第四話:鋼鉄の解体ショー
空が唸りを上げた瞬間、地上での醜い銃声は、まるで申し合わせたかのように、ピタリと止んだ。
市警も、ギャングも、誰もが敵意を忘れ、空に現れた、ありえないほどの巨大な影を見上げていた。
その、息を呑むような静寂を最初に引き裂いたのは、指揮官を失い、統制をなくした市警の警官の一人が発した、ただの悲鳴だった。
「……なんだよ、あれは……」
その一言が、引き金だった。
「企業だ!なぜここに!?」
「逃げろ!俺たちじゃ相手にならねえ!」
指揮系統は、完全に崩壊していた。
一部の警官は、恐怖のあまりその場から逃げ出し、一部は、誰に命令されるでもなく、空に向かって無意味な乱射を始めた。
その混乱は、スカベンジャーギャングたちにも伝染する。
「ありゃ、ランカーか!?」
「引くぞ!あんな化け物、聞いてねえぞ!」
統制は、一瞬で崩壊した。
パニックに陥った部下たちの悲鳴と、再び始まった乱射の音にかき消されて、もはや誰にも届かない
だが、遅かった。
ドロップシップの中央ハッチが開き、一体の巨人が地上へと降下してきた。
ジェットパックの逆噴射が、周囲の瓦礫と汚泥を吹き飛ばす。
着地の衝撃で、地面が揺れた。
そこに立っていたのは、身長3メートルを超える、黒鉄の悪魔。
ランカー、『ベリエ』。
彼は、ハイエナたちの存在など、まるで意に介していない。ただ、目的の「鉄の鯨」へと、最短距離で、重い足取りで歩を進める。
市警の警官の一人が、恐怖のあまり、持っていたEAC製のライフルを、ほとんど無意識に発砲した。
カン、カン、と軽い音がして、弾丸がベリエの分厚い装甲に弾かれる。
ベリエは、鬱陶しげに、その警官を一瞥した。
「―――邪魔だ」
ヘルメットの外部スピーカーから漏れ聞こえたのは、増幅され、歪んだ、しかし、確かに人間の怒りをはらんだ声だった。
次の瞬間、彼の右腕のフルオート・ショットガンが火を噴いた。
凄まじい轟音と共に、警官は、その身体ごと、背後のコンクリート壁に赤い染みとなって叩きつけられた。
それは、一方的な蹂躙の始まりだった。
地下トンネルの中。
カミーユは、マンホールの隙間から、その全てを、冷静に観察していた。
恐怖はない。ただ、圧倒的な脅威に対する、冷たい分析だけがあった。
「……なるほど。あれが、バスティオンの切り札か」
彼女は静かに呟くと、敵の装甲、武装、そして動きの癖を、その目に焼き付けていた。
『……カミーユ……』アヤの声が、恐怖に震えている。『……ベリエが、こっちに向かってくる……!ハイエナの掃除が終わったみたいだ!』
リスクとリターンを天秤にかける。
コンテナの確保は、現状、不可能。こいつとやり合うのは、最悪の「面倒事」だ。
だが、命懸けで手に入れたデータユニットを、ここで失うわけにはいかない。
「アヤ。もぎ取ったデータユニット、どうなってる」
『……自己消去を始めてる!ベリエの接近に呼応してるんだ!』
もはや、一刻の猶予もなかった。
「アヤ。あのスクラップ用のクレーンとアーム、動かせるか?」
『旧式の制御盤だ……ローカルでアクセスできれば、あるいは!でも、どうやって奴をあそこまで……』
「私が、おびき寄せる」
カミーユは、マンホールから滑り出ると、ベリエとは反対方向、工場の中心部へと、音もなく駆けた。
彼女は、巨大なプレス機が鎮座する「キルゾーン」の中央で、スリングライフルに鋼球弾を装填。近くの鉄板に、力任せに撃ち込んだ。
[カーン!]
静寂を破る、甲高い金属音。
「……ん?」
ハイエナの残骸を踏み潰していたベリエが、その音に気づき、ゆっくりと振り返る。
カミーユは、一瞬だけその姿を晒し、すぐに機械の影へと消えた。
「……ネズミが」
ベリエのスピーカーから、怒りに満ちた声が漏れる。彼は、鉄の鯨に背を向けると、カミーユが消えたキルゾーンへと、その巨体を進め始めた。
『カミーユ、ミメーシスを行かせる!あの制御盤まで、奴の注意を引いて!』
カミーユは、巨大な機械の間を駆け抜け、ベリエを誘導する。その頭上を、光学迷彩を起動させたミメーシスが、蝶のように舞い、埃をかぶった制御盤へと向かっていく。
ベリエが、巨大なプレス機の前にたどり着いた、その時。
ミメーシスが、制御盤のポートに、接続プラグを突き刺した。
『接続完了!……システムのロックを……こじ開ける!』
アヤの叫びと、工場全体が呻き声を上げたのは、ほぼ同時だった。
非常灯が、赤く点滅する。何十年も眠っていたモーターが、錆びた音を立てて回り始める。
廃工場が、目を覚ました。
「なっ!?」
ベリエが、周囲の異変に気づく。
その頭上、巨大な電磁クレーンが、唸り声を上げて作動。凄まじい磁力で、ベリエの巨体を捕縛した。彼の動きが、途端に鈍重になる。
「うおおおっ!」
ベリエが、磁力に抗って抵抗する。だが、彼の悪夢は、それだけでは終わらなかった。
左右から、スクラップ用の巨大な自動溶断アームが、まるで肉食獣の顎のように、彼に襲いかかったのだ。
一体のアームが、彼のショットガンを掴み、捻じ曲げる。もう一体のアームが、彼の装甲を引き裂こうと、その爪を突き立てた。
ベリエは、ロケットハンマーで、そのアームを殴りつけ、破壊する。
だが、その巨大な機械との力比べによって、彼の肩の関節部、動力ケーブルが集中する部分が、無防備に晒された。
『今だ、カミーユ!肩の関節部!装甲がずれてる!』
アヤの叫び。
カミーユは、すでに、狙いを定めていた。
安全な場所から、『アルバレッテ』に装填したパイルバンカー・ボルトを、剥き出しになった弱点へと、正確に撃ち込む。
[プシュッ]という、ごく小さな発射音。
ボルトは、夜の闇を切り裂き、ベリエの肩の付け根に、吸い込まれるように突き刺さった。
[ガキン!]という衝撃音。
そして、起爆。
杭が、装甲の内部で、彼の動力システムと電子回路を、物理的に破壊した。
「ぐ……あ……?」
ベリエの雄叫びが、疑問の声に変わる。
彼の赤いモノアイの光が、数度、激しく明滅し……そして、完全に消えた。
全ての力を失った鉄の巨人は、暴走する機械に吊るされたまま、ただの鉄屑となった。
静寂が、戻る。
「アヤ、データユニットは?」
『……自己消去、停止した!間に合った!』
カミーユは、鉄の悪魔の亡骸を一瞥すると、すぐに踵を返した。
愛車『フォコン』が、彼女を待っている。
面倒な仕事は、終わった。あとは、獲物を持ち帰るだけだ。




