移動』を一日に三回唱えられる女王アウラは、一応自分が地方に飛び、そこで対象を王都に飛ばした後、最後に自分も王都に帰還する、という荒業も可能だが、それは本当に最後の手段だ。よほどのことがない限り切るわけにはいない、正真正銘の切り札である。
それと比べれば、『瞬間移動』を覚えた善治郎という札ははるかに軽い。無論、それは女王アウラという札が重すぎるだけであって、王配善治郎も十分重く、軽々に扱える札ではない。しかし、『瞬間移動』を体得した以上、善治郎という札は、十全の安全を確保された国内に限れば、今後何度も切られることは、半ば確定された未来と言えた。
「写真は撮ってきたから、今後ララ侯爵領は、俺一人で行き来できるよ」
「うむ。その調子で、『ワレンティア』、『ポトシ』『ムジュイック』も頼む」
「まあ、近いうちにね」
西の港街『ワレンティア』、南の銀山都市『ポトシ』、東の『ムジュイック』砦は、北の旧王都『ララ侯爵領領都』と並ぶカープァ王国の要所である。『瞬間移動』を覚えた善治郎が、いずれ訪れることは必然と言えた。
とはいえ、それは今すぐの話ではない。善治郎はひとまず、話を本筋に戻す。
「ララ侯爵夫婦に会って来たよ。アウラの伝言も伝えてきた。返事は「孫の顔は見たいが、我々が王都に向かうのは国益に反する」だってさ」
「ふん、乳母夫殿らしい」
善治郎の伝言に、女王は苦笑を漏らす。苦笑自体は珍しくないのだが、その声色に近しさや甘えの色が感じられるのは、非常に珍しい。
「今更だけど、アウラの家族に会えて安心したよ」
本当に今更ながら、善治郎は本心からそう言う。
善治郎を召喚するまで、女王はカープァ王国唯一の王族だった。当初善治郎は、それを王家として、国体として大変な事態としかとらえていなかったが、本当はもっと別な視線が先にあるはずだった。
即ち、アウラという女性は、先の大戦で、両親も祖父母も、兄も、弟も、妹たちも、それ以外の親族も全て失ったのだという事実を。
女王アウラは強く、柔軟な精神の持ち主だ。だからこそ、大戦を生き延びた唯一の王族として、大国カープァ王国を今日まで運営してこられたのだが、耐えられるだけの強い精神を持っているからと言って、肉親を失った痛みを感じていないわけではない。
そんなアウラに、血は繋がっていなくとも、家族同然の存在を確認できたということは、善治郎にとっては嬉しいことだった。
夫の言葉に、妻は少し照れたように視線を逸らす。
「まあ、感情の上では、家族で間違いない。それが表立った言動に結びつかない堅物だがな」
ララ侯爵とその妻である侯爵夫人は、良くも悪くも己の言動を理性で縛ることのできる人間だ。そのため、公私の区別がほぼ完ぺきであり、公の部分では決して家族としての情を見せない。そして、残念ながら、女王と侯爵夫妻では、公の混ざらない交流は無いに等しい。結果、女王アウラとララ侯爵夫妻の『家族の情愛』は、表立ったものにはならないのだ。
「こっちの目的だったララ侯爵の三女と四女は無事、『瞬間移動』で王都に飛ばした。侯爵夫妻は、彼女たちがチャビエルの婚約者候補になることを受け入れてくれたから、後はルシンダさんに任せる形にしたいんだけど」
「うむ、それで問題なかろう。念のため、ルシンダから定期的に報告を聞くようにしておいてくれ」
「了解」
アウラの指示は、チャビエルの『お見合い』に万が一の不都合が生じないための措置であったが、同時に善治郎とルシンダの接触機会を増やすという意図も含まれている。
「と言った感じで、こっちが当初予定していたことは、問題なく終わった感じ。問題は、予定外の出来事なんだけど」
そう言って、善治郎は小さな箱の蓋を、テーブルの上で空ける。
長方形の木箱の中身は、二粒の琥珀。
「ふむ。これが『封竜石』か。確かに、これほど色の濃い琥珀は私も初めて見たな」
そう言って、女王アウラは指先でつまんだ一粒の琥珀を、LEDスタンドライトの明かりに透かして見る。
本職のフランチェスコ王子やボナ王女には遠く及ばないが、女の王族という立場上、上質の宝石を目にする機会は多かった女王アウラだ。そのアウラの目にも、この琥珀は見た事もない上物に見える。
「確か、トゥカーレ王国も琥珀の産地だとプリモが言ってたけど、トゥカーレ王国産ということは無いんだよね?」
念のため確認する善治郎に、女王アウラは少し考えた後、答える。
「私も宝飾品に関してはそこまで詳しくないので絶対とは言えぬが、可能性は低いな。これほどの石の鉱脈があるのならば、とっくに上流社会で知られていなければおかしい。無論、トゥカーレ王国のことだ。今日まで隠していた可能性も、昨今になって鉱脈を見つけた可能性もないとは言い切れぬが」
「ということは、やっぱりフランチェスコ王子が言う通り、北大陸産と思ってほうが自然か。トゥカーレ王国は、大陸間貿易をやっているんだっけ?」
一応オクタビア夫人の教育で習ったはずだが、今一自分の記憶に自信がない善治郎がそう問う。
「やってはいるが、主流ではないな。積極的なのはトゥカーレ王国よりさらに北に位置する国々だ」
大陸間貿易に耐えられる北大陸製の大型船でも、大陸間貿易は命がけの行為である。そのリスクを少しでも低減させるため、大陸間貿易船は南大陸でも可能な限り北の港に入港したがる傾向がある。無論、中には更なる利益を求めてリスクを取り、更なる南下を試みる船もあるが。
「フランチェスコ王子の言う通り、これがその『封竜石』だとしたら、滅茶苦茶貴重なはずだよね? それを何の理由もなくポンとこっちにくれるはずはない、と思うんだけど……」
そう言う善治郎の脳裏に思い返されるのは、ララ侯爵の言葉だ。善治郎が「どこまで知られている?」と聞いた時、「現時点ではただのハッタリでしょう」と、ララ侯爵はそう言い切った。
百戦錬磨で、大戦中からトゥカーレ王国の相手をしていたララ侯爵が断言するのだから、本当にハッタリなのだろう。だからこそ、善治郎は気になる。
なぜ、こちらの事情を大して知らないトゥカーレ王国が、『封竜石』をプレゼントしてくれたのか? 簡単に考えれば、こちらに対する揺さぶりで、こちらのリアクションを見て、更なる情報収集に勤しむためだろう。
だが、情報という湖面を波紋を作るために投げ込む石として、『封竜石』は少々張りすぎているのではないだろうか?と善治郎は思う。他に石がないのならば、それも致し方ないだろう。だが、トゥカーレ王国は、琥珀の産出国なのだ。ただ単に「お前たちがやろうとしていることは、分かっているぞ」とハッタリを利かせるためだけならば、国産の琥珀で良かったはずだ。
「でも、ララ侯爵がただのハッタリと言い切った以上、やっぱり深い意味はないのかな?」
「いや、その点に関しては、恐らく我が乳母夫殿が間違っている。向こうが一枚上手だったな」
独り言に近い自分の疑問に、愛する妻から予想外の答えが返ってきたことに、善治郎はギョッとする。
「え? そうなの? ララ侯爵が?」
善治郎が見たララ侯爵は、有能で慎重な紳士に見えた。他者から聞いた評判でも、その評価で間違っていなかったはずだ。そのララ侯爵が断言したことに、過ちがあったというのだろうか?
善治郎の表情から、そんな内心を読み取ったのだろう。女王アウラは、苦笑しながら家族同然の乳母夫をフォローする。
「乳母夫殿は有能だが、全能ではない。必要な情報が抜けて入れば、間違えることもある」
そう言われれば、さほど聡明ではない善治郎でもピンとくる。
「あ、そうか。『封竜石』については、流石にララ侯爵も知らないわけだから」
「そうだ。乳母夫殿にはただの上質な琥珀としか、見えなかったはず。私もフランチェスコ王子からの情報がなければ、ただの『初めて見る上質な琥珀』と言っただろうな。前提となる情報が間違っているのだから、導かれる結論が間違えるのも無理はない。この琥珀を贈ってきた人間は、そうなることを想定していたのだろうな」
つまり、この仕掛け人は、ララ侯爵の目を潜り抜けて、直接善治郎に何らかのメッセージを伝えたかったということになる。
「メッセージの内容は、トゥカーレ王国が北大陸と何らかの繋がりあるということかな? それをララ侯爵を通さないで直接俺に伝えたかった意図?」
考え込む善治郎に、女王は小さく肩をすくめる。
「そこは乳母夫殿の言う、「ただのハッタリ」という予想が的中している部分だと思うぞ。なにせ、あちらの首謀者と乳母夫殿は、大戦時からの因縁だからな。乳母夫殿の予想を外して、軽く恥をかかせてやりたかっただけの可能性が大だ」
女王アウラの予想には、信ぴょう性がある。女王アウラが、育ての親であるララ侯爵夫妻を信頼していることは、近隣諸国に知れ渡っていることだ。ララ侯爵に知らせないで、善治郎に直接伝えた情報でも、善治郎もしくは女王アウラが、ララ侯爵に情報を提供することを止められるわけではない。
「確か、ジョアン=コブラ王兄だっけ?」
善治郎は、事前にオクタビア夫人から習ったトゥカーレ王国の現状について、思い出しながらそう言う。
「ああ。基本的にはコブラだけで良いぞ。本名はジョアンだが、其方も知っているようだが、トゥカーレ王国の王族は、ほぼ全員、男はジョアン、女はジュリアだからな」
そのため、トゥカーレ王家の人間は、本名とは別にあだ名がつけられ、格式ばった公式の場面以外では、あだ名で呼ぶことが一般的なのだという。本人に対しても、コブラ殿下と呼びかけることがごくごく一般的で、今善治郎が言ったようなジョアン=コブラ殿下といった呼び方は、いちいちする必要はない。
「全員の名前を統一するって、日常的には弊害が多い気がするんだけどね。そうする理由は魔法なんだっけ?」
善治郎の問いに、女王は首肯する。
「恐らくは、な。公式にはトゥカーレ王国は、「ただの慣習、伝統」としか言っていないが、それらしい噂は何度か流れている。爺の意見でも、「理論上は可能」とのことだ」
アウラの言う爺とは、宮廷筆頭魔法使いエスピリディオンのことである。エスピリディオンは極めて優れた魔法使いであると当時に、南大陸西部でも指折りの魔法及び魔法語の研究家でもある。そのエスピリディオンの言うことだ。それなりの信ぴょう性はある。
「呪文の一人称を同一の個人名にすることで、複数人で一つの呪文を共有する、か。出来れば確かに便利そうだけどね」
善治郎は、最近の講義でオクタビア夫人から教わった『噂話』を思い出し、そう呟いた。
トゥカーレ王国の噂。それは、南大陸各国では珍しくない、血統魔法の『裏技』に関する噂話だ。各国王家が秘匿していると言われる、血統魔法の『裏技』。
それが、根も葉もないでたらめではないことを、善治郎はすでに知っている。シャロワ王家の「魔道具作成時間を極めて短縮する手段がある」という噂は真実だったし、カープァ王家の「時間を巻き戻すことで、死んだ生き物を蘇生できる」という噂は、「魔力がない、もしくはないに等しいくらい低い生きものに限る」という非常にショボいものだが、一応存在している。
そう考えると、トゥカーレ王国の「複数人で一つの呪文を共有する」という噂もかなり真実味を帯びてくる。
「ああ。爺の意見では、過去使用されたトゥカーレ王国の『解得魔法』のうち、いくつかは明らかに人一人の魔力量では実現不可能、とのことだ。何らかの解決手段を持っていることは間違いあるまい」
最大魔力量の問題は、南大陸の全王家が共有する問題だと言っても過言ではない。各王家が所有する『血統魔法』は、特別な魔法であり、程度の大小はあるが、いずれも強力な魔法がそろっている。
しかし、強力な魔法であるということには、必要魔力量が多いことも意味する。結果、膨大な魔力量を誇る王族でも、理論上は可能だが発動は不可能な魔法のストックが増える羽目になる。
カープァ王家が、『未来代償』の魔法で最大魔力量の問題を解決したように、トゥカーレ王家は『一つの魔法を複数人で共有する』ことで、その問題を解決した、と言われているのだ。
「逆を言えば、王族の数が足りなくなれば、発動できる魔法が限定されていくってことかな。……あれ? そう言えば、『解得魔法』以外で同じことは出来ないのかな? 名前が同じ魔法使いなんて探せばそれなりにいるでしょ。普通の四大魔法でも同じことは出来そうな気がするんだけど」
善治郎の問いに、女王は首を横に振る。
「同じことを考えた人間は、過去にもいたようだが、成功例は聞いたことがないな。爺も昔研究したことがあったらしいが、成果はなかったらしい」
その理由は、『解得魔法』が特別なのか、トゥカーレ王家の魔法研究がそれだけ進んでいるのか。『一つの魔法を複数人で共有する』のにも、個人ごとの必要最低魔力量の足きりがある、という説もある。真実は、トゥカーレ王家しか知らない。
「なるほどね。ひとまず現時点では、トゥカーレ王家だけが使える技術と思っておくべきか。話は戻すけど、『封竜石』という貴重品をこっちに寄越した意図だけど。ララ侯爵に分からない形を取ったのは、アウラの言う通りただの嫌がらせだとして、『封竜石』を寄越したことそのものは、嫌がらせやハッタリのためだけじゃない、よね?」
自分の判断に自信がないのか、最後は自信なさげな疑問形になる善治郎の言葉に、女王ははっきりと答える。
「ああ、まず間違いあるまい。何らかの、大きな意図がある行為だ。この場合、重要なのは乳母夫殿――ララ侯爵を飛ばしたことではない。其方とフランチェスコ王子の目に触れるようにしたことが、重要なのだ」
フランチェスコ王子が装飾油灯を作ろうとしているこのタイミングで、わざわざ「この館に滞在中の、『最も高貴なる方』に進呈いたします。ささやかな品ですが、『必要としている者』の所へ下賜していただけるならば幸いです」と言って、贈ってきたのだ。
トゥカーレ王国の人間――恐らくはコブラ王兄――が、フランチェスコ王子と善治郎にこの『封竜石』を見せようとしたことは間違いない。通常ならば、『封竜石』の正体を、フランチェスコ王子が知っていることを、トゥカーレ王国側が知っているはずもない。しかし、そこに『解得魔法』という要素が加わると、知っているはずがないという断言も出来なくなる。
「……うわあ、これ面倒くさいなあ」
思わずうんざりとした声を上げる善治郎に、女王は苦笑しながら同意を示す。
「トゥカーレ王国と相対した人間が、全員抱く感想だな、それは。トゥカーレ王国を相手に、こと情報戦の段階では、まず間違いなく先手を取られるからな。こちらは受け身の対応を強いられる」
「受け身の対応、つまり向こうから、さらなるアクションをかけてくるということ?」
善治郎の問いに、女王は小さくうずき返す。
「恐らくは、な」
そう答える女王アウラの表情は、先ほどの善治郎よりはるかに、うんざりしたものだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
数日後。王宮の執務室で、いつも通り仕事に精を出していた女王アウラの元に、一報が入る。
「アルヴェ王国から書状が届いていると?」
「はい。こちらです」
いつも通りの淡々とした口調で、ファビオ秘書官が一通の書状を執務机の上に載せる。
「ふむ…………なるほどな。予想の範疇内ではあるか」
書状に書かれていたのは、トゥカーレ王国とカープァ王国の代表をアルヴェ王国に招き、会談を設ける用意がある、というものだった。
書状の形式上、アルヴェ王国が主導する話になっているが、その実体はトゥカーレ王国からの申し出であることは、明らかだろう。
先の大戦から今日まで、表向きは国交を断絶していたトゥカーレ王国が、こうして国交を持とうと提案してきている。これは控え目に言っても、大事件である。この一件だけで、南大陸全土は大げさにしても、南大陸西部全体に影響を及ぼすことは間違いない事件だ。
そこで語られる内容次第では、南大陸全土を揺るがす話になってもおかしくはない。
会談の内容については、書かれていない。臭わせてもいない。それはそうだ。情報の取り扱いと用心深さでは、定評のあるトゥカーレ王国である。
「貴様も読め」
「は、失礼します」
主から開いた書状を付き渡された中年の秘書官は、素早くその内容に目を通し、片眉を跳ね上げた。
書かれている内容には、特筆するべきところはない。まあ、あのトゥカーレ王国が表立ってカープァ王国と国交を再開しようというのは、大ごとと言えば大ごとだが、それだけと言えばそれだけである。
問題は、そこに記されている、人名にある。
「アルヴェ王国の代表は、コブラ王兄ですか。トゥカーレ王国における我が国に対する責任者ですから、順当と言えば順当ですが」
「ああ。いきなり、御大自らのお出ましだ。二重の意味で、こっちも半端な人間は送り出せない」
秘書官の言葉に、女王はため息交じりにそう、言葉を返す。
二重の意味というのは、肩書と能力という意味だ。
向こうが、王兄という貴人を送り込んでくる以上、こちらも半端な地位の人間は送り込めない。そして、コブラ王兄は、優れた将軍、優れた政治家、優れた外交官として知られている人物だ。肩書だけが立派でも、能力が伴わなければ、あっという間に丸め込まれてしまう。
通常ならば、王族の対応は王族、というのが常識なのだが、あいにくカープァ王国に成人した王族は二人しかない。
だが、幸いにしてこの一件は、向こうから言い出してきた話だ。今のカープァ王国が深刻な王族不足であることは周知の事実であるし、この場合は王族でなくとも、高位の貴族であれば問題ない。問題はむしろ、後者。コブラ王兄に負けない能力のある人物、という点になる。
「一番無難なのは、ララ侯爵にお出まし願うことですが」
ララ侯爵とコブラ王兄は、先の大戦から続く因縁の好敵手だ。今回は『封竜石』という根幹情報を持たなかったせいで一本取られたララ侯爵だが、本来の能力であれば、コブラ王兄に勝るとも劣らない。
だが、だからこそ女王アウラとしては、その一番無難な手を打つことに躊躇を覚える。
どう考えても、トゥカーレ王国が予想していないはずがないからだ。
「短時間とはいえ、北の守りから乳母夫殿を外すのは、少々怖いな。それこそが、トゥカーレ王国の狙いである可能性も、ないとは言い切れぬ」
留守を預かるのは、次期当主であるララ侯爵の長男と、ララ侯爵夫人になる。前者は普通に有能な貴族で、後者は傑物と言っても良い人物だが、それでもなおララ侯爵の不在を完全に埋められるものではない。
「トゥカーレ王国相手に読み合いを挑むのは、無謀かと。こちらは正攻法の最善手を打つべきではないでしょうか」
秘書官の助言に、女王は今日何度目になるのか分からない溜め息をつく。
「……そうだな。となるとやはり乳母夫殿にお出まし願うしかないか」
元々、選択肢自体があまり多くないのだ。身分という第一関門を突破できる候補者が極小の上、そこから能力という条件も満たすものと言えば、最初から片手で数えらえるほどしかいない。
「まあ、この書状を信じるならば、向こうもそう手荒なことは考えていないはずだからな」
そう言って女王アウラは、今一度書状に書かれている出席者の名前の欄に目を向ける。
そこに記されている名前は、三つ。
一人目は、(表向きの)発起人である、アルヴェ王国王太子ダミアン。
二人目は、トゥカーレ王国の代表であるジョアン・コブラ王兄。
そして、三人目は、『黄金の木の葉号』船長マグヌス、と記されていた。
「単純に考えれば、この『黄金の木の葉号』という船が、『封竜石』の出元ということになるが」
「判断が難しいですな。会談の場に連れてくるということは、そのマグヌス船長という人物とトゥカーレ王国は、ある程度の交渉が成立していることは間違いない。『封竜石』に関するフランチェスコ殿下の話から推測しても、『黄金の木の葉号』が北大陸の船なのもほぼ確定と思って良いでしょう。しかし……」
珍しく語尾を濁すファビオ秘書官の言葉を、女王が引き継ぐ。
「そうだ。それがおかしい。折角誼を結んだ北大陸の船長を、事実上の敵国である我が国に紹介する? 何のためだ? 有力な取引先を手に入れたことを見せつけてこちらに圧力をかけるためか? それだけならば、大陸間貿易を活性化させれば、自然とこちらの耳に届く話だ」
「それだけのはずがありますまい。面倒なことになるのでしょうな」
「断言するな」
未来の話のはずなのに、きっぱりと言い切る秘書官の言葉に、女王は反発する。だが、非常に残念なことに、その言葉を否定することは、アウラにも不可能だった。