第二十一話:装備と覚悟
ラ・コミューンの隠れ家は、静かな興奮に包まれていた。
アヤが、共同体の作業用ドローンを遠隔で操り、ミメーシスの強化を行っている。黒い翼に、リュミール社製の、美しい流線型をしたホバーユニットが、慎重に取り付けられていった。
数時間後。
隠れ家の片隅で、強化されたミメーシスが、ふわりと、音もなく宙に浮いた。その動きには、以前の不安定さは微塵もない。まるで、重力そのものを支配しているかのような、完璧な安定性だった。
『すごい……!推力、安定性、静音性、全部桁違いだ!』
アヤの、歓喜に満ちた声が響く。
『これなら、あんたを吊り下げて、垂直ダクトを降下できる!』
カミーユは、静かにホバリングするミメーシスを一瞥すると、すぐに意識を切り替えた。
「……それで、設計図は?」
二人の目の前に、バスティオン社の本拠地『ジグラット』の、巨大な立体構造図が、ホログラムで投影される。教授から得た、「最も汚い裏口」――プラズマ廃棄物処理場のデータだ。
『ここから、廃熱ダクトを通って、タワーの地下ドックに侵入する』
アヤが、侵入ルートを赤いラインで示す。
『でも、問題が二つ。一つは、ダクト内部の温度。場所によっては、摂氏200℃を超える。生身じゃ、数秒で蒸し焼きだよ』
「……耐熱性のスーツが必要か」
『うん。それも、軍用の特殊なやつがね。……そして、もう一つの問題』
アヤは、タワー内部の構造を拡大した。そこには、無数の警備システムと、ドローンの巡回ルートが、蜘蛛の巣のように張り巡されている。
『この区画の警備責任者は、ランカーの『バラージ』だ。奴の部隊は、重火器で武装したサイボーグで構成されてる。正面からやり合ったら、ベリエの時みたいにはいかない』
「分かっている。だから、裏から行く」
カミーユは短く応じたが、そのための肝心な装備がない。彼女はアヤに一言断ると、思考を整理するために、共同体のシャワールームへと向かった。
熱い湯が、緊張でこわばった筋肉をほぐしていく。
カミーユは、壁に叩きつけられる湯を浴びながら、目を閉じた。脳裏に浮かぶのは、灼熱のダクトと、重火器で武装したサイボーグ部隊。無謀な作戦だ。だが、やるしかない。
(……軍用の、耐熱スーツ)
問題は、どうやってそれを手に入れるか。
思考の海に沈んでいたカミーユの脳裏に、ある人物の、若々しいながらも苦悩に満ちた顔が浮かんだ。
カミーユは、勢いよくシャワーを止めた。迷いは消えた。
濡れた髪をタオルで乱暴に拭くと、彼女は、共同体の中心部にある執務室へと、まっすぐに向かった。
ペール・ミシェル市長の執務室は、共同体の中では珍しく、旧世界の、木の温もりが感じられる場所だった。
その部屋の主であるミシェルは、35歳と若年ながらこの共同体を率いている。まだ若さの残るその顔には、年齢不応の疲労と、指導者としての重圧が刻み込まれていた。
カミーユの計画を聞いた彼は、険しい表情で口を開いた。
「無茶だ、カミーユ君。君は、この共同体の、希望なのだ。その君を、そんな死地に、行かせるわけには……」
ミシェルの静止を、カミーユはまっすぐな視線で受け止めた。
「アヤを救える可能性が少しでもあるなら…それに賭けたい」
カミーユは、静かに、しかし、きっぱりと言った。
「私は必ず帰ってくる。安心して送り出して」
ミシェルは、カミーユの、揺るぎない瞳を、しばらく見つめていた。そこには、恐怖も、迷いもなかった。ただ、仲間を救うという、純粋で、鋼のような意志だけが存在していた。
やがて、彼は、深く、深く、ため息をついた。
「……分かった。君の覚悟は、本物のようだ」
彼は、部屋の奥にある、頑丈なロッカーを開けた。
中から出てきたのは、特殊部隊が使っていたという、耐熱式のジャンプスーツだった。
「……気休めにしかならんかもしれんが、ないよりはマシだろう。持っていきなさい」
「……感謝する、ミシェル」
「礼など、いらんよ」
ミシェルは、カミーユの肩に、そっと手を置いた。
「必ず、生きて帰ってくれ。……アヤ君のためにもな」
夜。
全ての準備は、整った。
カミーユは、銀色の耐熱服を身にまとい、その上に、いつもの装備を装着する。
武器の手入れは、完璧だ。
彼女の目の前のスクリーンには、明日、自分が挑むことになる、黒い巨塔『ジグラット』の姿が、不気味に映し出されていた。
『……明日の今頃は、この中にいるんだね』
アヤの声が、静かに響く。
カミーユは、ただ、その黒い巨塔を、睨みつけていた。
「ああ」
彼女は、短く答えた。




