第十八話:クラブ・ノクターン
風切り音が、耳元で、死の歌のように響き渡る。
カミーユは、落下しながら、眼下のエアカーの、その屋根だけを見据えていた。
彼女の訓練された肉体が、着地の衝撃を計算する。脚、腰、背中――全身の筋肉をバネのように使い、衝撃を殺す。
[ガシャン!]
凄まじい金属音と共に、カミーユの身体は、エアカーの屋根に叩きつけられた。
常人であれば、全身を骨折していてもおかしくない衝撃。だが、彼女は、受け身を取り、即座に屋根にしがみついた。
車内の民間人パイロットが、悲鳴を上げて、ハンドルを滅茶苦茶に切る。エアカーは、蛇行しながら、廃ビルの谷間を迷走し始めた。
『カミーユ! コルボーが追ってくる! 早い!』
アヤの声が、悲鳴のように響く。
カミーユが、後方を振り返る。
屋上に取り残されたはずのコルボーが、両腕から展開した、カマキリの鎌のような鋭いブレードを、ビルの壁面に突き立て、火花を散らしながら、凄まじい速度で壁を駆け下りてきていた。そして、地上に降り立つと、獣のように加速し、猛然とこちらを追跡してきていた。
このままでは、ただの動く的だ。
カミーユは、エアカーが、バ=カルティエの、比較的賑やかな市場地区の上空に差し掛かった瞬間、屋根から飛び降りた。
布製の屋台の天幕を突き破り、彼女は、地上に着地する。
その数秒後。
彼は、カミーユの姿を認めると、その口元を、歪んだ笑みに吊り上げた。
そして、サブマシンガン『ペイバック』の銃口を、天に向けた。
「しっかり避けろよ!」
[ダダダダダッ!]
彼が放った弾丸は、上空の、古い歩道橋の天井で跳弾し、カミーユの背後、民間人が逃げ惑う市場の屋台へと、正確に降り注いだ。
[ドゴォォン!]
爆発。悲鳴。混乱。
「化け物だ!」「こっちに来るぞ!」
「やめて! 誰か、助けて!」
コルボーは、もはや、カミーユだけを狙ってはいなかった。
この空間そのものを、住民ごと破壊し、彼女を炙り出すことを、楽しんでいる。
跳弾する炸裂焼夷弾が、次々と炸裂し、市場は、一瞬で、阿鼻叫喚の地獄へと変わった。
「……クソが」
カミーユは、悪態をついた。
これは、自分の戦いだ。無関係な人々を、巻き込むわけにはいかない。
『カミーユ、近くに、ラ・ダム・ド・ソワのクラブがある! 『クラブ・ノクターン』! あそこは中立地帯だ! コルボーでも、簡単には手を出せないはず!』
アヤが、必死に活路を探し出す。
カミーユは、その言葉を信じ、クラブへと向かって、走り出した。
『クラブ・ノクターン』。
そこは、バ=カルティエにありながら、オートヴィルの豪奢さをそのまま持ち込んだかのような、異質な空間だった。
重厚な扉を開けると、外の喧騒が嘘のように、静かなジャズの音と、香水の甘い匂いに満ちている。
フィクサー、企業の重役、非番のランカー。あらゆる勢力の人間が、ここでは、ただの客として、酒と会話を楽しんでいた。
その、偽りの平穏の真ん中を、カミーユは、血と硝煙の匂いを纏わせながら、駆け抜けた。
「止まれ!」
店の用心棒たちが、彼女の前に立ちはだかる。彼らもまた、全身を、洗練されたサイバーウェアで固めた、一流の戦闘員だ。
だが、カミーユは、足を止めなかった。
彼女が、何かを叫ぶよりも早く、クラブの入り口の壁が、轟音と共に、内側へと吹き飛んだ。
瓦礫と煙の中から、コルボーが、その異形の姿を現す。
その血に濡れたサイバーアイは、ただ一人、カミーユだけを捉えていた。
「見つけた」
「……何者だ、貴様!」
用心棒の一人が、コルボーに銃口を向ける。「ここは、ラ・ダム・ド・ソワ様の店だぞ! 中立地帯のルールを……」
その言葉は、最後まで続かなかった。
コルボーの『ペイバック』が火を噴き、用心棒の上半身を、一瞬で消し飛ばした。
クラブは、一瞬で、パニックの坩堝と化した。
客たちが、悲鳴を上げて、出口へと殺到する。
コルボーは、その地獄絵図を見て、楽しそうに笑った。
「邪魔者は、多い方が、楽しめる」
残った用心棒たちが、一斉にコルボーへと襲いかかる。
カミーユは、その三つ巴の乱戦の中で、静かに、スティンガーを抜き放った。
怪物の息の根を、止めるために。




