第2話:結婚しなければ滅ぶ――追われる没落貴族家
男は、宙に浮かぶステータスウィンドウを見つめていた。
《ユニーククエスト:没落貴族家再建》
失敗条件:完全滅亡
「失敗……全滅、か」
そう小さく呟いた、その時――
周囲の空気が、ぶるりと震えた。
「――っ!」
アリシアが床へ視線を走らせ、顔色を変える。
足元に、赤紫色の魔法陣がゆっくりと浮かび上がっていた。
根のような細い線が、四方へと伸びていく。
「これは……追跡魔法」
アリシアは焦った声で言う。
「もう、見つかってる」
「は?」
男は思わず一歩下がった。
「さっきまでは安全だったんじゃないのか?」
「……数秒前までは、ね」
アリシアは男の手を掴んだ。
「時間がない。走って!」
二人は石造りの通路を駆け出す。
背後で魔法陣が強く輝き、光の矢が現れて、まっすぐ二人の背を指し示した。
「この印がある限り、居場所は常に把握される」
アリシアは息を切らしながら続ける。
「貴族専用の追跡魔法よ。王国の部隊が使うもの」
「王国、ね……」
男は鼻で笑った。
「異世界に来た初日で、国家に指名手配か。最高だな」
通路の行き止まりで、アリシアが急に方向を変える。
壁に隠された扉を開き、二人は滑り込んだ。
追跡の光が扉を貫く直前だった。
「聞いて」
走りながら、アリシアが言う。
「捕まったら……裁判はない。説明もない」
「即、殺される?」
「……それよりひどい」
遠くから、重い足音が響いてくる。
男は喉を鳴らした。
「こんな状況で……俺に貴族の当主をやれって?」
アリシアは一瞬立ち止まり、まっすぐ男を見る。
「……私と、結婚してほしい」
「は?」
「愛情の話じゃないわ」
すぐに言葉を重ねる。
「それしか、方法がないの」
二人は再び走り出す。
「あなたはオブライエンの血を引いていない」
「でも、私の夫になれば……家名を守る正当な存在になれる」
「象徴、ってやつか」
男は短く笑った。
「俺の世界じゃ、それを“身代わり”って呼ぶ」
「……分かってる」
アリシアは小さく答えた。
「でも、拒めば……私たちは本当に終わり」
空気が、脈打つように揺れた。
追跡の印が、さらに強く輝く。
「近いわ……」
「私はずっと、こうして追われてきた」
「どうしてだ?」
二人は森へ飛び込み、枝葉が顔を打つ。
「政治よ」
アリシアは短く言った。
「今の帝国を支配しているのは、グリーンウッド王朝」
「彼らは、古い貴族を排除している」
「……オブライエン家も、か」
「そう」
二人は茂みに身を潜め、息を殺す。
「ヨーク家は、かつての同盟だった」
アリシアは囁く。
「その血を引く皇太子が、謎の死を遂げた」
男は目を細めた。
「……罪を着せられたのは、オブライエン」
アリシアは黙って頷く。
「証拠はいらない」
「必要なのは、理由だけ」
その時――
追跡の光が、真上に浮かび上がった。
「……っ!」
アリシアが男の腕を掴む。
「もう隠れられない」
遠くで、角笛の音が鳴り響いた。
続いて、馬の蹄の音。
「特務部隊……」
アリシアが呟く。
「もう来てる」
男は立ち上がり、森の闇を見据えた。
「なるほどな……」
低く呟く。
「人生最悪の契約だ」
アリシアは、震えながらも真っ直ぐな青い瞳で男を見る。
「……ごめんなさい。あなたを呼んでしまって」
男は深く息を吸った。
「今さらだ」
そう言って、近づく足音の方へ視線を向ける。
「生き残りたいなら……」
「やるしかない、ってことだろ」
松明の光が、木々の隙間から現れる。
そして、鋭い声が森に響いた。
「――動くな!」




