第五話:データユニット
工場に、再び静寂が戻った。
暴走していた機械は、主電源が落ちたのか、ゆっくりと動きを止め、今や完全に沈黙した鉄の悪魔『ベリエ』を、墓標のように吊り下げている。
カミーユは、アルバレッテを背負い直すと、すぐに踵を返した。
「アヤ、データユニットは?」
『……自己消去、停止した!間に合った!』
カミーユは、鉄の鯨の残骸へと戻り、先ほどもぎ取ったデータユニットを回収する。ずしりと重い。その無骨な金属の塊が、ランカーさえも引き寄せるほどの価値を持つとは、にわかには信じがたかった。
彼女は、誰一人いなくなった戦場を後にし、隠しておいた愛車『フォコン』へと駆け寄った。モーターの静かな駆動音が、夜の闇に響く。
カミーユは、一度だけ、自分が作り出した破壊の跡を振り返り……そして、一切の感傷なく、廃都の闇の中へと走り去った。
バ=カルティエの奥深く、旧市街の迷路のような路地に守られた、生存者共同体『ラ・コミューン』。
市長「ペール・ミシェル」が治める、この廃都で唯一、人間らしい温もりが残る場所。
彼女の、唯一の「帰る場所」だ。
見張りの男たちと、無言で頷き合い、カミーユは共同体の最深部、厳重に守られた一室へと向かう。
そこが、アヤ・ルグランの「揺りかご」が置かれた部屋だった。
薄暗い部屋の中央に、医療ポッドが鎮座している。その中で、アヤの肉体は、無数のチューブに繋がれ、静かに眠っていた。
そして、その隣。何台ものサーバーが、青い光を放ちながら、ネットワークの海に放り出された彼女の精神を、この世界に繋ぎ止めている。
「……おかえり、カミーユ」
スピーカーから、ノイズの混じらない、クリアなアヤの声が聞こえた。この部屋だけが、二人が、何にも邪魔されずに話せる場所だった。
「ああ。土産だ」
カミーユは、データユニットを、サーバーに接続するためのポートに、慎重にセットした。
『……すごい。とんでもない代物だね、これ……』
アヤの解析が、始まる。画面に、常人には理解不能な速度で、無数のコードが流れ始めた。
『……プロテクトが、固すぎる……。バスティオンと、リュミエール……それに、EACの軍事コードまで混じってる……。一体、何なの、これ……』
数十分が、経過しただろうか。
カミーユは、壁に寄りかかり、じっとその様子を見守っていた。
やがて、画面のタイピングが、ふと、止まった。
『……嘘……』
スピーカーから、アヤのかすれた声が漏れた。
「どうした?」
『……解読できたファイルが、一つだけ……。いや、ファイルの、名前だけだ……』
「名前?」
アヤは、まるで信じられないものを口にするかのように、ゆっくりと、その言葉を紡いだ。
『……"プロトコル・ラザロ"……』
だが、アヤは、その名前に、何か、遠い記憶の断片をくすぐられるような、奇妙な感覚を覚えていた。ブラックアウトの前の、事故の記憶。断片化し、ノイズにまみれた、決して開けてはならないパンドラの箱。
『……それ以上の情報は、何も……。完全にロックされてる』
カミーユは、画面に表示されたその言葉を、静かに見つめていた。
プロトコル・ラザロ。
それが何なのか、まだ分からない。
だが、スピーカーから聞こえるアヤの息遣いの、僅かな乱れが、全てを物語っていた。
これは、ただのお宝ではない。
自分たちが、決して触れてはならない、この世界の心臓部へと繋がる、呪いか、あるいは……。
カミーユは、アヤを生かすためならどんなことでもした。
だが、その日常は、昨日までとは決定的に違ってしまった。
今この瞬間から、街の支配者そのものから、追われることになったのだ。




