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理想のヒモ生活  作者: 渡辺 恒彦
一年目
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第一章4【思い通りにいくことは少ない】

 翌日の月曜日、出社をはたした山井善治郎は、提出した『辞表』を前にして、難しい顔で腕を組む上司の言葉を待っていた。


「辞めるってか……」


「はい、すみません」


 元々、仕事条件の厳しい会社である。辞めていく人間はそう珍しくないのだが、善治郎の場合数年間仕事についてきて、最近やっと『戦力』となる目処が付いてきた矢先での辞表提出である。

 上司としても、入社半年の新人のように「辞めたけりゃ、勝手にしろ」とは言えない。


「実家に帰って、家を継ぐ、か。お前、そういう生活が嫌で、この仕事を選んだんじゃなかったのか?」


 辞表の理由の欄に書いた、善治郎の嘘言い訳に目を通して、上司は口元を不快げに歪めたまま、首を傾げる。


「ええ、まあ。何というか、ちょっと、心境の変化がありまして……」


 まさか、異世界の女王様と結婚してヒモになります。とは、書けないため、ここは嘘で塗り固めるしかない。内心冷や汗を流しながら、善治郎は、神妙な顔をしている。


「ふーん……まあ、辞めるって言うのを、無理に押しとどめても、碌な仕事はできねぇわな。分かった」


 長らくこちら睨んでいた上司が、そう言葉を漏らした瞬間、善治郎は思わずホッと安堵の溜息を漏らした。


 だが、そんな善治郎の喜びに水を差すように、上司は大きな声を張り上げる。


「ただし! 今お前が担当している期日の近い仕事は、ちゃんと終わらせろ。それ以外の、お前が抱えている仕事も別の人間に引き継ぎさせるんだぞ。それが終わったら、今年の新入社員の教育係だ。


 今のお前くらいまでとは言わんが、せめて仕事のイロハのイぐらいは叩き込んでいけ、いいな?」


 いいか悪かと聞かれれば、よくはない。正直今は異世界召喚の準備で、時間は惜しいのだ。

 しかし、そんなことを言って跡を濁すのも気持ちの良いものではないし、下手に刃向かって根掘り葉掘り聞かれて、万が一にも嘘がばれたりしたら、そのほうが遙かに厄介だ。


「分かりました。失礼します」


 結局、善治郎は退社の瞬間まで、無難にハードワークをこなすことを選択したのだった。






 仕事の引き継ぎや、後輩の指導まで任されるとなると、思っていた以上に残された時間は少ない。

 これは、一分一秒も無駄に出来ないと悟った善治郎は、牛丼屋で昼食を済ませると、その足で真っ直ぐ近くの宝飾店へと向かった。


「そうですね。この指輪ですと、14号から14.5号くらいになるのではないでしょうか。お客様ご自身のサイズは17号ですね」


 善治郎が持ち込んだ指輪と、善治郎自身の左の薬指を計り終えた中年の女店員は、業務用の笑顔を崩すことなくそう言った。


 そもそも宝飾店に足を踏み入れること自体初めての善治郎は、そう言われてもアウラや自分の指が、太いのか細いのかもよく分からない。


「はあ、そうなんですか」


 善治郎の様子から、すぐにこの客がまったく不慣れであると察した店員は、さりげなく説明を交えながら、話を続ける。


「お相手の方は女性としては、少々大きめのサイズになりますね。このサイズとなりますと、すぐに用意できるものは、若干数が限られるのですが」


「ええ、まあ。身長からして、私より一回り高い人ですから」


「あら、まあ。お客様だって低い方ではないのに。それだけ、背の高い方ですと、ある程度幅の太いしっかりとした物の方が、映えるでしょうね。少々お待ち下さい」


 店員はサンプルを取り出しに、奥へと引っ込む。


「あ、はい」


 残された善治郎は、自然にアウラの容姿を思い出していた。


 大柄で官能的な肢体。激しい容姿の映える、目鼻立ちのはっきりとした容姿。その性格を現しているような、火のように赤い長髪。日焼けとは根本的に違う、生まれついての小麦色の肌。

 彼女の指に映える指輪とは、どのようなものだろうか。確かに店員の言うとおり、控えめな作りの、細い指輪はあまり似合わない気がする。

 もっとも、善治郎自身一つ勘違いをしている。アウラの身長が、善治郎より高いということはない。

 むしろ、善治郎の方が指一本分程度だが、高い。正確に言えば、善治郎が172センチ。アウラは、170ちょうどくらいだ。

 善治郎の目には、アウラが170の中盤から後半くらいに見えているが、それはその全身から滲み出る雰囲気に押された、錯覚に過ぎない。


「お待たせしました。簡単な手直しで、近日中にお渡しできる物となりますと、この辺りのものとなります」


 そうしていると、後ろに下がった店員が、複数の指輪を盆のような物に乗せて、善治郎の前へ持って来る。


「へえ、結構色々あるんですね」


 そう言う善治郎が真っ先に目を向けるのは、それぞれの指輪にぶら下がった正札だ。

 貧乏性であることは分かっているが、指輪の善し悪しなど分からない善治郎にとって、一番気になるのは、懐から出て行く金額というのが、正直なところだ。


「迷われているのでしたら、まずは台座の金属から決めることをおすすめします。日本では、結婚指輪はプラチナが一般的ですが、お客様の肌の色ですと、むしろゴールドの方が指になじむのではないでしょうか。通常のイエローゴールドが派手すぎると感じるんでしたら、こちらのようなピンクゴールドのリングもございます。

 もちろん、フィアンセの方との兼ね合いが一番大事なのでしょうが」


 一般に、肌色の薄い者はプラチナや銀、濃い者は金が無難であるとされている。

 善治郎は、異世界人の血が入っているせいか、日本人としてはかなり肌色が濃い人間である。

 まして、アウラは、完全無欠の異世界人。その肌の色は、天然自然の綺麗な小麦色だ。


「ああ、相手は私よりもっと肌の色が濃いんですよ。小麦色って言うか……」


「まあ、それでしたら、やはりイエローゴールドをおすすめします。飾り石も、無色ダイヤよりカラーダイヤのほうがよろしいのではないでしょうか。失礼ですがひょとして、お相手は、海外の方ですか?」


「あ、はい。そう、ですね。日本人ではないです」


「それでしたら、台座の石は、瞳の色や髪の色と合わせるという選び方もございます。瞳や髪の色を合わせれば、身につけていてもなじみやすいですし、それだけ相手のことをよく見ているという、メッセージにもなりますから」


「は、はあ。なるほど」


 日頃、こういった場に離れていない善治郎は、店員の販売攻勢に押され、ただ店員の言うことに頷くばかりになっていた。

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