第1話 目立たぬための選択
鏡の中に、見覚えのある「悪役」がいた。
燃えるような赤髪。
吊り上がった冷徹そうな瞳。
高慢さを絵に描いたような唇のライン。
リュシア・エヴァンス。
乙女ゲーム「聖女の祈りと魔法の詩」における、破滅確定の悪役令嬢だ。
私は手に持っていた銀の彫金槌を机に置いた。
脳内を埋め尽くす前世の記憶が、ようやく今の自分の状況と合致する。
ここは公爵邸にある私の私室、兼、魔導具制作工房。
時計を見る。
あと二年。
あと二年で、私は第一王子への婚約破棄を突きつけられ、国外追放か、さもなくば処刑される。
冗談ではない。
私は椅子に深く背を預けた。
窓の外では、完璧に手入れされた庭園が広がっている。
私の罪状は「聖女への嫌がらせ」だ。
ならば、そのきっかけをすべて潰せばいい。
第一王子に近づかない。
社交界の目立つ場所に立たない。
そして、誰にも邪魔されない「居場所」を確保する。
「お嬢様、失礼いたします。公爵様がお呼びです」
扉の向こうから侍女の声がした。
ちょうどいい。
私は立ち上がり、鏡に向かって一度だけ微笑んだ。
悪役令嬢の顔が、わずかに和らぐ。
私はドレスの裾を翻し、父の執務室へと向かった。
【ナレーション】
(エヴァンス公爵家は王国でも有数の権勢を誇る。その長女であるリュシアは、第一王子の婚約者候補として育てられてきた。しかし、彼女には周囲に隠している「趣味」があった。それが魔導具の制作である)
重厚なマホガニーの扉が開く。
デスクの奥に座る父、エヴァンス公爵は、私の顔を見るなり低く重い声を出した。
「リュシア。例の話は考えてくれたか。第一王子殿下との婚約の儀だ」
父の目は鋭い。
逆らえば何をされるか分からない、という圧がある。
だが、今の私には明確な答えがあった。
「お父様。そのお話、お断りしたく存じます」
父の眉が跳ね上がった。
手に持っていた万年筆が止まる。
「なんだと?」
「私は、王妃としての器ではございません。それよりも、この国の力になれる別の道を見つけました」
私は一歩前に出る。
視線を逸らさない。
「……別の道だと?」
「魔導具工房です。王城直轄の、それも資材管理や調整を行う裏方の部署へ私を推薦していただきたいのです」
沈黙が部屋を支配した。
父は信じられないものを見るような目で私を見つめている。
当然だろう。
公爵令嬢が、油と煤にまみれる工房入りを志願するなど、前代未聞だ。
「リュシア、お前は自分が何を言っているか分かっているのか。あそこは平民や下級貴族が働く場所だ。公爵家の令嬢が行くような所ではない」
「理解しております。ですが、私はすでにお父様に提出した『新型の魔導コンパス』の改良案を作成しました」
私は懐から一通の封筒を取り出し、デスクの上に置いた。
昨日、記憶が戻る直前に仕上げていた設計図だ。
既存の魔導具の燃費を三割改善し、出力を安定させる回路。
前世の「電子回路」の概念を魔導式に落とし込んだものだ。
父は無言で封筒を開け、中身に目を通した。
十秒。二十秒。
父の顔色が、驚愕へと変わっていく。
「……これを、お前が書いたのか?」
「はい。私は社交界で着飾るよりも、工房で回路を引くことに至上の喜びを感じるのです」
半分は本音だ。
私は前世でも、黙々と作業に没頭するエンジニアだった。
父は設計図と私を交互に見た。
その瞳に、政治家としての計算が走る。
「第一王子殿下との婚約を辞退すれば、我が家への風当たりは強くなる」
「それ以上の利益を、私の技術でもたらすと約束いたします」
断言した。
このままゲームの通りに進めば、エヴァンス公爵家もろとも滅びるのだ。
それに比べれば、少しばかりの外聞など安いものだ。
父は長く、重い息を吐いた。
「……いいだろう。お前のその『才能』が本物かどうか、王城で見極めさせてもらう」
【ナレーション】
(こうして、エヴァンス公爵の根回しにより、異例中の異例である「公爵令嬢の工房配属」が決定した。建前は「王立魔導研究所への技術協力」であるが、実態は王城の片隅にある古い工房への押し込めであった)
一週間後。
私は王城の北側に位置する、第三工房の前に立っていた。
華やかな大広間や、美しい庭園からは程遠い。
石造りの無骨な建物。
風に乗って、焦げた魔石の匂いが漂ってくる。
私は満足して頷いた。
ここなら、誰も私に注目しない。
第一王子も、きらびやかな聖女も、ここへ来ることはないだろう。
私は重い鉄の扉を押し開けた。
「本日より配属されました、リュシア・エヴァンスです」
暗い室内。
乱雑に積み上げられた魔導具の残骸。
その奥から、一人の男が顔を上げた。
冷徹なまでに整った顔立ち。
深い夜の色をした瞳。
私は、その男を知っている。
カイ・アルトリウス。
この国の第二王子。
そして、原作では主人公たちを影から支える「冷酷な管理者」だ。
なぜ、彼がここにいる。
私の背中に、嫌な汗が流れた。
目立たず、静かに生きるという私の計画に、早くも暗雲が立ち込める。
「……公爵令嬢が、こんな掃き溜めに何の用だ」
カイ王子の声は、氷のように冷たかった。
だが、私は逃げるわけにはいかない。
ここが、私の唯一の生き残りルートなのだから。




