第3話 成果は隠せない
朝霧が立ち込める中、私は再び第三工房の扉を叩いた。
昨日よりも足取りは軽い。
公爵令嬢としてのお茶会や刺繍の時間に比べれば、これから始まる「仕事」は、私にとって呼吸をするよりも自然なことだ。
重い扉を押し開ける。
「おはようございます、カイ殿下」
挨拶と同時に、私は驚きで足を止めた。
作業台の上に、昨日私が修理したはずの魔導ランプがない。
それどころか、昨日手渡した予備の調整パーツも、机の上から綺麗に消え去っていた。
部屋の奥。
カイ殿下は、昨日と同じ椅子に座り、書類を睨みつけていた。
その目の下には、うっすらと隈がある。
「……来たか」
「殿下、机の上のパーツはどこへ? まだ最終的な絶縁テストが終わっていないものも含まれていたのですが」
「現場に回した」
カイ殿下は短く答えた。
「現場、ですか?」
「昨晩、城門守備隊の演習があった。そこに持ち込ませた。結果は良好だ。いや、良好すぎる」
彼は手元の報告書を私の方へ滑らせた。
そこには、乱雑だが熱量のこもった文字が並んでいる。
『視認距離が従来の二倍に向上。発熱なし。六時間の連続点灯後も魔石の消耗は一割未満』
私は首を傾げた。
「当然の結果です。あのような旧式の回路は、熱として逃げる魔力が多すぎますから。それを整流しただけです」
「その『だけ』ができる人間が、この国にはいなかったんだ」
カイ殿下が立ち上がる。
彼は壁際に積み上げられていた、埃を被った木箱を次々と私の前に並べた。
「演習に参加した連中が、自分たちの装備も見てくれと喚いている。これは騎士団から回収した通信機と、索敵用の魔導鏡だ。すべてお前のパーツで換装しろ」
箱の中には、壊れた、あるいはガタのきた魔導具がぎっしりと詰まっていた。
その数、およそ五十。
私は思わず口角が上がるのを抑えられなかった。
【ナレーション】
(魔導具の性能向上は、軍事力の直結を意味する。特に「魔石の消費軽減」は、補給線の維持が課題である王国軍にとって、喉から手が出るほど欲しい技術であった。リュシアはそれを、ただの効率化と考えていたが、カイにとっては戦術を根底から変える革命であった)
「分かりました。取り掛かります。ですが殿下、この配置では作業効率が悪すぎます」
私は袖を捲り上げた。
「あちらの棚にある旋盤をこちらへ。魔力測定器は、私の利き手側に配置し直します。よろしいですね?」
「……勝手にしろ」
許可が出るや否や、私は重い木箱を引き寄せた。
まずは通信機だ。
蓋を開け、内部の術式回路を走査する。
ひどいものだ。
回路が複雑に絡み合い、互いに干渉し合っている。
私は銀のペン先を走らせた。
不要な術式を削り、バイパスを作る。
カチャカチャ、という硬質な音が工房内に響く。
没頭した。
前世で基板を弄っていた時の感覚が、指先に蘇る。
魔力は電気に似ている。
抵抗を減らし、流れを整えれば、小さな出力で大きな成果が得られる。
どれくらいの時間が経っただろうか。
ふと視線を感じて顔を上げると、カイ殿下が私の作業をじっと見つめていた。
彼は腕を組み、険しい表情を崩さない。
「何か、気になる点でもございますか?」
「……お前の指の動きだ。迷いがないな。まるで、最初から正解を知っているようだ」
「構造を理解すれば、自ずと答えは見えます」
私は手を止めずに答えた。
「殿下こそ、お疲れではないのですか? ずっと座っていらっしゃいますが」
「私は管理者だ。現場の状況を把握するのが仕事だ」
彼はそう言って視線を逸らした。
やはり、この人は真面目なのだ。
左遷された身でありながら、部下(といっても私一人だが)の作業をこうして監視……いや、見守っている。
きっと、上層部に成果を報告して、一刻も早く中央に返り咲きたいのだろう。
ならば、私は期待に応えるまでだ。
彼が手柄を立てれば立てるほど、私の工房での地位は安泰になる。
昼過ぎ、工房の扉が勢いよく開いた。
「失礼します! カイ殿下、いらっしゃいますか!」
飛び込んできたのは、革鎧を着た若い兵士だった。
息を切らし、顔は泥で汚れている。
「何事だ」
カイ殿下が冷たい声で問う。
「昨晩のランプを受け取った班の者です! あの……これを、これを作った職人殿に届けてくれと頼まれまして!」
兵士が差し出したのは、ボロボロになった革製の籠だった。
中には、山盛りの野苺が入っている。
「暗闇で見えなかった足元が、昼間のように見えました! おかげで怪我をせずに済みました! これ、班の連中からの礼です!」
兵士は私の方を見て、顔を赤くして頭を下げた。
「ありがとうございます! 次もよろしくお願いします!」
嵐のように去っていく兵士を見送り、私は呆然と野苺の籠を見つめた。
礼を言われた。
公爵令嬢としてではなく、職人として。
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
「……人気だな、職人殿」
カイ殿下の声に、揶揄するような響きはない。
「……性能が良かっただけです。お礼など、必要ないのに」
「奴らにとって、装備の不備は死に直結する。お前がやったのは、単なる修理ではない。命を救ったんだ」
カイ殿下が私の隣に立ち、野苺を一つ摘んだ。
「リュシア。追加の依頼だ」
彼は一通の、赤い封蝋がなされた書状を差し出した。
「これは……?」
「王宮魔導師団からの特急要請だ。彼らが使う『魔力増幅の杖』の調整。失敗すれば爆発の危険がある。やるか?」
魔導師団。
原作では、第一王子の側近たちが所属するエリート集団だ。
一瞬、躊躇いが走る。
関われば目立つかもしれない。
だが、私の手元にある修理途中の通信機が、私の背中を押した。
道具は、正しく使われてこそ意味がある。
「お引き受けします。ただし、一つ条件があります」
「言ってみろ」
「私に直接会いに来るのは、殿下だけにしてください。他の誰の言葉も、私は聞きません」
カイ殿下の瞳が、わずかに細まった。
「……いいだろう。その条件、私が保証する」
彼は満足げに頷いた。
その時の私は、彼が浮かべた薄い微笑の意味を知らなかった。
それが、有能な駒を手に入れた喜びなどではなく、もっと別の、深い執着に近いものだということに。




