第2話 第二王子の意図
目の前の男は、一歩も動かない。
カイ・アルトリウス。
第二王子。
原作ゲームでは、常に主人公の背後で冷徹な命令を下していた軍部の総責任者だ。
漆黒の軍服に身を包んだ姿は、まるで夜の闇を形にしたような威圧感がある。
なぜ、この人がこんな埃っぽい工房にいるのか。
私は動揺を押し殺し、淑女の礼を捧げた。
「お初にお目に掛かります、カイ殿下。リュシア・エヴァンスです」
「挨拶はいい。質問に答えろ」
カイ殿下の声は、驚くほど低い。
「公爵令嬢が、なぜここに来た。社交界はあちらだぞ」
彼は顎で、王城の中心部を指し示した。
そこには豪華絢爛な舞踏会会場がある。
私は顔を上げ、彼の瞳を真っ向から見据えた。
「ドレスの裾を気にする生活には飽きました。私は、ここで魔導具を打ちたいのです」
「狂ったか」
「正気です。父を通じて、技術協力の許可は得ております」
カイ殿下は鼻で笑った。
その視線が、私の手に持った小さな鞄に向けられる。
「エヴァンス公が寄越した設計図は見た。だが、図面と現物は別だ。お前のような令嬢が、実際に工具を握れるとは思えない」
彼は作業台の上に転がっていた、壊れた魔導ランプを指差した。
「それを直してみろ。三分やる。できなければ、今すぐここから立ち去れ」
【ナレーション】
(第三工房は、王城で使用される魔導具の修理と廃棄を専門とする部署である。華やかな宮廷生活とは無縁の場所であり、配属されるのは主に訳ありの職人か、身分の低い魔法師に限られていた)
私は無言で作業台に歩み寄った。
ランプは無惨な状態だった。
魔力を光に変換する「発光核」が割れ、回路の一部が焼き切れている。
三分。
普通の職人なら、部品の交換だけで終わる時間だ。
だが、私は鞄から自作の「補助魔導具」を取り出した。
銀色の細いペン先のような形状をした、魔力集束具だ。
私はランプの蓋を抉じ開けた。
焼き切れた魔導線の断面を、ペン先でなぞる。
一瞬、青白い火花が散った。
私の指先から流れ出る魔力が、ペンを通じて「最適な回路」を再構成していく。
前世で学んだ、エネルギーロスを最小限に抑える並列回路の概念。
それを魔導式に変換し、刻み込む。
カイ殿下が背後から覗き込んでいるのが分かった。
冷たい視線が、私の手元を刺す。
私は焦らない。
割れた発光核を、接着魔法で強引に繋ぎ止める。
その表面に、魔力の乱反射を防ぐための微細な術式を上書きした。
「終わりです」
二分と経っていなかった。
私はランプのスイッチを入れる。
カチリ、という音と共に、眩いばかりの純白の光が工房を照らした。
元のランプよりも明らかに明るい。
それなのに、駆動音は一切しない。
カイ殿下は無言でランプを手に取った。
彼は発光部をじっと見つめ、次に私を見た。
「……回路を書き換えたな」
「非効率な部分を修正しただけです」
「発光核の亀裂も、術式で補強したのか。こんな手法は聞いたことがない」
彼の声から、わずかに棘が消えた。
私は確信した。
この人は、魔導具の良し悪しが分かる人だ。
おそらく、彼は王族でありながら、その気難しさゆえにこの辺境の工房に追いやられたのだろう。
実務に精通しているが、社交には向かない。
原作での「冷酷な管理者」という設定も、現場の厳しさを知っているからこその評価に違いない。
私と、似たようなタイプだ。
「これを使えば、魔力の消費を三割は抑えられます」
私は鞄から、予備の調整パーツを数個、机に並べた。
「補助魔導具……私が名付けたものです。これを既存の装置に組み込むだけで、性能が底上げされます。殿下がお困りの『廃棄品の多さ』も、これで解決できるはずです」
カイ殿下は並べられたパーツを一つずつ手に取り、検分した。
その表情は依然として無愛想だ。
だが、彼がパーツを握りしめる力が、わずかに強まったのを私は見逃さなかった。
「お前を、ここで働かせて何の得がある。公爵家が我が国に恩を売るつもりか?」
「滅相もございません。私はただ、静かな場所で自分の技術を試したいだけです。殿下は、私の後ろ盾になってくださるだけで構いません」
これが私の狙いだ。
第二王子の庇護下に入れば、第一王子も無理には手出しできない。
お互いに「使いにくい人間」同士、工房の隅でひっそりと利益を共有すればいい。
カイ殿下は私をじっと見つめた。
値踏みするような、鋭い視線。
やがて、彼は短く息を吐いた。
「明日から来い。机はそこを使え」
「ありがとうございます、殿下」
「勘違いするな。お前の家柄に屈したわけではない。その技術が、単に利用価値があると判断しただけだ」
「望むところです」
私は深く頭を下げた。
これで、居場所は確保できた。
断罪までのカウントダウンは続いているが、まずは第一歩だ。
【ナレーション】
(リュシア・エヴァンスは、この時大きな見落としをしていた。カイ・アルトリウスがこの工房にいたのは、決して「左遷」されたからではない。彼こそが、王国の魔導兵装を統括する最高責任者であり、彼女の技術を最も正しく、そして最も危険な形で評価できる唯一の人物であったことを)
「おい、リュシア」
背を向けようとした私を、カイ殿下が呼び止めた。
「はい?」
「そのパーツ、他にも種類があるのか」
「ええ。用途に合わせていくつか用意しています。明日の朝、リストをお持ちします」
「……そうか」
カイ殿下はそれ以上何も言わなかった。
私は工房を後にした。
背中に視線を感じる。
振り返ると、彼はまだランプの光の中に立ち、私が置いたパーツをじっと見つめていた。
少しだけ、警戒しすぎたかもしれない。
あの様子なら、彼は本当に道具の性能にしか興味がないのだろう。
私という人間には、これっぽっちも関心がないはずだ。
私は安堵の息を漏らし、馬車へと乗り込んだ。
しかし、その時の私は気づいていなかった。
カイ殿下が、私の修理したランプを大事そうに私有のケースに収め、誰にも触れさせないよう鍵をかけたことに。




