第六話:梟の値段
数時間が経過した。
ラ・コミューンの隠れ家で、カミーユは息を殺すように、サーバーと向き合うアヤの様子を見守っていた。
画面には、『プロトコル・ラザロ』という、たった一つの言葉だけが、まるで墓標のように表示され続けている。
『……ダメだ、カミーユ』
スピーカーから、疲労の滲むアヤの声が聞こえた。
『これ以上の情報は、このユニットからは引き出せない。完全にブラックボックス化されてる。この名前……どこかで絶対に聞いたことがあるはずなんだけど……』
その声には、深い霧の中を彷徨うような、苛立ちと焦りが混じっていた。
カミーユは、壁に立てかけていたアルバレッテを手に取った。
「……行くぞ」
『え……どこへ?』
「フクロウの所だ」
アヤが息を呑むのが、スピーカー越しに分かった。
『ムッシュ・フクロウに……これを? 本気?』
「この街で、ブラックアウト以前の軍事技術に、あれ以上に詳しい人間はいない」
『でも、相手はあのフィクサーだよ!タダで教えてくれるはずがない!とんでもない代価を要求されるに決まってる!』
「ああ」
カミーユは、短く頷いた。
「だから、最高の『手土産』を持っていく」
再び、雨の降りしきるバ=カルティエ。
カミーユは、愛車『フォコン』を駆り、旧サン・ジャン大聖堂の地下墓地へと向かっていた。
彼女の背中には、アルバレッテと共に、防水シートに厳重に包まれた、長方形の「何か」が固定されている。
取引所にたどり着くと、梟の仮面をつけた大柄な男は、すでに彼女を待っていたかのように、カウンターの奥から静かに言った。
「……随分と、大きな獲物じゃないか、嬢ちゃん」
カミーユは、無言で、背負っていた「土産」をカウンターの上に、ドン、という重い音を立てて置いた。
防水シートを取り去ると、現れたのは、黒鉄の、巨大な腕だった。
それは、昨夜、彼女が破壊した、ランカー『ベリエ』の、ショットガン付きの右腕の残骸だった。
フクロウの仮面の奥で、目が細められたのが分かった。
「……ほう。噂は本当だったのか。バスティオンの『城壁』を、本当に一人で……」
「これと、情報だ」
カミーユは、単刀直入に切り出した。「『プロトコル・ラザロ』。この言葉について、知っていることを全て話せ」
フクロウは、ベリエの腕を、まるで年代物のワインを鑑定するように、指先で撫でた。その指が、壊れたショットガンの機構に触れる。
「……バスティオン・アーモリーの最新型だ。ほとんど損傷もない。素晴らしい『仕事』だ、嬢ちゃん。これなら、十分な『対価』になるだろう」
彼は、ゆっくりと顔を上げた。
「『プロトコル・ラザロ』……。その名前を口にするのは、何年ぶりかねぇ」
フクロウの声のトーンが、わずかに変わった。
「そいつは、お前さんみたいなスカベンジャーが、面白半分で首を突っ込んでいい代物じゃない。ブラックアウト以前の、禁断の軍事計画のコードネームだ」
「どういう意味だ」
「『ラザロ』はな、兵士の意識をデータ化し、別の肉体(クローンや義体)に移すことで、不死の兵士を作り出そうとした、旧世界の狂った夢の跡さ。だが、計画は公式には『失敗』した。技術はあまりに危険すぎて、関連施設は全て破棄され、データも封印された……と、されている」
フクロウは、純粋な知的好奇心と、厄介事の匂いを嗅ぎつけた面白さで、目を細めた。
「そんなおとぎ話の遺物が、なぜ今頃、バスティオンの輸送機に積まれていたのかねぇ。しかも、リュミエールがそれを狙っていたとは……。面倒なものを拾ったもんだ、嬢ちゃん」
カミーユは、彼の言葉を、黙って聞いていた。
意識を、別の肉体に移す。
その言葉が、彼女の頭の中で、重く、反響した。
隠れ家へと戻るバイクの上。
雨は、いつの間にか上がっていた。
『……どうだった?』
無線機から、アヤの不安げな声が聞こえる。
カミーユは、アクセルを緩めずに、前だけを見据えていた。
彼女は、フクロウから聞いた情報を、冷静に、そして正確に、アヤに伝えた。
数秒間の、沈黙。
無線機からは、ただ、ノイズだけが聞こえていた。
やがて、アヤが、震える声で、囁いた。
『……意識を、別の肉体に、移す……?』
『……カミーユ……。それ、もしかしたら……』
その声は、途切れ途切れだった。
『私のこの、サーバーに閉じ込められた意識を……。元の身体に、『戻す』ことができる、ってこと……?』
それは、まだ確証のない、あまりにもかすかな、しかし、これまで存在すらしなかった「希望」。
カミーユは、何も答えなかった。
だが、彼女は、バイクのアクセルを、さらに、強く、握りしめていた。
希望は、見つかった。
だが、その希望は、二つの巨大企業が、血眼になって求める、禁断の果実。
そして、その使い方も、場所も、まだ何も分からない。
二人の、本当の戦いが、今、始まろうとしていた。




