第十九話:夜明けの銃声
『クラブ・ノクターン』は、混沌の坩堝と化した。
重厚なジャズの音色は、銃声と、金属が引き裂かれる甲高い悲鳴に取って代わられた。
コルボーは、獣のような咆哮を上げながら、サブマシンガン『ペイバック』を乱射する。跳弾した炸裂弾が、ホログラムのシャンデリアを砕き、恐慌状態の客たちを吹き飛ばしていく。
カミーユは、その地獄絵図の中心で、ただ、冷静に、機を窺っていた。用心棒たちが、コルボーの注意を引きつけてくれている。彼らが、カミーユにとっての、最高の「盾」であり、「陽動」だった。
彼女は、バーカウンターの影を滑るように移動し、棚に並んだ高濃度のアルコール瓶を、スリングライフルで次々と撃ち抜いた。漏れ出た液体が、床に広がる。
そして、コルボーがそちらに踏み込んだ瞬間、スティンガーの柄を擦り合わせ、わずかな火花を飛ばして、引火させた。
青い炎の壁が、一瞬だけ、コルボーの視界を遮る。
その隙に、カミーユは、コルボーの死角へと回り込んでいた。
狙うは、薬物で強化されたとはいえ、再生しきってはいないはずの、脇腹の古い傷。
彼女は、コンバットナイフを抜き放ち、床を蹴った。
だが、コルボーの戦闘本能は、理性を失って、むしろ、研ぎ澄まされていた。
彼は、背後のカミーユの気配を察知し、凄まじい速度で振り返ると、その腕から展開したマンティスブレードで、彼女のナイフを受け止めた。
[ガキン!]
「……捕らえたぞ!」
コルボーの、赤いサイバーアイが、至近距離で、カミーユを捉える。
彼の口元が、獰猛な笑みに歪んだ。
そして、彼は、サブマシンガン『ペイバック』の銃口を、カミーユへと向けた――。
その動きは、あまりにも速く、カミーユは、わずかに、間に合わない。
クラブの奥、破壊されたVIP席の入り口。
そこでは、ラ・ダム・ド・ソワと、一人の壮年の男が、静かにグラスを傾けていたはずだった。
男は目の前の地獄絵図に、心底うんざりしたように、小さくため息をついた。
彼は、テーブルに置いたグラスを、そっと持ち上げる。そして、スピーカーから響き渡るコルボーの咆哮を遮るように、静かに、しかし、有無を言わせぬ声で、呟いた。
「―――静かに、酒を飲ませろ」
その男――ジュリアン・ヴァランが手にしていた巨大なマグナムが、火を噴いた。
[ドン!]
コルボーが、膝を砕かれ、バランスを崩した、その一瞬。
カミーユは、その機会を逃さなかった。
彼女は、倒れこむコルボーの懐へと飛び込み、脇腹の古い傷口へと、再び、コンバットナイフを深々と突き立てた。
「ぐ……あああああっ!」
コルボーは、獣の最後の咆哮のような絶叫を上げ、そして、完全に意識を失い、床に巨体を沈めた。
静寂が、戻った。
カミーユは、銃声がした方を見上げ、そこにいるのが、自分の父親であることに気づいた。
「……父さん……?」
ジュリアンは、娘を一瞥すると、ただ、冷たく言い放った。
「……何をしている。理性があるうちに、とどめを刺してやれ。それが、奴への情けだ」
彼は、そう言うと、再び、何事もなかったかのように、グラスを手に取った。
翌朝。
夜明け前の、最も暗い時間。
クラブ・ノクターンのVIPルームは、血と硝煙の匂いが、まだうっすらと残っていた。
高価なソファの上で、ル・コルボーが、うめき声と共に、ゆっくりと意識を取り戻した。
強化薬物の効果は完全に切れ、彼の身体を支配するのは、凄まじい疲労と、全身を貫く激痛。そして、敗北という、彼が久しく味わっていなかった屈辱だった。
彼が、重い頭を上げると、部屋の隅の椅子に、一人の女が座っているのが見えた。
カミーユだった。
彼女は、使い慣れたハンドガンを、静かに、膝の上で手入れしていた。
「……なぜだ」
コルボーの声は、ひどく、かすれていた。
「……生身のお前が……なぜ、俺に勝てた……?」
カミーユは、手入れの手を止め、ハンドガンの弾倉を、カチリ、と音を立てて戻した。
彼女は、コルボーを、感情のない瞳で見つめながら、静かに言った。
「……お前は、強すぎた」
「……何だと?」
「強すぎたせいで、周りが見えなくなっていた。仲間も、罠も、そして、自分の限界もな」
その言葉に、コルボーは、何も答えなかった。
彼は、ただ、ゆっくりと、天を仰いだ。
そして、全てを理解したかのように、自嘲気味に、小さく笑った。
カミーユは、静かに立ち上がると、彼の元へと歩み寄った。
そして、そのこめかみに、冷たい銃口を、突きつける。
「―――頭が、冷えたか?」
バン!
乾いた銃声が、静かな朝のクラブに、小さく響き渡った。
その光景を、部屋の入り口から見ていたジュリアンが、静かに呟く。
「……こいつも、軍人の成れの果てだったのかもしれんな」
鴉のオペラは、唐突に、そして、静かに、その幕を下ろした。




