第三十八話:二つの欠片
ウェイが用意した隠れ家は、旧中華街に聳え立つ、高層アパートの一室だった。
昼間、カミーユは、分厚いカーテンを閉め切り、一切の光を遮断した部屋の中で、息を殺していた。
三人の間には、重い沈黙が流れている。
その沈黙を破ったのは、コーエン博士だった。
「……さて。少し、話を聞かせてもらおうか」
彼は、カミーユを真っ直ぐに見据える。その瞳は、もはや、ただの怯えた捕虜のものではなかった。科学者としての、鋭い光が戻っていた。
「君は、一体、何者なんだね?そして、一体、何をしたいんだ?なぜ、私を、あの牢獄から連れ出した?」
カミーユは、答えない。
その彼女の代わりに、部屋に置かれたミメーシス・ドローンのスピーカーから、アヤの声が響いた。
『……私が、目的です、博士』
博士は、声だけの存在に、驚きを隠せない。
アヤは、自らの現状――サイバネティック手術中にブラックアウトが起きたことで、精神だけがネットワークに閉じ込められていること――を、博士に簡潔に説明した。
全てを理解した博士は、今度は、科学者としての、厳しい質問を投げかけ始めた。
「……なるほど。それで、『ラザロ』を……。君たちは、あれを起動させるための条件を、理解しているのかね?」
「あんたの知識が必要だ」
カミーユは、静かに答えた。
「企業のタワーの設備を乗っ取る。あんたが、それを動かせ」
しかし、その言葉を聞いた博士は、かぶりを振った。
「……不可能だ」
『……え?』アヤが、息を呑む。
「無理だよ。ただの一つの、シンプルな理由でな」
博士は、その、残酷な真実を、告げた。
「電力が、絶望的に、足りない」
彼は説明する。
『ラザロ』の再同期プロセスには、ブラックアウト以前の、国家レベルの発電所が生み出すような、クリーンで、莫大な電力が必要である、と。
リュミエールやバスティオンの発電施設は、確かに強力だが、あくまでローカル用。その不安定な電力で起動を試みれば、プロトコルは暴走し、アヤの精神は、一瞬で、修復不可能なほど焼き切れてしまうだろう、と。
「生体インターフェイスの設備そのものは、彼らのものでも代用できるだろう。私が、そこに『ラザロ』を正しく組み込みさえすればな。だが、肝心の、それを動かすための『心臓』が、この廃都の、どこにも存在しないんだ」
カミーユと、アヤは、愕然とした。
鍵も、設計者(博士)も手に入れた。
しかし、その全てを動かすための、絶対的な「力」が、この世界から、失われてしまっている。
三人の間に、重い、重い、沈黙が落ちた。
その、絶望的な沈黙を破ったのは、カミーユだった。
彼女は、感傷に浸るのではなく、ただ、次の可能性を探る。
「……発電所は、どうだ?」
彼女は、博士に尋ねる。
「ブラックアウト以前の、国家が管理していたような、巨大な発電所なら。まだ、どこかに、生き残っているものはないのか?」
その、最後の希望とも言える問いに。
博士は、静かに、そして、無慈悲に、首を振った。
「……仮に、まだ稼働している発電所が見つかったとしよう。だが、問題は、どうやって、そこに、企業のタワーにあるような、巨大で、繊細な『生体インターフェイス』を運ぶんだね? あれは、持ち運べるような代物ではない」
電力はあるが、設備がない場所。
設備はあるが、電力がない場所。
二つのピースは、決して、交わらない。
三人は、完全な、絶対的な手詰まりに陥った。
物語は、希望のないまま、静かに、夜の闇へと沈んでいった。




