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悪役令嬢は魔導具職人として静かに愛されたい  作者: 九葉(くずは)


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第8話 盾の向こう側

 工房を支配していた重苦しい沈黙。

 それを破ったのは、第一王子の舌打ちだった。


「……ふん。野蛮な弟だ。たかが職人の一人で、兄に剣を向けるとは」


 第一王子は作業台から立ち上がり、私の横を通り過ぎる。

 その際、私を蔑むような、そして獲物を諦めない猟師のような視線を一瞬だけ投げかけてきた。


「リュシア、また会おう。君のような『至宝』を、その日陰者に独占させておくのは国家の損失だからね」


 彼はそう言い残すと、取り巻きの騎士たちを引き連れて工房を去った。

 

 扉が閉まる音が、やけに大きく響く。

 

 私は、膝の震えが止まらなかった。

 壁に手をつき、ようやく呼吸を整える。

 

 カイ殿下は、まだ剣を抜いたまま背を向けて立っていた。

 彼の背中から立ち上る紫色の魔力が、陽炎のように空気を歪めている。

 

 怖い、と思った。

 

 原作での彼は、目的のためなら手段を選ばない冷徹な王子だ。

 今、彼が発しているのは、まさにその「冷酷な管理者」の威圧そのものだった。


 チャキン、という硬質な音がした。

 

 カイ殿下が剣を鞘に収めた音だ。

 彼はゆっくりと振り返り、私の方へと歩いてくる。

 

 軍靴の音が、私の心臓の鼓動と重なった。

 

「……怪我はないか」

 

 彼の声は、先ほどまでの氷のような冷たさが嘘のように、低く落ち着いていた。

 

「は、はい。大丈夫です。……殿下、あのようなことをして、立場は悪くならないのですか」

 

「あのようなこと?」

 

「王太子殿下へ剣を向けるなど、大逆罪に問われてもおかしくありません」

 

 カイ殿下は私の問いに答えず、ただ私の顔をじっと見つめていた。

 その瞳の奥に何があるのか、私には読み取れない。

 

 

【ナレーション】

(王宮内において、王族同士が公然と武器を向け合うことは禁忌に近い行為である。しかしカイは、軍部の実権を掌握しており、その個人的な武力は近衛騎士団を凌駕していた。彼にとって第一王子の権威など、リュシアの身の安全に比べれば些末な問題に過ぎなかった)

 

 

 カイ殿下は私の横を通り過ぎ、第一王子が座っていた作業台へ向かった。

 

 彼は机の上に置かれた魔導具を手に取る。

 私が心血を注いで調整していた、魔力増幅器だ。

 第一王子がその上に座ったせいで、接続部の金細工がわずかに曲がっている。

 

「……これを直すのに、どれくらいかかる」

 

「あ、それは……。歪みを取って再調整するだけですから、一時間もあれば」

 

「そうか」

 

 カイ殿下はそれを机に戻し、再び私に向き直った。

 

「リュシア。お前は私の専属だ。……兄上であろうと、陛下であろうと、お前の作業を邪魔させるつもりはない」

 

 その言葉に、私は胸を突かれる思いがした。

 

 守られたのだ。

 間違いなく、この人は私を守ってくれた。

 

 たとえその理由が、私の持つ「技術」を独占したいという合理的な判断によるものだとしても。

 

 第一王子のあの蔑むような視線から。

 「便利な道具」と吐き捨てられた、あの屈辱から。

 

 この人は、私の価値を否定させなかった。

 

「……ありがとうございました。殿下」

 

 私は震える声を絞り出し、深々と頭を下げた。

 

「私を……助けてくださって、感謝いたします」

 

 一秒。

 二秒。

 

 返事がない。

 

 不思議に思って顔を上げると、カイ殿下が驚いたような表情で私を見ていた。

 

 いつも無表情な彼の眉が、わずかに上がっている。

 

「……礼を言われるようなことではない。私は自分の持ち物を守っただけだ」

 

「持ち物、ですか」

 

「そうだ。お前は私の計画に欠かせない、唯一無二の職人だ。他人に傷つけられて、性能が落ちるようなことがあっては困る」

 

 彼はそう言って視線を逸らした。

 

 やっぱり、そうだ。

 彼は私のことを「最高級の精密機器」と同じように扱っているのだ。

 

 道具としての価値があるから、メンテナンスをし、外敵から守る。

 

 それでいい。

 その方が、私にとっては分かりやすい。

 

 人としての情愛など、この悪役令嬢には似合わないのだから。

 

「リュシア。今日の作業は終わりだ。家に戻って休め」

 

「いえ、まだ仕事が残っています。この増幅器も直さないと……」

 

「命令だ」

 

 カイ殿下の声が強まる。

 

「お前は先ほどから指が震えている。そんな状態で回路を弄れば、事故が起きる。……いいから帰れ」

 

 指摘されて初めて、自分の指先がまだ小さく震えていることに気づいた。

 自分でも気づかないうちに、精神的な限界が来ていたらしい。

 

「……承知いたしました。お言葉に甘えます」

 

 私は片付けを始めた。

 

 

【ナレーション】

(カイ・アルトリウスは、立ち去るリュシアの背中を見つめ続けていた。彼の心にあるのは、計画への懸念ではない。自分を「盾」として使ったはずの彼女が、あんなにも弱々しく震えていたことへの、割り切れない苛立ちと焦燥であった)

 

 

 工房の扉を開け、外の空気を吸う。

 夕暮れ時の涼しい風が、火照った顔を冷やしてくれた。

 

 私は馬車へ向かう途中、ふと振り返った。

 

 窓から漏れる、工房の明かり。

 

 カイ殿下は、まだ中に残っている。

 

 彼は一人で、何をしているのだろうか。

 

 静寂の中で、私は彼から受けた「沈黙の視線」の残響を感じていた。

 

 あれは、ただの「道具の点検」にしては。

 あまりに重く、熱を持っていたような気がして。

 

 私は首を横に振り、早足で歩き出した。

 

 明日はもっと、役に立つものを作ろう。

 

 彼が私を「手放せない」と思うほどの、完璧な成果を。

 それが、私の身を守る唯一の手段なのだから。

 

 その時の私は、まだ知らない。

 カイ殿下が私の去った工房で、第一王子が座った椅子を粉々に叩き壊していたことを。

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