第三十四話:モンテ・クリスト
カミーユとコーエン博士は、汚水の中を、必死に走っていた。
上からは、銃声と、兵士たちの怒号が、くぐもって聞こえてくる。
『カミーユ!ドクター!聞こえる!?』
アヤの声が、ノイズ混じりで、ようやく届いた。『よかった……!でも、追手がすぐそこまで来てる!急いで!』
カミーユは、足を止め、息を切らす博士に、肩を貸した。
10年間、ろくに歩くこともなかったであろう彼の身体は、すでに限界に近かった。
「しっかりしろ、博士。死にたくなければ、歩け」
「分かって、いる」
二人は、アヤが視界に投影する簡易マップだけを頼りに、暗く、悪臭の立ち込める地下水道を進んでいく。
『一番近い、バ=カルティエに繋がる排水口まで、あと500メートル……!でも、そのルート上に……!』
アヤの言葉が、途切れる。
カミーユたちが、腰まで水に浸かる、広い貯水槽のような場所に出た、その時だった。
前方の通路の闇の中から、複数の、赤い光が、一斉にこちらを向いた。
バスティオン社の鎮圧部隊。彼らは、先回りして、ここでカミーユたちを待ち構えていたのだ。
「そこまでだ、侵入者!」
カミーユは、咄嗟に、博士を近くの太い柱の影へと押し込んだ。
そして、自らも身を隠しながら、先ほど手に入れたばかりの、あの黒い試作ハンドガンを構えた。
[ダダダダダッ!]
鎮圧部隊の銃弾が、コンクリートの柱に、火花を散らす。
絶望的な火力差。まともに撃ち合えば、数秒で蜂の巣にされる。
『カミーユ!奴ら、分厚い柱の影に隠れてる!こっちからは、手が出せない!』
アヤが、悲鳴のような声を上げる。
カミーユは、静かに、試作銃のスマートスコープを覗き込んだ。
そして、彼女は、息を呑んだ。
スコープの映像が、ノイズ混じりに切り替わり、柱の向こうにいるはずの兵士たちの姿が、赤い人影として、壁越しに、完璧にマーキングされている。
(……何だ、これは……?)
彼女は、銃口を、目の前の兵士ではなく、彼らが隠れている、分厚いコンクリートの柱そのものに向けた。
そして、トリガーを引いた。
[バシュッ!バシュッ!バシュッ!]
3点バーストで放たれた、超硬度のクリスタル弾が、柱に吸い込まれるように着弾する。
そして、次の瞬間。
柱の向こう側から、兵士たちの、短い断末魔が響き渡った。
弾丸は、分厚いコンクリートを、いともたやすく貫通し、その背後に隠れていた兵士たちの身体を、正確に撃ち抜いていたのだ。
「なっ!?」
「壁を、貫通しただと!?」
残った兵士たちが、信じられない光景に、動揺する。
カミーユは、その隙を逃さなかった。
彼女は、遮蔽物から飛び出すと、動揺する残りの兵士たちを、その圧倒的な貫通力で、次々と無力化していく。
数秒後。
通路には、沈黙した、鋼鉄の亡骸だけが転がっていた。
カミーユは、手の中の、まだ硝煙の匂いがする、黒いハンドガンを見下ろした。
そして、隣で震える男に、尋ねた。
「博士。この銃は、何だ」
「『モンテ・クリスト』……」
博士が、かすれた声で答えた。「壁の向こうの敵に、復讐を届ける……。皮肉な名前だ。……もし、トリガーを長押しすれば、フルチャージモードになる。だが、気をつけたまえ。放った後、数秒間は、完全に、機能停止する」
カミーユは、その口元に、獰猛な笑みを浮かべた。
『カミーユ、出口は、もうすぐだ!でも、その先に、さらに大規模な部隊が集結してる!待ち伏せだ!』
アヤの警告。
「分かっている」
カミーユは、博士に肩を貸すと、再び、暗闇の中を、歩き始めた。
出口の先には、地獄が待っている。
だが、今の彼女の手には、その地獄を、こじ開けるための鍵が、握られていた。




