意地悪な妹を持った姉が幸せになった話
「意地悪な妹に虐げられた姉が幸せになった話」
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コレの姉視点です。ゆるふわハッピーエンドで蛇足の物語。
「ああ、マリアベル、ごめんなさいね。でもあなたならきっと、この家の事も全部上手くやれると思うから」
病床の母がそう言って私の頬を撫でる。
本来であれば、悲しいとか寂しいとかいろいろな事を思うべきだろうけれど、弱ってボロボロになった爪とガサガサの指先が私の頬を薄くけずる痛みと、体に染みついた病と薬の臭いに「いやだなぁ」と思っただけだった。
*****
私、マリアベルは伯爵家の一人娘としてこの世に生を受けた。
両親はけして仲がいいとは言い難い。それでも「きぞくのつとめ」という物を守って家を守り、領地を経営して、私と言う後継を作り育てていた。
父は忙しい人であまり家には帰らなかったが、母は教育熱心で厳しいけれどいろいろな事を教えてくれたし、侍女のサラはとても優しかった。
そんな我が家の平和は、私が7歳と半年を過ぎた頃に一気に崩れた。
母が流行り病にかかり、数ヶ月にわたる治療の甲斐なく亡くなった。
悲しいより、この先の心配が先に浮かんだ。
淑女教育も家庭教師の手配も婚約者探しも全て母が行なっていた。一番状況を理解しているとはいえ、サラにはそんな権限はないし、7歳の私には当然決定権なんてない。
喪が明ける頃、父に尋ねようと細々と準備をしていたが、それより早く呼び出しを受けた。
「マリアベル、新しい妻を迎える事になった」
それを聞いて私は薄情にも喜んだ。
きっとその人が私の教育やその後をうまく回してくれるのだろう。
「あと、お前に妹ができる。いじめるなよ」
続く言葉に少し驚いたが、すぐに納得をした。
母が病で死んだ今、確かに子供が一人では不安だろう。
同じ派閥か、遠縁の貴族の離縁された女性か、未亡人を引き入れるのか。
妹な点も、男児は離縁後でも家に引き取られる事が多いが、女児の場合は金がかかるからと一緒に追い出されることがあると聞いたのでその類だろうと、その時は思っていた。
だって、父は仕事はできる人だから。本当に仕事だけはできる人だったのに。
*****
母の喪が明けて早々にその人たちは屋敷にやってきた。
新しい母メイジーとその娘のエルザ。元は平民で、父の『友人』だったと言う。私に冷たい視線を送りながら父の腕に絡みつく派手で美しい女と、父の名前……エルヴィンから文字をもらった名前の少女。
やっぱりこの時、悲しいとかつらいよりも
「私の将来、大丈夫かしら」
と考えていた。
挨拶を促された義妹、エルザは頭を下げるだけの簡単な挨拶をしただけで、義母の後ろに隠れてしまった。
ただ、彼女の態度は緊張だけで敵意がなさそうな事と、着飾った義母に比べて傷んだ髪や指先をしていて、良い服を着ているけれどサイズがあっていない事が気になった。
一瞬、何か事情があって他所の子供をつれてきたのかと疑ったほどだったが、エルザの緑の目は父にそっくりで、少し赤みがあって光の具合でピンクのように見える金髪は義母と同じだったので、二人の子供であることは間違いだろう。
つまり、大事にされていないのね。私と同じで。
少しだけ胸の奥がクン、と引きつれるような感覚を覚えた。
自分だけではないという安心なのか、同情だったのかは結局わからなかった。
ただ、その時初めて自分の心が他人に向けて動いたことだけはよく覚えている。
2人が屋敷に来て、父は以前よりも帰宅することが多くなった。
そして私への嫌がらせが増えた。
最初はやんわりとエルザを可愛がるだけだったが、次第に服を奪ったり、罵ったり、食事の席に呼ばれないという明確な虐待行動が始まった。
使用人の半数は雇い主である父の味方だったけど、サラを含めた半数……古くからこの屋敷に勤める者は、父の言う事を聞くふりをして私を助けてくれた。
「亡き前伯爵様と大奥様には大変おせわになりましたので」
そう、みんな口々に言う。
私はどうも、みんなが大奥様と呼ぶ祖母によく似ているらしい。そんな会話の中で、あまり母に触れる賞賛がない事に思うところはあったけれど。
歪な生活が半年を過ぎた頃、今まで静かに過ごしていたエルザが癇癪を起こすようになった。
父や義母と違い、おとなしいけれど真っ直ぐな目をした義妹が少し心配になった。
だから、夜中にこっそり部屋を出て、彼女の部屋を訪れて話をしようとしたが、
「パパもママも、おねえちゃんをいじめてるだけじゃない!」
少しだけ空いたままのドアの隙間から、そんな幼い悲鳴が聞こえた。
しばらく立ち止まって聞き耳を立てたが、それは会話でなく独り言のようだった。
本来であれば目的通りエルザに声をかけるべきだ。
そう思いながらも、私は声を出せず、彼女に顔を合わせることができないまま、静かに自分の部屋に戻りベッドに潜り込んだ。
「おねえちゃん…だって」
顔が熱くて、心臓が早くて、どうしようもない気持ち。
これが母のような病でない事を祈りながらその日は一睡もできずに朝を迎えた。
そして翌日から、エルザの癇癪は私へ向かい始めた。
その結果、防寒具から始まって服、食事、本やおもちゃ等の、おそらく『エルザから見て私に必要そうな物』が私の部屋に運び込まれるようになったのだ。
わざとエルザの癇癪に合わせたサラや味方の使用人が意地悪な演技をして「古着」「食べ残し」「壊れた物」と強調しながら持ってくるそれは、装飾が少し取れたり目立たないところがほつれた服、手付かずでまだ暖かい食事、外箱以外きれいな未使用品ばかりだった。
「さすがに、旦那様も奥様も気づかないものですかね?」
「気付いてないみたいねぇ…」
サラと小声で相談をしながら、ふと窓の外に視線を送る。エルザが薄着で庭を駆け回って、使用人の子供と遊んでいた。
ボール代わりに丸めた古布を投げて、どこかから拾ってきた枝で打つという下町の子供の遊びをしているらしい。
私の部屋にはきれいなボールや専用のラケットがある。元はエルザの為に買われたが、平民みたいな遊びはしないと言って私の部屋に運び込まれた玩具の一つだ。
義妹の姿を見ていると、不意に自分が恥ずかしくなってきた。
私は自分の事を決めたり手配したりするのを母や義母を通して決めてもらうつもりでいた。でも、エルザは全部自分で決めているのだ。遊びも勉強も友達作りも、義姉に何かを渡すことも全部。
「……負けてられないわ」
私はこぶしを強く握りしめた。
だって私の方があの子より「おねえちゃん」だから。そう思うとまた少し、頬が熱くなった。
エルザのお陰で、父も義母も私とエルザに興味がない事が確定したので、サラと味方の使用人を使いうまく誘導することにした。
まず、エルザが私に譲って少なくなった衣類はそれとなくクローゼットと衣装室に補充してもらった。
使用人が「エルザ様に必要」と言えば父はあっさり購入の予算を渡したから。
食事も私に譲って抜いた翌日には少し多めの間食を手配した。
さらに、わざと義母の前で難しそうな本を広げてみせたり、勉強の本を落として見せたり、使用人たちに
「マリアベルお嬢様は歩き方が綺麗ね」
「お茶の作法も素晴らしいわ」
「勉強もかなり進んでいるらしい」
と噂話をしてもらった。
そうすると対抗するようにエルザへ家庭教師が手配される。
私は続きの間である隣室でその話を聞いたり、サラや使用人伝手に勉強の内容を復習したりすれば良い。
予想外な事が2つあった。
1つはエルザが勉強を嫌がらなかった事。学びはあった方が今後の彼女のためになると思い巻き込んだけれど、嫌がるどころか積極的に読み書き計算、運動、礼儀作法を高い水準で吸収していった。
「これを覚えたら、貴族じゃなくてもいろんなことができるじゃん…あっできます、わ!」
そう小さな声で意気込んでいるのを使用人の一人が聞いていた。
私にはわからなかったけれど、エルザは貴族でいる事を望んでいないと、その時知った。
もう1つは、ここでもエルザは『癇癪』を見せた事だった。
曰く、一人でやると家庭教師が付きっ切りで息がつまる。あの女(私の事だ)にも同席させろ、代わりに課題をやって写させろ!との事らしい。
結果として、私は隣室でなくエルザと同じ部屋で勉強をすることになった。
家庭教師はサラの助言で手配された、我が家の事情をしっている者達だったのでエルザの『癇癪』にも私のオドオドした演技も生暖かい目で付き合ってくれた。
そんな歪を極める数年を経て、私達は貴族学校へ進学した。
もう、その頃にはエルザは貴族の礼儀作法をしっかり覚えていて、外では私の事を「お姉様」と呼ぶようになっていた。
嬉しいけれど、少し寂しいと思った。実母が死んでもそんな事思わなかったのに。
学校生活でも、エルザは暗躍をしてくれた。気づいていたけど。
馬鹿な貴族令息と令嬢から必死で私を遠ざけようと頑張っていた。
そんな様子を伺いながら私は毎日気が気でなかった。
私から引きはがすために馬鹿な男に体を寄せるのを見て、何度もの陰から飛び出して、男の方を扇子の角で殴った後にエルザに滾々と説教をしてやろうと思った事か!
エルザは自覚をしていないが、若いころは美男子で社交界を沸かせた父と、そんな父を堕とした美貌と肉体を持つ義母の良い所取りをした容姿をしている。その上、知性と礼儀作法をきちんと学んだ所作、平民時代に得た素直さと人当たりの良さを持っていて、つまり、やたらとモテる。自覚はしていないが。
まともな貴族男子であれば、節度を持った付き合いや、ちょっと侍らせて遊ぶくらいだろうが、今彼女が相手をしているのは本物の馬鹿ばかりだ。手を出されたら冗談では済まない。
私は、特待生枠で入学している平民たちに目を付けた。
貴族相手でなければエルザも素の顔で接するし、きっと彼女の味方になってくれると思ったから。
調べを進めると、その中に伯爵家に来る前のエルザを知っている者がいた。
平民時代に近所に住んでいて、よく空き地で遊んでいたグループの一人。計算が早く頭が良かったため、貴族の後援者を得て学校に通っている。実家は人気の飲食店を営んでいて、近所のパン屋の娘をずっと好いている事も調べ上げた。
エルザに対して安全な平民の男。
それとなく選択授業が重なるように誘導をして、再会をさせた。
思惑通りに2人は再び友情を育み、そこから彼女の周囲に良い人が集まっていった。
*****
入学して数ヶ月後にある最初の試験で、私は成績上位者の中に食い込んでしまった。
これでも伯爵令嬢という立場を考えて、他の有力な伯爵家や侯爵家の生徒を刺激しないように実力は抑えたつもりだったが、考えが甘かったらしい。
プライドの高い一部の奴らとその取り巻きに影でくだらないことを言われ、家に帰ると義母がエルザより成績が良い事に嫌味を言ったり雑用を押し付けてくるようになった。
急に全部嫌になってしまった。
義母に何か言い返そうか。
それとも扇子で殴ろうか。
いっそ、大鋏でも持ち出して……。
「ちょっとママぁ!」
歪んでいった思考は飛び切り明るい声に吹き飛ばされた。
「あんた、優秀なんでしょ? じゃあ私の分の宿題もやっておいて頂戴!」
そういうと、エルザは自分のノートを私の足元からギリギリ離れた床に叩きつけた。
「でも文字の違いで先生にバレちゃうかも。自分で書くくらいはやるから、アンタは先に宿題を終わらせて私に写させなさい!」
偉そうに高笑いを上げながら、エルザは自分で床に撒いたノートと教科書を丁寧に広い集めて、その表面をさっと手ではたいてから私にグっと押し付けてきた。
この子、本当に下手だ。
何で自分の持ち物を床に投げ捨て、自分で拾うのか。それを押し付けるときに汚れを拭って渡すのか。本当に、悪女の真似が下手すぎる。
私はうつむいたままその教科書とノートを拾い上げてそっと部屋を出る。
すれ違いざまに、小さな声で「ありがとう」と言おうとしたけど、喉の奥がかすれて言葉にならなかった。
こんな事で折れてしまっては、私はこの子の『おねえちゃん』でいられないと思った。
それから私は「エルザの宿題を代わりにやる」という名目で、家に帰ってからは自室や書庫にこもり、義母とは顔を合わせない生活が許されるようになった。
刺繍の課題が出た時は日当たりの良い温室で大好きなお茶を飲みながらゆったり作業をする事も多かった。エルザが「癇癪」で義母にそう言ったからだ。
エルザの宿題は、いつも私と違う所を間違えていたし、自力で仕上げた刺繍を提出していた。
こんなバレバレの嘘を私が気づいていないと思っているほど純粋無垢な義妹がそんな不正をするわけがない。
そして、それが分からない程に父も義母も私達には興味がない。
エルザの成績は日に日に上がっていった。
最近、サラには少し心を許しているのか「お姉様の宿題の式を参考に自分で答えを導きだせたの。丸写しじゃ意味が無いけどこれなら勉強が身につくわ」とこっそり教えてくれたらしい。
嬉しい反面、それを直接聞けるサラが少しうらやましかった。
*****
3年生に進学した頃、私は同級生の陰口を避けるために学校の植物用温室で休み時間を過ごすことが増えていた。
そこは蒸し暑くて日当たりが良すぎるので不人気スポットだった。
ぼんやり、少し汗ばむ空気の中でガラス越しの空を眺めていると、不意に背後の草がガサガサとなった。
「きゃっ」
「えっ誰」
背の高い草の陰から出てきたのは、白衣をまとった猫背の男子生徒だった。
見た事がないから、別の学年だろう。
長い黒髪は鼻先までを覆い隠して、制服を着ていなかったら不審者と思っただろう。いや、制服を着た不審者の可能性も否めなかったけれど。
「私は3年Aクラス所属、レーガン伯爵家が娘のマリアベルにございます」
相手の身分も年齢も解らないので、とりあえず貴族の挨拶をしておく。男子生徒は少し驚いた後、気まずそうな声で
「4年Aクラスの、マシューです…驚かせてごめんなさい。ここの水やり当番なので……」
そう言って背を向けた。家名を名乗らなかったが、おそらく伯爵以上の家でごまかしたかったのだろう。
「そうですか、ここにいてはお邪魔でしょうか」
「いや、別に……ご自由にどうぞ」
4年といえば、最上級生である。
本来はこんな雑用をする時間はないはずだが、そのオドオドした声色や態度から押し付けられたことが推測できる。そもそも、ここ数日温室に通っているけれど水やりなんて誰もやりに来ていない。
自信無さげなマシュー先輩の作業をじっと見ていた。
ただ見る物がなかったからと、少し温室の管理に興味があったからだ。
一通りの植物に水や肥料を与えた後、先輩はやっぱりオドオドした様子で
「床、濡れてるから気を付けて……」
とだけ言って去って行った。
それからしばらく、温室で先輩を見かける日が度々あり、少しずつ会話を交わすことが増えた。
「今日も先輩が当番ですか?」
「うん……」
「この植物、元気が無いですね」
「…花の時期が終わっただけ。下の実は元気だから大丈夫……」
「暑くないの?」
「暑いですね」
「……気を付けてね」
些細な会話だった。
それでも駆け引きも上下関係もない物は案外心地が良くて、家ではエルザとサラの存在、学校ではマシュー先輩が私の数少ない癒やしになっていた。
「今日も暑いですね」
「……うん」
「汗をかいてしまいますね。水分は取られてますか?」
「まぁ、一応」
「冷たいお茶を持ってきましたので、少しでかまいませんからお飲みください。倒れてしまいますよ」
保温性の高い水筒に入れた、冷えた花茶をカップへそそぐ。
茶会のマナーを無視した労働者のような飲み方ではあるが、義母の嫌がらせで飲食ができないときのためにサラが持たせてくれた物だ。
「冷たい、お茶?」
「飲んだことありませんか?」
「ああ、紅茶は温かい物しか」
そういって先輩は恐る恐るコップを受け取り、無作法にも一息で飲み干す。
「おいしい。何のお茶だろう?これは、オレンジの香りと…」
「リアナスの花のお茶ですわ。オレンジは乾燥させた皮を少しいれてあります」
「花のお茶! 初めて飲んだ。普通の紅茶は好きでいろいろ知ってるんだけど」
「お口に合ったのなら幸いですわ。お好きでしたら今度茶葉を少しお持ちしましょうか?」
「うん!」
そう元気に笑うと、顔の半分を覆う黒髪の隙間から金色の目がちらりと見えた。
瞬間、背中がゾクリと冷える。
金の目は王家か、王女が降嫁された家にのみ出る特徴だ。頭の中で貴族名鑑を高速でめくる。今の尊い方と公爵家には御年の近い方はいない。消去法で考えて、侯爵家の候補が2家……。
「今度は正式にお誘いします、レーガン伯爵令嬢。悪い噂はお互い当てになりませんね」
飄々とそう告げていつもより軽い足取りで猫背のまま温室を出ていった。
悪い噂のある、と言えば冷酷無比で気に入らない政敵の毒殺を試みたと言われている侯爵家には変わり者の長男がいると聞いていた。
油断しすぎた、と思った。
でも、こういう予想外の事を誰かにされるのは義妹以外では初めてだったので、案外悪い気はしなかった。
*****
穏やかで頭のおかしい日々をしばらく過ごしたある日、卒業間近のマシュー先輩に求婚をされた。
「うちの親には話してあるけど君の家じゃあ親を通しても仕方ないでしょ?まず君の意見をどうぞ」
「まぁそうですね。プロポーズ、嬉しいです」
「多分だけど、君のご家族にはお金を出してくれそうとか、君がひどい目にあわされそうとかの悪い雰囲気出しておいた方がいいかな?」
「本当にお恥ずかしいですがご理解いただけて助かります。あ、でも……」
当たり前のように、私にいつも下手な高笑いを向ける可愛らしい顔が浮かんだ。さすがに侯爵家の情報操作を掻い潜るほどの能力はあの子にないだろう。そうすればきっと心配をする。それだけで済めばいいが、うっかり怒りの限界点を超えて刃物を持ちだす可能性も否めない。
「義妹の、エルザには安心できる婚姻だと伝えたいです。できれば直接でなく、友人経由で耳に入るのが理想です」
「あの子?」
「ええ、とても面白い義妹なので」
「ふぅん。あの子だけは何か、読めないんだよね。噂も悪いのと良いのが混ざりすぎていて、交流は貴族子女、特待生の生徒の両方とも多いのに情報が入ってこない」
「やっぱり、エルザの事も調べていたんですね」
こちらの問いに何も言わず微笑んでいる彼に、同じ微笑みを返す。貴族らしい曖昧な表情を浮かべているけれど、私の心は喜びで跳ね上がっていた。有力な家で相性の良い子息との婚姻。派閥的にも大きな問題なし。純粋に私を気に入ってくれているらしいが、感情だけで動かずに家の事情も把握している冷静さがある。
その上で、高位貴族にも情報を流さないような友人達がエルザの周りにいる事が知れた。あの汚泥のような家の中で、義妹の人柄の良さと優しさはしっかりと人脈の根を作り、実を結んでいる。それが何より嬉しくて誇らしい。
ただ、その気持ちを直接伝える機会がない事だけはずっと寂しく感じていた。
*****
それから約1年かけて準備と根回しを行い、私とマシューは婚約をし、花嫁修業という名目で住まいを侯爵家へと移した。
最初は不機嫌だったエルザも、友人から良き縁で結ばれた婚約という情報を得て以降は高笑いに喜びが乗ってとても元気そうだった。本当に悪女の真似が下手で可愛い。
エルザは夜な夜な物置に忍び込んでは空いた木箱に亡くなった母の形見や幼少期の物を綺麗に拭き掃除しながら詰めていた。私の嫁入り道具として持たせるつもりらしい。
持っていきたい物は先にマシューへ預けてあるから、別になくても良いのだけれど。
それでも必死で箱の外側だけを汚して準備をしてくれた彼女の努力に、大きな愛を感じて少し涙がこぼれてしまった。
*****
「マリィ、大事な話があるんだけど……」
学校から帰り、侯爵邸で現侯爵夫人…お義母様から頼まれた書類整理を手伝っていた時の事。
重々しい雰囲気で通された談話室には侯爵様ことお義父様、家令、そしてお義母様が待っていた。
挨拶もそこそこに実家である伯爵家の事だが……と話が始まった。
曰く、真の血統は父ではなく亡き母の方にあった事。
父は入り婿で、男爵家の三男坊だった事。
エルザには伯爵家を継ぐ資格がない事。
すっかり抜け落ちていた記憶のピースが突然パチリとはまり出す。
母が亡くなる直前、私に「この家の事を上手くやれる」と言ったし、古い使用人たちは祖母と母の味方をしていたし、今も侍女としてこの家についてきてくれているサラは母の乳姉妹で幼いころから祖母にも目をかけてもらっていたと言っていて……。
こんな当たり前の事を気づかず忘れているなんて私も大概あの家に興味がなかったらしい。
茫然とする様子を悲しんでいると思ったらしく、マシューは優しく肩を抱き寄せてくれた。しかし、それどころではない
「君のお父上の行っている事は、正当な家の後継者を蔑ろにする行為に当たる」
「そう、ですね」
「ただし、黙っていれば見逃される可能性が高い。婿として伯爵当主になった事は事実だし、本来継ぐ予定の君も同意していた事にすればどうにもできる。ただ、跡を継ぐのは君の義妹さんではなく君の子供かお母上の遠戚を探す必要がある。その辺りはお父上も解っているようでお母上の親戚筋に声をかけて義妹さんと結婚をさせようとしている」
父は仕事だけはできる人だった。本気でエルザを後継にする気があればその教育をしないとは考えにくい。だからすでに他を当たっていたのだろう。普通の淑女教育すら手配しなかったのはどうかと思うが。
「ただね、その義妹さんの結婚相手がちょっと嫌な感じなんだよね」
「っ!?」
マシューと侯爵の説明によれば、祖母の弟の息子の愛人の息子とかいうどこの馬の骨ともわからない、遠すぎる縁の男を『正式な血統の当主』と迎え、その男にエルザを宛がおうとしているらしい。一応、認知をして自分の子であると認めているので貴族の血縁者……という事になるらしい。
その男がエルザのような清く正しい人柄であればほんの少し、親指の先適度の嫉妬と怒りしか湧かなかっただろう。
けれど、報告書を読む限り、自堕落な生活で性にも奔放。おそらく囲っている女が複数人いる。
「絶対に、ダメです」
腹の底が燃えるような低い声が無意識にこぼれる。
侯爵様、お義母様、マシューの3人はゆっくり頷いて
「それなら、こちらに任せてくれるか?」
と言った。
私は黙ってうなずいた。
彼らはけして、私への同情や愛情だけで動いたんじゃない。
貴族として当然の「膿出し」をしているだけ。だから今、この場所で、ただ好き嫌いや感情だけで動いているどうしようもなく貴族に向いていない考えを持っているのは私一人だけだった。
*****
学校卒業目前で、両親の罪は暴かれて実家は事実上取り潰しとなった。
エルザはしっかり卒業するまで学校に通わせてあげたかったけれど、クズとの結婚を止める方法とタイミングはこの時しかなかった。
この点に関して他の方法を取れなかった事をマシューは何度も謝ってくれたけれど、最終的にそう望んだのは私だから彼も、侯爵様も悪くない。
そうして両親は死刑が宣告された。私の虐待を、殺人未遂扱いにした結果だった。早急に事を進めるために必要だったのもあるが、この点に関しては私よりも侯爵家の皆様が大激怒してしまったのが決め手になった気がする。どうも私は自分で思っているよりこの人たちに大事にされているらしい。
それでも、一応は『親』だった人たち。私の気持ち、立場、希望を何度も聞きとってくれた。
「せめてもの恩情で、苦しまない方法を取ってあげてください」
それが私の願える唯一の救いだった。
*****
死刑間際の両親に会いに行った。メイジー様は、突然金切り声を上げたかと思うと甘い声で許しを請うたりうるさかった。宝石もドレスもはぎとられてボロボロの囚人向けの服を着ているが、それでも地の顔の美しさはうっすら残っている。それが少し、エルザの輪郭を思い起こさせて嫌だったので簡単な別れの挨拶を告げて終わった。
父は静かだった。
「私の罪状では、」
屋敷にいた時は聞いたこともないかすれ声が漏れる。
「もっとひどい刑になるだろう。斬首か何かだったはずだが、服毒と聞いている」
「そうですね。ただ、あまり残忍な死にざまをされては遺されたものに良くないと思いましたので」
「そうか」
遺されたものが誰かは聞かれなかった。おそらく興味がないのだろう。
ただ、別れ際に「侯爵夫人の恩情に心よりの感謝を」と最上位の礼をされた。
本当に家の事に興味がなくて、仕事だけはできる物わかりの良い人だった。きっと母と義母に関わらなければ幸せになれたんじゃないだろうか。
そんな思考が分かるような冷めきったこの性格は父譲りだったのだろう。
義母と出会って道を大きく踏み外した父と、義妹と出会って正しい道に戻ってきた私。この違いはどこだったか。
両親の死後、エルザは修道院に併設された養護施設で働くことになった。
元伯爵領で、今は侯爵家が面倒を見ている施設だ。安心できる環境に、信頼できる職員がいる。
しばらくは奉仕活動という名目で衣食住を保証する代わりに無償労働になっているが、そのまま職員になってもいいし、ここを卒業していく子供たちと同様に職を斡旋しても良い。
意地悪な成り上がり貴族の真似をやめたエルザは日々、屈託のない笑顔をしていて、もともとの美しさに加えて素朴な優しさが表情からあふれていた。
しかし、そんな美しく可愛らしく育ったエルザに目を付ける愚か者がいた。
学校時代の、馬鹿貴族子息の一人だった。
あの頃は一応、伯爵令嬢であった彼女がただの平民、しかも両親が死罪となった事で以前より一層『何をしてもいい女』と認定をされたらしい。嘆く私に、マシューは言ってくれた。
「うちのメイドが一人、結婚を機に辞職する予定だったね。新しく雇うのに適切な子はいる? そう例えば、読み書き計算ができる、物怖じしなくて礼儀作法も多少できる、平民の子とかで」
どうして、彼がここまで私に良くしてくれるのか分からなかった。
ただ、一言だけいつもその言葉だけを返すだけで。
「これが愛だよ」
*****
エルザは、まず雑用メイドとして雇った。その方がすでに働いている使用人たちとの軋轢が少なく、いろいろな部門を廻れるので学校で学んだことを順番に試して本当にやりたい事を見つける時間もできるし、屋敷の外に行く機会も多いので平民の友達にも会いやすいだろうと判断しての措置だった。もちろん外出には荷物持ちという名の護衛を同行させた。
私はエルザに好きな事をやって欲しかったけれど、サラだけは「あの子はマリアベル様の一番近い場所に置くべきです」と言って、こっそりと侍女の仕事を手伝わせた。
だから、将来有望で真面目な見習い料理人と恋仲になり、結婚をして子供ができた時に乳母へ推薦することができた。
サラには心から感謝をしているし、その時吐いたひとつの嘘は2人だけの秘密として墓場まで持っていった。
「実は、私も妊娠しているのよ」
そんな事実は無かった。少なくともそのタイミングには。
「産み月の1カ月程度のズレはごまかせますから、間に合います」
「そんなに上手くいくかしら……」
「マリアベル様のお体の事は侍女である私がよくよく理解しておりますので。勝負は今週です。マシュー様であれば喜んでお受けくださります。必要であれば『盛り上がる』薬草酒もございます」
「さすがに用意周到すぎない?」
「良いではありませんか。お世継ぎができるタイミングとしても問題ないですし、そろそろ私も引退が近いので信頼して後を頼める侍女が欲しい頃合いです」
それに、とサラは少し眉を下げて微笑む。
この目をする時、サラは私を見ているのにそうじゃない誰かを眺めているようだった。
「私は結婚をしませんでしたが、私が生涯愛する方の大事な娘を見守る栄誉を頂きました。天を渡って再会した時のために、愛する方に代わってその『孫』を拝んでおかないと怒られてしまいそうです」
*****
無事に子供ができ、エルザを乳母にした。子供は男女の双子が生まれた。子供たちが育ってからエルザをサラの後任にして、慌ただしくも楽しい日々を過ごした。
サラは、子供たちが成人を迎えて無事結婚をした後に亡くなった。穏やかな老後だったと、サラを引き取った彼女の甥から聞いた。この時、私は人生で初めて、誰かの死で泣いた。
その20年後にお義父様が、翌年にお義母様が亡くなったが、この時も体が枯れそうな程涙が出た。
長い年月が過ぎた。
私も老いて、マシューと共に自然豊かな領地に移った。侯爵家は息子が継いで何の心配もいらない。
ある日、胸が苦しい時が度々あり、医者を呼ぶと末期の病だと言われた。しかし私も良い年なので、これが寿命だと覚悟を決めて身の回りの整理を始める。
いらない衣類や宝飾品を手放したり、息子夫婦や娘夫婦に譲ると、クローゼットの中、現在必要な衣類と汚れた木箱だけが残った。木箱の中身は古びた絵本と子供の玩具に衣類。それは私が幼い時にもらった大事な宝物だった。
全ては持っていけないから、特に大事な2つだけを残して後はそっと庭で焼いた。
持っていきたい物は先に送っておくのが私の流儀だから。
*****
そろそろ永遠の眠りが近づいた夜。
いつもは早寝のマシューが夜中、ベッドの横にやってきた。他愛のない日常の話から、少しずつ時間をさかのぼって確認するように思い出話に花が咲く。
彼は本当に、私にたくさん良くしてくれた。先輩としても、夫としても、家族としても。その恩を十分に返せたとは思えず、後悔で胸の奥の病と違う部分が少しだけ傷んだ。
その気持ちを伝えると、いつもは「気にしないよ。これが君への愛だから」と返すマシューが少し困った顔をした。
「僕の愛は君の物だけど、君の一番は最後まで奪えなかったね」
「あら、そんなことないわよ」
「前はあの子、今は子供たちだろう?」
「あなたは別枠よ」
「じゃあ、僕が送ったストールをまとって柩に入ってくれるかい?」
「……心に決めてる首巻きがあるから」
「ほら、そういう所。 君はずっと『お姉ちゃん』と『ママ』の顔ばっかりしてて、でも、僕ァ そこに惚れちゃったんだけどね」
カカッ、と老人らしい笑い声をあげて彼は自分の膝を叩いた。
*****
ある真夏の、星が綺麗な夜。
前侯爵夫人マリアベルは、夫のマシューと一晩中語らい、その明け方に眠るように息を引き取った。
目を閉じる間際、マリアベルは穏やかな声で
「最期のひと時は、『あなたの奥さん』の顔で過ごせたみたい」
と呟いたという。
そんな妻に対しマシューは子供たちに語った。
「いいや、あれは頼りない弟を見る姉の目だったよ」
「意地悪な妹に虐げられた姉が幸せになった話」
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コレの姉視点でした(2回目)
妹エルザの話が好評でしたので、読んでくださった方々にお礼になればと思い、久々に、それはもう本当に久々、学生の時以来かってくらいの勢いの久しぶりに、仕事以外で自分の書いた文章をちゃんと読み直して書きました。なんだあのハイスピード激重姉妹文章は。
エルザ自身は「自分が上手くやった」と思い込んでいるけれど、姉やまともな大人達(使用人等)、侯爵家の手助けがあったからハッピーエンドを成しえただけで、エルザ自身は、努力家で姉想いの、異常な発想と無鉄砲な行動力をもつ普通の女の子だったという話です。
蛇足のお話でした。妹エルザの物語にたくさんの評価と感想、改めてお礼申し上げます。
追:さきほど知り合いに「主人公の名前間違えてね?(マリアベル⇔マリアンヌ)」と連絡を貰いました。さすがに直しました。




