第8話:決戦は都庁の上で。
俺とルナを乗せた『キャビネット』の黒塗りのセダンは、パニックに陥った街の喧騒を切り裂くように、新宿へと向かっていた。
窓の外では、人々が空に浮かぶ巨大な光の紋様を指さし、逃げ惑っている。鳴り響くサイレンの音が、世界の終わりが近いことを告げているようだった。
「……緊張してるか、下僕」
俺の膝の上で、キャリーバッグの中からルナの声が聞こえた。
「……当たり前だろ。足、ガクガクだよ」
「ふん。情けないやつめ。だが、まあ良い。貴様は、我の背中だけ見ておればよいのだ」
その声も、少しだけ震えているのが分かった。
こいつも、怖いんだ。俺と同じように。でも、俺を安心させるために、必死で虚勢を張っている。
俺は、キャリーバッグをぎゅっと抱きしめた。
やがて車は、都庁を取り囲むように展開された、目に見えない壁の前で止まった。
和泉さんの声が、インカムから響く。
《これより先は、車両では進めません。ここからは、あなた方二人で行ってもらいます》
「どうやって、この壁を?」
《ご安心を。この程度の神聖結界なら、ほんのわずかな綻びがあります。私が、その『穴』まで誘導します》
俺たちは車を降りた。
結界の内側は、外の喧騒が嘘のように、不気味なほど静まり返っていた。空気は重く、肌がぴりぴりするほどの神聖なエネルギーで満ちている。
和泉さんのナビゲートに従い、俺たちは巨大な都庁ビルの正面エントランスへとたどり着いた。
だが、その入り口には、門番が立っていた。
純白の鎧を身につけ、光り輝く槍を手にした、二体の天使。彼らは、一切の感情を感じさせない、まるで人形のような顔で、こちらをじっと見ている。
「……来たな。最初の敵だ」
ルナが、低い声で唸る。
一体の天使が、無言で槍を構え、こちらに向かって投げつけてきた。
ヒュン!と風を切る音と共に、光の槍が一直線に俺の心臓めがけて飛んでくる!
「うわあああっ!」
俺は悲鳴を上げた。
だが、ただ悲鳴を上げただけじゃない。
セーフハウスでの、地獄の訓練が、俺の体を勝手に動かしていた。
(イメージしろ! これは結界じゃない! ルナを守るための、熱々で、サクサクの、巨大な唐揚げの衣だ!)
俺は、とっさに右手を前に突き出した。
「で、できろぉぉぉ! 俺の『からあげウォール』!」
俺の指先から、淡いオレンジ色の光が放たれる。
光は、俺たちの目の前で、不格好だが頑丈そうな、半透明の壁を作り出した。
直後、光の槍がその壁に激突する。
ジュウウウッ!と、まるで熱い油に食材を入れた時のような音を立てて、槍の勢いが弱まり、やがて霧のようにかき消えた。
「はぁ……はぁ……! で、できた……!」
「見事だ、下僕! 褒めてつかわす!」
俺が息を切らしている隙を、ルナは見逃さなかった。
彼女は俺の肩から飛び降りると、地面にその影を広げる。
「そこをどけ、天界の番犬ども!」
ルナの影から、無数の黒い棘が、弾丸のようなスピードで撃ち出された。
『シャドウアロー』!
二体の天使は、反応する間もなく、その黒い棘に全身を貫かれ、光の粒子となって消滅した。
「……すげえ」
「ふん、当然だ。これでも、少しは力が戻っておるのだ」
俺たちは、顔を見合わせて頷くと、都庁ビルの中へと足を踏み入れた。
広大なエントランスホールは、静まり返っている。
だが、その中央に、二つの人影が待っていた。
セラフィエルでも、新宿の二人組でもない。もっと屈強で、好戦的なオーラを放つ、新たな天使のコンビだった。
「ほう。番犬どもを突破してきたか。貴様らが、報告にあった『料理人』と『元魔王』だな」
屈強な体つきの、戦士のような天使が、楽しそうに言った。
「面白い。どれほどのものか、このフォルティスが試してやろう」
「お兄様、油断は禁物ですわ。グラティアは、援護に徹します」
優雅な佇まいの、女性の天使が、静かに弓を構える。
まずい。こいつらは、さっきの門番とはレベルが違う!
戦士フォルティスが、巨大な光の斧を振りかざし、一直線に俺に突っ込んでくる!
俺は、再び結界を展開しようとする。だが、間に合わない!
「下僕!」
ルナが叫び、俺の前に飛び出した。
彼女の小さな体が、黒いオーラに包まれる。
ガキン!と金属がぶつかるような激しい音と共に、ルナはフォルティスの斧を、その身一つで受け止めていた。
「なにぃ!?」
フォルティスが驚愕の声を上げる。
「我に気を取られている場合か、愚か者め!」
その隙に、後方から女性天使グラティアが放った光の矢が、ルナの背後へと迫っていた。
「させっかよ!」
俺は、ルナを守るように、彼女と矢の間に滑り込んだ。
そして、ありったけの精神を集中させる。
(揚げるぞ! 二度揚げだ! もっと硬く、もっとクリスピーに!)
「喰らいやがれ! 『二度揚げフィニッシュ』!」
俺の結界が、さっきよりもさらに濃いオレンジ色に輝き、強度を増す。
光の矢は、俺の結界に当たると、かん高い音を立てて弾け飛んだ。
「お兄様! あの人間の壁が!」
「チィッ! 面倒な!」
天使たちの連携が、一瞬だけ乱れる。
その一瞬で、十分だった。
「終わりだ」
ルナの冷たい声が響く。
彼女は、フォルティスの斧を弾き返すと、その口を大きく開けた。
彼女の口の中に、闇そのもののような、黒いエネルギーの球体が凝縮されていく。
「これが、貴様らが弄んだ、魔の力の味だ。味わって消えるが良い。『ダークブレス』!」
漆黒の奔流が、二人の天使を飲み込んだ。
悲鳴を上げる間もなく、彼らの体は光の粒子となって、闇の中に溶けていった。
「はぁ……はぁ……」
ルナも、さすがに今の攻撃は消耗したらしい。肩で小さく息をしている。
俺も、結界を維持しただけで、全身の力が抜けてしまった。
俺たちは、ボロボロになりながらも、なんとか二階へと続くエスカレーターへとたどり着いた。
最上階にいる、ウリエルの気配が、さらに強く感じられる。
「……行くぞ、ルナ」
「うむ。メインディッシュの時間だな、下僕」
俺たちは、互いの無事を確認するように頷き合うと、決戦の舞台である、都庁の最上階を目指し、再び歩き始めた。
俺の日常を取り戻すための、最後の戦いは、もうすぐそこまで迫っていた。




