第三話:ハイエナの饗宴
『……もう、呼ばれちゃった』
アヤの絶望的な声が、鉄の鯨の静寂に吸い込まれていく。
カミーユは、黒いコンテナに置いた手を離し、即座に思考を切り替えた。
誰が来るのか。いつ来るのか。それは問題ではない。問題は、この「呼び声」を発したコンテナを、どうするかだ。
「アヤ、このコンテナ、動かせるか?」
『……無理。床に電磁ロックで固定されてる。動力部を破壊すれば外れるけど、爆発の危険が……』
つまり、この場から持ち去ることは不可能。
ここに留まるのは、自殺行為に等しい。
カミーユが撤退を決断するよりも早く、最初の「客」が到着した。
それは、「呼ばれた者」ではなかった。
『カミーユ、地上車両接近!、複数!……市警の装甲車が一台!他のスカベンジャーのバイクも混じってる!』
墜落の黒煙と轟音を嗅ぎつけてやってきた、廃都で最も貪欲なハイエナたちだ。
カミーユは、舌打ちすると、機体の奥、影が最も深い場所へと身を隠した。
やがて、機体の外で、複数のエンジン音が止まり、男たちの怒号が響き渡る。
「ここは市警が管理する!許可なく立ち入る者は、抵抗勢力と見なし、即刻射殺する!」
市警の隊長が、拡声器でがなり立てる。
「笑わせるな!早い者勝ちがこの街のルールだろうが!」
別のスカベンジャーギャングのリーダーが、ショットガンを構え返す。
一触即発の睨み合い。その均衡は、どちらかが放った一発の銃声によって、唐突に破られた。
地上で、市警とギャングによる、醜い銃撃戦の幕が上がる。
カミーユは、機体内部で息を殺しながら、反撃の機会を窺っていた。
銃撃戦の轟音は、彼女の行動を隠す、絶好のカバーになる。
その時、ガスマスクと旧式のコンバットアーマーに身を固めた市警の分隊が、機内へと突入してきた。
「外の連中を押さえろ!我々はブツを確保する!」
隊長と呼ばれた男が、カーゴベイの中央に鎮座する黒いコンテナを見て、下品な笑みを浮かべた。
「バスティオンの連中が、よほど大事に運んでた代物らしいな。こじ開けろ!」
部下たちが、コンテナに駆け寄る。
「何をやっている、早くしろ!」
隊長が、外部の戦闘に気を取られ、苛立たしげに悪態をついた。
それが、カミーユが待っていた、唯一の隙だった。
彼女は、天井の配電パネルをスリングライフルで撃ち落とす。
轟音と火花が、視覚と、何より敵のセンサー類を麻痺させる。
その瞬間、彼女はブーツのかかとを一度だけ打ち鳴らした。
[シュン!]
『ラピッド・ストライク』の圧縮空気が噴射され、カミーユの身体は、人間の動体視力では捉えきれないほどの速度で、煙幕の中を疾走した。
最初の牙は、指揮官である隊長に向けられる。煙の中から亡霊のように現れたカミーユは、反応する暇も与えず、隊長の義手に「スティンガー」を突き立て、起動。超高圧電流が、彼の神経まで焼き、短い絶叫と共にその場に崩れ落ちさせた。
「隊長!?」
「どこだ、どこから来やがった!?」
隊長の隣にいた警官が、混乱の中でライフルを乱射する。
だが、その銃口がカミーユを捉える前に、彼女の身体は、すでに次の獲物の懐に潜り込んでいた。残光を残し、彼女は警官のライフルを片手で逸らすと、抜いたコンバットナイフで装甲の隙間(首筋)を深々と切り裂く。
そして、その警官が崩れ落ちる前に、さらに次の警官へと肉薄。ナイフの柄でヘルメットのバイザーを叩き割り、昏倒させた。
全てが、わずか数秒の出来事。
煙が晴れた時、残された警官たちが見たのは、指揮官と二人の仲間が沈黙し、その中心に、まるで亡霊のように佇むカミーユの姿だった。
彼女は、彼らの警戒網を完全に分断し、有利な位置へと移動している。
「ひぃっ……!」
恐怖に顔を引きつらせた警官たちの目の前で、カミーユは、背負っていた携行型の弩『アルバレッテ』を、静かに構えた。
その先端には、サイボーグの装甲をも貫く、パイルバンカー・ボルトが、鈍い光を放っている。
「に、逃げろ!こいつは、ただの女じゃねえ!」
一人が叫びながら逃げ出すと、残った者たちも、パニック状態で、我先にと機体の外へと逃げ出していった。
カミーユは、逃げていく彼らを追うことはしなかった。
アルバルッテを静かに降ろすと、彼女は黒いコンテナへと向き直る。
「アヤ!何か、何か取れるものはないのか!」
『待って……このコンテナ、外付けのデータポートがある!中身のログか、あるいは……!』
カミーユは、警官たちが残していったプラズマカッターを手に取ると、データポートの周囲の装甲を、強引に焼き切った。
そして、剥き出しになったポートと、それに繋がるデータユニットを、力任せにもぎ取る。
『カミーユ、早く!企業の兵隊達が来る!』
「分かってる!」
彼女は、機体の床にある、旧整備用トンネルのマンホールへと走った。
その蓋を開け、闇の中へと飛び込む。
地上では、銃声と怒号が飛び交っている。
「媽的…![クソッ!] 市警の犬どもめ!あの宝贝…[お宝]は俺たちのモンだ!」
ハイエナたちの、醜い饗宴。
だが、カミーユは、もう、そのどちらでもなかった。
彼女は、マンホールの下で、息を殺しながら、アヤに尋ねた。
「……奴らは?」
『……うん。まだ、来てない』
そのアヤの声が、不意に、途切れた。
数秒の、完全な沈黙。
そして、アヤは、今まで聞いたこともないような、畏怖に満た-た声で、囁いた。
『……カミーユ……』
『……空。……空を見て』
カミーユは、マンホールの隙間から、デブリに覆われた夜空を見上げた。
雲が、内側から燃えるように赤く照らされていた。
サーチライトではない。超高温のエンジンが、雲を焼きながら降下してくる光だ。
やがて、雲を切り裂き、重々しいエンジン音を廃都中に轟かせながら、バスティオン社の、巨大なドロップシップが姿を現した。
ハイエナたちの饗宴は、終わりだ。
この戦場の、本物の傭兵が、ただ一人、盤面へと降り立とうとしていた。




