第三十二話:牢獄の博士
静寂。
サーバーの低い駆動音だけが、響いている。
カミーユは、ハンドガンの銃口を向けたまま、目の前の痩せた男――エリアス・コーエン博士を、冷静に観察していた。
「君は、誰だ?バスティオンの人間ではないな」
博士が、かすれた声で尋ねる。
「なぜ、ここが分かった?」
「『プロトコル・ラザロ』を追ってきた」
カミーユは、短く答えた。
その言葉を聞いた瞬間、博士の顔から、血の気が引いた。
「ラザロ……。まだ、あの呪われた名前が、亡霊のように、この世を彷徨っていたとはな」
彼は、全てを諦めたように、力なく笑った。
「あれは、私が創り出した、最大の過ちだ。バスティオンは、それを、AIの軍団を作るために使おうとしている。私は、それを拒んだ。だから、10年間、ここで、飼い殺しにされている」
「どうすれば起動できる」
カミーユは、彼の感傷を、単刀直入な質問で断ち切った。
博士は、カミーユの目を、驚いたように見つめた。
「……起動? 正気かね? あれを起動させるには、二つのものが……」
博士が、その言葉を言い終える前に。
アーカイブ全体に、それまでの低い駆動音とは異質な、冷たい、人間の声が響き渡った。スピーカーからだ。
「―――侵入者へ。お前の存在は、すでに確認されている」
カミーユの全身の筋肉が、一瞬で、戦闘態勢へと切り替わる。
「我々の『資産』に手を出さず、速やかに武器を捨てて投降せよ。抵抗は、無意味だ。この区画は、すでに、完全に封鎖した」
その言葉を証明するように、遠く、カミーユが通ってきた通路の方向から、[ゴオオオオン!]という、分厚いブラストドアが、何重にも、閉鎖されていく、絶望的な音が響いてきた。
「もう、終わりだ」
博士が、力なく呟いた。「君だけでも、逃げなさい。私には、もう、どこにも……」
カミーユは、博士の言葉を、遮った。
彼女は、ハンドガンをしまい、代わりに、腰のシース(鞘)から、スティンガーを、静かに抜き放った。
そして、絶望に顔を歪める博士を、その感情のない瞳で、真っ直ぐに見据えた。
「博士。あんたを、ここから連れ出す」
「何を言っているんだね!?不可能だ!」
「やるしかない」
カミーユは、短く、言い放った。
その言葉と同時に、閉鎖されたブラストドアの向こうから、複数の、重い、重い、軍靴の足音が、急速に、近づいてくるのが聞こえ始めた。
ジグラットの、本当の地獄の蓋が、今、開かれたのだ。




