第四十四話:簒奪者
ウェイが用意した隠れ家のアパート。
あの日、マルセイユから帰還してから、数日が経過した。
カミーユは、窓の隙間から、息を殺すように、下の通りを眺めていた。ヴァロワ署長が発令した「特別治安維持法」により、バ=カルティエは、市警RAID部隊が闊歩する、本当の牢獄と化していた。
『……ウェイから手に入れた、コルボーの顧客台帳、分析が終わったよ』
アヤの声が、部屋の静寂を破る。
『顧客のほとんどは、バ=カルティエのチンピラや、中小ギャングだ。でも、リストの最後に、気になる名前が一つだけあった』
「誰だ」
『……市警の、オーギュスト・モレル隊長だ』
カミーユの眉が、わずかに動いた。
『コルボーは、モレルに、個人的に、ドラッグを横流ししてたみたいだ。……あの男、ただでさえ危険なのに、これ以上、何を求めるつもりなんだろうね』
アヤの、その不吉な言葉を、遮るように。
突如、部屋の全てのスクリーンが、けたたましい音と共に、市警の紋章へと切り替わった。
街の全てのチャンネルが、強制的にジャックされたのだ。
そこに映し出されたのは、完璧な制服に身を包んだ、アントワーヌ・ヴァロワ署長だった。
彼は、カメラの向こうの、全リヨン市民に向けて、堂々と、語り始めた。
「親愛なる、リヨンの市民諸君」
その声は、力強く、そして、自信に満ちていた。
「我々の偉大なる都市が、今、危機に瀕している。外部の強欲な企業と、異邦人が、我々の平和を脅かし、街を、ドラッグと暴力で汚染している。ランカー殺しのテロリストが、白昼堂々と、街を闊歩している!」
彼は、一度、言葉を切り、厳しい表情で、続けた。
「この混乱は、全て、現体制の、弱腰な政策が生み出したものだ!私は、本日、この腐敗した現状を打破し、フランス人による、フランスのための、強く、純粋な秩序を取り戻すため、次期市長選への、出馬を、ここに、宣言する!」
演説は、熱狂的な支持を煽る、完璧なプロパガンダだった。
そして、その演説の、まさに、クライマックス。
ヴァロワが、高々と、拳を突き上げた、その瞬間。
『カミーユ!』
アヤが、悲鳴のような声を上げた。
彼女は、ヴァロワの演説の裏で、ラ・コミューンからの、緊急の暗号通信を傍受していた。
それは、ミシェル市長の側近から、カミーユに向けられた、悲鳴のようなメッセージだった。
「―――市長が、消えた。昨夜、何者かに、連れ去られた。……おそらく、ヴァロワの、RAID部隊の仕業だ……!」
カミーユとアヤは、全てを理解した。
ヴァロワは、市長選の出馬を宣言する、その裏で、最大の対立候補であるミシェル市長を、すでに拉致していたのだ。
彼の演説は、市長の失踪という、これから起きるであろう「混乱」を、自らが収拾するための、自作自演の舞台挨拶に過ぎなかった。
恩人であり、この廃都の、最後の良心とも言えるミシェル市長が、囚われた。
カミーユの、個人的な戦いは、今、街全体の運命を左右する、より大きな戦いへと、否応なく、巻き込まれていく。
彼女は、静かに、壁に立てかけていた『アルバレッテ』を、その手に取った。
その目は、テレビの画面に映る、ヴァロワの、偽善に満ちた笑顔を、冷たく、見据えていた。




