第7話 招かれざる訪問者
静かだった工房に、場違いな軍靴の音が響いた。
カイ殿下の足音ではない。
もっと軽く、そして無遠慮に床を鳴らす音だ。
私は作業台から顔を上げた。
扉の前に立っていたのは、眩しいほどの金髪をなびかせた青年だった。
刺繍の凝った純白の礼装。
その胸元には、王位継承者であることを示す真紅の懸章が輝いている。
第一王子。
乙女ゲーム「聖女の祈りと魔法の詩」における、メイン攻略対象の一人。
そして、原作で私を「断罪」するはずの男だ。
私は反射的に椅子から立ち上がり、深く頭を下げた。
指先がわずかに震える。
「……お初にお目に掛かります、第一王子殿下。本日はどのようなご用向きでしょうか」
「顔を上げなさい、リュシア。そんなところで煤にまみれている姿は、エヴァンス公爵家の令嬢には似合わないよ」
第一王子の声は、歌うように軽やかだ。
だが、その瞳には私という人間への敬意など、欠片も見えなかった。
彼は工房の中をゆっくりと歩き回る。
並べられた魔導具や、私が整理した工具を、汚い物でも見るような目で見下ろしている。
「カイが君を囲っていると聞いた時は耳を疑った。あいつは昔から、自分の手元に有能なものを置きたがる悪癖がある。……君も災難だったね」
「……滅相もございません。私は自らの意志でここに留まっております」
「意志? 公爵令嬢が工房の片隅で油にまみれるのが意志だと? 冗談はやめてくれ」
第一王子は、私の作業台に腰掛けた。
私が丁寧に調整したばかりの、魔力増幅器の上にだ。
【ナレーション】
(第一王子は、王国内で絶対的な支持を集める社交の天才である。しかしその本質は、自分以外のすべての存在を「自分の輝きを引き立てる装飾品」としか見なさない極度の自己中心性にあった)
「リュシア。君が作ったという新しいランプの話は、私の耳にも入っている。あれをすべて、私の近衛騎士団に納品しなさい。カイのような日陰者に使わせるには、あまりに惜しい代物だ」
「それは……できません。現在、すべての制作物は第二王子殿下の管理下にあります」
「管理、か。……笑わせる。あいつはただの、軍の使い走りに過ぎない。王国の正統な後継者である私が命じているんだ。君のその『技術』は、王国の共有財産……つまり、私のものだ」
私の胸の奥で、冷たい何かが渦巻いた。
技術は私のものだ。
私が積み上げ、磨き、工夫を凝らして形にしたものだ。
それを「自分のものだ」と断じるこの男の言葉が、ひどく不快だった。
「君が私に従うなら、公爵家との婚約の話も前向きに進めてあげよう。あの大人しい聖女よりも、君のような『便利な道具』を持っている方が、私の治世には役立つかもしれない」
便利な道具。
その言葉が、私の心に深く突き刺さった。
ああ、そうだ。
この人にとって、私は人間ではない。
魔導具を産み出すための、少し毛色の変わった家畜か何かなのだ。
そして。
おそらく、カイ殿下にとっても。
カイ殿下が私を専属にしたのも、こうして第一王子に「道具」を奪われないため。
彼自身の軍事力を高めるための、囲い込み。
そこに、私という人間への配慮などなかったのかもしれない。
私は、独りだった。
原作の破滅を避けようと足掻いても。
どれだけ技術を磨いても。
結局は、王子たちのパワーゲームの駒として扱われるだけなのだ。
「さあ、返事を聞こうか。今すぐカイとの契約を破棄すると言いなさい。そうすれば、こんな暗い場所から連れ出してあげよう」
第一王子が、私の顎に手をかけようと手を伸ばす。
私は動けなかった。
恐怖と絶望で、足がすくむ。
その時。
工房の扉が、音も立てずに開いた。
否。
何かが「砕ける」音がした。
「……その汚い手を、彼女から離せ。兄上」
低く、地這うような声。
工房内の温度が、一瞬で氷点下まで下がったような錯覚を覚えた。
入り口に立っていたのは、カイ殿下だった。
軍服の胸元がわずかに乱れている。
おそらく、会議の場からここまで走ってきたのだろう。
その瞳は、今までに見たことがないほど冷酷で、殺気に満ちていた。
【ナレーション】
(第二王子カイ・アルトリウスは、幼少期より感情の起伏が乏しいことで知られていた。しかし、彼がその身に宿す膨大な魔力は、彼の激情に呼応して周囲の物理法則を歪めるほどの圧力を放つ)
「おや、カイ。ずいぶんと慌てて戻ってきたね。軍事会議を放り出すなんて、感心しないな」
第一王子は、挑発的に口角を上げた。
だが、その額には一筋の汗が流れている。
カイ殿下は無言で私の方へ歩み寄った。
第一王子の視線を無視し、私の前に立つ。
広い背中が、私の視界を覆った。
「……リュシア。怪我はないか」
私に向けられた声だけは、不思議なほど穏やかだった。
「は、はい……大丈夫です、殿下」
「そうか」
カイ殿下は短く答えると、再び第一王子へと向き直った。
「兄上。ここは私の専属職人の仕事場です。王命により、許可なき者の立ち入りは禁じられているはずですが」
「私はこの国の王太子だ。立ち入れない場所などない。それよりカイ、彼女の技術は私が引き継ぐ。お前には荷が重すぎる」
カイ殿下の拳が、みしりと音を立てて握られた。
「二度は言いません。今すぐここを出ていってください。……さもなくば」
カイ殿下が、腰の魔導剣に手をかけた。
私が調整した、あの剣だ。
鞘から溢れ出した紫色の魔力が、工房内の空気を震わせる。
工房の中に、一触即発の緊迫が走った。
私は二人の王子の背中を見つめながら、息をすることさえ忘れていた。
この状況が、私の運命を大きく変えることになる。
まだ私は、自分の価値が「道具」以上のものであることに、気づいていなかった。




